天草の世界遺産「﨑津集落」にあるカトリック教会を訪れる【九州縦断秋旅行記㊻】

九州縦断旅行記(秋)2020年-㊻

 旅行期間:2020年10月24日~28日
(Visit a Catholic church in Sakitsu Village, a World Heritage Site in Amakusa)

キリシタンの集落

熊本県でも西側にある天草諸島で、最も大きい島である天草下島。天草四郎で有名な『島原の乱』が起きた場所でもある天草で、隠れキリシタンが居た場所でも有名だけど、日本の中でも8番目に面積が大きな島でもあるのに、実は3つしかカトリック教会が存在していないのである。(※教会は他にプロテスタントの教会なども存在している)

 

先程訪れた大江天主堂と、これから向かう世界遺産に登録されている「﨑津集落」にある﨑津教会は、カトリックの教会。天草という名前を聞くと、いかにもキリスト教徒が多そうなイメージが強いけど、実際には信者は人口の1%にも満たないので、意外と少ないのが現状である。

 

ただこれから訪れる港がある﨑津集落は、その住民の大半がキリシタンだった集落である。というのもこの﨑津集落は今のような国道389号線のようなバイパス道路が造られる前は、陸路の道はなくて海路しか移動手段がなかったという。なので世間に隠れてキリシタンを続ける事が出来たという、地理的な立地が大きく影響を及ぼしていたそうだ。

 

 

 

世界遺産「﨑津集落」にて

かつては600世帯の内で550世帯までがキリスト教信者だったという「﨑津集落」の入口に到着する。なおこの集落には大きな駐車場はないので、観光バスなどは手前にある駐車場に停めてから、ここまで歩いてくるコースが一般的である。なのでこのお店前にある小さな駐車場が埋まってしまっていたら、その手前側の駐車場に車を置いて多少歩かないといけない。

 

【天草の﨑津集落】

住所:熊本県天草市河浦町崎津535

 

 

ここ﨑津集落の中心にあってシンボルマーク的な存在になっている﨑津カトリック教会は、こちらにある「ハルブ神父」が建てた教会である。先程の大江天主堂はガルニエ神父が建てた教会だったけど、このハルブ神父も同じフランス人で彼の後輩。そして写真だけ見ていると、両者ともに長いあごひげを蓄えて、丸い眼鏡を掛けて頭が禿げ上がっているので、一見は同じように見えてしまう。。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

オレもヒゲ生やしたら、神父になれそうやな!

朋ちゃん
朋ちゃん

エロ坊主改め、エロ神父でいけるよ!(笑)

 

この﨑津集落は国選定重要文化的景観『天草市﨑津・今富の文化的景観』としても認定されている漁村である。江戸時代から続く漁村の村であり、その狭い世界の中でキリスト教が代々伝わった場所でもあった。この﨑津集落は海路でしか移動手段がなかった為に下界から離れた場所となっていて、それもあって長年隠れキリシタンが潜伏した場所ともなっていた。

 

しかし隠れキリシタンと言っても江戸時代のキリシタン弾圧が厳しかった為に、住民たちは表向きにはこちらにある﨑津諏訪神社などを造って、キリシタンがバレないように偽装していたという。しかしこの天草にいる隠れキリシタン達を厳しく監視していた江戸幕府によって、1805年に『天草崩れ』と呼ばれるキリシタン達の大量発覚事件が起きてしまう。

 

こちらはこの﨑津集落で見かけた、オリジナルのデザインマンホール。漁港の村だけにこのように魚が飛び跳ねているデザインとなっているが、ここにはキリスト教をイメージさせるものは見当たらなかった。

 

そんな﨑津集落の中に足を踏み入れて進もうとすると、その入口にあった商店で何やら見かけた事がある商品を目にした。こちらは人気番組『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』の中で、出川ちゃんが来た時に味見していた「杉ようかん」だったのである。

 

