【奈良旅行記①】格安夕朝食付きプランで奈良ホテルに宿泊する旅の始まり

奈良旅行記①
 旅行期間:2020年9月8日~9日

老舗ホテル:奈良ホテル旅のスタート

奈良ホテル 宿泊格安プラン

大阪市内に住んでいると「奈良」という場所はとても近くて、電車でも1時間ほどで行ける所なので旅行感覚にはあまりならない場所。そして同じ大阪からの近場だと「京都」という古都もあるので、どちらかと言えば京都に訪れる機会はあるけど、あまり奈良は意外と行かない場所でもある。

しかしこの2020年のコロナ禍で観光業界は大激震を受けていたが、2020年8~9月頃より観光業界は失った顧客を取り戻そうと、今まででは考えられなかった程の格安宿泊プランを打ち出していた。宿泊料金の約35%がOFFになる”GO TO キャンペーン”が始まって、それに呼応するかのように旅行業界が回復を見せるかのように動き出していた頃。

 

奈良ホテル宿泊プラン

こちらは今回「奈良ホテル」に泊まる際に予約したプラン。今回はオカンと2人で1部屋に宿泊し、晩御飯は下記の『創業111周年記念:奈良ホテルプラン』という晩御飯に100分のアルコール飲料含む飲み放題と、翌日の朝食が付いたもの。そしてこれが”GO TO キャンペーン”の割引があって2人で17,550円で、1人当たりにすると「8,775円(税込)」という今までの奈良ホテルでは考えられない程の料金であった。

 

奈良ホテル 宿泊格安プラン1

こちらが『創業111周年記念:奈良ホテルプラン』という、アルコール飲料が飲み放題の宿泊プラン。通常ならこれだけで5,500円という晩飯が、宿泊と翌朝の朝食込みで8,775円になる。

 

 

いざ、奈良へ!

奈良駅で「せんとくん」と記念撮影

という事で今回はオカンを引き連れての奈良旅です。ボクとしては老舗ホテルに宿泊するという事にはあまり興味がなくて、晩飯時の飲み放題にしか興味が無かったが、ある程度の世代の方には「奈良ホテル」というと天皇家にもゆかりがある”名門ホテル”なので、優雅な宿泊体験が出来る場所とも考えられているようだ。

なのでオカンに声を掛けると、珍しく「行くで!」と返事が返ってきた訳で!

オカン
オカン

いつも息子がお世話になってます!

 

奈良市内の郵便ポスト

奈良に観光気分でやって来たのは久しぶり。数年に1度やって来るペースなので、まだまだ大阪人と言っても奈良の知らない所だらけ。ただ海外旅行や九州や北海道に行く場合とは違って、隣の県だとあまり旅行気分が湧かない。

 

奈良市庁舎の建物

ただ奈良だと大阪市内から約1時間圏内で来られる場所なので、気軽に来れる場所である。という事で今回は散歩気分で奈良の街を巡ってみる事にする。まずは奈良中心部の駅を降りて、いつもながらの徒歩で平城京跡へと向かう。その散策途中に発見した、こちらの大きな建物は「奈良市庁舎」

 

奈良市役所の掲示板

ただそんな奈良市庁舎がちょっと奈良県民っぽい感じを受けたのが、こちらの市庁舎前にあった掲示板。色んな書類が張り出されている割りには、それぞれの書類が見にくく重なって掲示されていた。しかも画鋲が一箇所にしか刺されていなかったので、書類がまるで頭が垂れ下がったように見える。。

 

奈良市庁舎の敷地内にあった記念碑

そんな奈良市庁舎の敷地内には、こちらの「平和祈願碑」が設置されていた。市議会で”非核平和都市宣言”が決議された奈良県では、平和啓発を行っておりその活動の一部として、平成4年にここに造られた記念碑のようだ。

 

奈良市庁舎の敷地内にあった記念碑1

原子爆弾が投下された長崎や広島の街だとこういった平和祈願のイメージが強いけど、奈良は”鹿”のイメージしかしない都市なので、こういった活動をしているという事をここ奈良市庁舎で知る事が出来た。長崎や広島だけでなく、その他の都市でもその悲惨な教訓を後世に残す必要がある。それを行っていた奈良という訳である。

 

