エカテリーナ宮殿の「アレクサンドル1世の客間」「緑の食堂」も見学

ロシア旅行記:5日目

阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:ロシア7日間」
-2020年3月12~18日

ロシアご自慢の宮殿

エカテリーナ宮殿にて

エカテリーナ宮殿内の豪華な装飾品

さてまだまだサンクトペテルブルクの中でも、最も豪華な建物の1つであるエカテリーナ宮殿の見学は続きます。

 

「アレクサンドル1世の客間」にて

エカテリーナ宮殿の「アレクサンドル1世の客間」

こちらの部屋の壁紙は現地で購入したガイドブックでは白い壁だったけど、実際に行ってみたらこのように木やそれに咲く花などが描かれていた。壁にはピョートル大帝などの肖像画が飾られていた。

 

エカテリーナ宮殿の「アレクサンドル1世の客間」に飾られていたアレクサンドル1世の肖像画

こちらはロシア皇帝だったアレクサンドル1世の肖像画である。先程のエルミタージュ美術館にも同じ絵が展示されていた。

 

エカテリーナ宮殿の「アレクサンドル1世の客間」に飾られていたエカテリーナ二世の肖像画

こちらは晩年の女帝で2人目の”大帝”の称号で呼ばれるエカテリーナ2世である。彼女は単なる贅沢家だけではなく、政治面などもしっかり操り、彼女の治世時代にロシア帝国は大きな領土を獲得していたのである。

 

エカテリーナ宮殿の「アレクサンドル1世の客間」の天井画

こちらの天井画は「戦車に乗るヴィーナス」で、キューピッドの母であるヴィーナスが乗る戦車を引く白い鳩も足元に描かれている。

 

エカテリーナ宮殿の「アレクサンドル1世の客間」の内装

壁の装飾の絵が特徴的な部屋だけど、それが無かったらこの部屋も似たような内装だけの部屋になってしまっていたのだろう。

 

エカテリーナ宮殿の「アレクサンドル1世の客間」に置かれていたレトロな時計

レトロなアンティークの時計も置かれていたけど、時は刻んでいなかったような。。

 

エカテリーナ宮殿の「アレクサンドル1世の客間」を見学する人達

この辺りの部屋は元々食器の部屋や小さな食堂だったけど、エカテリーナ2世の時代に個室として改造された部屋。

 

エカテリーナ宮殿の「アレクサンドル1世の客間」近くにあった小部屋

こちらの狭い部屋にも壁に絵画が展示されていたけど、部屋と部屋の隙間が出来たのでとりあえず何かの部屋を作ろうと思って、造られた部屋のように思える。。

 

 

「緑の食堂」にて

エカテリーナ宮殿の「緑の食堂」を見学する

この部屋も食堂だけどテーブルが小さく、壁は浮き彫りになっていてちょっとお洒落な内装となっている。

 

エカテリーナ宮殿の「緑の食堂」の内装

天井のシャンデリアが灯りを灯すよりも、このように卓上のライトが料理を直に照らしてくれた方が美味しく料理が見えてしまう。

 

エカテリーナ宮殿の「緑の食堂」の内装-1

これらの彫刻はロシア人の彫刻家I・P・マルトスによって仕上げられたもの。彼はこのエカテリーナ宮殿内の装飾を多く手掛けている。

 

エカテリーナ宮殿の「緑の食堂」の内装-2

この部屋は太陽光が差し込んでいなかったので、ライトの照らされていない所はちょっと暗くなっていたけど、それが逆にいい味を出していたように思う。

 

エカテリーナ宮殿の「緑の食堂」の天井

こちらの天井には珍しく何にも装飾や絵画などが描かれていなかった。ひょっとしたら客人を迎える場所ではなく、この宮殿で働く人達用の部屋だったから天井画が無かったのかもしれない。

 

エカテリーナ宮殿の「緑の食堂」から見えた廊下の景色

日本の建物にはあまり見られない、こういった宮殿の建物ならではの景色。どんどん奥へと部屋が続いていて、果てが無いように見える。

マトちゃん
マトちゃん

いかにも広い宮殿といった、廊下が続く景色よね!

