ロシア旅行記:3日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:ロシア7日間」
-2020年3月12~18日
皇帝の威厳
ここはロシアの首都であるモスクワでも、その中心地にあるクレムリンの内側。ここは大聖堂広場とも呼ばれるロシア正教の聖堂などが沢山建てられている場所です。
モスクワのクレムリン内にて
ウスペンスキー大聖堂の扉の周辺には、17世紀に描かれたイコンのフレスコ画が見えます。丸いアーチ状になっている柱にも、キレイに装飾されているのが何とも可愛く見えます。
という事で歴代皇帝達の戴冠式が行われていたという、ウスペンスキー大聖堂内の見学に進んで行きます。しかし残念ながら内部は写真撮影が禁止されていました・・・
鐘の皇帝(ツァーリ・コロコル)
以前ロシア旅行に行った事のあるオカンから「一部が割れためっちゃデカい鐘が置かれてたよ!」と聞いていたが、こちらクレムリンの中央付近に置かれていたのがその「鐘の皇帝(ツァーリ・コロコル:Царь–колокол)」である。
鐘の王様は高さ約6.2m、直径約6.6m、重量は約200トンという、現在現存する鐘の大きさでは世界一の物である。ただし本来の鐘としての役割はなされておらず、仕上げ時の浮き彫りをしている時に割れた為に、一度も鳴らされずのままだという。
ちなみに世界最大の鐘と言うと、15世紀末にビルマ(今のミャンマー)のヤンゴンにあるシュエダゴン・パゴダで、当時のダマゼディ王が造らせた約300トンの「ダマゼディの大鐘(Great Bell of Dhammazedi)」の方が重たかったようだ。
実際にダマゼディの大鐘は鳴らされた事もあるが、1600年代初頭にポルトガル人に奪われ、その輸送途中にヤンゴン川とバゴー川が合流する辺りで船が沈み、川底に沈んでしまった。現代でもその時沈んだダマゼディの大鐘はまだ見つけられていない。なのでまだ地球上に現存する可能性のあるダマゼディの大鐘。
ちなみに日本では1902年に大阪にある四天王寺で、114トンもの鐘が造られて掛けられていた。しかしこの鐘は第二次世界大戦中に武器製造の為に溶かして再利用される事になったので、現存はしていない。
この鐘の皇帝は実は3代目で、初代は1600年に、2代目は1655年に造られていた。初代は18トンの重さで、鐘を鳴らすのに24人程の人手が掛かったそうだ。この初代鐘の皇帝はイワン大帝の鐘楼に取り付けられていたが、17世紀中頃の火災により、鐘は落下して粉々になったという。2代目鐘の皇帝はこの初代の材料をリサイクルし、初代より大きい約100トンの鐘が造られるがこちらも同様に火災で1701年に潰れてしまう。
そして3代目はピョートル2世の後に女帝となったアンナ・イヴァノヴナ(Анна Иоанновна)が、更に100トン重たい鐘をフランスの職人に依頼するものの、断られてしまう。1733年に地元の鋳造工場の巨匠に依頼し、1735年11月に2度目の造り直しで世界最大の鐘の鋳造が成功する。
それからは鐘の外側に浮彫の加工をしていったが、1737年5月にクレムリン内で火事が発生し鐘を支えていた木製の支柱に火が乗り移った。そしてその火を消そうと掛けた水が、全体が熱せられて高温になっていた鐘の一部にだけ掛けられた時に、その部分が急激に冷やされてその部分が硬直し割れてしまったのである。
その割れたこの欠片だけでも約11トン相当。鐘の鋳造は地面に穴を掘って土を固めて型として造り、その穴上に引き上げられていた鐘は、支柱の火事でその穴の中へと落下し、それから約100年間の間はそのまま放置されていたという。その後1836年にフランス人建築家によって、やっと穴から引き揚げられてこの石の台座に置かれる事になる。
今では欠けた部分に金網が取り付けられていて入れないようになっているけど、昔は教会代わりに中に入って祈る人が居たそうな。
1812年にモスクワのクレムリンに入城したナポレオンは、この「鐘の皇帝」を見て案の定持ち帰りたいと思ったが、重た過ぎて断念したという。
ナポレオンは何でも欲しがったようで、こんな話ばっかり聞くよね!
この「鐘の皇帝」にはバロック様式の天使や聖人と共に、この鐘を造らせたアンナ女帝やこちら側から見える2代目の鐘を造らせたロマノフ王朝の2代目皇帝アレクセイ・ミハイロヴィチ(Алексей Михаилович)が見える。
世界最大の鐘は世界最高の音色を出す物ではなく、ロシア帝国の威信が込められた彫刻作品だったのよね!
