赤の広場、聖ワシリー寺院前のミーニンとポジャルスキー像を眺める

ロシア旅行記:2日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:ロシア7日間」
-2020年3月12~18日

雨が止んだ、赤の広場

モスクワ市内中心部にある赤の広場

ここモスクワの街はピョートル大帝がサンクトペテルブルクに遷都して以来、ロシア革命後にソビエト連邦が成立した約200年後に再び首都となった。そして現在もロシアの首都であるモスクワ。

 

赤の広場にて

モスクワ市内中心部にある赤の広場の一角にある、聖ワシリー寺院

そして昔は軍事パレードやメーデーの日には多くの人々が行進していた赤の広場も、21世紀には比較的自由に立ち入りできる場所となっている。

 

聖ワシリー寺院にて

聖ワシリー寺院前にある銅像

赤の広場周辺の建物の中でもひと際目を引く建造物であるのが、こちらの聖ワシリー寺院(Собор Василия Блаженного)。イワン雷帝が16世紀に戦勝記念として造らせたという。

 

赤の広場の一角にある、聖ワシリー寺院の前に立つ「ミーニンとポジャルスキー」の銅像

そんな聖ワシリー寺院の真ん前に置かれている、こちらの像は「ミーニン(左)とポジャルスキー(右)」(Monument to Minin and Pozharsky)。16世紀末に当時の皇帝ヒョードル1世(イワン雷帝(4世)の息子:知能が低く統治能力に欠けていたという)が死去し、それまで続いてきたリューリク朝が断絶する。

そしてその後はロシアで動乱の時代となり、イワン雷帝の死んだはずの息子:ドミトリーがポーランドに逃れていたという”偽ドミトリー事件”により、ポーランドがモスクワに入城し、何と偽ドミトリーは皇帝の座に収まってしまう。

しかし偽ドミトリーの皇位は約1年位で終わるも跡継ぎの座を巡って、更に別の偽ドミトリー2号・3号などが現れたりし、ポーランド軍やスウェーデン軍まで機会を狙ってロシアに攻め込んできた。そしてポーランド・リトアニア連合軍にロシアは占領されて、約2年間に渡りモスクワは占領されるのであった。

マトちゃん
マトちゃん

ロシア人はこの偽物騒動が大好きなのよ!いつの時代にもこういった噂があるのよね!

 

クジマー・ミーニンとドミートリー・ポジャールスキーの絵

ミーニンとポジャールスキーが描かれた絵画

そんなポーランド・リトアニア連合軍をモスクワから追い出した”モスクワの戦い”を率いたのは、 リューリク朝王族だったドミートリー・ポジャールスキー(Дми́трий Пожа́рский)公と、商人だったクジマー・ミーニン(Кузьма́ Ми́ни)であった。

 

ロシアのロマノフ王朝最初の皇帝ミハイル・ロマノフ

ロマノフ王朝最初の皇帝ミハイル・ロマノフ

そして見事ポーランド軍を追い出してモスクワを奪還する事に成功したロシアでは、その後ミハイル・ロマノフ(Михаи́л Рома́нов)が皇帝に選ばれて、約300年続くロマノフ王朝時代が幕を開けるのである。

 

モスクワ赤の広場 昔の景色を描いた絵です。

昔の赤の広場周辺の景色を描いた絵

このポーランドからモスクワを取り返した英雄である「ミーニンとポジャルスキーの像」は、1818年には今の位置ではなくちょうどグム百貨店の前辺りに、クレムリンの方向を向いて置かれた。しかしソビエト連邦時代に軍事パレードが行われる赤の広場で、この像が邪魔だったので1930年代に今ある位置に移動されたそうだ。

 

赤の広場の一角にある、聖ワシリー寺院

聖ワシリー寺院は一部改修中だったので、全体がスッキリと見えなかった。しかも天気はどんよりとした曇り空で、せっかくのカラフルな屋根もイマイチ映えなかった。

 

赤の広場の一角にある、聖ワシリー寺院を見上げる

一応有料だけど聖ワシリー寺院内部の見学もできるみたいだったけど、外から眺めているだけでお腹いっぱいになってしまった。

 

赤の広場の一角にある、聖ワシリー寺院前にある銅像を後ろから眺める

レーニン・スターリン・フルシチョフなど共産主義時代の首脳は、ソ連崩壊後に著しく評価を下げてしまい、下手したら銅像まで撤去される始末。しかし身を挺して街を守った英雄は、いつまで経ってもその栄光は消える事がないのである。

 

 

