毛馬閘門&水道記念館:訪問 2022年7月上旬
旅行期間:2022年7月上旬(当日)
淀川沿いの赤レンガ!
2022年7月上旬にやって来た、大阪市内を縦断する一級河川「淀川」に造られていた『毛馬閘門』という水門。
普段はあまり来ない淀川周辺まで来た事もあって、毛馬閘門の見学を終えてから、徒歩で行ける近くにある「水道博物館」に向かう事にした。
淀川周辺にて
この辺りにはこのような橋が何本も架っていたが、電車専用の橋もあって、簡単に淀川を渡らしてはくれない。
淀川にはこちらの「阪急千里線」の橋以外にも、
・「JR京都線」
・「JRおおさか東線」(※2023年3月18日に大阪駅まで延伸)
・「JR東海道本線」
・「阪急神戸線」
・「阪急京都線」
・「阪神本線」
・「阪神なんば線」
・「大阪メトロ御堂筋線」
などの橋が架けられている人気地帯でもある。
関西は鉄道の激戦地やぞ!
「阪急千里線」の橋の袂には、このようなお地蔵様が置かれているのが見えた。
この辺りは第二次世界大戦で大阪が攻撃された際に、近くにあった長柄橋を連合軍の飛行機が機銃掃射をして、近くに居た人達が殺された場所でもあったようだ。
その犠牲者の魂を鎮魂する為に、このようなお地蔵様が置かれていたという。
橋の麓に立つ地蔵脇を通過する阪急電車! 動画
そして明治時代の終わりに開削されて広くなった「シン淀川」に、1909年に最初に架けられたという「長柄橋(ながらばし)」を渡っていく。
この橋が先述の戦争中に狙われた橋で、この周辺に居た女子供の約400人がその犠牲になったという。
戦争が終わった後に補修され、今見られる橋は昭和58年(1983年)に架け替えられた橋となっている。
また、この長柄橋の北側は交差点となって信号が設置されているが、戦後の高度経済成長に伴う人口増で交通量も増えてしまった為に、わざわざその交差点を迂回するバイパス道が付け足された珍しい橋ともなっている。
「水道記念館」の見学!
そして毛馬閘門から、長柄橋で淀川を渡って対岸側にある「水道記念館」に到着する。
この赤レンガの建物は「旧柴島浄水場 送水ポンプ」として、大正4年(1914年)に建てられ、昭和61年(1986年)まで使われた後に記念館として改修されてオープンした建物となっている。
”登録有形文化財”にもなっている建物だが、水道記念館は土曜/日曜/祝日しか開館していない(※12月~2月を除く)。
どうやら事前に調べてみると、この水道記念館は子供向きの見学施設となっているので、子供が来れる土曜/日曜に開館しているようだ。
なお、入口は建物の立派なファザード(正面)ではなく、その脇にあったこちらの入口から入るようになっていた。
せっかく立派な赤レンガの建物なのに、正面からではなく、わざわざ横から回って入らないといけないのが少々残念ではあったが。。
そして15時40分頃と閉館直前に館内に滑り込む。
するとスタッフのお姉さんは、もう誰も来ないと思っていたのか、ボクたちの姿を確認してちょっと慌てている感じにも見受けられたが。。
そして近年は年を重ねる毎に夏場の気温が上がってきているような感覚を受けるので、まずはこちらの「水色スイッチ」という、大阪の”美味しい水道水”を注いでくれる給水器で、水分を補給する事にする。
こちらはこの「水色スイッチ」という給水器のサービスの良し悪しについてのアンケートとなっていて、このアンケートに答えたら、水道記念館オリジナルのバッジを貰える事もあって、「評価できる」の欄にシールを貼っていたオカン。
ただ、このようにシールが全て「評価できる」の欄に貼られていた事もあって、少々天邪鬼な性格のボクは”出来レース”にも思えたアンケートであった。。
美味しい水がタダで好きなだけ飲めるんやで!
そら、「評価できる」でエエやろ!
この赤レンガの建物は明治~大正時代に活躍した名建築家としても知られる、「宗 兵蔵(そう ひょうぞう)」が設計した建物である。宗 兵蔵は福島藩士の長男として江戸で生まれ、東京帝国大学を卒業し、後には単独で欧米に視察もした人物。
宗 兵蔵は海外から帰国後に海軍で一時働くも、退職して藤田組で藤田組:本店などを手掛けた後に、独立して建築事務所を開く。
なお、宗 兵蔵の手掛けた建物では、この「柴島浄水場第一排水ポンプ場」や「奈良国立博物館」、大川に架る堺筋の「難波橋」などが現存している。
そして館内の資料などは、閉館まで僅かな時間しかなかった事もあって、足早に見学していく事にした。
こちらは「一日の1人当たりの水使用量」が説明されており、その量がペットボトルの本数で見て分かるように可視化されていた。
一日辺り、平均で210ℓ前後と、想像していたよりも使用量が多かった。
水道は出しっぱなしにせず、こまめに締めて節水するんやで!
