フランシスコ・ザビエルの有名な肖像画がある神戸市立博物館【神戸旅行記⑬】

神戸旅行記2020年-⑬

 旅行期間:2020年10月15日~16日

ザビエルの歴史

神戸旅でやって来た「神戸市立博物館」で、まずは無料で見学できる1階部分を勉強した後は、有料ゾーンとなる2階部分へと歩みを進めていきます。小さな博物館とかであれば入場料が有料の施設の入場をためらう時もあるけど、このように大きな博物館では自治体からの補助金などもあって入場料が一般より安く設定されているので、お得な見学となる場合が大きい。

 

【神戸市立博物館】

住所:神戸市中央区京町24番地
営業時間: 9時30分~17時30分(※定休日:月曜日&年末年始)
電話番号:078-391-0035

 

 

2階のコレクション展の観賞(有料)

こちらは博物館2階の「コレクション展」の入場券だが、大人1人300円というお値打ち値段。歴史的な建造物の中で、快適な空調の下で他所では見る事が出来ないコレクション作品をたった300円で楽しめるのである。

 

このような博物館とかは訪れる一般人の立場からすると入場料が安いに越したことはないけど、管理する方からしたら維持費はどうしても必要だし、人員も必要。ただ入場料無料にしてしまうと、作品に興味が無い無関心な人間まで来て、博物館内を汚したり破損したりする可能性もあるので、無料よりはこのように最低限度の料金は課した方がいいのだろう。

 

そんな2階のコレクション展の部屋に進んで行くと、まずはガラス張りの中に入れられた銅鐸の数々が見えてくる。この銅鐸が使われていた時代は、まだ中国大陸からの文化が栄えていた時代だったのだろう。

 

こちらは国宝となっている『桜ヶ丘6号銅鐸』という、兵庫県神戸市灘区桜ヶ丘周辺で出土した弥生時代中期に作られた物だという。弥生時代といっても約1300年程続いた時代で、その中期というと紀元前1世紀~紀元1世紀頃。今からざっと2000年も前の人達が作った銅鐸であるが、表面の彫刻が細かく刻まれており、その精密さに驚く。。

 

これ以外にも灘区桜ヶ丘周辺で出土した銅鐸は全部で14点もあり、全て国宝に指定されている。このように同じ時代に使われていた銅鐸もそれぞれに大きさが異なり、また損傷度合いもそれぞれに異なっている。

 

中国から渡ってきた銅鐸は青銅で作られており、これを叩いて音を鳴らしていたものと考えられている。そして日本全土では約500点の銅鐸が出土しているが、その中でも一番多く発見されているのがこの兵庫県なんだとか(2001年のデータ)。

 

 

フランシスコ・ザビエルの展示

そしてあまり神戸と関連性が思い浮かばない「フランシスコ・ザビエル」のコーナーが見えてくる。九州の鹿児島県に上陸してから、下関を経由して堺~京をザビエルが訪れたのは知っているが、神戸とはどういう繋がりがあるのだろう。。

 

館内にはあまり見学客がいなかった為に、このコーナーでもじっくり見学できそうだ。特にザビエルは鹿児島で上陸した場所やザビエル公園での像を見たり、下関でのザビエル上陸の記念碑なども見たので、それらも含めてここでも勉強である。

 

 

そしてこのゾーンには日本人であれば殆どの人が何らかの媒体などで必ず見た事のある、フランシスコ・ザビエルの有名な肖像画が展示されていた。なおこの有名なザビエルの肖像画はここ神戸市立博物館に保管されているのだが、この絵自体は複製品で本物ではない。ただ年に1度だけ本物のザビエルの肖像画が展示される期間があるので、もし興味があれば要チェックである(2021年は4/24~5/23)。

オカン
オカン

複製品と言われても本物を見た事が無いから、比べようがないわな・・・

 

こちらのフランシスコ・ザビエルの肖像画は、キリスト教などの西洋宗教が弾圧されていた江戸時代17世紀前半の物とされている。踏み絵などが盛んに行われていた時代に西洋絵を勉強した日本人画家が描いた作品とされる。そしてその絵はキリシタン大名として有名だった高山右近の領地であった茨木(大阪)の千提寺で密かに約300年保管されてきて、その発見されたニュースを耳にした神戸の南蛮美術品コレクターであった池長孟が、頼み込んで譲り受けた物。そして戦後に所有する美術品に多額の税金が課せられたのもあって、博物館に寄付する事になる。

 

 

江戸時代にはこのような絵が家から見つかれば死罪は免れない状態だったにも関わらず、隠れキリシタンであった千提寺の人々は約300年に渡ってこの絵を密かに守り続けてきた。そういう意味では単なる今から約400年前の作品というよりも、約300年に渡る隠れキリシタン達の信仰心が垣間見れる作品ともなっている。

 

このザビエルの肖像画はボクらの世代であれば、必ず教科書に出てくる。そしてそのまともな大阪の小学生であれば、このザビエルには必ず落書きをしたものである。子供達からしたらカッパのような禿げ頭をしたザビエルの印象が強くて、どんな業績を残した人かという事は二の次であった。しかしザビエルのこの頭は位の高い聖職者を表す為に、侍のチョンマゲのように人為的に剃っていたもので剥げていた訳ではないのである。