赤の広場中心部に立って見える景色

ようやく雨が止んできたので、ポツポツと赤の広場に観光客などの人影が増えてきた。やっぱりロシアというと、この赤の広場が一番頭に浮かぶ位の人気観光地だけに写真を撮りたくなる所である。

 

赤の広場中心部に立って見える「ロシア国立歴史博物館」

こちらの赤の広場に隣接する赤色レンガで造られた建物は「ロシア国立歴史博物館」(Государственный исторический музей)で、19世紀後半に完成しロシアの古代遺跡の一部やロマノフ王朝の展示品などが保管されているそうだ。

 

赤の広場周辺にあるグム百貨店脇の景色

まだ自由時間が残っているので、もう少し周辺を散策してみる事にする。

 

赤の広場周辺にある「ヴァスクレセンスキー門」

こちらは「ヴァスクレセンスキー門」(Воскресенские ворота)で、通称”復活門”とも呼ばれる城壁ゲートで17世紀に大幅に増築されて再建されたもの。

 

「ヴァスクレセンスキー門」(Воскресенские ворота)が取り壊されている時代の写真

ソ連時代の赤の広場周辺の写真

しかしソビエト連邦時代の1931年に軍事パレードの邪魔になるとして、破壊されてしまったヴァスクレセンスキー門。なので今見られる新しい門はソビエト連邦が崩壊した後の1993年に再び再建された物だそうだ。ちなみにこちらの写真は、ヴァスクレセンスキー門が取り壊されていた時代の物のようだ。

マトちゃん
マトちゃん

ソビエト連邦時代にはそれまでのロシアらしさは、あまり重要ではなかったのよ!それよりマルクス主義の理想的国家が優先されたのよ!

 

赤の広場周辺にある「ヴァスクレセンスキー門」に飾られていたイコン

そんな再建された門には、イエスキリストが復活した時の様子を表したイコンが飾られていた。

 

赤の広場周辺にあった、”ロシア全道路の起点”のレリーフ

こちらの足元に造られているマークがある場所は”ロシア全道路の起点”と呼ばれていて、ロシア連邦道路(国道)の起点とされている。ここからコインを投げるおまじないがあるけど、これが造られたのはまだ1996年と新しい。

 

赤の広場周辺にあるマネージュ広場

ヴァスクレセンスキー門を抜けると「マネージュ広場(Манежная площадь)」が見えてきたけど、この時に凄く強い風がこの辺りに吹き付けていた。

歩くのもやっとな感じだったけど、写真にそれが表れていないのが残念である。。

 

マネージュ広場に立つゲオルギー・ジューコフ元帥の像

そして先程裏から見ていたロシア国立歴史博物館の正面入口前に、馬に乗りながら「チョット待ッタ~~~!」という感じのポーズをしている騎馬像があった。こちらの像はゲオルギー・ジューコフ元帥(еоргий Константинович Жуков)という軍人の像である。

なお1995年に第二次世界大戦の戦勝50周年を記念して造られたこちらの像は、元々赤の広場に設置される予定だった。しかし赤の広場は1990年に世界遺産に登録済で、ユネスコ側から赤の広場での設置に難色を示された為にこの場所に置かれる事になったそうだ。

 

マネージュ広場に立つゲオルギー・ジューコフ元帥の像-2

ジューコフは現在のロシアでは”ロシア人らしいロシア人”として、ソビエト連邦が崩壊した今の時代にも国民から尊敬されている人物。彼の軍歴は第一次世界大戦から始まり、その後ロシア内戦を経て第二次世界大戦では、ナチスドイツに包囲されたレニングラードの総司令官に任命されて、見事ドイツ軍を撃退した英雄である。

 

 

マネージュ広場に立つゲオルギー・ジューコフ元帥の像-3

しかしその後フルシチョフ時代になると権力地盤を固める上で、第二次世界大戦の英雄であるジューコフ元帥の存在が邪魔になり、フルシチョフはジューコフ元帥を誹謗中傷し悪者扱いして、歴史書から彼の名前を消し去ったのである。

 

だがフルシチョフが失脚すると、ジューコフの名誉回復は時間の問題であった。そして名誉が回復された後に回顧録を出版して1974年に息を引き取る。そんなジューコフはソビエト連邦が崩壊した後の新政権でも、ロシアの英雄として死んでいるにも関わらず担ぎ出されて、新しいロシア連邦の象徴的存在としたのであった。

マトちゃん
マトちゃん

このように政権が変わるだけで過去の英雄も、その評価が二転三転する位に安定性がない国なのよ!