クレムリン内には他にももっと建物があったけど、火災やナポレオンが侵攻してきた時に破壊された建物などもあり、この辺りは空き地となっていた。
こちらは十二使徒聖堂と呼ばれる物で、邸宅の一部を改造して造られたもの。このクレムリン内では珍しく銀色の屋根をしていて、聖人を祀った聖堂の証である。
大砲の皇帝(ツァーリ・プーシュカ)
その次に見えてきた物もまたギネスブックに載るという、世界最大口径890ミリの榴弾砲である「大砲の皇帝(ツァーリ・プーシュカ:Царь-пушка)」。こちらは青銅製で1586年にロシア人アンドレイ・チョーホフ(ндрей Чохов)が造ったものである。
こちらの大砲、重量は約39トン、銃身は約5.4m、口径は890ミリで外径は1200ミリに及ぶ。
世界最大の大砲は重た過ぎて、これたった1台を運ぶのに約200頭の馬が使われたそうだよ!
巨大な大砲は”ロマン砲”とも呼ばれるが、人類の歴史上大型兵器程に実用化しなかったり、その巨大さゆえに失敗作となった物も数多い。日本では第二次世界大戦時に戦艦大和が巨大戦艦として有名だけど、莫大な費用と共に時代遅れの小回りが利かない戦艦は大した戦果を挙げられずに、沖縄に向かって特攻を命ぜられ海の藻屑へと消えていった・・・。
それと大砲の手前に置かれている砲弾は、この大砲の皇帝が出来ただいぶ後の1834年にサンクトペテルブルクで造られた物。この玉は約1トンという重量であるが、実際にこの大砲で使う用の物ではなく、あくまでオブジェとして造られた砲弾なので大砲の口径よりも少し大きくて砲身に入らないそうだ。
実用的な大砲ではなく、あくまでオブジェ的な大砲だったのね!
そして横にあった鐘の皇帝と共に、1度も使われる事は無かったとされている大砲の皇帝。なお後年調査したところ、大砲内から火薬の残留物が発見されたので1度は使われた事がある可能性が示唆されている。
しかし実際には発砲した時に空気を逃がす穴がなかったり、造ったチョーホフもこれが実戦用として使われる事が無いのを気付いていた為に、あくまで”ロシア武力の象徴”として造られたと考えられている。1812年にナポレオンがモスクワに侵攻して来た時にも使用されていないのである。
大砲の皇帝の土台は元々木製であったが、1812年に起こったクレムリンでの火災でこの木製台車は焼失し、1835年に現在見られる金属製の台車となった。
皇帝(ツァーリ)の威厳を示すものとして、クレムリンを代表する2つのギネスブックに載る世界最大の彫刻作品である大砲の皇帝と鐘の皇帝。勿論モスクワのクレムリンに入城したナポレオンは、これもフランスへ持って帰りたかったみたいだけど、断念したのは正解だっただろう。。
そんな大きな大砲の奥には、12本程の普通の大砲が置かれています。
2~6ポンドの玉を飛ばす野戦砲で17~18世紀に造られた代物が、ここに置かれているようだ。
右は2ポンド(約900g)砲、左は6ポンド(約2700g)砲でそれぞれに17世紀の物で重さは300kgを超える代物。
第二次大戦では大砲や砲弾などの材料として使う為に教会の鐘も取り外されて再利用されたけど、そんな古いこちらの大砲は過去の遺産として保存されたのだろうか。
今の時代はこんな大砲はもう用済みで、無人飛行のドローンや遠距離爆撃で近接戦闘は無くなりつつあるようだ。
こちらの建物は18世紀後半に造られた元老院の建物で、今ではロシア大統領官邸となっている。なので現ロシア大統領のウラジーミル・プーチン(Владимир Путин)氏の執務室が、この建物内にある。この日はプーチン大統領は不在だったみたいだけど、見張り小屋がありクレムリン連隊が周辺を警備していた。
こちら左に見える現代的な建物は国立クレムリン宮殿(осударственный Кремлёвский дворец)で、ソ連時代の1961年に完成したものだが、世界遺産に登録されたクレムリン内では近代的な建物という理由で世界遺産からは除外されている。なお、この国立クレムリン宮殿は6000人以上の観客を収容出来て、2000年代にボリショイ劇場が改装工事中の時はその代替えとしてこちらでバレエやオペラが行われていた。
こちらの建物は旧兵器庫で、今ではクレムリン内を警備するエリート兵「クレムリン連隊(大統領連隊)」の兵舎となっている場所で、立ち入りは禁止されている。
元々は兵器庫だったので建物の周辺には、大砲が等間隔で並べられている。
そして出入口のトロイツカヤ塔へと進んで行く。このクレムリンに設置されている20の塔の中で、最も高いのがこのトロイツカヤ塔である。
トロイツカヤ塔の左手には、ポチェシニィ宮殿(Потешный дворец)と呼ばれる建物が見える。昔は劇場として使われた所で、今は入れなさそうな感じ。
トロイツカヤ塔から下にあるクタフィヤ塔へと、降りる橋を下って行きます。クレムリン内で一番高い塔と低い塔の組み合わせである。
そんな大小の塔を繋ぐこちらのスロープは、「トリニティ橋」(Троицкий мост)と呼ばれるもので単に塔を繋ぐ為の橋では無くて、元々はこの下を流れていたネグリナヤ川に架けた橋なのである。