 

そしてザビエルが大航海時代の幕開けと共にヨーロッパからインドへ目指して航海していた時代は、乗組員の1/3は途中で死んでしまう程に過酷な時代であった。そんな時代にヨーロッパの中で肩身を狭くしていたカトリック教会の威信を掛けて、自分の命よりもカトリック教を世界に広げる為に自らの命を投げ売って危険な外洋へと乗り出したザビエル。

 

そしてザビエルの肖像画の下には「聖フランシスコ・ザビエル:イエズス会会員」という内容のラテン語が記されており、その下には漢字のような文字も入れられているのが見えるけど、達筆過ぎて全然読めない・・・。

 

こちらの解説によると「瑳聞落怒青周呼(さふらぬしすこ) 山別論(さべろり) 廖 瑳可羅綿都(さからめんと) 漁父環人」と、当て字のような難しい漢字が列記されている。

 

このように博物館だけあって、このザビエルの肖像画についての説明まで丁寧に用意されている。教科書で落書きする事にしか興味を抱けなかった少年時代を恥ずかしく感じる瞬間でもある・・・・。

ニイハオさん
ニイハオさん

まあ、歳取ってからしか分からない事もアル!

 

このようにしっかりと絵を観察すると、ザビエルが口にしたとされる祈りの言葉や燃えるような激しさが現れる心臓や天使なども描かれているのが見える。

 

最初は日本に派遣されてくる聖職者って大会社の転勤族(窓際族)というイメージだったので、ザビエルなど日本でしか知名度がないものだと思っていた。しかし実際にはインドのゴアから始まり、その後はアジア諸国を渡り歩き、世界で最も信者を獲得した偉大な聖職者とされている。

 

さてこのブースは本物のザビエルの肖像画が保管されている博物館だけあって、単に絵の解説だけではなくてこのようなザビエルに関わる年表も用意されています。

オカン
オカン

ザビエル好きには良い所やな!

 

フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier)は1506年頃に、今のスペインのバスク地方の貴族の息子として生まれた。本来であれば裕福な家庭に生まれたのだから、無益な教職者の道に向かうなど生まれたばかりの時は考えられなかったのかもしれない。

 

 

その後19歳でパリ大学に入学してイグナチオ・デ・ロヨラ(後のイエズス会初代総長)と出会い、大きな影響を受ける。そして28歳の時に同志6人と共にフランスのモンマルトルの聖堂で、神に生涯を捧げる「モンマルトルの誓い」を立てる。これがイエズス会のスタートとなるのである。

 

そして大航海時代にポルトガル船に同乗してアジア地方に向かい、その後日本に初上陸したのは1459年の事。この頃はまだ西洋からの宗教など全然やって来ていなかったので、この当時は日本国では厚意を受けて布教活動を進めた。

 

こちらの地図にはザビエルが移動したルートが分かり易いように表示されている。小学校の教科書にもこのように単なるザビエルの写真と簡単な説明だけではなくて、一目でザビエルがどれだけの航海をしてきたかが分かる図が掲載されていれば、もっと小学生のザビエルに対しての理解力があがると思うけど。。

オカン
オカン

勉強する気が無ければ、何を与えても一緒やで!

 

今では簡単に日本とポルトガルを飛行機で行き来する事が出来るけど、この当時は何ヶ月も掛けて海路で渡って来るしか方法が無かった時代。しかも大航海時代が始まってからある程度時間が経過していたけど、まだまだ長距離航海では命の危険性があった頃。

 

まず日本に上陸したのは、外国人の玄関口となっていた島津家が支配していた鹿児島県。この当時はまだ沖縄や奄美大島などは独立国とされていたけど、それらの管理などを昔から任されていた島津家の了解を得てから上陸した。そしてその後は平戸や博多、下関を経由して堺や京に向かった。このルートを見ていると、その通り道に立ち寄った地域にキリシタンが多く生まれた理由が見て分かる。

オカン
オカン

それだけザビエルの布教活動が、大きな成果を挙げた訳やな!

 

こちらの扇形になっている絵は、戦国時代の京に造られた南蛮寺を描いた作品。当時は覇者として君臨していた織田信長が、西洋からやって来た聖職者などを受け入れて、南蛮貿易を推進しこのような建造物の建設にも許可を与えていた。

 

こちらの作品は『都の南蛮寺図』という物で、狩野永徳の弟である狩野宗秀が書いたとされている。その当時の日本人からしたら「南蛮寺」と呼ばれていた建物も、建造したイエズス会の人達からは「被昇天聖母教会」という名前が付けられていたようだ。

 

日本に到着したザビエルは当初の感触では想定以上に早く布教活動を展開できると思っていたが、開放的な九州地方とは違い、伝統的にこだわる歴史が長い関西地区では想定を超える抵抗を受けた。ザビエルとしては単純にカトリック教を救われない人々に拡げる事を信念としていたが、その世界的な布教活動の裏には宗教で洗脳して、その国を分断して植民地化する計画が隠れていたのである。

 

そしてこれからは、ザビエルの絵画だけではなく、それ以外の南蛮人が描かれた作品なども展示されているのが見えます。300円の入場料を払っているので、まだまだじっくりと館内を見学していきます!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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