 

エカテリーナ宮殿の「緑の食堂」にあった燭台

この部屋だけ壁の装飾が浮き彫りだったので、このように照明が当たった影でその浮彫らしさが見えるので、あえて太陽光が入らないようにしていたのかもしれない。

 

エカテリーナ宮殿の「緑の食堂」の説明板

こちらの部屋も第二次世界大戦時に破壊されて、1959年に復元されたもの。部屋の装飾のデザイン自体はC・キャメロンが行ったもの。

 

 

「給仕の間」にて

エカテリーナ宮殿の「給仕の間」

こちらの部屋はニコライ1世時代に改修されて、「給仕の間」となった部屋。

 

エカテリーナ宮殿の「給仕の間」-1

ただこうやって部屋の様子を見ていても、全然「給仕の部屋」のイメージが感じられない部屋である。。

 

エカテリーナ宮殿の「給仕の間」に置かれていた、女性頭部の像

こちらには透明のアクリル板で囲まれた、無表情な女性の胸像が何かを語りたそうな表情にも見えたけど・・・。

 

エカテリーナ宮殿の「給仕の間」に置かれていた燭台

今ではこういった照明もロウソクではなく、全てライトで点けられている。ただしロシア帝国の富の象徴でもある豪華なエカテリーナ宮殿だけに、その照明の電源コード位は目立たないように配置していて欲しかった。。

 

エカテリーナ宮殿の「給仕の間」に置かれていた壺

こちらの壺にはまるで双子の兄弟が、喧嘩別れした直後の沈黙をしているかのようにも見える。。

 

エカテリーナ宮殿の「大理石の間」

こちらは「大理石の間」という、アレクサンドル1世の祖国戦争(ナポレオン率いるフランス軍との戦い)で勝利した事を自慢する部屋のようだ。

 

エカテリーナ宮殿の「大理石の間」近くにあった小部屋

進んで行くと途中には小さい部屋があった。物置として使われていそうな雰囲気も感じられる部屋。

 

エカテリーナ宮殿の「大理石の間」近くにあった小部屋-1

一応椅子とテーブルなどが置かれていたけど、昔からここに置かれていたのかは不明である。

 

エカテリーナ宮殿の2階にあった部屋の内装

エカテリーナ宮殿の見学は主には2階部分のみ。2階が客人を持て成したり、王族がここで過ごしたりするメインの場所だったのだろう。

 

エカテリーナ宮殿の2階にあった部屋の内装-1

奥の棚のような机部分は、使いこまれたような塗装が剥げたような跡が見られた。年代物だったのかもしれないな。

 

エカテリーナ宮殿の2階にあった部屋にあったベッド

こちらのベットの脇の椅子にはわざわざ剣が立てかけられていて、しかも椅子と紐で倒れないように括られていた。皇帝の身を守る守衛がこの小さなベッドで仮眠していた場所かもしれない。

 

エカテリーナ宮殿の2階にあった部屋にあったブーツ

ロシアは寒い地域だったのでこのようなロングブーツは必需品だったのかもしれない。

 

 

「絵画の書斎」にて

エカテリーナ宮殿の「絵画の書斎」

さてどんどんと進んで行きます。既にこのエカテリーナ宮殿で見学を初めてから約1時間が経過しており、そろそろ集中力が切れてきた頃合い・・・。

 

エカテリーナ宮殿の「絵画の書斎」に飾られていた置物

単体でこれらの調度品を眺めたら、それぞれの特徴がよく理解できるのだろうけど、このように一気に眺めてもそれぞれに対して目が行き届かないのである。。

 

エカテリーナ宮殿の「絵画の書斎」に飾られていたテーブル

昔の書類仕事もサインよりもハンコを押す事の方が多かったのだろうか?テーブルの上には数種類の大理石で造られたようなハンコが見られる。

 

エカテリーナ宮殿の「絵画の書斎」に飾られていた、ロウソクを掲げる女神像

こちらの女神さまがロウソクを掲げてくれていたのだろうけど、今の時代にはもう用済みになっているけど、残念ながら手が降ろせない女神様である。。

 

エカテリーナ宮殿の「絵画の間」を戻る

ここで再び先程通った「絵画の間」の反対側を通って進んで行きます。

 

エカテリーナ宮殿に置かれていた天使が群がる懐中時計

特に触れられたくない物はこのようにアクリル板で周辺を囲まれている。こちらは置時計のようだけど、時針や分針などは消え去っていた。。

 