奈良市庁舎の向かいにある、新しいマリオットホテル

そんな奈良市庁舎の前を走る国道369号線を渡って向かい側には、こちらの「JWマリオット・ホテル奈良」という世界的な高級ホテルチェーンの新しいホテルが見える。

 

この「JWマリオット・ホテル奈良」は2020年7月に開業したばかりで、この時はまだ出来て2ヶ月ほどしか経っていなかった頃。しかし最初の頃の口コミを見ていると、高級ホテルだけに内装などはラグジュアリーな感じでいいけど、ホテルマンの教育が追い付いていないという厳しい評価だった。内装などは金を掛ければ造れるけど、そこで働く人間は簡単には育てられないという事だろうか。

 

奈良市を歩く

そんな景色を見ながら平城京まで進んで行くが、大通りを歩くのではなくて、このように裏道を進んで行く。するとこのように昔は蔵だったような建物が並ぶ、大昔に都があった奈良っぽい雰囲気の場所があった。ただ個人的にはこんな裏道を進むのが好きなんだけど、真面目人間であるオカンからはこのような不安な道はあまり選びたく道のようだった。

オカン
オカン

この子と歩くと、いつも変な道を行くので大変なんですよ・・・

 

奈良の平城京跡近く

平城京跡が近づいてくると、このような大きな池か堀の脇に建つ綺麗な建物が見えてきた。平城京跡と言っても今から1300年も前の都だった場所で、勿論その当時の建物などは何も残っていなくて、今見られるのは後になって復原されたものばかり。だからこのようなまだ新しい建造物ばかりが、今はある場所でもある。

 

 

「平城宮跡歴史公園」にて

奈良の平城京跡に到着

そして辿り着いたのが特別史跡『平城京跡』。この平城京跡は1998年に『古都奈良の文化財』として東大寺や薬師寺などの8つの地域遺産群として、”世界遺産”に指定されている場所。西暦710年頃に当時の天皇が都を奈良に築いた時の場所である。当時は栄えた奈良の都だったが、その後に平安京に都が移管されてしまうのであまり長い間繁栄はしなかった平城京でもある。

 

 

奈良の平城京跡にある朱雀門

そんな平城京跡の一角に建っている、こちらの目立つ建物は「朱雀門」という都の中心部となっていた正門である。この綺麗な外観をしている朱雀門は、1998年に復原された門なのでまだ比較的新しいものである。それまでは「朱雀大路」という朱雀門前にあった大通りに面していた門も、想像力を大いに働かせないといけなかった場所であるが、今ではこの通りに想像力も無く普通に視力さえあれば復原された朱雀門が見える場所となっている。

 

奈良の平城京跡にある朱雀門の説明

平城京の中心部には当時の天皇が住んでいた場所で、この朱雀門はその正門だった。そんな都の中心部の正門から前は、朱雀大路という幅70m程もあったという大通りがあったそうだ。そしてその幅が広いメインストリートを約4km南下すると、そこには羅生門という平城京の玄関的な門に通じていたという。

 

奈良の平城京跡にある朱雀門1

復原されてから約20年が経過している、天皇の居城入口だった朱雀門。ただその建てられた後にも定期的に色が塗りかえられているからか、まだ新しい出来たばかりの門のような感じにも見える。ただ近年に建てられた建造物なので、耐震構造などが求められる為に完全木造のように見えるが、実は外からは見えない場所などには金属なども用いられている。

オカン
オカン

久々に来たけど、こんな立派な門が出来ているんやな!

 

奈良の平城京跡にある朱雀門2

この『朱雀』という名前は中国から伝来した仏教国だっただけあって、中国で伝わる古代神話に出てくる4大神獣にまつわるもの。その4大神獣でも南方を守るものとされていた『朱雀』が、このように南門に配置されているという訳だ。なお他には東を守る青龍、北を守る玄武、西を守る白虎がある。

オカン
オカン

「青龍」は朝青龍の名前の由縁にもなっているのかな?!

