龍郷町で西郷どんが暮らしていた西郷南洲流謫跡と西郷松【奄美大島旅行記⑥】

奄美大島旅行記2020年-⑥

 旅行期間:2020年10月1日~5日

 

西郷隆盛が住んでいた場所

奄美大島で中心部の名瀬町と、空港のある北側の笠利町の間にあるのが、この「龍郷町」という場所。奄美大島の特産品でもある”大島袖発祥の地”でもある龍郷町に、あの西郷隆盛が数年間住んでいた家跡があるというので、この龍郷町までやって来ました。

 

龍郷町にて

龍郷町役場の近くには、この「浦の橋立」という防風林が植えられている場所がある。1712年頃に新田開発の為の堤防として造られた道と松が、約300mに渡って続く道となっている。

 

さてここにやって来たのは、こちらの看板にもあるように菊池源吾という名前でこの奄美大島で潜伏生活を約3年間送っていた西郷隆盛が、実際に住んでいた建物跡が残っているという「西郷南洲謫居跡」がこの龍郷町にあるから。

東郷どん
東郷どん

奄美大島はのんびりしていて自然も豊富だったので、気持ちいい場所だったでごわす!

 

龍家の本屋敷跡にて

そして道を走っていると見逃しそうになって、慌ててその先にあった駐車場に車を停めて戻ってみると、ここに西郷隆盛が2番目に移り住んでいた場所があった。ここはこの奄美大島でも有力な郷士「田畑家」(奄美大島で初めて苗字を与えられた郷士)が、後に1文字性に改められ「龍」と名乗り、その龍家の分家筋の本屋敷の一角に西郷隆盛は居候していたのだ。

 

【西郷隆盛二度目の潜居跡】

 

西郷隆盛は当時大老だった井伊直弼が行った「安政の大獄」と呼ばれる反逆者退治のリストに入るが、命からがら薩摩まで何とか逃げ戻る。そんな追っ手から西郷隆盛を匿う為に薩摩藩は西郷を流島に処すが、彼と行動を共にしていた月照という僧は日向国との境で切り捨てる事(表向きは追放だが、それは斬り捨てを意味していた)を決められる。

しかし薩摩藩の計略に貢献してくれた月照を殺す事に反対した西郷は、鹿児島の錦江湾で月照と共に入水自殺を図った。それで月照はおぼれ死んだが西郷は助けが入り、何とか蘇生して生き延びる事となった。

 

そして菊池源吾と名乗り罪人として遠島されてきた西郷は、一旦空き家に預けられるが郷士の龍家によって引き取られて、屋敷内の離れに匿われる事になる。そしてその龍家の娘である「愛加那」が西郷の島妻と迎えられて、ここで2人の子供が生まれる事になる。そしてこの屋敷の離れには西郷が藩へ復帰する直前に、愛加那が子供達と不自由なく暮らしていける為に家と畑を与えるまでここに住んでいたという。

 

なのでこの辺りは西郷隆盛ゆかりの地として、今ではすっかり観光地PRにも一役買っている。なお島妻というのは流されてきていずれは国に戻る事を覚悟して、敢えて結婚させた嫁である。だから国に戻れば妻や子供がいるのを承知で、この島滞在中は夫婦の関係となって子供を残す役割であった。そして島妻は島から出る事が許されておらず、夫を追って島を離れる事も出来なかったという。。

 

そして更に車を走らせると、このような「西郷南洲謫居跡」と書かれた標識が見えてくる。さっきの「西郷隆盛二度目の潜居跡」とはあまり離れてないけど、その手前にあるハズの西郷松は見当たらなかったが。。

 

この道沿いからは特にその西郷が住んだ家跡が見えない。なのでこちらの売店脇にあった公衆トイレのある駐車場に車を停めて、この周辺を散策してみる事にする。

 

そして路地を進んで行くと、すぐにこのような案内板が見えてきた。今龍郷町役場前から進んできた県道から、1本内側に入った道にその家跡があるようだ。

 

 

西郷南洲謫居跡にて

こちらの「龍」と名前が入った門がある場所が、西郷が島妻である愛加那の為に建てた新居跡である。なおこの土地は愛加那の子孫の土地で、個人の所有物となっている。また敷地内に建物はあるけど、それは愛加那が亡くなった後に養子の息子が明治43年(1910年)に再建したもの。ただしこの周囲を取り囲む石の塀は、その当時のまま残っているそうだ。

東郷どん
東郷どん

お~~、とても懐かしいばい!

 

 

しかしこのように入口の門は固く閉められていた。近くの人に話を聞くと、ここ最近は全然姿(管理人)を見ていなくてず~~っと閉められているそうだ。

 

このように敷地内には張り紙が置かれており、この10月は一か月間ず~~っと休みだった。とりわけ新型コロナウイルスの感染が完全に収まらない限りは、開館は難しそうな雰囲気の場所だった。。

ハブ男
ハブ男

ここが目的でやって来る人は、必ず事前に電話で確認が必要ブ~!

