ロシア皇帝アレクサンドル2世の暗殺場所に建てられた、血の上の教会【ロシア旅行記⑱】

ロシア旅行記:4日目

阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:ロシア7日間」
-2020年3月12~18日

300年前には何も無かった街

サンクトペテルブルクのホリデーインの部屋からの景色

さてロシア旅行は早くも4日目の朝を迎えました。今日の天気も昨日と同じく快晴になりそうで、素晴らしい観光日和となりそうです。

 

 

サンクトペテルブルクにて

サンクトペテルブルクのホリデーインの2階

サンクトペテルブルクの街で宿泊しているホリデーイン・ホテルの朝食会場オープンは朝の7時から。

 

ホリデーイン2階のレストラン会場入り口

朝食会場オープン前に来ていたツアー参加者さんと談笑し、少し早いけどレストランへと向かいます。

 

ホリデーイン2階のレストラン会場の様子

するとちょっとオープン時間よりも早かったけど、快くレストラン内へと迎え入れてくれました。

 

ホリデーイン2階のレストラン会場の様子-2

いつもと変わらない、レストランでのビュッフェ。そりゃ観光客用ホテルの朝食会場では、殆ど似たような料理しか置かれていないからね。。

 

ホリデーイン2階のレストラン会場に置かれていた料理

ボクにとってはある程度、野菜が豊富にあればそれでとりあえず充分である。

 

ホリデーイン2階のレストラン会場に置かれていた料理-2

ロシア人は意外と時間には正確なようでちゃんとレストラン会場には、このように調理仕立てのソーセージやベーコンが熱々の状態で並べられていました。

 

ホリデーイン2階のレストラン会場で調理中のコックさん

こちらでは熱々の鉄板で、スクランブルエッグを作ってくれるオジサンの姿が見える。今回の旅行ではロシアの人々と絡む時間はあまり無かったけど、個人的なロシア人の印象としては愛想笑いをしない英語を話せない人が多いという感じだった。ただあまりロシアの人々と接する事は出来なかったけど、少しの触れ合いだけでも色んな事が分かった。それとロシア人にはプライドがあり、ナポレオンやナチスドイツ軍にも勝ったという誇りを抱いている民族のようにも思えた。

 

ホリデーイン2階のレストラン会場で食べた料理

さて今日の朝食は野菜を多めに取ってみました。

 

ホリデーイン2階のレストラン会場で食べたスクランブルエッグ

こちらのスクランブルエッグは、チーズとトマトとパセリみたいなのをトッピング出来て、全部入れて焼いてもらいました。その中でもチーズだけたっぷりと入れてもらったので、なかなかの美味しさです。ただこのスクランブルエッグ単体で食べるよりはパンに挟んで食べた方が良さそう感じだったので、明日はこれをサンドイッチにして食べてみる事にします。

 

サンクトペテルブルクのホリデーインの部屋からの景色-2

ロシアの中でも北側にあるサンクトペテルブルクの街は、モスクワに比べると流石に寒い場所です。ただ気温は低いながらも、雪景色にまではなっていません。

マトちゃん
マトちゃん

例年なら雪が降ってもおかしくないんだけど、最近は温暖化の影響で降雪が減っているんよね!

 

サンクトペテルブルクのホリデーイン

こちらは3連泊するホリデーイン・ホテル。サンクトペテルブルクの街から南側にありますが、近くに地下鉄の駅もあり、街の中心部に出掛けるには便利な立地になっています。

 

サンクトペテルブルクのホリデーイン周辺の景色

そしてホテルの前から見えるのは「モスクワ凱旋門」(Московские Триумфальные ворота)で、1828年~1829年にロシアとオスマントルコ帝国との間で行われた露土戦争の勝利を記念して建てられた凱旋門である。この戦いによりロシアは黒海東側とドナウ川河口を手に入れ、グルジアとアルメニアの支配権を手に入れた。

 

サンクトペテルブルクのホリデーイン周辺の景色-2

サンクトペテルブルクの街って約300年前まで何も無かった所に築かれた都市だと聞いていたけど、今ではすっかり大きな大都市となっている。そして街並みもモスクワとは違い、都市計画に沿って西ヨーロッパ的な建物が多く造られている。

 

 

中心部へ移動する

サンクトペテルブルクのネヴァ川を渡る

さて朝9時になりバスに乗ってサンクトペテルブルクの街へと出掛ける。この街の中を蛇行しながら流れるのは全長74kmのネヴァ川(Нева)で、冬場にはこの川が凍り付き、市民がこの凍った川の上でアイススケートをする光景が見られるそうだ。

 

サンクトペテルブルクのネヴァ川沿いを進む

そんなネヴァ川には何本もの橋が架かっている。この橋は跳ね橋ではないけど、サンクトペテルブルクの街中には跳ね橋もあるみたいなので、それを見るのが楽しみである。

 

街中を走るバスからの景色 動画

 

サンクトペテルブルクを進むバスからの景色

サンクトペテルブルクの街は「大祖国戦争」と呼ばれる、ナチスドイツ軍と戦った1941年6月22日~1945年5月9日間の戦いの最中で、「レニングラード包囲戦」という約900日間に渡ってナチスドイツ軍に街を包囲されて戦った。

マトちゃん
マトちゃん

その戦いの最中に亡くなったサンクトペテルブルク市民の犠牲者は、約60万~100万人とも言われているのよ!

