エカテリーナ宮殿内でも最も豪華な部屋「琥珀の間」を独り占め!【ロシア旅行記㊱】

ロシア旅行記:5日目

阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:ロシア7日間」
-2020年3月12~18日

盗難された部屋・・・

ガラガラ状態に空いているエカテリーナ宮殿内

さて考えられない位にガラガラで、まるで貸切状態のように思えるサンクトペテルブルグにあるエカテリーナ宮殿に来ております。

 

エカテリーナ宮殿にて

エカテリーナ宮殿内にあったチェス

この部屋にはチェス盤が置かれていた。チェスの起源は古代インド地方にも遡るらしく、ペルシャを経由して10世紀頃にはロシアに伝わったという。それから西ヨーロッパの方にもチェス文化が拡がっていったという。

 

エカテリーナ宮殿内にあったチェス-1

昔はロウソクを管理する職人がいたそうだけど、200~300年経つと当時はあった職業が今の時代には無くなっているものも多いという。その代わりに当時では考えられなかった職業も生まれているので、これからも無くなっていく職業はあるだろうけど、その代わりに新たに生まれる職業もあるので帳尻は合うのだろう。

 

エカテリーナ宮殿内に置かれていた装飾品など

こちらの部屋には陶磁器が置かれていて、中国や日本などの東洋の置物なども展示されている。江戸時代後期には現:三重県鈴鹿市生まれの船頭である大黒屋光太夫が漂流してロシア地方へ辿り着き、その後独学でロシア語を勉強し、当時の女帝であるエカテリーナ2世に謁見したという。

 

ガラガラ状態に空いているエカテリーナ宮殿内-1

今の時代であれば外国語を翻訳するソフトや辞書などが出回っていて、その気になれば簡単に外国語を勉強できる時代だけど、大黒屋光太夫やジョン万次郎などが漂着した時代はそんなものは当然なく、身振り手振りで外国語を覚えるしか手段は無かったのだろう。

マトちゃん
マトちゃん

人間は生き残る為には、考えられないような事もやってのけるのよ!

 

でもそれでも時間を掛ければ相手の外国語を習得出来たという事に、人間の凄さを感じる。ただもし他の地球上にいる動物から見れば、「同じ人間の喋る言葉に何故そこまでの違いがあるのか?!」と思われるかもしれないけど・・・。

 

エカテリーナ宮殿内に置かれている、豪華な部屋の内装や装飾品

人間というのが多感な生物なので生きる場所や集団が違えば、言葉や考え方も大きく変わるようだ。今の世界中に住む人間のDNA自体はほぼ99.99%同じ物なので、同一民族が祖先だと考えられている。それでも見た目は大きく違い、喋る言葉なども多様化している。

 

エカテリーナ宮殿内に置かれている、豪華な部屋の内装や装飾品-1

しかし人類が画一的ではなく、多様な文化を築いてきたからこそ、今こうやって世界中を観光するのが楽しいのである。もし人類が画一的な文化であればどこの国を訪れても、同じような建物しかなくて全然楽しくなかっただろう。

 

 

緑の食堂にて

エカテリーナ宮殿でも食堂だったお部屋

今通っているエリア辺りには食堂が並んで造られている。こちらはそんな食堂でも少し小さい部屋。

 

エカテリーナ宮殿でも食堂だったお部屋-1

エカテリーナ宮殿内には食堂の部屋が沢山設置されていたけど、全然トイレが見当たらなかった。多分2階にもトイレが設置されていたとは思うけど、第二次世界大戦でナチスドイツ軍に建物を破壊される時に、わざわざトイレまでも復元する必要はないと思ったのかもしれない。

海外の観光に行ってもトイレの写真を撮る人は少ないけど、ボクはトイレの写真を撮ります!

 

エカテリーナ宮殿でも食堂だったお部屋の内装

こちらには金色の衣装を身に纏った黒人の像が置かれている。頭の上には沢山フルーツが入った籠を載せて、テーブルを回っていたのだろう。

 

エカテリーナ宮殿でも食堂だったお部屋の内装-1

金色というのは昔から人類を欲望へと駆り立てる色だったのだろう。今の時代にもこの金を争い、奪い合う為に多くの命が失われていっている。

マトちゃん
マトちゃん

本当に人間は黄金が好きな生物よね!

 

「肖像画の間」にて

エカテリーナ宮殿で「肖像画の間」を訪れる

この台の上にはわざわざ陶器の壺と見られるものが置かれていた。なんでこんな地震が起きたり、誰かがぶつかったら壺が落ちてしまいそうな場所に展示しているのか、ちょっと不明であった。

 

エカテリーナ宮殿で「肖像画の間」を訪れる-1

こちらの部屋は「肖像画の間」という名前通りに、大きな肖像画2枚と小さな肖像画2枚が飾られている。

 

エカテリーナ宮殿で「肖像画の間」を訪れる-2

「肖像画の間」という割には先程の部屋に、単に肖像画を飾っているだけの部屋にしか見えなく、あまり特徴のない部屋のように見える。。

 