「出川哲朗の充電させてもらえませんか? ~行くぞ絶景の鹿児島&熊本!美しすぎる天草SP~」

このようにテレビ放送時は﨑津集落には全く興味が無かったけど、この手前の商店に売っていた杉ようかんだけはしっかり覚えていたのであった。

 

この時もちゃんと杉ようかんが販売されていて、これを見ていると中からオジサンが出てきて色々と説明してくれたけど、あまり食べ物には興味が無かったので結局買わずじまい・・・。

 

そんな杉ようかんには目をくれず、凸凹トリオの2人はズンズンと﨑津集落の中へ進んで行く姿が見える。ただキリシタンが多かった﨑津集落だけど、このように集落内の建物は日本的な和風の外観をしている建物ばかりである。

 

 

この﨑津集落は元々は漁港としての小さな集落だったが、明治時代後半に操業された炭鉱群の影響で人や物資などの往来が増えた為に長崎航路が出来て、それ以降は船宿や料亭などが出来たりと一気に栄える事になる。なのでこの辺りには宿が多く立ち並んでいた場所になっていたようだ。

 

そんな﨑津集落の道を神社のある反対側へと進んで行くと、教会の入口が見えてくる。江戸時代にはキリスト教などの外国宗教が禁じられていた為に、1569年に造られたという﨑津教会は取り壊されてしまったけど、明治時代になってキリスト教が解禁された後に再建された。

 

こちらが「﨑津カトリック教会」の建物である。何ともこの日本の田舎集落には似合わない、西洋様式の教会のようにも思える外観。2004年頃に改修工事が行われているので、あまり古そうには見えない外観にもなっている。

 

ここ﨑津集落の教会もカトリック教会である。この天草下島には3か所のカトリック教会があるけど、それ以外にも現代ではプロテスタントの教会もちゃんと造られている。なお「神父」という言葉はカトリック教会で使われる言葉であり、プロテスタント教会では神父とは呼ばずに「牧師」となる。キリスト教に興味が無い人間からするとどっちでもよく思えるけど、キリスト教会の中では天と地ほどに違うのである。

 

﨑津教会の壁には、このように十字架をイメージしたような穴が空けられている。この十字架はキリスト教を象徴するシンボルマークで、キリストが磔にされた十字架をイメージしたもの。

 

そんな十字架の穴から見た﨑津教会。こうやって見ているだけだと、ここが日本とは思えない光景になっている。日本には至る所にこのようにキリスト教会が造られているけど、国内のキリスト教信者の数は1%にも満たないという。

 

日本全体はともかく、この隠れキリシタンが多く居た天草でも意外とキリスト教徒は少ないらしく、ここでも人口の1%に満たない程だという。天草というとキリシタンだらけのようなイメージを持ってしまいガチであるが、実際にはそこまでキリシタンが多かったという訳でもなさそうだ。

 

﨑津カトリック教会にて

この﨑津教会も内部の見学は自由であるが、その代わりに内部の写真撮影が禁止されている。なのでここでも教会内部の写真は、お見せする事が出来ないのである。このような礼拝する場所は本来は写真撮影する場所ではないけど、観光客の立場になると写真を撮りたい気持ちが湧いてくる。

 

しかし本来なら聖なる場所なので、写真撮影が手軽になった時代だけど、あくまでも信者優先の場所なので撮影は禁止になっているのだろう。それに写真撮影を許可したら、写真撮影マナーも気にしない観光客が教会内を荒らすように暴れ回るので、そんな事を事前に抑える意味でも禁止しておいた方が無難ではある。

 

 

﨑津教会の景観 動画

 

 

1934年に新たに建てられた﨑津教会は、「吉田庄屋役宅跡」というキリシタン取締りの為に踏み絵をさせていた場所の跡地に建てられている。なお元々はコンクリート造りの教会にする予定だったが、途中で予算が足らずに一部は木造となっている。正面から見ると分からないけど、このように斜めから見ると奥側の壁の色が変わっている部分が見えて、途中からコンクリート造りの建物から木造の建物に変わっているのが分かる。