 

サンクトペテルブルクを進むバスからの景色-2

その戦いの時にサンクトペテルブルクは市民と共に建物も傷つき、破壊された物も多い。なので今見られる建物なども第二次世界大戦後に再建された物も多いようだ。

 

サンクトペテルブルクを進むバスからの景色-3

こちらの建物は国立ロシア美術館で1898年にオープンしたもの。ここには約40万点もの貯蔵品があり、絵画や彫刻作品などがあり、その中でも有名なのが「聖ゲオルギウスの龍退治」というイコンである。この時の様子はロシアの国章のモデルとなっている。

 

サンクトペテルブルクを進むバスから見えた景色

このサンクトペテルブルクの街は、ピョートル大帝が西ヨーロッパの国などの建造物を取り入れて造らせた為に、このように街中に見える建物は西ヨーロッパ風の建築様式が多い。

 

サンクトペテルブルクを進むバスから見えた景色-2

ピョートル大帝は皇帝の座に就く前に、義姉によってモスクワを追い出されて、当時は「ドイツ人村」と呼ばれる西欧人達が集う場所に足しげく通っていた。そこで西側諸国の文化などを学び、ロシアの近代化を図る為に西側諸国の技術などを積極的に取り入れたとされる。

マトちゃん
マトちゃん

当時文化的に進んでいた西欧の技術を積極的に取り入れたのは、ピョートル大帝に先見の明があったからよ!

 

サンクトペテルブルクを進むバスから見えた景色-3

ピョートル大帝の勤勉さで有名な話は、その後皇帝になってからも西側諸国へ約2年間に渡って視察旅行をした事であろう。その時は主にオランダなどで造船技術を直に学び、後年にはそれを活かして艦隊を造り黒海の周辺の覇権を握るのであった。

 

 

血の上の教会にて

サンクトペテルブルグの血の上の教会 

そしてやって来たのは「血の上の救世主教会(Спас на Крови)」と呼ばれる、ロシア正教の教会。

 

血の上の救世主教会(Спас на Крови)

 

住所:Griboyedov channel embankment, 2Б, St Petersburg,191186

 

 

 

サンクトペテルブルグの「血の上の教会」を見上げる

残念ながら補修工事中の建物が「血の上の~~」と呼ばれる由縁は、1881年3月13日に当時のロシア皇帝アレクサンドル2世が、ここで爆弾によって暗殺された場所に建てられたものだから。

 

Убийство Александра II ロシア皇帝アレクサンドル2世

アレクサンドル2世暗殺時の爆破事件

この時の暗殺はより徹底した農民の解放を目指した「ナロードニキ(人民の意志)派」という勢力が行ったもの。この事件の1~2年前にも数回の暗殺未遂事件が起こっており、狙われる危険性は常日頃からあったようだ。この時も2回爆弾攻撃が行われ、その2回目に皇帝の足元で爆弾が破裂し、アレクサンドル2世の両足は千切れて眼球は飛び出していたとか・・・。

 

サンクトペテルブルグの「血の上の教会」を眺める

皇帝になった宿命でもある対抗勢力などによる暗殺事件は、いつの時代にも、どの場所にでも行われているのである。

 

 

血の上の教会の景色 動画

 

「血の上の教会」周辺の景色

後ろのネヴァ川付近には2018年に行われた、FIFAワールドカップ:ロシア大会の看板がまだ設置されていた。ちなみにこの大会で優勝したのは、決勝戦でクロアチアを撃破したフランスである。

 

「血の上の教会」前で記念撮影

サンクトペテルブルクの街並みはモスクワとかとは異なっているので、このような形のロシア正教の教会はあまり見られなかった。どちらかというとモスクワの赤の広場にあった聖ワシリー寺院のように、色んなドームが固められて造られたような感じにも見える。

 

血の上の教会をじっくりと眺める 動画

 

「血の上の教会」を正面から眺める

ここを訪れた時は一番メインの大きなドームの屋根が改修中だったので、ちょっと残念な光景であった。歴史的な建造物は定期的にメンテナンスしないといけないので、こういった改装はどうしても必要なのである。

しかし訪れた時がたまたまその改修中だと、とてもガッカリする。。

 

「血の上の教会」を正面から眺める-2

そしてロシア革命後はロマノフ王朝ゆかりの教会でもあったけど、潰される事はなく倉庫として現存する事になった。その後1970年代より改修されて、今のような綺麗な外観に戻ってきたようだ。

 

 

「血の上の教会」を横から眺める

こちらは教会の東側から、見上げた景色である。この教会内は想像以上に広く、とても美しい内装をしているようだけど、今回は残念ながら内観見学は無しで外観からの見学のみだった。。

 

「血の上の教会」を横から眺める-2

なので仕方なしにその教会の周囲を回ってみる事にする。パックツアーで回る旅行なので、こういった時に自由に見学できないのが玉にキズではあるが。。

マトちゃん
マトちゃん

この教会の内部見学しなかったのは、勿体無かったね!次来た時は是非内部も見学してね!

