神奈川県&東京旅(2022年12月中旬)-44
訪問:2022年12月中旬(2泊3日)
使わなくなった物!
日本国内の歴史をたっぷり味わえる、東京都台東区上野にある「東京国立博物館」。
歴史は文字を読んで学ぶ事が多いが、目の前で昔の時代に作られた文化財を眺めると、視覚的に具現化してその時代の様子を想像する参考になる。
住所:東京都台東区上野公園13番9号
営業時間:9時30分~17時頃(※定休日:月曜日他)
電話番号:050-5541-8600
総合文化展観覧料:大人1000円/大学生500円/満18歳未満&満70歳以上は無料
館内の見学!
こちらは1224年頃の鎌倉時代に天台宗の僧だった「慈円(じえん)」によって書かれた、『願文』という自身の人生で得た教訓などを書き記して春日大明神に奉納した書状となっている。
※国の重要文化財
こちらは室町時代の1539年頃に、厳島にある高野山真言宗の大願寺で住職だった「尊海(そんかい)」が、約2年前に朝鮮半島に渡った際に持ち帰った屏風で『尊海渡海日記屏風』という物。
こちらに展示されている屏風は表面ではなく、尊海が約2年に渡る朝鮮半島への渡海を記録した”紀行文”が書かれている裏面となっている。
※国の重要文化財
大昔の旅行記やけ!
王子の旅行記も、1000年経ったら文化財になるのかな?!
この東京国立博物館には数多くの文化財が保存されているが、それらの多くは個人の収集家から寄贈された物が多い。
茶器では江戸時代の有名な茶人でもあった出雲松江藩10代藩主:松平不昧の子孫である「松平 直亮(まつだいら なおあき)」や、大正~昭和前半時代にかけて日本の古美術商であった「廣田 不孤斎(ひろた ふっこさい)」は合計496点を寄贈し、明治末から昭和初期にかけて電力業界の発展に貢献した「松永 耳庵(まつなが じあん)」は茶器のコレクションと共に「柳瀬荘」という別邸も寄贈している。
稀代のコレクターも死ぬ前に自分のコレクションを、確実に保管し続けてくれる所に預けたくなるのかもしれない。。
茶器なんて、価値を知らない身内に売り捌かれるのがオチよね!
こちらは松永 耳庵が寄贈した、室町時代の15世紀に作られた鉄で鋳造された『松図真形釜』という茶釜。
この茶釜は戦国時代に織田信長から松永久秀に贈られた物とされており、『松永釜』とも称された松永 耳庵が特に気に入っていた一品だという。
こちらは安土桃山時代の16世紀に、織田信長の義理の息子となり、後には豊臣秀吉に気に入られた92万石の大名にまで出世した「蒲生 氏郷(がもう うじさと)」が作ったとされている『竹茶杓』。
蒲生 氏郷は”利休七哲”にも数えられる程に戦国時代に茶人として有名だった人物で、”茶杓”削りに秀でていたという。
こちらは安土桃山時代に作られたとされる『黒楽茶碗』で、千利休が自分の理想とする茶碗を京都の陶工:長次郎に焼かせて作らせた物。
こちらは室町時代に作られた『古銅象耳花入』という、中国の古代青銅器を模倣して作られた「倣古銅器」が国内にもたらされ、それを国内で模倣して花入れとして作った壺である。
またこの壺に入れられた銘”秋月”は、江戸時代初期に茶人としても高名だった「小堀 遠州(こぼり えんしゅう)」によるものだという。
小堀 遠州も千利休から、茶を学んだ人物だぜい!