今のネグリナヤ川は地中に彫られた水路へと姿を消してしまったけど、昔はこのアレクサンドロフスキー庭園の場所に川が流れていたのである。そしてそんな川に架けた橋を守る為に、橋の袂に一番低いクタフィヤ塔が橋の守備として造られたのである。
だからドンドンと時代を追う毎に景色が変わっていくモスクワのクレムリン。
このクレムリン内で一番高い81mのトロイツカヤ塔も、単なる装飾の一環で造られたものではなく、それだけ争いが多かった中世の頃の名残なのである。何気なしに現代の我々が通っている場所には、今までの人類が築いてきた色んな歴史がそこには込められているのである。
そしてトロイツカヤ塔からクタフィヤ塔を経由して、クレムリンを出てアレクサンドロフスキー庭園に戻ってきました。やっぱり大国ロシアの中心地であるモスクワのクレムリンは、見所たっぷりの場所でした。
そしてクレムリン内の見学を終えると、既にそろそろ昼食の時間という事でバスに乗って昼食会場へと向かいます。
モスクワの街にもソ連崩壊と共にだんだんとアメリカの文化が流入して来ているようです。あれだけ冷戦時代に対立していた国とは思えない位に、大量の資本が流れ込んでいるのでしょう。「共産主義国は敵である!」とプロパガンダしていた西側諸国の崇拝する資本主義にも、色んな問題点があります。そんな資本主義国が抱える問題点がこれからの21世紀のロシアが抱える問題となるのでしょう。
さて今日はいい天気だっただけに、クレムリン内の見学も楽しめたのかもしれませんね。
昼食レストランにて
そして昼食会場としてやって来たのは、こちらのモスクワ市内でも北東の場所にあるレストラン。この後は第2の首都であるサンクトペテルブルク(旧レニングラード)まで、サプサンという特急列車で移動するのでその駅に近いレストランのようだ。
(Колесо Времени)
住所:Orlikov Pereulok, 5, стр.2, Moscow, 107996
さてこちらの円卓に座ります。いつもの1人参加限定旅だと、どこに座ろうかと少しは迷う瞬間が来るのですが、今回は7名しか参加者がいなかったので迷うことなくテーブルに着席します。
今回のロシア旅行では、ほぼ毎回このようにミネラルウォーターと食後のお茶orコーヒーが付いています。
まずはキリスト教の国であるので、必然的と言っても過言ではない位にパンが必ず出てきます。ただ最近のボクはパンを食べるとお腹が膨れてしまいやすいので、なるべくパンも小さいのを選ぶように心掛けています。
そしてロシア料理と言えば、やっぱり温かいスープですね。
東ヨーロッパの国では寒い地方が多く、これらの国に共通する考えとしては、「飲むスープ」ではなく「食べるスープ」という事。しっかりお野菜が入っているスープは、体にとってとても良さそうです。
いきなりアイスクリームかと思っていたけど、こちらはサワークリームでスープに入れたりするもの。ちょっと酸味があるので、入れるか入れないかは好みかもしれませんね。
そしてビールです(350ルーブルで約550円)。ロシア人はウォッカしか飲まないイメージがあるけど、実際にはウォッカ離れが起きていて、最近はビールを飲む人が多いようです。
それとソ連が崩壊したきっかけにもなった時のミハイル・ゴルバチョフ書記長(Михаил Горбачёв)は、「ペレストロイカ」と呼ばれる改革を進めて西側諸国では旧ソ連体制を脱却させた世界的な英雄としてノーベル平和賞にも輝いているが、ロシア国内では意外と人気は全然無くて逆にロシア国民からすると嫌われている位らしい。
ゴルバチョフはロシア国内では、全然人気がないのよね!
そのきっかけともなったのが酒類の生産制限・価格引き上げなどで、酒好きなロシア国民の反感を買ってしまう。それにより家庭内で密造酒造りが増えて、また酒税の収入が落ち込んだりと散々な結果に終わったようだ。
西暦1000年前後に活躍したウラジミール大公は、ロシアにギリシャ正教を持ち込んだ人物である。国教として何がいいかを検討している時に勿論イスラム教とかも候補にあったけど、ウラジミール大公曰く「ルーシー人(ロシア人)は飲む事が楽しみなのだ。だから酒無しには我々は生きている甲斐がないのだ!」と言ったらしい。
そして今回の昼食のメインは、こちらの水餃子のような料理。ロシアでもピエロギという料理はあるけど、これは確かに添乗員さんが言うとおりに水餃子に近い食べ物だった。ただ少し酸味があって、思った味では無かったけど。
想像していた程は美味しくなかったけど、全然問題なくパクついた水餃子。ただ珍しく昼食は、これがメインだけどこれだけで終了。
という事で食後のデザートは甘そうなケーキだったけど、美味しく頂きました。
さてこれからはサンクトペテルブルクまでの長時間移動が待ち受けています。ただ特急列車なので、道中はリラックスして過ごせるので特に問題はないのですが。
こんな旅はまた次回に続きます!
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