 

正面入り口から見える、こちらの一段高い場所に置かれていた記念碑にはあの勝海舟が残した言葉が記されているという。しかしここからでは、そんな文字などさっぱり見えないのであるが。。

 

そして不法侵入する訳にもいかないので、何とか見える範囲で写真を撮る事にする。こちらは西郷が奄美大島にやって来てから100周年を記念した昭和52年(1977年)に造られた記念碑。

 

西郷隆盛は奄美大島に約3年近く滞在している間に、愛加那との間に1男1女をもうける。西郷と愛加那の息子:西郷菊次郎(この時西郷には子供がいなかったが、本島での新たに妻を迎えて子供が生まれた場合を考慮して菊太郎ではなくて、菊次郎と名付けられた)は、9歳で奄美大島を離れて父の元へ送り出されて、12歳の時に約2~3年に及ぶアメリカ留学を行った。

そして帰国後に西南戦争で父側に付いて戦い、足に銃弾を受けて片足の膝下を切断する大怪我を負う。そして西郷の配慮もあって後陣に戻されて、付き人の働きによって西郷の弟が属する新政府軍に投降して命を助けられる。その後療養も兼ねて奄美大島に送られて、母:愛加那と久しぶりの生活を数年間送る。そしてその後は外交官としてアメリカや台湾で活躍し、帰国後は京都市長などを歴任し市政に対して尽力した。

 

そして西郷と愛加那の娘:西郷菊草は、西郷隆盛の従妹であり、大山巌の弟である大山誠之助と14歳の時に婚約し、島を出て一度もこの奄美大島には戻らなかった。愛加那は島妻としての宿命を頑なに守り、どんなに寂しくても一切手紙すら送るなと言っていたそうな。そして愛加那はその後に養子を取り、65歳で亡くなったという。

 

 

そんな西郷南洲謫居跡の近くには、このように3~4台車を停めれる駐車場があったけど、初めてやって来た人には少々分かりにくい場所だった。。

 

そして近くにはこの奄美大島で、最初の郷士となった田畑家の歴代当主の墓跡もあった。この田畑家は元々は笠利家という名前だったが、新田開発などで貢献した為に薩摩藩より「田畑」という分かり易い苗字が与えられた。しかしその後に鹿児島内の郷士と区別する為に、田畑性から1文字性へと変更され、この龍郷という地名から1文字取って「龍」となった。しかし江戸時代が終わると龍家は、昔使われていた田畑性に戻されて今に至っている。

 

この田畑家(龍家)が奄美大島で行われたさとうきび栽培に大きく貢献した為に、その財を吸い上げて明治維新に繋げた薩摩藩の活躍に、この田畑家(龍家)が間接的に一役買っている訳でもある。

東郷どん
東郷どん

この田畑家には恩返しできんほど、お世話になったでごわす!

 

そんな墓地の一角にはこのように顔部分だけ新しく付け替えられた、石像が見えている。何とも胴体のボロボロさに似合わない位に、迫力のある顔となっていたが。。

 

 

西郷松を探して!

そんな風に西郷南洲謫居跡を敷地外から観察したのだが、もう1つ探していた「西郷松」が見当たらない。恐らくこのような名前が付けられているだけに大きな松があるハズなんだけど、それらしき松がある場所には何も表示が無かったので、その松ではなくて別の場所にあるハズ。そんな風に諦めかけた帰り道に、このような標識を発見した。

 

そんな標識の前にはこのように「西郷松」という名前の建物があって、お店のような感じだったのでここでちょっと西郷松の情報を入手してみる事にする。

 

【西郷翁上陸之地(西郷松/西郷松本舗)】

住所:鹿児島県大島郡龍郷町久場886
営業時間: 9時~18時頃(西郷松本舗)
電話番号:0997-62-2163
(西郷松本舗)

 

 

ここは「西郷松本舗」というお土産屋さんになっていて、この周辺でしか味わえないお土産などを扱っている場所。

 

そして建物入口に近づくと、このような「西郷翁上陸之地」と文字の彫られた記念碑が見えてくる。しかし肝心の大きな西郷松の姿は確認できないが。。

 

この西郷松は「町指定文化財記念物」に指定されているらしい。そしてこの西郷松の由来は、この辺りに生えている大きなリュウキュウ松に、この浅瀬に到着した船が固定用のロープをその松に結んだ事から来ているようだ。その西郷隆盛が乗った船が結んだロープが巻かれていた松が、後になってから「西郷松」と呼ばれる事になったみたい。

 

こちらの看板には「こだわりの黒糖さとうきびジュース」が飲めますとあり、まだ奄美大島に来てから何も水分を摂取していなかったので、ここで情報収集も兼ねて休憩する事にした。

 

そしてお店に入り誰もいなかったので呼び鈴を鳴らすと、如何にも奄美大島民みたいな濃い顔をしたお兄さんが出てきた。そして1杯110円のさとうきびジュースを入れて貰って、西郷松の在り方について聞いてみる。

 

すると残念な事にその西郷松は樹齢100歳を越していたが、2011年に立ったまま枯れてしまったと診断されて、倒れる前に切り倒されてしまっていた。だからここでは如何にも西郷松という姿を見る事が出来なくて、この「西郷松跡地」という記念碑しか見る事が出来なかったのだ。。

 

しかしそんな切り倒されてしまった西郷松を材料にして木彫りして作った、西郷隆盛と愛加那の像が龍郷町区役所近くの「りゅうがく館」という交流館に設置されているという。だからここでは西郷松を見れなかったけど、そのりゅうがく館に行けば姿を変えた西郷松が見れるとの事。

 

実はこの西郷南洲謫居跡に来る前に、その西郷松の木彫り像がある「りゅうがく館」の駐車場を1回訪れていた。しかしあまり魅力を感じない外観となっていたので、建物内は見学する事なく立ち去っていたのである。。

危ない・・・この西郷松本舗のお兄さんに話を聞いてなければ見逃す所だった・・・

 

この龍郷町の道沿いにはこのような展望スポットが数か所造られているので、のんびりと西郷隆盛が乗っている船が入ってきた状況を妄想しながら寛ぐ。そしてウミガメの話を聞くと、本来は太平洋側でよく見れるけど、たまにこっち側に迷い込んでくる奴が居て、この辺りでもそれなりに見かける事が出来るという。

やっぱり一番の情報収集方法は、地元の人に話を聞く事ですね!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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