 

奈良の平城京跡にある朱雀門3

約20年以上も前に平城京跡を訪れた人には見えなかった現代の景観が、今は見える平城京跡。なおここを訪問している際に覚えた事であるが、「復元」「復原」という言葉は厳密には違う物のようだ。

 

「復元」・・・失われて消えてしまった建物などを、かつての姿通りに新たに造る事
「復原」・・・元々の姿が改造されたり変化してしまった建物の、現状の姿を元通りに造り直す事

テレビなどのメディア界では基本的に「復元」という言葉で統一されているが、文化財などを管理する業界としては建物の残骸が残っていれば「復原」で、何も残っていない所に新たに造るのであれば「復元」となるそうだ。

オカン
オカン

ふ~~ん、平城京跡では「復原」という言葉が使われているのね!

 

奈良の平城京跡にある朱雀門周辺

この時はコロナ禍が俗に呼ばれる”第2波”の後で、ちょっと国内の新型コロナウイルス感染者が目減りしていた頃。コロナ禍もあって学校関係は休校になったり校外学習など遠足活動がキャンセルになっていたので、この時はそれを挽回するかの如く5~6組の小学生団体を見かけた。

 

奈良の平城京跡にある朱雀門前の記念碑

複合遺産として世界遺産に登録されているので、ここにはその証拠を示すように『世界遺産』と文字が入った石碑が置かれていた。ただ京都に比べると都が置かれていた時代がだいぶ前過ぎるので、あまり奈良という場所には歴史的な感じのイメージが少なく、大阪人から見えれば「あまり何もない場所・・・」という感覚を持ってしまっている場所。しかし歴史に興味を抱いて巡れば、色々と古都ならではの歴史を感じれる大事な場所でもある。

ナラ鹿
ナラ鹿

奈良はとっても住み易い場所ナラ~!

 

奈良の平城京跡にある朱雀門の正面

こちらは朱雀門の外側に設置されている、「朱雀門の門」である。なおここ朱雀門の開門時間は9時~16時30分となっていて、開門時間を過ぎると朱雀門は閉められて、そしてこの「朱雀門の門」も閉められて朱雀門に近づく事が出来なくなる。

 

 

奈良の平城京跡にある朱雀門の下

何とも大きなサイズの朱雀門。大きな門を支えるのは18本の直径70cm長さ5mの柱である。それ以外にも奈良県吉野産の檜や屋根には約4万枚を超える瓦が設置されている。なお18本の柱は平城京跡地に残されていた柱跡に、当時の建物を再現して建てられたもの。

 

> 平城宮跡 朱雀門(PDF):奈良文化財研究所

 

奈良の平城京跡にある朱雀門の天井

ただ地面の遺構跡はあったけど立体の建物の遺構が無かった平城京では、奈良時代からの遺構が残る法隆寺の建物などを参考にして復原されたもの。だから勿論この朱雀門が約1300年前にあった全く同じものという訳ではなくて、限りなくその当時に建っていた朱雀門に近づけて造った20世紀の朱雀門である。

 

奈良の平城京跡にある朱雀門からの景色

こちらは朱雀門の前に延びる朱雀大路であるが、幅70mという途轍もない程の広さを誇ったメインストリート。今でこそ首都など大都市の中心部には幅の広い道があるが、奈良時代は今のように車などは無いのでそこまで道の広さが必要ではなかった頃。そんな時代にこれだけの幅が広い道が造られていたのは、その利便性を求めてというよりは、天皇の威光の大きさが表れているのではなかろうか?!

オカン
オカン

御堂筋よりも広いんちゃうか?!

 

奈良の平城京跡にある朱雀門の景色

この平城京跡が最初に発見されたのは江戸時代末期の事。そして明治時代となり新しい西洋文化を取り入れて日本の古い体質を積極的に取り除いていった明治時代の終わり頃に、棚田嘉十郎という植木職人が先頭となって文化財としての保護運動を始めた。その活動が認められて棚田嘉十郎の死後、1922年内務省により『第二次大極殿/朝堂院』として史跡に指定されたのである。もしこの時の活動が無ければ今では平城京跡として保管されていなかったかもしれない。

ナラ鹿
ナラ鹿

この平城京跡内を横切る近鉄線路は、その史跡認定前に敷設された路線だナラ!

