神奈川県&東京旅(2022年12月中旬)-53
訪問:2022年12月中旬(2泊3日)
西郷さん!
今回の旅の最終日午前中を過ごしてきた、東京都台東区の「上野恩賜公園」。
江戸時代までは将軍徳川家の菩提寺であった寛永寺跡に造られた、広大な広さの公園となっていた。
西郷隆盛の銅像!
そんな上野公園の中でも、最も有名な存在である「西郷隆盛の銅像」が見えてくる。
住所:東京都台東区上野公園内
『上野の西郷さん』とも呼ばれる有名な銅像は上野公園の南端に設置されており、初めて訪れる人からすれば、少々見つけにくい場所となっていた。
この西郷隆盛像は明治31年(1898年)に完成したもので、西郷隆盛像は明治時代の仏師であり彫刻家ともなった「高村 光雲(たかむら こううん)」が設計した物となっている。
その高村 光雲が制作した銅像で他にも有名なのが、皇居外苑に設置されている「楠木正成像」である。
なお、「楠木正成像」で楠木正成が乗っている馬は高村光雲ではなく、その弟子「後藤 貞行(ごとう さだゆき)」が制作を担当している。
そしてこの西郷隆盛像でも、脇にお供している薩摩犬「ツン」を制作したのはその「後藤 貞行」となっている。
また愛犬を連れてその辺を散歩している姿のように思える西郷隆盛像だが、これは散歩ではなく、ウサギを狩りに行く時の様子を再現した姿で、腰にはウサギを捕まえる罠が挟まれている。
ウナギとウサギが好物でごわす!
高さ約370cmという巨大な西郷隆盛像だが、大きな台座の上に置かれているのもあって、手前から見ている分にはそこまでの巨大さを感じられない。
西郷隆盛は西南戦争の首謀者として明治政府に楯突いて反乱を起こした為に、国家の敵である”逆賊”とされたが、鹿児島の英雄であり、また”江戸城の無血開城”や、戊辰戦争での東北攻めでも旧幕府軍に寛大な措置を取った為に、全国的に慕われた存在であった。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」の言葉通りでごわす!
西郷隆盛は多くの人から慕われていた事もあって、死後から12年が経過した明治22年(1889年)に正式に恩赦された。
関係各位には苦労をかけたでごわす!
それから井伊直弼像などと同様に名誉回復の為に銅像制作運動が起こり、当初は「楠木正成像」のように皇居外苑に銅像を設置したかったが、まだ反逆者のイメージが政府内に残っていた為に却下され、仕方なしにこの上野公園に設置される事になったという。
ただ、この西郷隆盛像を制作する際に作者の高村光雲は、西郷隆盛自身を生で見た事がなかった為に、この有名なキヨッソーネが描いた「西郷隆盛の肖像画」などから、その姿を想像して作ったとされる。
芸術家は創造力で勝負だぜい!
坂本龍馬は写真好きでその姿を残した多くの写真が現存しているが、写真嫌いだったとされる西郷隆盛が写った写真は今までに発見されていないという。
しかし、作者の色んな思惑が入って作られた西郷隆盛像も、西郷夫人が除幕式でこの銅像を初めて見た感想が「うちの主人(西郷隆盛)は、こんな人じゃなかったですよ!」と発したとされる。
本来は陸軍大将まで務めた人物だったので軍服姿での銅像制作を考えていたが、軍上層部から認められなくて、仕方なくこのような姿になったとか。
なお、後年になって海軍元帥にまでなった同郷の後輩:東郷平八郎が彫刻家に依頼し、1937年に鹿児島市内に軍服姿の西郷隆盛像が設置される事になった。
軍服姿ん方がかっこよかじゃろ!(笑)
台座には『敬天愛人』という、西郷隆盛の座右の銘としても有名な言葉がレリーフに刻まれている。
こちらは朝日新聞社が発行した関東大震災を記録する冊子の表紙になっていた、関東大震災直後の西郷隆盛像の写真。
待ち合わせ場所としても人気の西郷隆盛像だが、関東大震災直後はこのように行方不明者探しのビラが至る所に貼られていたようだ。
人探しの役に立てて幸いでごわす!
最近は国内旅行に行くと、このような歴史的な偉人をモチーフにした銅像に惹きつけられて仕方がない男。。
ホンマ、最近は銅像マニアになってるデ!
