2010年に復原された『第1次大極殿』は平城京最大の正殿だった場所

奈良旅行記④
 旅行期間:2020年9月8日~9日

綺麗に復原された正殿

平城京跡の第1次大極殿

こちらは奈良で『古都奈良の文化財』として、世界遺産に認定されている平城京跡。こちら中央に見えているのは2010年に平城遷都1300年祭の開催に合わせて復元された、『第1次大極殿』という重要な行事などが行われる大事な建物。昔は原っぱになっていて全然平城京跡地としては見る物がなくて想像の世界で楽しむ場所だったが、今では朱雀門や第1次大極殿などが建設されているので、一応それなりに見る物が出来ている。

 

平城京跡にて

平城京跡の第1次大極殿1

こちらは『第1次大極殿』を正面側(南側)から眺めた写真で、この日はいい天気だったので余計に建物が綺麗に見えてしまうのかもしれない。奈良には何回か来た事があったけど、この平城京に来たのは今回が初めて。そしてこんな綺麗でそれなりに大きな奈良時代風の建物が出来ているなんて、全然知らなかっただけに少々圧倒された。

 

平城京跡の第1次大極殿2

『第1次大極殿』の屋根には奈良時代の建物に見られた「鴟尾(しび)」という、後の鯱(しゃちほこ)の原型になる火除けや、中央には「宝珠形大棟」という縁起物が飾られているのが見える。これはこの第1次大極殿だけではなくて、この奈良時代などに遣唐使や遣隋使などによって中国大陸から持ち帰って来た文化が、このように日本の建物に取り入れられたそうだ。

 

平城京跡の第1次大極殿の門

そしてこの第1次大極殿も約180億円掛けて復原されたものなので、周囲にはこのようなあまり背の高くない柵が設置されている。なお開館時間は9時~16時30分(最終入館は16時まで)で月曜が定休日との事。

それとなんと入場料金は無料です!

 

 

第1次大極殿の見学

平城京跡の第1次大極殿正面からの写真

この建物は奈良時代に建てられていたという物を想像して復原されただけに、今とは建物に求める華やかさの度合いが違うようにも感じる建物。ただ奈良時代にここに建っていた第1次大極殿の図面や写真などは勿論無いので、現存する数少ない同時代の建物を参考に創造して造られている。

だから当時の人達がタイムスリップしてきて第1次大極殿を見たら、「なんじゃこりゃ~!!」と叫ぶかもです!

 

平城京跡の第1次大極殿正面斜めからの写真

奈良時代というと今から約1300年前後も前なので、その時代はまだ建物への装飾が全然開発されていなかった頃。だから構造はともかく外観としては赤い朱色の漆を丹念に塗った柱などが、白い壁と対照的に目立つ存在感を放っているのが分かる。

 

平城京跡の第1次大極殿裏のバス停流所

こちらは第1次大極殿の建物の直ぐ北側に隣接している、「奈良県道104号谷田奈良線」にあったバスの停留所。ここではこの平城京跡という景観に馴染むようにバス停も、このような昔の時代の建物のような外観をしていた。しかし近鉄奈良線と共に、この「奈良県道104号谷田奈良線」も更に北側に移動される移設計画が進んでいるという。

 

平城京跡の第1次大極殿裏側の入口

第1次大極殿の建物に入るには、一旦建物の北側に回り込まないといけない。2010年に復原して建てられた第1次大極殿では、このようにちゃんとバリアフリー化にも対応しているスロープが設置されている。健常者にはあまりその恩恵は感じられにくいものであるが、21世紀の観光地や建物には必ず求められるものである。

 

平城京跡の第1次大極殿裏側の入口から見える景色

こちらの通路の欄干の上に乗っかっているのは「擬宝珠」と言って、本来は屋根の上に乗っている有難い宝珠を欄干にも設置しているもの。宝珠は手の届かない高い所に設置しているものなので、この欄干に設置されているのは擬似的な宝珠という意味で「擬宝珠」と呼ばれる。なお橋でも格式の高い人が通る橋の欄干には、このような擬宝珠が取り付けられているものもある。だから橋を通る際も何気なく欄干を見て、もしこの擬宝珠が付いていたら「この橋は偉いさんが使った橋だ!」というのが分かるのである。

 

平城京跡の第1次大極殿裏側の入口の受付

ここ第1次大極殿では入場料は無料だったけど、コロナ禍だったので入場の際に体温測定が必要だった。2020年はコロナ禍によって大きく人類は行動が制限された年であるが、これだけ体温測定をされた年も初めてだろう。その内ワクチンの開発と普及によっていずれ新型コロナウイルスの存在も忘れられる時が来るだろうが、この時代を生きた人間にとっては忘れる事の出来ない大事な年としていつまでも記憶に残る2020年になる事だろう。