 

「血の上の教会」を横から眺める-3

こちらは東側から眺めた、血の上の教会である。今日は空に全然雲が無くて、とても綺麗であった。

 

「血の上の教会」を裏から眺める

こちらは南側で先程の反対側から眺めた血の上の教会だけど、正面側と同じような造りになっている。

 

「血の上の教会」裏側の景色

ピョートル大帝以降の時代は、農民や労働階級の市民達の負担が増えていった。このサンクトペテルブルクを建造する際も毎年数万人の人手を各地の村から差し出させて、建造に当たった。村からは優秀な人間を出す訳にはいかないので、全然役に立たない怠け者を行かしたとか。

マトちゃん
マトちゃん

国力が増強されるのと、国民の幸福感は比例しないみたいよ!

 

「血の上の教会」裏側から見た景色

そんな重労働と過酷な環境下での働きは、飢えと寒さと疫病などにより多くの労働者が亡くなった。なのでこのサンクトペテルブルクの街は、多くの人達の屍の上に建つ都市でもある。

 

「血の上の教会」裏側から見た景色-2

なのでこの教会も”多くの人達の屍の上に倒れた、アレクサンドル2世の上の教会”と呼ぶべきなのかもしれない。それだけ歴史を遡ると大きな事業の裏側には、それだけ多くの関与した労働者がおり、その労働者の多くがそれにより命を落としていったのである。

だから今歩いている、その一歩も色んな人達の苦労の上で歩けているのである!

 

「血の上の教会」裏側周辺の景色

この3月はあまり観光シーズンでは無いようで、この周辺のお土産屋さんの始動も遅かった。ちょうどコロナウイルス騒動で大きく世界中の観光客が減りつつある時期であった。

 

ネヴァ川周辺を進むバスからの景色 動画

 

ネヴァ川奥に見えるペトロパヴロフスク大聖堂

ネヴァ川の奥に見えるのはペトロパヴロフスク要塞で、1700年代初期に造られた要塞である。一時は監獄としても使われていた場所で、その真ん中に見える大きな尖塔の建物はペトロパヴロフスク大聖堂で、ロマノフ王朝時代の皇帝たちの亡骸が葬られている場所でもある。

 

 

ネヴァ川沿いに見える景色

ここを訪れたのは3月中旬だったけど、この2020年はまだ1回もこのネヴァ川は凍っていないという。温暖化の影響はこの辺りにも表れており、今まで1回もネヴァ川が凍らなかった事は見た事がないと現地ガイドさんは言っていた。

マトちゃん
マトちゃん

世界各国で地球温暖化の影響が出ていて、異常気象が起こるのも当然の結果なんだよね!

 

ネヴァ川に架かる橋の景色

目の前に見えてきた「宮殿橋」とも呼ばれるドヴォルツォヴィ橋(Дворцовый мост)は、跳ね橋である。サンクトペテルブルク市内には300を超える橋があるが、その内可動式の跳ね橋は22個もあるという。

 

 

ネヴァ川に架かる橋の景色-2

普段大阪に住んでいると「川が凍る」という事は全く想像が出来ない。しかし極寒のロシアでは至って普通の事で、凍っているネヴァ川の上を普通に歩いて渡ったりするんだとか。

マトちゃん
マトちゃん

子供達にとって遊び場でもある川なんだよ!

 

元老院広場にて

ネヴァ川沿いにある「元老院広場」

奥に大きなロシア正教のイサク大聖堂が見えている、こちらの広場は「元老院広場」(Сенатская площадь)「デカブリスト広場」「ピョートル広場」とも呼ばれる場所。ロシア革命の際には、この広場に多くの民衆が集まっていたそうだ。

 

ネヴァ川沿いにある「元老院広場」-2

その広場の横にある、ベージュっぽい大きな建物は今は裁判所となっている。

 

元老院広場からの景色 動画

 

ネヴァ川沿いにある「元老院広場」に立つ、ピョートル大帝の像

そしてこの広場の中央に立っている騎馬像は、このサンクトペテルブルクの都市を造ったピョートル大帝。1782年に当時の女帝エカテリーナ2世によって造られた像で、サンクトペテルブルクでも有数の人気スポットである。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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