電飾のロマノフ王朝の系譜図

こちらは約300年に渡って存続したロマノフ王朝の系譜図である。ただこの絵では珍しく上から下へと降りて行く図とは違って、時代が新しい程に上に昇って行く図になっていた。

 

電飾のロマノフ王朝の系譜図-1

このロマノフ王朝の基盤を築いた人物は、やっぱり大帝としても呼ばれるピョートル大帝かもしれない。時代を動かす人間はそれなりにその行動について批判されるけど、色んな改革を起こそうと思うと色んな物を破壊しないと出来ないのである。

 

電飾のロマノフ王朝の系譜図-2

図の一番上には、残念ながら非道の死を遂げるニコライ2世の娘4人と皇太子アレクセイが可哀想な感じを表してか、白黒の写真で飾られている。ロシアでは昔から死んだ皇太子の偽物説が蔓延していて、そういった怪しい話が大好きな国である。そして勿論家族全員が銃殺されたニコライ2世一家でも、その生き残り説が今も伝説となって国民の間では信じている人もいるという。。

 

 

ニコライ2世の肖像画

こちらはロマノフ王朝、最後の皇帝となったニコライ2世(Николай Ⅱ)。怪僧ラスプーチンの助言に従って、国民や政権から不審が広がり、暴動を起こした市民に向かって銃撃を許可した事で、反乱は更に大きくなったという。ただニコライ2世は最後に弟のミハイル・アレクサンドロヴィチ大公に王位を譲ったが、彼が断わった為にロマノフ王朝は1917年に終焉を迎えるのであった。

 

 

エカテリーナ宮殿に置かれていた、豪華な調度品

そしてこのエカテリーナ宮殿は退位をしたニコライ2世の家族が、一時監禁された場所でもある。その気になれば母親であるマリヤ・フョードロヴナのように海外に亡命も出来たハズなのに、ニコライ2世は亡命せずに結果的に家族全員が銃殺されるのであった。

 

ニコライ2世の娘たち オリガ、タチアナ、マリア、アナスタシアアレクセイ

ニコライ2世の娘(オリガ/タチアナ/マリア/アナスタシア)と妻

特にロマノフ王朝の血を引く4人の娘は、それぞれに整った顔立ちで”美人四人姉妹”と言われる位だったそうだ。

マトちゃん
マトちゃん

王家は敵対勢力に国が支配されると、根絶やしにされる運命なのよね・・・

 

 

エカテリーナ宮殿でニコライ二世一家が過ごしていた部屋

こちらのテーブルには6人のカップと小さな人形まで置かれていた。ひょっとしたらニコライ2世の家族はこの部屋に監禁されていたのかもしれないな。

 

エカテリーナ宮殿でニコライ二世一家が過ごしていた部屋-1

こちらの壁に飾られている肖像画は、馬に跨ったニコライ2世のようにも見える。

 

エカテリーナ宮殿でニコライ二世一家が過ごしていた部屋-1

こちらには皇帝が着ていたと思われる軍服も置いてある。左奥の肖像画はニコライ2世の父親であるアレクサンドル3世のように見える。

 

 

エカテリーナ宮殿でニコライ二世一家が過ごしていた部屋-2

こちらにはアレクサンドル2世の肖像画と、恐らく彼が着ていたと思われる軍服が飾られている。

 

 

戴冠式の絵画が飾られていた

アレクサンドル2世は1856年に戴冠式を行ったが、その時の様子を描いた絵画だろうか。

 

 

ロシア帝国の皇太子たちの肖像画と制服

軍服も色んな柄のバリエーションがあったみたい。基本的には胴が短めで腕が長めだが、当時の流行りだったのかもしれない。

 

ロシア帝国の皇女が描かれている絵画

こちらにはニコライ1世の長女であるマリア・ニコラエヴナ(Мария Николаевна)の肖像画と、3女であるアレクサンドラ・ニコラエヴナ(Александра Николаевна)の肖像画が飾られている。

 

ロシア帝国の人々が過ごしていた部屋

ロシアの皇帝達の名前も1世や2世・3世を襲名していたので、なかなか時代背景と共に覚えないと覚えれない名前ばかりである。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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