仙台の森に囲まれ神秘的な雰囲気を醸し出す、伊達政宗の霊廟「瑞鳳殿」【仙台旅行記㉜】

仙台旅行記2020年秋-㉜

 旅行期間:2020年11月3日~5日
(Zuihoden, the mausoleum of Date Masamune, surrounded by the forest of Sendai and creating a mysterious atmosphere.)

想像以上にカラフルな霊廟

仙台旅最終日は仙台市内にある、あの伊達政宗の霊廟となっている「瑞鳳殿(ずいほうでん)にやって来ました。この霊廟は伊達政宗が亡くなった翌年の1637年頃に造られたもので、江戸時代から昭和初期までその霊廟の建物は残されていたが、戦争での空襲によって焼失してしまい、今では戦後に復元された建物となっている。

 

 

 

瑞鳳殿の見学

この瑞鳳殿は経ヶ峯という小高い林に造られた伊達家の墓所で、こちらはその敷地内の地図である。ここのメインは勿論言わずとも知れた伊達政宗の霊廟であるが、その息子である仙台藩主第2代:伊達忠宗と、孫になる仙台藩主第3代:伊達綱宗の霊廟も設置されている。

 

ただこの瑞鳳殿へと進む道はこのような階段になっていて、車での侵入は出来ないので必然と歩きとなっている。そこまでの距離は無いけど、あまり階段を登りたくない人も多少は階段を登らないと辿り着けない場所となっている。

 

瑞鳳殿の入口にて

そして階段を登ると瑞鳳殿の入口が見えてくる。しかしここから先は有料ゾーンとなっていて、手前の入場チケット売り場で入場券を購入する必要がある。なおこの敷地内はさっきの入口の階段で右側を進めばこのようなゲートが無かったのでタダでも入れそうだったが、この伊達政宗の霊廟だけは反対側に一方通行のドアがあったので、どうしてもチケットを買わないと入れないようだ。

 

こちらが瑞鳳殿のチケット売り場で、建物内にはトイレも設置されている。この有料ゾーンの中にはトイレが無いので、中に進む前にここでトイレを済ませておいた方がいい。

 

伊達氏は中世頃から続く名門であるが、その先祖などのお墓はここには設置されていない。あくまでも伊達政宗が自分用の墓地として造るように遺言を残した為に建造された場所であるが、また上杉家や島津家のようにその後の代々藩主全員の墓がある訳でもないようだ。

 

さて入場料570円を支払い、観覧券を購入して中へと進みます。この伊達政宗が葬られている霊廟は普通の霊廟ではなくて、写真だけ見ると鮮やかで日本には似合わない位の華やかさにあふれた建物となっているので、それが自分の目で見れる時間が迫っていると思うだけでワクワクとしてきます。

 

東北の雄だった伊達政宗も結局は天下を獲れずに、仙台の地を治める大名として没する。しかしその影響力は大きかったようで、徳川幕府でも家康が亡くなった後は家光などが伊達政宗を頼り、その武勲溢れる昔話などを聞いたり意見を請うたりして、貴重な存在として国内でも一目置かれていたようだ。

 

このような仙台では神格化されている伊達政宗の霊廟も神社になっている訳ではなかったけど、この辺りは彼の菩提寺でもある瑞鳳寺の敷地内となっていたようだ。そして周囲にはその瑞鳳寺に関わる小さな寺が増えていったが、明治時代以降に廃仏毀釈や廃藩置県の影響もあって廃れていく。しかしその後に復興されたが、この瑞鳳殿は今では財団法人瑞鳳殿の管轄となっているようだ。

 

 

まずはその霊廟に向かう前に手水が設置されているが、この時はコロナ禍の影響もあって柄杓は見られなかった。なので手を洗いたい場合は直接龍の口から流れ落ちる水を受け止めて、手を清める必要があった。

 

そんな手水場の正面には伊達家を代表する家紋が彫られているのが見える。ボクにとってはパチンコ『花の慶次』シリーズを長くプレイしていたので、伊達家を代表する家紋は中央に見られる『竹に雀』だけだと思っていたけど、実際には大名には何個も家紋があって色んな場で使い分けていたようだ。

