坂越浦会所で感じる、赤穂藩の港町だった坂越の歴史とレトロな風情【赤穂旅3】

兵庫県赤穂市:訪問 2022年7月下旬-3:完結

旅行期間:2022年7月下旬(当日)

北前船の経済力!

兵庫県内でも瀬戸内海に面している事もあって、のんびりとした雰囲気が漂う赤穂市の坂越(さこし)

江戸時代の雰囲気を残す町並みがあるとの事で向かってみたけど、その入口部分は近代社会の看板などが見られた為に、そこまで江戸時代の雰囲気は感じられなかったが。。

 

 

「旧坂越浦会所」を見学!

そんな街道入口の脇に、こちらの古そうな家屋があった。

この建物は「旧坂越浦会所」という、江戸時代後期に造られた会所で、坂越に来た赤穂藩の要人が休憩した建物でもあったという。

 

【旧坂越浦会所】

住所:赤穂市坂越1334
営業時間:10時~16時頃(※定休日:火曜日)
電話番号:0791-48-7755
入館料:無料

 

 

この「旧坂越浦会所」という建物は”入場無料”で、この坂越の歴史を簡単に説明する史料館的な存在になっていた。

 

江戸時代の「船賃銀定法」!

 

 

そんな「旧坂越浦会所」内でまず目についたのが、壁に飾られていた「船賃銀定法」という、北前船の料金表だった。

現代では電車に乗る際に駅でこのような運賃表を普通に見る事が出来るけど、江戸時代からこのように運賃を明確にして、利用者の促進に繋げていたのかもしれない。

 

この北前船運賃一覧では北は青森(津軽)まで、南は鹿児島(薩摩)までの料金が記されていた。

ただ下の方には後年に運賃値上がりとなった際に、運賃を書き直すのではなく、”5割増し””8割増し”と付け加えて修正していた跡もあった。

 

こちらはその板に書かれていた北前船の運賃を、まとめた一覧である。

江戸時代中期以降はこの北前船での交易を利用して、船商人などが財を成していった。

 

この「旧坂越浦会所」が建てられたのは江戸時代の1830年頃だが、今から30年程前に解体復元工事が行われているので、現役で使える建物となっている。

 

訪問したのは15時30分過ぎ頃だったので、他に見学客の姿は見られず。

そろそろ閉めようかという時間帯の訪問であったが、管理人のような奥様は「じっくり見て行ってください!」と温かく迎え入れてくれた。

 

 

この「坂越」という町は今日初めて知った町なのであるが、やっぱり現地を訪れると共に、その地域の歴史を勉強できる施設にも立ち寄って勉強する事が大事に思う。

 

この坂越は『日本遺産』にも登録されているが、100箇所以上が既に登録されている為にそこまでの稀少価値を感じないが。。

 

 

その日本遺産に坂越が入っているのは、『 荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間〜北前船寄港地・船主集落〜』という、北前船ルートの1つとしてだった。

赤穂内蔵助
赤穂内蔵助

坂越が単体で選ばれとる訳じゃないんだよ・・・

 

そして2階にあがる階段が待ち受けていたので、上にも登ってみます。

江戸時代に造られた建物だけあって、2階に登る階段も木造になっていて、木のキシむ音などが情緒を感じさせてくれます。

 

旧坂越浦会所の2階にて

そして2階に登ると、昔懐かしの襖と障子と、簾が下がった窓の景色が待ち受けている。

 

江戸時代には殆ど窓ガラスが窓に嵌め込まれた日本家屋が無かっただけに、このような風情が古風な雰囲気を醸し出してくれる。

 

そして掛け軸が飾られていたりと、現代21世紀の家ではなかなかお目に掛かれない、懐かしさを感じる一面でもある。

 

 

そして2階の瀬戸内海側の部屋は「観海楼」という名前が付けられており、こちらの達筆の書も飾られていた。

赤穂内蔵助
赤穂内蔵助

偉い人が滞在した際に、海を眺めれる一等席だったな!

