赤木名海岸付近で見られる、珊瑚で造られた塀【奄美大島旅行記⑬】

奄美大島旅行記2020年-⑬

 旅行期間:2020年10月1日~5日

 

珊瑚が豊富な大島

奄美市笠利町にある鶏飯の名店「みなとや」で昼食を食べた後は、そのまま車に乗って移動するのではなくて、このような案内板に書かれてある”赤木名集落巡り”をしてみたいと思います。

 

鶏飯の「みなとや」からこの赤木名海岸までは歩いて2~3分という距離で、とても近い。なので鶏飯を食べた食後の散歩には、うってつけの場所かもしれない。

 

赤木名海岸にて

少し歩くとこのように視界が開けてきて、綺麗な海岸が姿を現してくる。特に穴場的な海岸ではないけど、地元の人からするとここにあって当然の海岸なのでしょっちゅうやって来る場所でもなさそうな所。そして観光客もわざわざここの海岸を見に来るような場所でも無さそうな所。。

 

このように全然秘境感はない海岸だが、誰もいない。まあ今日の朝に訪れた笠利海岸の砂浜の細かさ程の綺麗さはなかったけど、充分に綺麗な海が目の前に広がっていた。

 

普段海を見慣れない人からすると、このように綺麗な海を見る度に歓喜の声を挙げてしまう。しかしこういった島国に住んでいると、こんな景色なんて毎日見れて当然なものなので、イチイチ感動しないのだろう。

そう思うと島国に生まれるのも、幸せであり、不幸なのかもしれない。。

 

 

赤木名海岸の景観 動画

 

 

この海岸で足元を見ると、このような穴が掘られているのが見えた。大きさからみて、ひょっとしたら蛇のねぐらがあったのかもしれない。。

 

 

赤木名集落を散策!

そしてこの赤木名集落にはサンゴで造られている壁があるとの事で、海岸近くを散策してみる。するとこのようにコンクリート造りの壁の一角に、それらしき違和感のある壁が見えてきた。

 

このように南国ならではのサンゴを積み重ねた塀がこちら。島国だと遠くから石を運んできたりするのが大変なので、近くから手に入るサンゴを使って積み重ねて塀を造っていたようだ。

 

こちらのサンゴ塀も城の石垣のように、特にそれぞれが接着されているようにも見えない。だから地震とか発生したら、これらの塀が崩れ落ちるかもしれないと思わせる壁。

 

この壁も何も知らずに見れば、まさかこれがサンゴで造られているとは思わない。しかし近寄ってみると表面に小さなボコボコなどが見えて、これがサンゴだというのが見て分かる。

 

このように結構丁寧に積み重ねられているサンゴの塀だけど、これはこの周辺の家全部がこうなっている訳ではなくて、今ではこのような壁のまま残っている家は数少なくなっているようだ。

 

こちらの集落の道は車も一応走れる道幅となっている。なので家の門の外側には、このような工夫されて取り付けられた車のミラーが見えている。車のミラーじゃなくて、もう少し大きなミラーを設置した方が見えやすいかと思うけど、全然交通量の無いこの場所だったらこれで充分なんだろう。

 

この辺りは集落となっているけど、家自体はそんなに古い建物は見当たらなくて、あまりコテコテとした”如何にも昔ながらの生活をしている集落”という感じは全然しなかった。この赤木名海岸周辺には江戸時代に代官屋敷などが設置されていた事もあって、昔からそれなりに島内では発展していた場所のようだ。

 

こちらの集落で綺麗な花を咲かせていたのは「ランタナ」という植物で、日本では「七変化(シチヘンゲ)」と呼ばれている中南米が原産の植物。このように綺麗で鮮やかな花を咲かせるので園芸植物として人気があるが、生命力が強くて勝手に拡がりやすいので今では”世界の侵略的外来種ワースト100”の1つにも選ばれているという。

 

そしてこの集落内でも3つ目のサンゴ塀を発見する。こっちの塀の方がよりサンゴっぽい感じを醸し出していて、いかにも海沿いの集落という感じとなっている。

 