エカテリーナ宮殿で「肖像画の間」に飾られていたエカテリーナ1世の肖像画

こちらはロシア皇帝エカテリーナ1世(1725~27年)である。リヴォリア地方の農民の娘から、ロシア皇帝の妃となり、そしてピョートル大帝の死後は元老院に担がれてその後を継ぎ、ロシア帝国最初の女帝として君臨する事になる。しかし彼女はあまり政治欲や権力欲が無かったので、2年後に自分の子供ではないピョートル大帝の子供であるアレクセーエヴィチに王位を譲るのであった。

 

エカテリーナ宮殿で「肖像画の間」に飾られていたエリザヴェータ・ペトロヴナの肖像画

こちらはそのエカテリーナ1世の4代後にロシア皇帝に即位する、ピョートル大帝とエカテリーナ1世の娘でもあるエリザヴェータ・ペトロヴナ(Елизавета Петровна)である。彼女は結局結婚する事なく独身の生涯であったが、女帝ならではの愛人が沢山いたという。そして学問などの保護を行い、モスクワ大学やロシア科学アカデミーなどを支援して創立させた。

 

エカテリーナ宮殿で「肖像画の間」の景色

過去の歴史的な人物もそれを評価する時代の価値観によって、その評価が大きく変化する。基本的に聖人君主のような理想的な人物を人々は求めるけど、誰にでも欠点や汚点はあるもの。

 

エカテリーナ宮殿で「肖像画の間」にあった天使の彫刻

こちらの天使のような像は、自分で顔を引っ張り上げているのでそれによってビヨ~~ンと顔が伸びてしまったような感じに見える。。

 

 

「琥珀の間」にて

エカテリーナ宮殿の「琥珀の間」を訪れる

そして辿り着いたのがこのエカテリーナ宮殿でも一番豪華な部屋で、サンクトペテルブルク建都300周年を記念した2003年に修復工事が完了して一般公開された「琥珀の間」である。

マトちゃん
マトちゃん

エカテリーナ宮殿内でも、最も豪勢な部屋よ!

 

エカテリーナ宮殿の「琥珀の間」を訪れる-1

この「琥珀の間」は元々はピョートル大帝時代に、プロシア皇帝のフリードリヒから贈られたものが最初である。当時からバルト海沿岸部では採掘される琥珀が高級品であった。

 

エカテリーナ宮殿の「琥珀の間」を訪れる-2

この「琥珀の間」は最初からこの状態ではなく、徐々に琥珀の面積が増えて壁中に琥珀だらけになった部屋。

 

 

「琥珀の間」の景色 動画


エカテリーナ宮殿で最も豪華な「琥珀の間」

この部屋だけでも約6トンに及ぶ琥珀が使われているという。ロシアでは大祖国戦争という第二次世界大戦のナチスドイツ軍との戦いで、ドイツ軍の侵攻に合わせてエカテリーナ宮殿にて所蔵されていた美術品などが、僻地へ疎開された。

 

エカテリーナ宮殿で最も豪華な「琥珀の間」-1

ここに張られた琥珀も剥がして僻地へ送る予定だったが、実際に剥がしてみると綺麗に剥がれずに砕け落ちたので、仕方なしにそのまま保存し上からパピルスなどを張り付けてドイツ軍に見つけらないようと隠蔽したのであった。

 

エカテリーナ宮殿で最も豪華な「琥珀の間」-2

しかしエカテリーナ宮殿を占領したナチスドイツ軍にあっさりと琥珀が発見されてしまい、専門家の立ち合いの元で約36時間掛けて琥珀を剥がされ略奪されてしまう。

 

エカテリーナ宮殿で最も豪華な「琥珀の間」-3

そしてこの部屋の琥珀はドイツのケーニスベルグの博物館へと送られて、第二次世界大戦後はそこで保管される事になる。なお後年になってからその略奪した琥珀の一部は、ロシアへと返還されているがそれは僅かな量でしかなかったようだ。

マトちゃん
マトちゃん

ナチスドイツ軍が略奪した琥珀も、大半が行方不明になっているのよ!

 

エカテリーナ宮殿で最も豪華な「琥珀の間」の内装

こちらはフィレンツェ風モザイク「触覚と嗅覚」というタイトルが付いている。

 

エカテリーナ宮殿で最も豪華な「琥珀の間」の内装-1

いつもなら大勢の人でゴッタ返す「琥珀の間」も、何とこの時は我々のツアー参加者さん達だけで独占であった。「これほどゆっくりと部屋を見回せる事など、今まで無かった」と現地ガイドのナターシャさんは言っていた。

 

エカテリーナ宮殿で最も豪華な「琥珀の間」の内装-2

こちらはフィレンツェ風モザイク「味覚」。個人的には琥珀の壁などには全く興味が無いので全然欲しいとは思わないけど、これが大金になると言われれば剥がしてでも持って帰ろうとしてたかもしれない。第二次世界大戦も略奪戦争であり、ナチスドイツ軍が所有していた金塊を大勢の連合国兵士がパクッて帰ったという事もあったそうだ。

 

 

