神奈川県&東京旅(2022年12月中旬)-64
訪問:2022年12月中旬(2泊3日)
大スターのカバン!
20世紀に生み出されたカバンの中でも、スポーツバッグはそのスポーツに特化した様々な形状が生み出されていった。
カバンの見学!
こちらは全ての日本人が大好きな長嶋茂雄氏が、1975~1980年まで愛用していたスポーツバッグ。
選手を引退して、巨人軍監督となった時代のスポーツバッグやで!
「ミスタープロ野球」や「ミスタージャイアンツ」などと称される事の多い長嶋茂雄氏は、国民的な人気はダントツだけど、生涯の記録は王貞治氏に劣っている事もあってか、国民栄誉賞を受賞したのは2013年になってからであった。
こちらは19世紀初頭に収集されたという「ワニ革:ヴァイオリンケース」で、米国サムソナイト社の創業者:ジェシー・シュウェイダーから寄贈された品。
こちらはアントニオ猪木から寄贈された、牛革クラフトのボストンバッグ。
数々の名プロレスラーと対戦したアントニオ猪木だが、1974年に行われた「カール・ゴッチ戦」のポスターも飾られていた。
レフェリーが”鉄人”ルー・テーズっていう組み合わせも凄いぜい!
こちらは2022年にプロのアスリートとして”プロ・スケーター”に転向した「羽生 結弦(はにゅう ゆづる)」選手が、2011年頃に使用していたデイパックタイプのカバン。
羽生 結弦選手は”アジア男子として史上初めてフィギュア競技でオリンピック金メダルを獲得した人物”であり、更に“アジア人史上初のフィギュア競技でオリンピック2連覇を成し遂げた人物”でもある。
2018年には国民栄誉賞も受賞しているよ~!
こちらは明治~昭和初期時代に、麦芽の販売で財を成した「麦林又次郎」という人物が、浄瑠璃の一種『義太夫節』を行う際に着ていた袴と、下の画像はその関連道具を入れていたカバン類である。
『義太夫節』は”国の重要無形文化財”にも指定されているが、発祥は大坂の天王寺村に生まれた「竹本 義太夫(たけもと ぎだゆう)」が始めたとされている。
ちなみに「竹本 義太夫」の墓所は、大阪市天王寺区大道の「超願寺」内にある。
”義太夫節”は当時の金持ちの娯楽として楽しまれていたらしいが、昭和5年頃の番付表で麦林又次郎氏は”東の大関”になるほどに熱中していたそうだ。
”東の大関”になる程に”義太夫節”に熱中していた道楽は、勿論その道具にもお金を費やしていたという事でもある。
こちらの黒漆が塗られた台本置きも、大事に取り扱っていた事だろう。
こちらはそんな義太夫節に使う道具類を入れる為のカバンで、「竹登」という名乗っていた芸名の札が取り付けられているのも見える。
戦後の高度経済成長期には、タレントを使った宣伝活動が大きく普及していき、こちらにはエース社歴代ポスター類が展示されていた。
昔のエース社のポスターを見ると、色んな文化が流入してきて、多種多様なスタイルが混在している時代の物も見られた。
西洋カブレな時代だぜい!
こちらは「東レ100%ナイロン」が使われているスクールバッグのポスター。
高度経済成長期には、広告宣伝という部門が急速に発展した時代だったので、このような広告に多額の資金が投入されていった。
高度経済成長期には海外旅行は”高嶺の花”だったので、日本人の西洋への憧れを見越して、タレントに西洋人を起用した物も多々見られた。
こちらは神奈川県で生まれ、13歳頃に移民としてブラジルに渡って、17歳頃にブラジルに興行しに来た力道山にスカウトされたという、異色の経歴を持つアントニオ猪木のポスターもあった。
猪木さんは、鶴見区生麦町生まれよ~!
封建的な社会だった日本も戦争で敗北し、高度経済成長期に西洋文明に若者が憧れた事もあって、昔では考えられなかったような水着姿の女性を採用したポスターなどもあった。
こういうポスターを増やして欲しいけ!(笑)
こちらは昔の好青年をモデルにした、スマートなカバンを魅せ付けるポスター。
若い頃の石坂浩二や~♪
20世紀後半になると、大企業には広告宣伝が欠かせない時代となっていき、それに伴って広告を仲介する”広告代理店”という業種が大きく成長していく事になる。
大手広告代理店は、ボロ儲けだぜい!
このように販売するカバンのイメージに合ったタレントや俳優を活用し、エースカバンのイメージを向上してきた歴史が垣間見られるポスター群であった。
こんな旅はまた次回に続きます!
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2022年12月中旬に『どこかでマイル』を使って訪れた、2泊3日の神奈川県&東京旅です。