神奈川県&東京旅(2022年12月中旬)-18
訪問:2022年12月中旬(2泊3日)
ゾウさんも居た!
小田原の地に1960年になって再建された、「小田原城天守閣」。
外観は高欄以外は昔の姿を復元した天守となっているが、内側は味気ない鉄筋コンクリート造りで再建された建物ともなっている。。
天守閣4階の見学!
4階部分は吹き抜けフロアとなっていて、その外周の狭い通路の壁に、小田原城を写した古写真類が展示されていた。
明治時代まで存在した天守閣も後に解体されたが、その当時の姿を知らない人からすれば「勿体ない話だ!」と思うかもしれない。
しかし、その当時の古写真を見ると、財政難になってまともに補修もされていない天守や櫓などは、外壁の漆喰がボロボロになって、更には傾きつつあった建物もあって、取り壊すしか選択肢がなかったのだろう。
こちらは明治時代に取り壊された「常盤木門」と、その手前に架っていた「常盤木橋」を写した古写真。
既に用をなさないようになってしまった城郭の補修に予算を回す余裕もなく、無残にも解体される運命を待つ建造物の哀しさが写っているようにも見える。
壊してから、また再建するのが日本人やで!
こちらも明治時代初期に写された、今ではその姿を見られない「南曲輪西隅櫓」。
下の堀は、畑に変えられたタマ!
明治時代を迎えた頃はこのようにボロボロになった櫓ばかりが全国の城で見られ、全国的に城の建物が続々と解体されていった事が納得できる1枚に思えた写真でもある。
建物は手入れしないと、傷むからな!
そして殆どの建造物が解体されていった小田原城跡の天守台には、小田原藩を治めていた大久保家の始祖を祀る「大久保神社」が新たに建立された。
明治時代には各藩の始祖が神格化され、全国的に始祖を祀る神社が建立されていった。
4階部分はこのように吹き抜けフロアとなっていて、すっきりとした空間ともなっていた。
お次は明治時代後半に小田原城の二ノ丸に造られた、皇族向けの「小田原御用邸」があった頃の写真。
明治時代には伊藤博文や山県有朋らが小田原の地を気に入って別荘を構えており、その縁もあって御用邸が造られる事になったようだ。
この小田原御用邸には、後の大正天皇や昭和天皇も滞在した事があるという。
ただ、大正時代に起きた関東大震災によって御用邸は倒壊してしまい、残念ながら破棄されてしまう事になる。
大正12年(1923年)に起きた関東大震災は、神奈川県全土で大規模な被害をもたらした。
当時はまだ多くの建物が木造だった為に、簡単に倒壊して、更には火災が燃え移っていった。
城下町だけではなく、勿論小田原城跡でも現存していた櫓や石垣などが倒壊してしまった。
しっかり積まれているように思う石垣も、大地震が来れば、ひとたまりもないようだ。
関東大震災によって御用邸は廃止となり、その跡地に学校が建設される事になる。
その際に手前の水堀を埋め立てる計画があったが、住民らが保存運動を行った為に、辛くも二ノ丸の堀はそのまま残される事になった。
日本人は埋め立てるのが好きだぜい!
こちらは先程も見た「旧:小田原町図書館」の建物で、今では”二ノ丸観光案内所”となっている。
ここだけは、あまり景色が変わらないタマ!
1950年代になって関東大震災によって崩れていた本丸の天守台積み直し作業が行われ、更には天守閣再建の機運が高まり、多くの寄付金が集まった事もあり、1958年に天守閣復興が決定した。
それまでの本丸では、単なる広い広場と化していた事もあって、動物園と遊園地が造られた。
小田原城の動物園では「ゾウのウメ子」などが人気を博し、今の小田原城跡では考えられない光景が当時は見られたようだ。
こちらは1953年頃に、天守台の石垣が積み直されている頃の古写真。
天守閣の建物は解体されても、このようにあまり転用しようの無かった石垣はそのまま放置されていた城が多かった。
そんな積み直された天守台の上では、何と天守閣跡遊園地っぽい観覧車が設置され、世にも珍しい「天守台観覧車」が乗れる場所として人気を博していたようだ。
凄い発想よね~!
現代の人がこの「天守台観覧車」の古写真を見ても驚くし、江戸時代の人々がこの写真を見ると、更に驚く事だろう。
だが江戸城のように天守台のみを残しておくよりも、何かで活用しようと考えた小田原市らしい「天守台観覧車」だった。
本丸のすぐ北側には、野球場も造られていたぜい!
しかし、小田原城天守閣の再興計画が決まり、奇想天外にも思えた「天守台観覧車」は数年で撤去され、鉄筋コンクリート造りながら、外観は昔の資料を参考に”外観復元”に近い状態で再建される事になる。
そして天守閣再建から約10年後に、本丸の砦ともなっていた「常盤木門」も、同じく”外観復元”として再建される。
このように天守閣再建からたった10年間で、それまでは単なる広場のようになっていた場所も、一気に城っぽい雰囲気の場所になったのだ。
それから時代が進む毎に史跡の発掘調査なども進んで、史跡整備計画がどんどん行われていった。
1990年には「住吉橋」が、1997年には「銅門」が、2009年には「馬出門」が昔の伝統技法を使って復元され、現在もかつて野球場となっていた御用米曲輪跡で発掘調査が進められている。
そんな古写真コーナーで小田原城跡の移り変わりの歴史を学んだ後は、残された最上階へ向かい、待ち受ける絶景と出会える瞬間がやって来ます!
こんな旅はまた次回に続きます!
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2022年12月中旬に『どこかでマイル』を使って訪れた、2泊3日の神奈川県&東京旅です。