こちらは安土桃山時代から江戸時代初期にかけて作られたとされる『志野草花文向付』で、”美濃焼き”らしい特徴が出ている作品。
これを寄贈した松永耳庵は、茶にハマった当初頃から”美濃焼き”を気に入っており、多くの”美濃焼き”のコレクションを所蔵していたという。
こちらは江戸時代に作られた『炉縁』で、茶室に設置されていた炉と畳の間にこのような『炉縁』が取り付けられていたという。
「武士の装いー平安〜江戸」コーナーにて
こちらからは「武士の装い」というコーナーになっており、戦乱に沸いた平安時代から江戸時代までの武士達が着ていたとされる鎧兜や調度品などが飾られていた。
平安時代から江戸時代の間までは約600年前後の隔たりがあり、その期間でどれだけ武士の武具や衣服などが移り変わっていったかを勉強できるコーナーでもある。
こちらは安土桃山時代の16世紀に作られた『紺糸縅南蛮胴具足』で、徳川家康から家臣の”四天王の1人”とも称された「榊原 康政(さかきばら やすまさ)」に贈られたとされる品。
※国の重要文化財
この具足は欧米スタイルを取り入れた物となっており、兜は欧米製で後ろに見える白い毛はチベット高原に生息する「ヤク」の毛が使われているという。
こちらは秀吉の小姓から、最終的には52万石の大名にまで出世した「加藤 清正(かとう きよまさ)」の肖像画(※摸本)。
この肖像画の原本は1603年頃に制作された物で、今見られる摸本はその原本を基に1860年頃に描かれた物だという。
摸本も時代が経てば、価値が出てくるぜい!
こちらは安土桃山時代の1578年頃に書かれた『明智光秀の書状』である。
明智光秀というと『本能寺の変』を引き起こした張本人として有名だが、この書状はその約4年前に書かれた物だという。
こちらは室町時代の15世紀に作られた『黒韋包金桐文糸巻太刀』で、鍔などの金具が金製となっており、上杉家に伝来した豪華な太刀となっている。
※国の重要文化財
上杉家は上杉謙信がとても有名だけど、鎌倉時代までは全く有名ではなかった家柄である。
それが変わったのが室町時代で、室町幕府:初代将軍となった足利尊氏の生母が上杉家の人物だった為に、それ以降は重宝されて関東地方を治める守護大名として勢力を拡げた。
しかし、上杉家内でも山内上杉家と扇谷上杉家が覇権を争って内紛を起こして衰退し、戦国時代には北条氏(後北条氏)が台頭して上杉家の力は地に落ち、山内上杉家は仕方なく越後:守護代であった「三条長尾家」に家督を譲ったのである。
その家督譲られだのが、のちの上杉謙信公だよ
こちらは鎌倉時代の13世紀に作られた『三鱗紋兵庫鎖太刀』で、兵庫(ひょうぐ)用の鎖(銀の鎖)が用いられた平安時代から鎌倉時代の武家に人気があった様式となっている。
※国の重要文化財
また鞘には北条氏の家紋である『三鱗紋』が入れられており、北条氏が静岡県の三嶋大社に奉納した物だと考えられている。
こちらは江戸時代の19世紀に作られた『沃懸地葵紋蒔絵螺鈿打刀』で、鞘は金粉などが使われ、蒔絵や螺鈿での豪華な装飾が施されている一品である。
この太刀は徳川家の伝来品で、柄には徳川家の『葵の御紋』も入れられているのが見える。
約270年間も続いた江戸時代に、徳川家の権力が大きくなって時代を支配していた事が垣間見える、豪華な装飾の太刀である。
『葵の御紋』の前では、頭を下げるんだぜい!
こちらは鎌倉時代の13世紀に作られた『薙刀 長船長光』で、鎌倉時代の物は刀身の反りが強くなく、真っ直ぐに近い形状が特徴的だという。
※国の重要文化財
備前国で最も栄えた刀工:長船派を確立した「長光(ながみつ)」は多くの作品を残しており、現代では国宝が6点、重要文化財が28点と文化財指定を受けた逸品が存在している。
江戸時代に武家の子女に護身術として教えた為に、薙刀は女性が使うイメージが強くなったぜい!
こちらは室町時代の1504年頃に作られた『大身槍 長船祐定』で、備前国長船派の長船祐定が制作した70cmを超える大きな刀身となっている。
また、この大身槍はかつて加藤清正が所用していた物で、加藤清正の娘が紀州徳川家初代:徳川頼宜との輿入れの際に持参した品となっている。
このように戦国時代の有名な武将達に関わる品々が飾られているコーナーに来ると、自分の知っている名前がどんどん出てくるので、俄然にテンションが上がってくる東京国立博物館見物であった。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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2022年12月中旬に『どこかでマイル』を使って訪れた、2泊3日の神奈川県&東京旅です。