 

平城京跡の第1次大極殿裏側の入口から進む

こちらは第1次大極殿の北側から進んで、体温測定を済ませて建物入口へと向かうスロープ。ここでも入場側と出口側でしっかりと通路が区切られていて、コロナ対策がしっかりと行われていた。そして通路の欄干には1m毎に擬宝珠が取り付けられているのが見える。それだけ偉いさんが来ていた場所だという事が、この欄干を見るだけで分かるのである。

 

 

平城京跡の第1次大極殿内部の景観

こちらが第1次大極殿の東側入口から見た、内観の景色である。内部には直径70cmにも及ぶ朱色の国産ヒノキ柱が44本も設置されているだけあって、柱だらけの建物にも見える。なおこの朱色の柱1本でなんと約2,000万円以上のお金が掛けられているという。

オカン
オカン

柱と言ってもバカに出来ない程の金額やな~!

 

平城京跡の第1次大極殿内部の景観1

合計約180億円もの工事費用を掛けて復元された第1次大極殿、その割には現代的な華やかさがあまり目立たない空間となっていた。それも先程の「復原事業情報館」を見学した時に見た、宮大工が行う伝統的な木造建築技術が使われている為に、普通の建物を造る工事費用の数十倍にもなってしまっているのだろう。でもここではそんな莫大な費用を掛けてまで、その伝統木造建設技術を使う必要があった程の場所なんだろう。

 

平城京跡の第1次大極殿内部の鴟尾

こちらは先程外から見た時に屋根の左右先端に取り付けられていた「鴟尾」のサンプル。この第1次大極殿は都が平城京にあった時代に最も重要だった建物なので、日本でも一番豪華な建造物だった為にこのように金色の「鴟尾」が復元されて取り付けられている。

 

第1次大極殿内部の鴟尾の説明

こちらは「鴟尾」のサンプルの横に設置されていた説明板。当時の格式が高い建物には必ずと言っていい程取り付けられていたハズの鴟尾であるが、この平城京では出土しなかったという。この鴟尾は水面から跳ねた魚の姿をイメージしたものと考えられていて、木造建築物が多かった時代に最も嫌われた火災を避ける為に火除けの意味合いで設置されたという。なおこの鴟尾が時代を経る毎に姿を変えて、後にお城の天守閣で見る事が出来る鯱になったようだ。

 

第1次大極殿内部の高御座

第1次大極殿の建物内でも一段と目を引く建造物だったのが、こちらの物。見るだけで天皇などの位が高い人が滞在するようなものに見えてしまう。

 

第1次大極殿内部の高御座正面の説明文

こちらは「高御座(たかみくら)」という、国家の公式行事で天皇陛下が使用する玉座が備え付けられているものだそうだ。なおこの「高御座」は奈良時代の資料とかは一切残っていないので、大正天皇が即位した時に造られた「高御座」を参考にして創作された品だそうだ。

オカン
オカン

やっぱり奈良時代は古過ぎて、殆どが創作なんやねんな~!

 

第1次大極殿内部の高御座正面

この第1次大極殿内にわざわざ天皇が座る玉座を造るという必要性があったのかという疑問が出てくる。というのも特に文献や資料などに第1次大極殿内に玉座があったとかいう証拠がないけども、国家的行事では天皇が必ず出席していたという推測で、奈良時代の建物だった第1次大極殿に大正時代の玉座を真似て造ったという。でもそんな1200年も後の時代の玉座を参考にして復原するのも少々無理があると思うし、単なる復原以外の意図も含められていたのかもしれない。

 

 

第1次大極殿内部の高御座正面アップ

というのもこの第1次大極殿は奈良県のお金ではなくて国の管轄になっているので、国のお金(税金)が使われている。そして歴史的な建造物を復元した際に皇族の人間が視察に来る予定になっていたので、それに合わせて”もてなし”も含めてわざわざこの玉座を建造したのかもしれない。個人的にはそれほど第1次大極殿の建物にしては、不釣り合いな感じに思えた玉座であった。

 

第1次大極殿内部で皇太子が読んだ詩

その横には誰かの詩みたいな記念碑が飾られているのが見える。こちらはこの第1次大極殿が復元されて目玉となって行われた”平城遷都1300年祭”に出席した天皇陛下が、その際に述べた言葉をわざわざ記念碑にして造り上げたもののようだ。

 