このサンゴには断熱性があり、普通のコンクリート造りの壁に比べると熱が籠りにくいらしく、昔の人々には重宝されたようだ。しかし今の時代は各家庭にエアコンが取り付けられている時代なので、このような古来の断熱素材などは用をなさないようになってきているのかもしれない。

 

この赤木名集落にはサンゴの塀以外にも、西郷隆盛がこの町にやって来た時に腰かけた板が残されていると書かれていたので、それを探しにもう少し集落内を散策してみる。

 

さっきのサンゴ塀があった場所を除けば、ここが全然奄美大島の集落には見えない景色が広がっている。江戸時代には薩摩藩の代官屋敷が建てられていた事もあって、名瀬を除けば奄美大島でそれなりに発展した町なんだろう。

 

そして進んで行くと、このように立派な屋根を持つ土俵がある建物が見えてきた。それにしても今どきこれだけ立派な土俵が造られている場所なんて、あまり目にしない程に立派な建物だった。

 

こちらは「中金久学舎」という公民館や集会所として使われる建物で、今は新しい建物となっているが、西郷隆盛が奄美大島に潜伏していた時に2回ほどこの赤木名集落を訪れて、ここで子供達を教育していた場所だそうだ。

 

この「中金久学舎」は元々は少し離れた場所にあったけど、平成18年に建物の老朽化でこの場所に新しく建てられたそうで、昔から使われてきた旧中金久学舎の建物は、近くにある建設会社の置物として残されているそうだ。

 

 

この土俵で西郷隆盛は奄美大島の子供達相手に、相撲を取ったりしていたのだろう。そして肝心の西郷隆盛が腰掛けたという木の板は、この施設はこの時閉鎖されていたので残念ながら近くで見る事が出来なかった。窓から覗いてみたらチラっと見えたけど、窓が反射して写真は残念ながら撮れずじまい・・・。

 

そんな西郷隆盛ゆかりの場所でチラッとだけ腰掛けた板も見れたという事で、一応満足して車を停めてある方向へと戻る事にする。そして赤木名集落にはさっきから見えているように、塀から色んな植物が顔を出していて、とても緑が豊富な集落となっている。

 

このように色んな植物が植えられていて、南国らしい花がいっぱい咲いている赤木名の町。だから鶏飯だけ食べて帰るには勿体ない場所なので、出来ればこのように周辺をゆっくり散歩してみるといいかもしれない。

 

そして県道沿いを進んでいると、遠くからゆっくり三輪車に乗っているオジサンが近づいて来た。この町の人間では無いオーラを発しているボクには全く見向きする事もなく、ゆ~~~っくりと通り過ぎていったのである・・・。

 

こちらは「奄美市立赤木名小学校」で、時期的に運動会の練習をしている風景に出会う。コロナ禍で大変な学校生活なのかもしれないけど、この時は奄美大島では新型コロナウイルス感染者が当分発生していなかったので、子供達はマスクを付けずに練習をしていた。

 

こちらは「笠利総合支所」という、この赤木名にある役所のような建物があった。ただあまり人の往来は見られずに、ひっそりと静かな役所という感じだったが。

 

江戸時代より前にはこの赤木名には城があり、昔は琉球王国とも争っていた国だったという。今では赤木名城跡として遺跡があるみたいだけど、奄美大島では城があるイメージがしなかったので、赤木名城跡には今回の旅では訪れなかった。

 

こちらの役所前に植えられていたのは「ゴモジュ(胡麻樹)」という、この南国地域でしか見れない常緑低木の植物。南国に来ると生き物などが本州とは違う物が多いけど、このように植物も南国ならではの物が見られるのである。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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2020年10月に訪れた、鹿児島県の奄美大島。初上陸した奄美大島でレンタカーを借りてからまず向かったのは、奄美空港から北側にある「あやまる岬」でまずは奄美大島の綺麗な海に挨拶します!
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