大阪城の櫓見学(2022年11月)-5:完結編
訪問:2022年11月
江戸時代には考えられない!
大阪人が大阪に住んでから数十年経って初めて見学した、大阪城内に江戸時代から現存する櫓内部。
そんな歴史的な「千貫櫓」と「大手門多門櫓」の見学を終えて、恐らく初めて入ったと思う西の丸庭園内をもう少し散策してみる。
「西の丸庭園」を散策!
こちらは2022年の冬場に実施されていた『大阪城イルミナージュ2022』というイベント用のイルミネーションで、ウルトラマンの隊員をモチーフにしたデザインとなっていた。
”2022年のウルトラマン”というと、企画&脚本に『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズの総監督として有名な「庵野秀明」が加わった『シン・ウルトラマン』が、2022年5月に劇場公開となった。
映画『シン・ウルトラマン』予告
それに合わせて、このウルトラマンの隊員デザインとなっていたのかもしれない。
庵野秀明もすっかり大監督になったな!
「焔硝蔵」にて
西の丸庭園内には江戸時代から現存する櫓などが未だに存在している場所だが、その北側にはこちらの「焔硝(えんしょう)蔵」という石造りの建造物も見られた。
この焔硝蔵も江戸時代の1685年頃に建造された建物で、それから約350年が経過しており、今では”国の重要文化財”にも指定されている。
「焔硝」とは鉄砲に使われる火薬の原料となった物で、戦国時代末期から鉄砲が徐々に戦のメイン武器になっていった為に、その鉄砲に必ず必要な”火薬の原料”を保管する建物も必要だったのである。
ただ”火薬の原料”の保管に関しては「火気厳禁」であったが、江戸時代には城内に落雷が落ちて火が燃え広がった事も多く、焔硝蔵は特に火に強い建物にしなければいけなかった。
その為に江戸時代の建物としては珍しく、壁は全てこのように石造りとなっている。
またこの石の壁は2~3mの厚みとなっていて、周囲で火事が起きても倉庫内の焔硝に火が飛び移らない事と、万が一焔硝に火が移って爆発しても大きな被害が出ないような工夫になっていたと考えられる。
焔硝蔵に火が点いたら、時期外れの花火みたいやったぞ!
このように普段は有料ゾーンとなっている為に入る事が無かった西の丸庭園だけど、江戸時代から現存する建物がこれほど残っているという事実を今日初めて知ったのである。
ただ大阪城を訪れる人の殆どが”天守閣”メインなので、どうしてもこのような歴史的建造物も脇役になってしまうのだろう。。
こちらは京橋口側にあった西の丸庭園に出入りする為の門。
当然の如く固く閉ざされていたが、「大阪迎賓館」の職員らしき人が脇の小さな扉から出入りしている姿が見られた。
今までは入ろうと思わなかった西の丸庭園で、入場料金をしっかり支払った事もあって、隅々までしっかり見学をしておく。
今回の限定公開は千貫櫓と大手門多門櫓のみだったが、時によってはさっき外観を確認した乾櫓や焔硝蔵も一般公開した事があるそうだ。
そして京橋口側の石垣を登っていくと、手前には狛犬のような置物が一対置かれているのが見える。
実はこの狛犬は日本の物ではなく、日本が戦争中に侵略した中国から戦利品として持ち帰った物だという。
その後、中国から強奪した文化財を返却する運びとなり、中国に返還する意思を伝えた所、”日中友好の証”として引き続きそのまま大阪で保存する運びになったという。
ここから京橋駅方面には、このように都市育成シュミレーション『シムシティ』の大都市:メガロポリスを思わせるような高層ビルが並んでいる光景が見られる。
ここは「大阪ビジネスパーク」という高度経済成長期に再開発された土地で、戦前までは陸軍の施設がズラリと並んだ場所だったが、大阪空襲で徹底的に破壊されたようだ。
ちなみに1936~42年頃の航空写真では、このように黒く塗り潰されている箇所が見られる。
これは恐らく戦時中だったので、敵(連合国側)に陸軍の工場などを隠蔽する為に塗り潰された可能性がある。
なお、戦後はこのように再開発事業が行われて、『シムシティ』のメガロポリスを連想させるような高層ビルが立ち並ぶ、大阪を代表する商業地域となったのである。
この今見られる大阪城は、豊臣秀吉が築いた大坂城を廃城にした後の江戸時代初期に、その城跡の上に新たに築いた城である。
その為に石垣の高さは日本国内の城の中でもトップクラスであり、豊臣時代の廃城の上に造った事と、強固な防御機能とを兼ね合わせる結果となっている。
そして内堀では「大阪城御座船」という、観光遊覧船が運航している姿も見られる。
この観光遊覧船は一周約20分の運航となっており、2023年現在では”大人1500円”と、かなり強気な値段設定になっているように見受けられる。
コロナ禍の時期には外国人観光客が全く来なくなった事もあって、この観光遊覧船も中止となって、陸地に横付けされ続ける姿が長い間見られた。
しかし、コロナ禍から回復して外国人観光客が戻った今年2023年には、外国人観光客が列を成して順番待ちする程に人気の遊覧船となっている。
外国人観光客だらけだぞ!