エカテリーナ宮殿で最も豪華な「琥珀の間」の内装-3

こちらの調度品などはエリザヴェータ女帝が、冬宮殿や夏宮殿から持って来たもの。ちなみにこちらの時計は18世紀にG・ゴザールという職人によって造られた花装飾時計。

 

エカテリーナ宮殿で最も豪華な「琥珀の間」の壁に嵌め込まれている琥珀を眺める

この琥珀の間の修復に関しては1999年に、ドイツの会社が350万ドルを無償提供して過去の行いに責任を取ったのである。

 

エカテリーナ宮殿で最も豪華な「琥珀の間」の壁に嵌め込まれている琥珀を眺める-1

こちらの壁に描かれている紋章は、プロシア帝国のフリードリヒ大帝の紋章である。王冠を被った鷲のマークはロシア地方ではよく見かけるものである。

 

琥珀の間をじっくり眺める 動画

 

エカテリーナ宮殿で最も豪華な「琥珀の間」の壁に嵌め込まれている琥珀を眺める-2

この「琥珀の間」を復旧する為に主にカリングラードの琥珀採石場から、約20年に渡って採石された。しかしその採石された琥珀も装飾用として使えるのは、採石されたものの約15~20%程だという。

 

エカテリーナ宮殿で最も豪華な「琥珀の間」の壁に嵌め込まれている琥珀を眺める-3

琥珀の場合、金銀ダイヤモンドみたいな光沢はないので、ちょっと地味にも思えてしまう。ただ貴重な石であるからこうやって使われているのだけど、見た目だけで判断するとそこまで豪華な部屋には見えないような。。

 

エカテリーナ宮殿で最も豪華な「琥珀の間」を眺める

今では写真撮影も問題なく撮れるけど、数年前まではこの部屋内は写真撮影が禁止だった場所。

 

エカテリーナ宮殿で最も豪華な「琥珀の間」の天井画

琥珀の間の天井には「クロノスの運命(サートゥルヌスの結婚)」という絵が描かれている。

 

エカテリーナ宮殿で最も豪華な「琥珀の間」を独占見学

そして誰も琥珀の間に居なくなったので、その隙を狙って広角カメラモードに切り替えて、部屋の全景写真を撮る事を試みる。

ちなみにこの部屋の価値は、ナント5億ドルにもなるという。。

 

エカテリーナ宮殿で最も豪華な「琥珀の間」を独占見学-1

正確には誰も居ない部屋ではなくて、ボクと監視のオバサンだけが琥珀の間にいる状態で写真を撮った。

 

エカテリーナ宮殿で最も豪華な「琥珀の間」を独占見学-2

こちらは部屋の東側の壁にあたる部分で、このように独りで一般観光客が独占して写真撮影を出来るなんて夢のような状態だそうだ。

 

エカテリーナ宮殿で最も豪華な「琥珀の間」を独占見学-3

そして反対側の壁もしっかりと写真に収めます。これがエカテリーナ宮殿でも最も目玉の部屋である「琥珀の間」であった。

 

 

「絵画の間」にて

エカテリーナ宮殿の「絵画の間」

そして琥珀の間を抜けると、次に見えてきたのは130枚もの絵画が集められている「絵画の間」である。

 

エカテリーナ宮殿の「絵画の間」-1

ここの絵画は大小バラバラだけど、小さいキャンバス絵は枠の大きさに合わせて周りの景色をつけ足したり、大きい絵はキャンバスを折り畳んだりして、強引に枠に嵌められている作品もあるという。

 

エカテリーナ宮殿の「絵画の間」-2

ここの絵の大半は17~18世紀にフランス・ドイツ・オランダ・イタリアなどの画家たちによって描かれたもので、それを宮廷画家であるG・グロートによって購入されたものだという。

 

エカテリーナ宮殿の「絵画の間」-3

この絵画の中にはピョートル大帝が自分が率いて勝利した”ポルタヴァの戦い””レスナヤ村の戦い”のシーンを作らせた絵画も展示されている。中央左側の大きな絵が”ポルタヴァの戦い”を描いた作品である。

 

「小・白の食堂」にて

エカテリーナ宮殿の「小・白の食堂」

どんどん進んで行きます。こちらは「小・白の食堂」と呼ばれる部屋で、1990年に修復が完了して一般開放された部屋。壁には白い織物が張り付けられており、こうやってライトで照らすとその柄が反射して浮き出ているようにも見える。

 

エカテリーナ宮殿の「小・白の食堂」-1

こちらの部屋もバルトロメオ・ラストレッリの設計で、今まで見てきた部屋と内装は似ている。

 

エカテリーナ宮殿の「小・白の食堂」の天井画

食堂の天井画にはこのような裸婦人像が描かれているけど、あくまでも飾りだったのだろうか?!

 

エカテリーナ宮殿の「小・白の食堂」の内装

床も幾何学模様の柄が埋め込まれている。

 

エカテリーナ宮殿の「小・白の食堂」の内装-1

こちらの絵画はエリザヴェータ時代の、この宮殿と公園の景色が描かれているのが見える。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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