このように見所たっぷりの上野恩賜公園は、いくら時間があっても見足りない場所だった。
そして有名な偉人の銅像も沢山設置されている素晴らしい場所なので、これから東京見物を考えている人は、必ず立ち寄るべき場所でもある。
アメ横に向かう!
そして上野公園の南側に設置されている西郷隆盛像のある場所から、有名な「アメ横商店街」は歩いて約5分ほどの距離だったので、ついでに行ってみる事にした。
上野と言うと、西郷隆盛像と共に「上野動物園のパンダ」も有名である。
パンダが初めて日本に カンカンとランラン(1972年)
「(恩賜)上野動物園」は”日本で最古の動物園”でもあり、1972年に初めて来日したジャイアントパンダ2頭「カンカン」と「ランラン」の”珍しさ”と”可愛らしさ”で、日本国内は『パンダブーム』に沸いたという。
この時にパンダ、見に行きましたよ!
ただ、中国国内でも限られた一部の地方にしか生息しない「ジャイアントパンダ」は、『パンダ外交』とも呼ばれるように中国が国策で諸外国にレンタル料を課して、貸し出しているのが現状である。
動物をレンタルするなんて、人間は何様気分かい?!
そんなパンダのイメージが強い上野だけあって、街中のディスプレイにもパンダが溢れる場所ともなっている。
しかし、これから西洋諸国が超大国となりつつある中国を牽制し、排除していくとなると日本も西洋諸国に同調せざるを得ないので、そうなった時にパンダが日本国内から消え去ってしまう可能性も出てくるのかもしれない。
パンダは日本に帰化できないのかな?!
通りを渡って路地を進んで行くと、先の方に「アメ横センタービル」というアメ横商店街を代表する建物が見えてくる。
そんなアメ横センタービルの手前には、こちらのパンダ・・・・ではなく、ライオンの顔が描かれた”単管バリケード”も見られた。
上野専用の単管バリケードは、作ってないのかもね~!
この辺りにある400店舗前後は、正式には『アメ横商店街連合会』という名前が付いているが、戦後に闇市として発展した「アメヤ横丁」と呼ばれる事も多いようだ。
アメ横商店街にて
年末のテレビニュースでもお馴染みの「アメ横商店街」は、食料品を売る店が多く、また飲食店も所々で営業している。
戦後の物資不足時代に闇市として賑わった”アメ横”では、その当時から法外な値段で売りつける悪徳業者が後を絶たなかった。
その為に警察関係者が地元の有力者に頼んで商店街を整備してもらい、販売業者の管理を行った為に徐々に治安も良くなり、今では多くの人が訪れる観光地ともなっている。
ただ、観光客からしたら、このような賑わう商店街はあちらこちらの店先に置かれている商品などに目移りしてしまう場所に思えるけど、逆にそういった油断した観光客を狙うスリが、昔から多く活動しているエリアでもある。
ちなみにスリ常習犯も高齢化しているようで、特に人との接触が憚られたコロナ禍で引退を余儀なくされたスリも多かったという。
ただ最近は海外から来た、集団でスリを行う軍団が存在するようで、オジイサンが単独でしていたスリではなく、数人で囲んでそれぞれに役割分担されたスリ行為が行われているので、兎にも角にも観光地ではスリには注意すべきだ。
スリは芸術技が必要だけど、その技術を補う為に集団に代わってるぜい!
特にこれだけ混雑した場所だと、ちょっと人とブツかる事も多く、気が付けばカバンがナイフで斬られて、そこからサイフを抜き取られていたなどの被害も意外とあるという。。
カバンは前に持ちましょう!
海外旅行に行ったら、添乗員さんに口酸っぱく言われるよね~!
個人的にはアメ横には興味が全く無かったけど、こちらの「天天楽」という中華料理屋さんは、以前にNHKの番組「突撃!ストリートシェフ」でここの女主人が数か国語を操って、客の対応をしているシーンが撮影されていたお店である。
アメ横には外国人が服などを販売する店なども多く、国際色豊かになってきており、日本人だけではなく日本に住む外国人が自国の食材を調達しにくる場所ともなっているという。
こんな旅はまた次回に続きます!
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2022年12月中旬に『どこかでマイル』を使って訪れた、2泊3日の神奈川県&東京旅です。