 

 

そんな教会脇ではここでもソテツが見られる。神社や教会の敷地内では必ずと言ってもいい位に設置されているソテツは、街中を歩いていても至る場所で目にする事が出来る。それほどに日本人にとっては人気な植物でもある。

 

この﨑津教会は基本的には立ち入り可能なのであるが、この看板にもあるようにミサや冠婚葬祭の行事などが行われている時は入場できない。あくまでも現役で使われている教会でもあるので、基本的には信者中心の場所となっている。

 

こちらには遠いフランスからわざわざ日本に出向いてきて、日本人にキリスト教を布教したハルブ神父の記念碑が設置されている。なおハルブ神父の墓は、﨑津集落入口から見えた﨑津諏訪神社の手前に設置されている。

 

キリスト教の教会にはあまりこのような池があるイメージが無いけど、ここを造ったハルブ神父はフランス出身なので、フランスにある聖地『ルルドの泉』を再現したのだろう。なお、今ではこのように錦鯉が放たれており、ここだけ見ていると寺の一角のように見えなくもない景色である。

 

そしてルルドの聖母マリア像も設置されているのが見える。ルルドの聖母で有名なのはフランスだけど、ポルトガルの小さな町であるファティマでも同じように子供が聖母マリアに遭遇したという『ファティマの聖母』の伝説がある。

 

このポルトガルのファティマの町には実際に行った事があるけど、ルルドと同様に何もなかった小さな町が聖母マリア騒動によって全国的に有名になってしまって、多くの信者が巡礼地としてやって来る人気の観光地となってしまった。両者に共通するのは、特定の子供にしか聖母マリアが見えないという事。そしてその後にそれぞれの町ともに観光地として発展した事。

個人的は全く信じられませんが・・・

朋ちゃん
朋ちゃん

信じる者は救われるのよ~~!

 

教会の窓はこのように開けられており、デザイン的には手前側のコンクリート造りと、奥の木造は同じような外観となっている。ただあまりこのようなコンクリート造りと木造が混在している建物を見かける事が少ないけど、実は予算が足らなかった為の苦肉の策が逆に珍しいものを造り上げたようだ。

 

この﨑津集落は江戸時代前半は下界から閉ざされていた為に、キリシタンが居たにも関わらず、天草で勃発した『島原の乱』には参加しなかったので、処罰されずに済んだという。その後に定浦制度によってこの﨑津集落が選ばれた為に、漁港として賑わいを見せてキビナゴ漁などで潤ったという。

 

だがその後にはキリシタン弾圧の手が迫り、長崎奉行の役人が密航などを監視する為に常駐した事もあって、﨑津集落の住民は表向きは神社に参拝したりするなどの偽装を行っていた。しかし1805年に起こった『天草崩れ』という、この﨑津や大江などを含む4つの町で約10,000人の住民のうち、半分の約5,000人が潜伏キリシタンとして摘発されてしまう事件が起こる。しかしそれだけの住民を処刑してしまうと大切な労働力が失われるという事で、無罪放免となったそうだ。

 

 

﨑津港の景観 動画

 

 

そして人々は表向きは神社にお参りして偽装し、神社では「あんめんりうす(アーメン ゼウス)と祈っていたという。そして明治時代を迎えてキリスト教が解禁となり、早速キリスト教会が造られて、﨑津集落ではその殆どがキリスト教徒となったそうだ。

 

無宗教を自負するボクだけど、そんな1つの宗教を国が弾圧してもなお200~300年間に渡って守り続けたという事実に驚く。それほどにキリスト教を信じるメリットがあったからなのか、それともキリスト教という魔力に罹ってしまったからなのか??

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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2020年10月下旬に訪れた、福岡県から開始して佐賀~長崎~大分~熊本を巡る旅の開始。なお今回は旅仲間と巡りますが、初日の福岡巡りは前乗りという事もあって、1人で巡ります!
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