 

マネージュ広場に立つ「1812年祖国戦争の博物館」

こちらの建物はモスクワの旧市庁舎で、今では「1812年祖国戦争の博物館(The Museum of the Patriotic War of 1812)」となっている。当時使われていた武器などが展示されているそうだ。

 

マネージュ広場に立つヴァスクレセンスキー門

ヴァスクレセンスキー門のマネージュ広場側には、門の下側に青い屋根の小さな礼拝堂みたいなのが見える。こちらもソビエト連邦時代に取り壊された後に、再び1990年代に入って再建された物。

 

マネージュ広場に立つヴァスクレセンスキー門-2

ヴァスクレセンスキー門の間からは聖ワシリー寺院が見える。そして今では車の進入が禁止になっている赤の広場。

 

赤の広場で路面電車が走っていた時代の写真

100年程前の赤の広場の写真

しかし昔はこのように赤の広場内を縦横無尽に車で走る事も出来たし、路面電車もこの近くを走っていたようだ。

 

 

グム百貨店内で売られていたキャビア

さて充分に周辺を散策したので、集合場所だったグム百貨店に戻る。ロシア名産のキャビアだけど、今回の旅では口にする機会が無かった。

 

グム百貨店内のお店

グム百貨店内には高級ブランドショップ以外にも、このような食料品などが置かれているお店もあって、この店はなかなか見ているだけでも楽しめそうな場所だった。

 

赤の広場にある聖ワシリー寺院

そして集合時間となりグム百貨店を出て、聖ワシリー寺院の方へと向かう。すると空には黒っぽかった曇り空から、少しだけど青空が顔を出してきて陽も僅かに当たるようになってきた。やっぱり聖ワシリー寺院はカラフルなので曇っている時と、太陽光が当たった時ではその荘厳さが全然違ってくる。

 

赤の広場にある

この奥にあるクレムリンは今日は観光せずに、明日見学する予定。こんなに近くにまで来ているのに、今日は全く見学せずにこれから夕食会場へ行ってホテルへ戻るだけみたい。まだ16時半頃だったので、なんだかちょっと勿体無く感じてしまう・・・。

 

赤の広場にある聖ワシリー寺院-2

さっきまで雨が降っていた雨雲のおかげで、逆に太陽の光が当たった美しい聖ワシリー寺院がより綺麗に、かつ印象的に見えたのかもしれない。

 

赤の広場周辺の景色

赤の広場はモスクワでもその中心地なので、その周辺にも色んな建物などがあるのが見える。

 

赤の広場周辺の景色-2

こちら側の空色はさっきまで雨を降らしていた雲が滞在していたので、まだどんよりと沈んだ色をしていた。ちなみに左側に立っているのが、今回モスクワの街を案内してくれたロシア人の現地ガイドさん。日本語は喋れたけどあんまり上手くはなくて「ナニカ質問、シテクダサイ!」と言われてツアー参加者さんが質問していたけど、チンプンカンプンな答えが返ってきたりと微妙な現地ガイドさんでした・・・。

 

晴れてきた青空の下の赤の広場

願わくば最初からスカッと晴れていて欲しかったけど、少しの時間でも晴れた様子が見れたので良かった。それと聖ワシリー寺院は色んな聖堂が固まっているので、このように反対側に回らないと見れない聖堂もあるのだ。

 

晴れてきた青空の下の赤の広場-1

トムクルーズ主演の映画『ミッション インポッシブル:ゴースト・プロトコル』で、赤の広場周辺が爆破される時はこの辺りから撮影したのであろう。

 

ミッションインポッシブルゴースト・プロトコルでトムクルーズが歩く赤の広場が爆破される

映画「ミッションインポッシブルゴースト・プロトコル」のワンシーン

世界遺産の場所でもあり、ロシア連邦中心部でもある赤の広場が大爆発して崩壊するなんて、まさか映画序盤で夢にも思わなかったシーンであった。ただしこのシーン自体はCG合成で、実際にトムクルーズは赤の広場で歩いてはいなそうだ。モスクワのシーンは現地でのロケ費用が高かった為に、実際には殆どモスクワでロケは行われていなかったらしく、モスクワ市内のシーンは主にチェコの首都プラハで撮影されているそうだ。

マトちゃん
マトちゃん

最近のCG技術は凄いわね。てっきりここ赤の広場で実際にロケが行われたと思ってしまってたわ!