 

そんな手水で手を洗って進むと、まずは霊廟の前に固く扉が閉ざされている門が見えてくる。こちらの門は「涅槃門」という名前が付けられており、名前からして仏教が浸透していた当時の様子が垣間見える名前となっている。

 

この涅槃門も戦争で焼失した後に再建された物なので、比較的綺麗な建造物となっている。この瑞鳳殿は1979年に再建された建造物で、ちょうどボクと同級生の建物となっている。またこの涅槃門も出入りはその正面中央ではなくて、その脇に専用の出入り口が設置されている。

 

この再建された涅槃門は焼失前の資料を元に、忠実に装飾などが再現されているようだ。また建物には樹齢数百年というヒノキ科の「青森ヒバ」が使用されているという。このような歴史的な建物を木造で復元しようとすると、よく樹齢100年以上を超える資材が使われているのを見かけるけど、その木を使うに相応しいという建物にしたいという気持ちが籠められているのかもしれない。

 

 

派手な外観に思える瑞鳳殿の霊廟前に造られている涅槃門の装飾からすでに、このように華やかで豪華な装飾となっているのが分かる。日本の文化からするとあまりお墓の装飾を派手にしないという考えがあるけど、この瑞鳳殿はこのように門からその鮮やかな色彩が感じられる場所となっている。

 

そしてその涅槃門の脇を進んで入っていくと、また階段と共に門のような建物が目の前に見えてくる。昔は車椅子が無かった為に車椅子用の通路などが設置されていない観光地が多いので、ハンディキャップを抱えている人は必然的にこのような名所を訪れる事が出来ない。ただこのような場所でも植え込みや階段を壊してその一部をバリアフリー化の通路に変えると、昔ながらの雰囲気が壊れてしまうので何とも複雑な気持ちになってしまうが。。

 

そんな霊廟へと登る階段脇には灯篭が設置されているが、ここの灯篭は伊達政宗の家臣たちが設置した物となっていて、こちらには伊達政宗の右腕的存在だった片倉景綱の息子である片倉小十郎重長が寄贈した物となっている。

 

それ以外にも多くの灯篭が見られるけど、これらも空襲の際に被害を受けた為に完全な状態で残されている訳ではなく、倒壊していた物を取り合わせて設置したり一部は復元されているようだ。

 


 

なお、先日の2022年3月22日に発生した震度6度の地震により、これら敷地内にある灯篭などが倒壊している。またその約1年前に発生した地震によって、倒壊した灯篭など約100基の修復工事が進んでいる中だった。


 

 

 

そしてその階段を登ると霊廟前に建っている「拝殿」に差し掛かる。質素な墓ではなくて当代随一の名武将でもあり、また現代の仙台の人々にも未だに尊敬されているという伊達政宗だけあって、特に豪華な造りとなっているようだ。

 

昔の文字は右から左に書かれていたので、「殿鳳瑞」ではなく「瑞鳳殿」と読むのが正解である。ただ最近発達が著しいAIなどはそんな日本人の文化が理解できない可能性があり、見た目通りの「殿鳳瑞」と読み取ってしまう可能性がありそうに思える。

 

こちらの拝殿も空襲によって焼失してしまったが、昔はここに伊達政宗の木像が設置されていて、参拝に来た人達がまずその木像を拝んでいたとか。また今見た「瑞鳳殿」の扁額は、江戸時代初期の書家であった佐々木文山が書いた物だそうだ。

 

そしてその拝殿を抜けると、このように目の前に江戸時代に造られた霊廟とは思えない程の華やかな装飾となっている瑞鳳殿の建物が見えてくる。実際には江戸時代に建造された建物は一回焼失してしまっているので復元された物なんだけど、それでもその当時の建物を忠実に再現した装飾になっているので、焼失する前の建物もこのような外観になっていた可能性が高い。

 

そしてそんな鮮やかな装飾の霊廟に早速向かう前に、周囲を散策する事に。さっき正面から見ていた拝殿も内側には廊下のような物が造られており、昔に存在していた拝殿はもっと大掛かりな廊下になっていたようだ。

 