第1次大極殿内部で皇太子が読んだ詩の説明

このように日本はある程度の若い世代にはあまり関心がない天皇という存在だけど、逆にお年を召した方々にとっては天皇とは神様に次ぐ存在という認識を持っている人が多いようだ。江戸時代にはお飾り的な天皇という存在に成り下がっていたが、明治維新が起こって一躍日の目が当たった天皇はそれまでと存在が逆転して、神様のような存在に持ち上げられてしまう。結局は同じ人間なのに生まれた家柄が特別なだけで、自由もなくもてはやされる存在の天皇。

 

第1次大極殿内部の高御座2

こんな特別な言葉にも思えないよう記念碑がわざわざ建てられている所を見ると、この玉座もこの”平城遷都1300年祭”に出席する天皇陛下をわざわざ特別にもてなそうとして造られたものという感じで見えてしまう。第二次世界大戦で敗北した日本では天皇という存在自体は否定されなかったが、”日本国民の象徴”という微妙な存在になってしまった。しかし今でも古い体質の人間からすると、特別な存在に思っているのが何となく分かる玉座の存在でもあった。。

 

第1次大極殿内部の宝珠形

こちらも屋根の上に取り付けられている「宝珠形大棟中央飾り」のサンプル。そしてその周りにはさっきサンプルを見た風鐸(風鈴のようなもの)が何個も取り付けられているのが見える。

 

第1次大極殿内部の宝珠形の説明

こちらもこの平城京の第1次大極殿で実際に載せられていたという証拠はないけど、同時代に造られていた格式が高い建物に取り付けられていたハズだという事で創作されているもの。何せ約1300年も前の建造物だけに、その殆どが創作物と言っても過言ではないのかもしれない。。

オカン
オカン

ま~~これだけ古いモンは、創作でしか造れないんやろな~~!

 

第1次大極殿内部の柱の展示

こちらは第1次大極殿で44本も使われている、ヒノキの柱のサンプル。この柱が1本で2,000万円以上するのも、勿論その素材選びからじっくりと吟味して、昔ながらの製法で手作りされたから掛かる費用なのだろう。この柱1本造る費用だけで普通の住宅1棟が造れる程の金額なので、それだけ見た目以上に手間暇が思いっ切り掛けられている柱である。

オカン
オカン

「柱1本2,500万円」とかいう表示がされていれば、もっとしっかり見たハズ・・・

 

 

第1次大極殿建造物の説明板

さっきの天皇陛下の残した言葉じゃないけど、一言で言えば奈良時代にあった建物を創造して復元した第1次大極殿であるが、これだけの大事業なので色んな資料や文献などに目を通して研究に研究を重ねてこの建物を設計したのであろう。そういう意味ではどれほど本当に存在した奈良時代の建物に近づいているかは知りえないけども、それだけの苦労が刻まれている建物と言っても過言ではないのだろう。

 

第1次大極殿の構造物の説明パネル

こちらは普通に見学しているとまず目にする事なく立ち去ってしまうような、天井板に下塗りされている蓮の花のサンプルである。この第1次大極殿復元には約180億円という巨額な費用が掛かっているだけに、このようにあまり目立たない細かい所にも手間暇が掛けられているようだ。

 

第1次大極殿の構造物の説明パネル1

そういった意味で建物の細かい所にもこだわりが詰まって多額の建造費用なりの建物に仕上がっているかもしれないけど、昔の建造物マニアだったら喜ぶのだろうが、一般人からするとそのこだわりがあまり気付きにくい建造物でもある。こんな天井裏の塗装にしても天井が高すぎて、肉眼では見にくいし・・・。

 

第1次大極殿の構造物の説明パネル2

この平城京跡で最初(1998年)に建造された朱雀門の復原費用は、約34億円。ついで平城遷都1300年祭に合わせて復元された、この第1次大極殿は約180億円。そして今復元工事中の第1次大極殿:南門は約51億円。更にその将来にはこの第1次大極殿の周囲を取り囲む回廊までも復原しようという話も出てきているそうだ。その回廊復原には更に数百億円規模の建造費が見込まれており、その復原費用を国が出している裏側には大きな思惑が存在しているのだろう。

オカン
オカン

このような建造物も造った後の管理費用が、結構要るから大変やで~!

 

第1次大極殿の構造物の説明パネル3

この第1次大極殿で使われている装飾品なども、現在のハイテクが惜しみなく使われているのではなくて、奈良時代当時のローテクを再現した手間暇と費用を掛けて復元されたもの。なのでただ奈良時代の建物を理想的に復元しただけで終わるのではなくて、そんな歴史的な建造物を沢山の観光客が見に来て、建造費用に見合う程の経済効果がある事を日本国民として祈るばかりであった。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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