 

朱雀門ひろばの「観光交流施設」にて

奈良の平城京跡にある朱雀門横の売店

さてそろそろ12時を過ぎた時間になってきて、オカンのカラータイマーがピコピコと反応し出す時間。昼食など抜いても全然苦にならないボクと違って、オカンは真面目人間なのでちゃんと食事を取らないと気が済まないタイプ。いつもの1人旅であれば人が昼食を食べる時間帯に、人通りが少ない時期を見計らって観光するのであるが今回はそうはいかない。そして朱雀門に居た警備員のオジサンにこの辺りで食事処を聞くと、この朱雀門の先には勿論何もなくて、この朱雀門ひろばの「観光交流施設」か、この広場を出た所に行かないと食事処は無いとの事。

オカン
オカン

ワタシはお腹が減ると動けないタイプなんです~~!

 

平城京跡にある資料館

という事でちょっと離れた飲食店よりも、朱雀門ひろばの「観光交流施設」を先に訪れてみる。こちらはその中でも4つある建物の「天平うまし館」という食事が食べれる場所。ただ単にレストランとかばかりでなく、このようなちょっとした資料なども展示されている場所だった。という事でお腹を空かせたオカンを尻目に、一旦はこちらの「遣唐使船解説コーナー」に向かう事にした。

 

 

平城京跡にある資料館1

昔は陸地続きで繋がっていた日本と中国大陸だけど、長い年月を経て今のように離れてしまっているが、昔から日本と中国大陸ではこのように交流があった。”遣唐使”という言葉は学校で習ったけど、昔も離れた場所でもそれぞれの特産品などを交換して、お互いの文化や情報などを交流していた。

 

平城京跡にある資料館3

こちらは日本側が特産品として唐に持って行っていた「楮糸」「真綿」などが展示されている。「真綿」は絹の一種で蚕の繭を煮て柔らかくして広げたものだが、今でも皇室ではその奈良時代からの名残で皇后が養蚕を行っている。ただ「楮糸」の方は一般的には今では聞かれなくなっているもので、和紙の原料として使われていて、麻に次いでその長く繊維が絡み合う性質が強い為にこのような糸として奈良時代には使われていた。楮(こうぞ)という木はクワ科の落葉低木で、その楮の木の皮を剥いで蒸したものをこのように使っていた。

 

 

平城京跡にある資料館2

こちらは唐(当時の中国)から伝わって来たものが展示されている。なお当時の唐は中国大陸という大きな大陸の中でも特に大きな文明国だったらしく、世界の最先端を走っていた国だったという。そして日本からの遣唐使などが訪れると金目の物をプレゼントし、その遣唐使は帰りしなに皇帝からのプレゼントを売って、代わりに色んな嗜好品などを持って帰ったという。

そんなのが許されていたという、恐ろしい奈良時代・・・

 

平城京跡にある資料館4

そんな遣唐使が中国大陸から持ち帰ったものは、古くから薬として使われている植物「大黄(ダイオウ)」や、「伽羅(キャラ)」という香木など。この奈良時代は工芸品文化はまだあまり栄えていなかったので、自然に出来るものなどを利用した物が流通していた事が分かる。

 

平城京跡にある資料館5

今から1300年程も前だと中国への船旅だけでも、下手したら沈没して命を落としても全然不思議じゃない位の時代。現代ではもし船旅で命を落とすとその船に関わる人達が責任に追及される時代だが、この奈良時代の航海では命の危険性を充分に理解した人間にしか出来なかった、命懸けの航海であった。

 

平城京跡にある資料館6

最近は日本国内を色々と旅行した2020年の影響で江戸時代後半の歴史に凄い興味が出てきたけど、ここに展示されているような奈良時代の人物には全然惹かれなかった。というのも江戸時代の人物達を勉強する事で頭のメモリーは手一杯になっているし、奈良時代だと古過ぎて資料なども細かいものがあまり残されていないし。

 

平城京跡にある資料館のパネル

昔学校で勉強した「遣隋使」「遣唐使」が、海を渡って中国大陸に行った歴史が展示されている。この飛鳥時代~奈良時代~平安時代には海を渡って行けたのは朝鮮半島や中国大陸までで、江戸時代みたいに西洋まで行ける文明は無かった。

 

平城京跡にある資料館のパネル1

そんな遣唐使が実際に渡ったルートもこのように説明図が設置されていた。朝鮮半島を回り込んで北沿いに行く「北路ルート」が最初に選ばれたルートで、その後により丈夫な船が造られてたかで「南路ルート」という朝鮮半島を経由せずに直接唐に行けるルートとなったようだ。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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