 

 

赤の広場周辺の地図

さて今日の観光はちょっとゆったりといった感じで全然疲れも無いし、ちょっと消化不良気味なのでホテルに帰ってから1人でまた地下鉄に乗ってこの周辺を散策する事にした。なのでこの周辺の地図で地下鉄(メトロ)の駅をチェックしておく。

 

モスクワ市内を走り、レストランへと向かう

赤の広場周辺からバスに乗る

周辺道路が混み合っていたので、なかなかバスが到着せずに寒い中、少し待ちぼうけ。

 

モスクワ市内を走るバスからの景色

モスクワ市内は地下鉄網が張り巡らされているけど、市内には高速道路が無いので常に大混雑しているという。モスクワっ子からすると、これがいつもの日常で特に気にはならないとか・・・。

マトちゃん
マトちゃん

モスクワっ子はこの慢性的な渋滞には慣れっこなのよ!

 

クレムリン横で渋滞する道路 動画

 

モスクワ市内を走るバスからの景色-2

右手には城壁の中にあるクレムリンに、黄金色したロシア正教の大聖堂などが立っているのが見える。せっかく真ん前を通っているのに、今日は寄らない。個人的には強行軍みたいにハードな旅程の方がいいけど、このようなパックツアーは年配の方々の方が圧倒的に割合が多いので、どうしても比較的体に負担が掛からない日程となっているようだ。

 

モスクワ市内を走るバスからの景色-3

反対にはモスクワ市内を流れるモスクワ川が見えている。今回のツアー参加者さんは合計7人だけど、いつも通りの大型バス。好きな席に座れると思ったら、添乗員さんが毎日座席指定をして、全員何故か前方に集められた。。

こんなにガラ空きのバスだから、好きな席に座らせてくれればいいのに・・・

 

モスクワ市内を走るバスからの景色-4

モスクワ市内の観光がキツキツではない理由に、このように市内の道路が常に大渋滞しているのも加味されているようだ。市内には高速道路が無いので、どうしても通勤時間帯になると大混雑してしまうのだろう。

 

 

モスクワ市内を走るバスから見えた銅像

街中ではチラホラと銅像が見えたけど、ロシアはその時代時代の体制毎に過去の人物の評価が異なるので、昔から現代まで評価され続けている偉人が少ないのかもしれない。

 

混雑したモスクワ環状線道路 動画

 

モスクワ市内を走るバスから見えた”スターリン・クラシック様式”の建物

そして見えてきたのは”スターリン・クラシック様式”と呼ばれる、ソ連版摩天楼を目指してスターリン時代に造られた建物。こちらの建物は、外務省として1953年に造られた27階建ての建造物。

 

モスクワ市内を走るバスから見えた”スターリン・クラシック様式”の建物-2

一番上の尖塔は元々設計図に無かったがスターリンの指示で追加されたという。ちなみに1950年代にモスクワでは合計7つのスターリン・クラシック様式が建てられたが、ポーランドとかにも同様の建物が造られている。しかし共産主義が崩壊したポーランドでは、旧共産圏の物としてポーランド人からは嫌われているという。

 

 

モスクワ市内を走るバスから見えたアメリカ大使館

そして建物の前にアメリカ合衆国の星条旗がなびく、アメリカ大使館で見えてくる。冷戦時代にはソ連領土内にアメリカ大使館があると思っていなかったが、実は1780年代からアメリカはロシアに外交官を送り続けており、ソビエト連邦時代にもモスクワにはアメリカ大使館があったそうだ。

マトちゃん
マトちゃん

冷戦時代にもちゃんと国交はあったという事ね!

 

 

モスクワ市内の街中を歩く

まだモスクワ市内だけど赤の広場周辺から、混雑した道を約35分程掛けてやって来た場所でバスを降ります。

 

モスクワ市内の街中を歩く-2

静かなアパートとかの建物が立ち並ぶ場所みたいで、閑静な所だった。

 

モスクワ市内の街中を歩く-3

まだ18時にはなっていないけど、意外と夕食レストランを前にするとお腹が減ってきたような感覚に襲われる。

そう思うと人間って、本当に適当な生き物である・・・

 

モスクワ市内にあるレストラン

この入り組んだ建物内の先には、このような像が置かれていた。これは何かの宣伝なんだろうか? それとも誰かの趣味で作ったものなのか?

 

モスクワ市内にあるレストラン-2

さて今晩のロシア料理はどんな物を食べさせてくれるのでしょうか?楽しみです!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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【ロシア旅行記-阪急交通社ツアー】2020年JAL直行便でロシアのモスクワへ旅立つ
2020年3月中旬に訪れたロシア。この3月中旬はコロナウイルス騒動の影響で旅客が減っていたので、ガラガラに空いた空港と飛行機でロシアの首都モスクワへと向かって旅立つのであった。。
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