そして明治時代に水道の近代化が図られた立役者は、お雇い外国人だったイギリス人「ヘンリー・スペンサー・パーマー(Henry Spencer Palmer)」だった。
パーマーはイギリスの植民地であった香港などで近代水道を整備し、1883年に来日して、横浜水道/大阪水道/神戸水道/東京水道/函館水道などを手掛けた。
現代人は水道の蛇口を捻れば簡単に水が飲めたり使えたりする生活に慣れ切っているが、140年頃前までは簡単に水が飲めない時代だったのである。
もう現代に慣れたら、過去の時代には戻りたくないで!
記念館内には、このような江戸時代風のセットも造られていた。
こちらは『江戸時代のくらしと水』を再現した物で、昔は水道がなく、その代わりに汲んできた水を売る商人が町中を回って販売していたという。
そんな江戸時代風のブースの屋根には、最近人気絶頂の猫ちゃんの模型をちゃっかり置かれていた。
今は猫関係のグッズが飛ぶように売れたり、また猫ちゃんの写真/動画などで簡単にバズったりと、日本国内では『侵略的外来種』に指定されているとは思えない位に猫好きが増えてしまっているが。。
江戸時代まではこのように限られたお水の量しか手に入れる事が出来なかったので、庶民達は大事に水を使っていた事だろう。
しかし、現代人は苦労もなく、蛇口を捻ればいくらでも水を簡単に使う事が出来るので、水を無駄遣いしてしまい易い時代となってしまっている。
水はとても貴重な物やから、大事に使おうぜ!
『江戸時代のくらしと水』ブース内の様子! 動画
このように海外から来た技師などのおかげで、日本国内では水道技術が各段に進歩していき、世界的にも有数の”水道水が飲める”国となっている。
世界的にそのまま水道水を飲める国は日本を含めて12ヶ国、それと”水道水は飲めるけど注意が必要”という国が32ヶ国とされている。特にアジアでは歯磨きの際に口に水道水を入れてブクブクするだけでも、後でお腹を壊してしまう日本人が続出している。
海外では、ペットボトルの水しか口に入れたらアカンで!
こちらは「びわこ姉さん」というキャラクターのパネルがあって、その口部分に穴が空いていて、そこが『真実の湖』になっているという。
映画『ローマの休日』の、アレやな!
そして勇敢にもオカンが、このびわこ姉さんの『真実の湖』に手を突っ込んだ。
すると、水道に関する説明が始まって、映画『ローマの休日』でのグレゴリー・ペックのようなリアクションも無しだったのであるが。。
この水道記念館となっている建物は、1914年に完成したので、もう約100年が経過している建物である。
しかし、内観は綺麗に改装されている事もあって、そんな大正時代に建てられた雰囲気は全然感じなかったが。。
なお、この水道記念館にはかつて淡水魚などが飼育されている時代があって、「水族館」でもあった施設だという。
しかし、大阪府知事になった橋下徹氏が「水道局が血税を使って魚を飼育するのは相応しくない!」として、飼育/研究されていた魚達は姿を消してしまったという。
橋下クンは、大阪では人気あるからな!
そして閉館間近になった所で、窓際に置かれていた、大阪市水道局のイメージキャラクター「じゃぐ爺」という大きな人形を見つけた。
ただ、残念ながら殆ど知名度がないキャラクターとなっているようだが。。
こちらも同じく大阪市水道局のイメージキャラクターになっている「ぴゅあら」。
この「ぴゅあら」も、見た目から『ドラゴンクエスト』に出てくる最初に戦う雑魚敵「スライム」か、大阪ガスのイメージキャラクター「ぴちょんくん」にしか見えないのだが。。
そして水道記念館の閉館時間が来たので退散し、とりあえず西中島南方駅付近まで歩いて行く。
ただ暑い7月で、オカンが休憩したがっていたので、近くのカフェに寄り道する。
すると、このようにコーヒーフロートを嬉しそうにパクリと口にする、オカンの姿が見られた。。
暑い時に食べるアイスは、格別に旨い!
そして西中島南方駅から電車に乗らず、再び淀川を徒歩で越えようと橋を目指して歩いていると、このようにボクが大好きな「岡本 太郎」の顔などが描かれている建物が見えてきた。
どうやらこの建物は、建物を所有する工務店がイメージアップと広告を兼ねて、このような目立つデザインの壁にと塗装していたようだ。
という事で、梅田までは北大阪を南北に縦断する大動脈である新御堂筋の「新淀川大橋」を、再び徒歩で渡って淀川を越えていく。
普段住んでいる都道府県で、そこにある歴史的な施設などを軽視してしまいガチだけど、このようにじっくり見学すると、他に負けない素晴らしい施設が沢山ある事に気付けるのであった。。
大阪ほど、エエ場所はないデ!
こんな旅はまた次回に続きます!
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