かつて瀬戸内海で北前船貿易によって栄えていた、港町:坂越を訪れる【赤穂旅2】

兵庫県赤穂市:訪問 2022年7月下旬-2

旅行期間:2022年7月下旬(当日)

北前船貿易で栄えた港町!

それにしても最近の真夏は、一段と暑く感じてしまう時勢ともなっている。

赤穂内蔵助
赤穂内蔵助

最近の夏は「アツイ・・アツイ・・」が合言葉と化しているな・・

 

あまり休める影の無い赤穂城跡などを見学して、シンちゃんの先祖の墓がある「坂越(さこし)へと向かう事にする。

 

こちらは坂越に向かう途中に見かけた、今ではすっかりお馴染みの乱雑に設置されているようにも見える「太陽光ソーラーパネル」である。

資源が少ない日本国内では徐々に増えてきていた太陽光ソーラーパネルだけど、2022年に勃発したロシアとウクライナの戦争の影響により、一気に世界的にソーラーパネルの設置台数が増えていった。

この太陽光は石油や石炭や天然ガスと違って、自然に優しいと謳われている。

しかし、実際には林などを切り開いて、石油などを原料にして造られたソーラーパネルは、使用期限が終わった後の廃棄問題などもあって、別の面で地球環境に負担をかける存在としても問題視されている。

赤穂内蔵助
赤穂内蔵助

現代人が生きる程に、地球環境が破壊されるように感じておるが。。

 

 

赤穂市の坂越湾に到着!

そして赤穂城跡から車で約30分ほど移動してきて、到着したのが赤穂市南部の瀬戸内海に面する「坂越(さこし)という町であった。

 

 

 

同行しているシンちゃんが「さこし、さこし」と言っていたのだが、個人的にはこの場所の名前を知らなかった事もあって、当初はシンちゃんが何を言っているのか理解できなかった。

 

しばらくして、この場所が「坂越(さこし)という名前であり、また古くは瀬戸内海を通過する北前船が寄る町として栄えた場所だった事を教えてくれた。

赤穂内蔵助
赤穂内蔵助

「さかごし」ではなく「さこし」だね!

 

江戸時代の赤穂藩は当時貴重品だった「塩」を専売する事で、大きな利益を出していたという。

そして江戸時代には全国的な藩が財政難で苦しむ中、そのような利益のある柱を持っている赤穂藩は、吉良上野介などの旗本などから日常的に嫌がらせを受けており、その鬱憤が爆発して斬り掛かったのだと、シンちゃんは持論を展開していた。

赤穂内蔵助
赤穂内蔵助

外様大名は旗本からの嫌がらせが多かったからね・・・

 

そんな坂越のとある坂を登っていくと、こちらのシンちゃん家先祖のお墓が並んでいる一画に到着する。

 

そしてこのお墓が設置されている所が、このように目の前に瀬戸内海が広がっている景色が一望できる素晴らしい場所だった。

 

なお、左側に見えている「生島(いきしま)は古来より神域とされており、一般人の立ち入りが禁止されている島でもある。

 

【坂越の船祭り】

そしてこの生島は10月第2日曜日に開催される『坂越の船祭り(重要無形民俗文化財)』の際に、10隻以上の舟で巡礼する島ともなっている。

赤穂内蔵助
赤穂内蔵助

『瀬戸内海三大船祭り』の1つとも称される、坂越自慢の祭だよ!

 

 

大避神社を訪問!

そしてこの坂越にある親戚の家にシンちゃんが寄るとの事で、ここから別行動し、坂越を代表する「大避神社(おおさけじんじゃ)を訪れるよう勧められた。

 

 

この大避神社は坂越の町を代表する場所で、昔から多くの人々が信仰の拠り所として崇めていた場所でもある。

ただ、コロナ禍でもあったので、このように大事な狛犬に大きなマスクを付けている姿も見られたが。。

赤穂内蔵助
赤穂内蔵助

狛犬にマスクは不要だと思うが・・・

 

この大避神社では、聖徳太子の同志として活躍した「秦 河勝(はた の かわかつ)が、聖徳太子の死後にこの地に移り住んだ後に亡くなった場所にこの神社を建立した物が今に至っているという。

 

大避神社内には港町だった坂越だけに、”海上安全”などの祈願をした「船絵馬」と呼ばれる物が多く見られた。

 

昔から漁師などは荒れ狂う海に命懸けで出掛けていったが、それを見守る身内からすれば、この神社などで祈願して安全を祈っていたのだろう。

 

個人的には神社は「○○に御利益がある」というよりも、自分の欲する「○○に御利益があって欲しい!」という気持ちを発散する場所のように捉えている。

なので個人的にあまり欲望が無いボクは、そのような神社で祈願する必要もないので、神社はただ単に見学するだけの場所となっているのだが。。

 

そして大避神社では、船の絵が描かれた物だけではなく、このような等身大の船まで収められていた。

赤穂内蔵助
赤穂内蔵助

信じる者は救われるらしいぞ!

 

こちらは「神門」で、本殿などと共に江戸時代中期に再建された建造物が残されている。

こちらは本殿側から神門を見た景色であるが、山門のような神門の裏側に阿吽像が設置されているのも、珍しいように思った。

 

そしてその神門からは、正面に”神様の島”である「生島」が綺麗に見える。

”神様の島”と称される島は島国列島の日本国内でも多々見受けられるけど、一般人が立ち入り禁止となっている島も珍しいように感じた。

 

このように奈良時代頃からの歴史が残る「坂越」は、現代になっても昔と大きく変わらない町並みとなっている。

ただ逆に言えば現代的な社会発展についていけなかった町なのかもしれないが、無理に開発して町の良さを破壊してしまっては元も子もないのであるが。

赤穂内蔵助
赤穂内蔵助

ただ近くに発電所や化学製品の工場とかも出来てるけども。。

 

それから大避神社周辺の高台を登っていくと、公園のような広場の脇にこちらの「山崎 善吾君」の像なる物が見えてきた。

この山崎 善吾なる人物は坂越村の村長だった人物で、この村の発展に寄与した為にその功績が称えられて銅像が設置されていたようだ。

 

坂越の「展望広場」からの眺め!

 

この坂越は瀬戸内海という内海に面している事もあって、外洋からの影響をあまり受けない良港として、昔から多くの舟が行き交っていた場所。

そして江戸時代を思わせるレトロな町並みが残っている場所ともなっているが、一部には大きなホテルがあったり、山の裏に大きな発電所があったりと、その景観が徐々に破壊されつつあるようにも感じた景観である。

 

江戸時代の漁師町や港町では、このような坂がある場所に密集するように家屋が造られている所が多い。

その為に通行する道がこのように狭くなっているが、これはこれでその雰囲気が出ていて、味わい深く思える小道ともなっている。

 

江戸時代には基本的に外国との通商を禁じられていた為に、日本国内では北前船の周遊するルートが主な貿易相手だった。

江戸時代の途中までは北前船も日本海側を行き来するだけだったが、江戸時代中頃より瀬戸内海を通過して大坂まで行くルートとなった為に、その寄港地に大きな経済発展をもたらす事に繋がるのである。

 

そして北前船の中継地点では、多くの物資と人が動くようになった為に、特に名産品の無かった港町も「港」として発展していった。

このように人類の歴史を紐解くと、船が行き来する事によって港町が大きく発展していった事例が世界中で見られるのである。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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