昔は霊廟と拝殿の間に廊下が設置されていたようだ。このように全てが全て、全く焼失前と同じように復元されている訳でもなく、昔の様子はこのように案内板を確認しないと分からない物もある。

 

こちらには寺や神社にある線香を置く壺のような物もあったけど、この時は蓋が固く閉められていた。また昔ながらの木造建築物は火に弱いので、線香などを付ける火が万が一燃え移る可能性も無くはないので、ず~~と使えないようになっていたのかもしれない。

 

それにしても日本にあるお墓とは思えない程に、鮮やかな霊廟である。海外だとイスラム建築のように綺麗な外観をしている霊廟などを見て来たけど、日本ではどちらかというと質素で派手さの無い墓しかないので、何とも驚く外観をしている伊達政宗の霊廟。

 

こちらは伊達家の家紋でもあった『九曜紋』のマークが入った瓦で、この瑞鳳殿が空襲で焼失した後に再建された新しい瑞鳳殿に取り付けられていた物。ただ元々瑞鳳殿にはこの九曜紋ではなくて龍の頭部分の鬼瓦が設置されていたが、再建された時には龍の頭鬼瓦ではなくてこの九曜紋マークの鬼瓦が設置された。

 

こちらの龍の頭の置物が元々の瑞鳳殿に鬼瓦として設置されていた「青銅製龍頭彫刻瓦」。瑞鳳殿が空襲を受けた際にこの彫刻は奇跡的に破壊を免れたが、新しく再建された瑞鳳殿には使用されなかった為に、別の場所に保存される事になった。

 

しかし2001年の瑞鳳殿改修工事の際に、昔の姿を再現する為に九曜紋の鬼瓦ではなく、この元々取り付けられていた龍頭鬼瓦が新しく設置されるようになった。その機会に合わせて保管されていた元々瑞鳳殿に設置されていた龍頭鬼瓦が、瑞鳳殿の屋根ではなく境内に安置される事になったという。

 

ここは霊廟という事はお墓のハズであるが、こんな青々しい装飾が見られたりとお墓には思えないイメージの瑞鳳殿。しかし地味な人物のお墓ではなく、伊達政宗という戦国時代~江戸時代を代表した当代随一の名将にふさわしい華やかさとなっている。

 

そしてこれが瑞鳳殿の本殿で、焼失した建物の下に伊達政宗の遺骨や埋葬品などが埋まっていた場所。ここに伊達政宗の遺骨などが埋葬されてから一切封印されていたが、空襲で焼失してしまった為に地下に埋葬されていた遺骨などが陽の目を見る事になるのであった。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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【コメント欄】

  1. 仙台市に住む歴史好きです。灯篭を寄贈したのは政宗の右腕として活躍した片倉小十郎景綱(大河ドラマでは
    先日亡くなられた西郷輝彦さんが熱演)ではなく、息子の片倉小十郎重長です。重長もまた父親と同様に
    政宗へ仕え、大阪冬の陣では父親の代理として参陣し「鬼の小十郎」と言わしめた程に活躍されました。大河ドラマでは高島政宏さんが演じられていました。
    政宗が死去するまで二十二年間に渡り重臣として仕えた事から表現は誤りではありません。
    なお、片倉家は十三代目までが代々名前にミドルネームとして小十郎を称しています。
    また、大阪夏の陣にて真田幸村より5人の子供を託され、三女は重長の継室となっている。唯一の男子である次男の真田守信は、後に伊達家へ仕えて360石を与えられて存続し、今でも宮城県蔵王町に仙台真田家と
    して末裔が暮らしています。
    更に、仙台市青葉町に在る青葉神社は祭神として伊達政宗を祀っており、宮司は片倉家第十七代当主の
    片倉重信さんであり、訪れる歴女の人気者になっています。

    • 仙台四郎 さん

      コメント&ご指摘、ありがとうございます。
      私の早とちりで片倉小十郎重長の父親が贈った灯篭だと思い込んでました。

      再確認してみたら、やはり息子の片倉小十郎重長が設置した灯篭だったので、訂正いたしました。
      仙台にまつわる詳しい情報をお寄せいただき、誠に感謝いたします。

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