そして西の丸庭園内の散策を充分に行ってから、何度も見慣れた大阪城天守閣周辺を見に行くとする。
大阪城天守閣は江戸時代の半ば以降から大正時代まで存在していなかった建物なので、今見られる天守閣はあくまでも”復興模擬天守”となっていて、かつてこの場所に存在した天守閣を忠実に再現した建物ではない。
個人的には中に入ると鉄筋コンクリート造りらしく無機質な内観にゲンナリするけど、天守台のままになっている江戸城跡と比べても、大阪城が大阪を代表する観光地になっているのは、やっぱりこの天守閣がここにそびえているからだろう。
大阪人は商売上手やぞ!
石垣を見ながら、オ○ッコを!
そして何度も大阪城を訪れた事のある大阪人を代表して、これから大阪城を観光しに行く人に”ゲキ推しポイント”がこちらの公衆トイレである。
私もヒロに、ここに連れて行かれたな~!
この公衆トイレは、なんとこのように大阪城本丸の桜門をくぐって正面にある、大きな鏡石の「蛸石」のすぐ裏に造られているトイレなのである。
住所:大阪府大阪市中央区大阪城1
そして男性用トイレは、このように”まるで江戸時代の巨大な石垣に向って、オ○ッコを掛けている”かのような錯覚を受けてしまう、豪勢なトイレになっているのだ。
こんなトイレが無料で使えるとは、何とも日本らしいぞよ!
石垣前で立ちションしている気分を味わえるけ!(笑)
そして個人的に大阪城天守閣を眺めるのに好きなポイントが、こちらの蘇鉄と共に天守閣が見えるポイントである。
このポイントは天守閣の南東側に、「旧:陸軍第四師団司令部庁舎」から戦後に「大阪市立博物館」として使われ、今では「ミライザ大阪城」という商業施設に変わっている、今から約90年前に建てられたモダンなロマネスク様式建築物前である。
蘇鉄って、映えるよね!
2022年10月に新型コロナウイルス感染症に関する、海外から来る人への水際対策が緩和された事もあって、この2022年11月時点では多くの外国人観光客が大坂城内で見る事が出来た。
この時はアジア系観光客が多かったぜ!
手前の大きな石垣の手前では、結婚式用の写真撮影をしている和服に身を包んだカップルも見られる。
ここには大阪城内でも最も大きな石で、有名な鏡石「蛸石」が置かれている場所だが、さっきトイレがあって石垣に向ってオ○ッコをした場所はこの真裏なのであるが。。
オ○ッコが飛んでこなければイイのよ!
しかし『灯台下暗し』とは素晴らしい諺で、煌々と遠くまで光を照らす建物も、その足元は実は暗いという事を衝いた内容となっている。
最近国内を旅行してそこそこの城跡を散策して勉強してきたけど、「大阪城天守閣は何度も見たし、鉄筋コンクリート造りだから面白みが無いよ・・・」と思って、それ以上調べようという気持ちが無かったのである。。
しかし今回の『大阪城の櫓:特別公開2022』で、初めて江戸時代の櫓が城内に残されている事を知った。
旅行というと住んでいる場所から遠くに行きたがるものだけど、歴史を勉強するには遠くもいいけど、『灯台下暗し』にもあるように、まさに地元で自分の知らなかった場所を勉強するのが大事だと思った、今回の「大阪城の櫓」散策旅であった。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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