 

こちらの建物ではしっかりとした見学施設として管理されている事もあって、さすがに破れた障子部分は見られなかった。

小さい頃についウッカリ破ってしまって、オカンに怒られた記憶などが甦ってくる光景である。。

赤穂内蔵助
赤穂内蔵助

今の子供は「障子」という言葉すら知らないのか・・・

 

昔はこの部屋から目前に広がる瀬戸内海を一望できる一等地だったのだろうが、今ではこのように目の前が大きな駐車場となっていて、車の行き交う音などが聞こえて、昔ほどの優雅さは漂っていなかった。。

 

そして更に奥には「落之間」という小部屋もあった。

ただこの部屋の入口はちょっと低くなっていて頭をブツける可能性があるので、長身の人はちょっと注意が必要な場所となっていた。

 

江戸時代から明治時代を迎えた頃には、それまで長く続いた日本伝統も、新しく西洋から流入してきた文化に押されて軽視されてしまう。

そして戦争を挟んで大きく経済成長した日本では、古来の日本家屋よりも、鉄筋コンクリート造りの西洋的な建物が増えてしまった。

 

それから平成、そして令和へと年号も移り変わって、江戸時代から約150年が経過した。

さすがに江戸時代が遠い過去になる程に、その時代の建造物などの有難さや貴重さが原点回帰的に価値が上がってきている雰囲気を感じる。

赤穂内蔵助
赤穂内蔵助

失ったものは、元には戻らないからね!

 

 

なので近年では古い長屋などを改装して、そこで商売を始める商店なども増えてきている。

税金対策として古い長屋の改装が好まれている社会的背景もあるけど、昔の建物の良さが現代人に好まれつつあるのは、いい傾向だと感じる。

 

そして色んな町に必ずあるのが「酒蔵」である。

こちらの酒蔵は「奥藤酒造」という、この地で約400年も酒を作り続けてきた老舗酒蔵だ。

 

【奥藤酒造/奥藤酒造郷土館】

住所:兵庫県赤穂市坂越1419-1
営業時間:9時~17時頃(※定休日:水曜日)
電話番号:0791-48-8005

 

 

この「奥藤酒造」の創業は、なんと慶長6年(1601年)だそうだ。

そして赤穂藩の御用酒屋なども務めていたらしく、大きな顧客を安定的に持っていた為に、これだけの長期間に渡って営業を続けてこれたのだろう。

 

この酒蔵では「郷土館」なる、無料で見学できる部屋があったりして、ここでもまた勉強する事が出来る。

そしてこの坂越の沿岸部分の模型が展示されており、一般人が訪れる事が出来ない”神様の島”である「生島」が、この町の象徴である事が俯瞰的に感じられる造りとなっていた。

 

思わず日本酒を買いたくなってしまった気持ちをなんとか鎮めて、酒蔵に来た記念として代わりに樽の写真だけを撮影して、それで心を満足させる。

 

なお、赤穂市では昔から塩の生産で栄えた場所でもあったので、今でもその”赤穂の塩”を使った「塩見饅頭」が名産品となっているという。

 

帰り道に同行していたシンちゃんより、こちらの塩見饅頭の老舗である「元祖播磨屋」で塩見饅頭のお土産を買ってもらったのである。

赤穂内蔵助
赤穂内蔵助

赤穂に来たなら、塩見饅頭をよろしく!

 

という事で滞在時間は短かったけど、「赤穂市」「坂越」という場所を体感出来た1日だった。

今日の朝までは赤穂市に行くなんて露にも考えすらしなかった事だが、ちょっとしたノリで便乗してやって来たけど、そんな小旅行が色んな事を勉強できる時間に変わるのであった。

赤穂内蔵助
赤穂内蔵助

是非、赤穂市に来てな!

 

<終>

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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