ロシア旅行記:2日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:ロシア7日間」
-2020年3月12~18日
ロシア正教の威厳
ここはロシアでも有数の宗教都市であるセルギエフ・ポサード(Се́ргиев Поса́д)の街。人口は約10万人で古くからロシア正教の中心地でもある場所。
トロイツェ・セルギエフ大修道院にて
ここはそんな宗教都市セルギエフ・ポサードでも、ロシア正教の大聖堂などが密集して造られたトロイツェ・セルギエフ大修道院(Троице-Сергиева Лавра)。そして世界遺産にも登録される事になる、ロシア正教を代表する場所でもある。
そんな敷地内にはロシア正教とは関係ないけど、このようなオベリスクもどきが建てられていた。このオベリスク自体は元々古代エジプト人が石を切り出して造ったもので、それをヨーロッパ人が買い取ったりしてヨーロッパに持ち帰った物もある。ただこれはエジプト産か、ヨーロッパ産のオベリスクかは不明。
雨がポツポツと降る、あいにくの空模様。外人はあまり傘を差さないという話を聞くけど、ボクから見ると日本人が雨に敏感になり過ぎて、傘を簡単に差しているだけのようにも見えてしまう。。
まずはこちらの建物内に入ったけど、ただ残念ながら建物内は写真撮影は禁止されていた。信者側からすると祈りを捧げる神聖な場所なので、下手に海外観光客に写真撮影を許可してしまうと、祈りを邪魔されてしまうのであろう。
あくまでもロシア正教徒用の場所なので、邪魔にならないように見学しましょうね!
この左側に見えるウスペンスキー大聖堂のような、何個もの突起したスライム型のような屋根に、それぞれに十字架を上に載せているのがロシア正教の建物の特徴である。
先程見た、こちらのオベリスクもどきもいつの間にか、一番上は鳥の休憩場所となっていたようだ。この鳥はさっき添乗員さんが説明していた「ニシコクマルガラス」だったのかもしれない。
今までロシアのイメージではキリスト教国家というイメージは全然無かった。というのも20世紀初頭にロシア革命が起きてロマノフ王朝が王位を返上し、その後ソビエト連邦が成立した後は宗教全般が弾圧された。その時代には建て壊されたロシア正教の建物も多く、今見られる綺麗なロシア正教の教会などはソビエト連邦崩壊後に再建・補修されたものが多いようだ。特にプーチン政権ではロシア正教を利用して、その信者を自分の政権支援者に変えようともしているという。
ロシア正教も、その時代の政権に振り回されるのよ!
折角世界中からの外国人観光客が少なくて、のびのびと世界遺産を観光できるハズが残念ながら雨が降ってきたので、動きが止まり一箇所に留まりガチになるツアー参加者さん達。特に今回は総勢7名の参加だけなので、余計にその集団が小さく見えてしまうのである。
このような噴水みたいな場所の真ん中に、十字架が飾られているのは初めて見たような気がする。さすがロシア正教だけあって、今までのキリスト教とはちょっと違うみたい。
雨が降ってきたので、このように全然観光客の姿自体も見えなくなってきた。ただここでは残念ながら雨だったけど、今回のロシア旅行自体は全般的に色んな人気観光地で外国人観光客の姿が激減していたので、とても見学などがし易かった。
ウスペンスキー大聖堂内を見学
さてこれからウスペンスキー大聖堂内を見学していきます。ロシア正教の建物は基本ロシア語で付けられているのでちょっと分かりにくいですが、この「ウスペンスキー」とは永眠などを意味する言葉で、 聖母マリアに捧げられた、ロシア正教版”マリア教会”のような場所のようです。
まずウスペンスキー大聖堂内に入ると、目の前にはビッシリと壁にイコンが隙間なく嵌め込まれているのが見えます。
ウスペンスキー大聖堂内の景色 動画
天井には亡くなった聖母マリアに対して、哀悼の意を表す様子が描かれているのが見える。
本来は単なる神の子供を産んだだけの聖母マリアは、いつの間にかキリスト教内ではその子イエスキリスト並みに信仰される人物になってしまったようだ。
「偉大な人物の母親も偉大である!」という事だろうか?!同じような構図のイコンが、教会内には多数飾られていて、その信仰の強さが理解できる。
こちらには誰かの遺体が安置されているようだ。教会には遺体が埋められている事が多いので、教会内を見学していると知らず知らずのうちに遺体の上を歩いているという事も度々あるのである。
このロシアを訪れた3月中旬は、ロシアではまだまだ累計100人もコロナウイルス感染者は出ていなくて、まだ40~50人程の累計感染者しか居なかった時期。そしてロシア正教内ではこのようにイコンなどに対して、当然の如く直接に口付けをする人が多い。
特にギリシャ正教会系ではこのように神様への信仰を表すのに、イコンに口付けをする機会を多く見かけた。日本人からすると「そんな皆が口付けする場所に、口付けするなんて・・・」と思ってしまう。特にこのコロナウイルスが世界的に流行り出そうとしている頃合いだったので、余計に危なく見えてしまう。
ローマ帝国のコンスタンティヌス帝が国教としてキリスト教を公に認めた事から、このようにヨーロッパ中にキリスト教が拡がっていくのである。しかし一口にキリスト教と言えども、ローマ帝国と同じで東西に分裂し、それぞれに異質な文化を築いていく宗教になるのである。
それにしても教会内の壁中にこのように絵が描かれているのは、東西のキリスト教もそれぞれ同じである。ただこれだけ多くの聖人をちゃんと管理・識別出来ていたのかというのがちょっと疑問だけど。。そしてこちらのフレスコ画は16~18世紀に描かれたものだという。
大聖堂内にはこのように聖人の遺体が聖遺物として保管されている。
日本人からすると死体が目の前に入れられている箱にしか見えないけど、キリスト教徒からはとても神聖な聖遺物なのである。
それにしてもこのように天井裏付近が湾曲している所に、隙間なく綺麗にどうやって絵を描くのだろうかと思ってしまう。
まだロシアがキエフに首都のあるキエフ大公国だった頃、ウラジミール大公の元に色んな宗教がそれぞれに国教にしてくれと宣伝に来たという。そこにはカトリックやギリシャ正教やユダヤ教やイスラム教などの、当時世界的に主力になりつつある宗教の宣伝マンが集結したそうだ。
ウラジミール大公はイスラム教の一夫多妻制は好意的に思っていたが、豚肉やアルコールの飲食を禁止していたのを嫌がった。というのもウラジミール大公からすれば「ロシア人(ルーシー)は日々お酒を飲む事が楽しみの一つであり、それなしには生きている甲斐が無くなる!」と言ったそうな。そして実際にイスラム教のモスクを見学に行った調査団は、モスクでの礼拝は楽しみなどは無くて哀しみしかなく、そして靴を脱ぐ為か悪臭がしたと報告したそうな。
こういった選択の1つが、その後の国の行く末を大きく変えるんだよね!
ただ本当にどの宗教を選択するか真面目に検討した可能性は少なく、当時はビザンチン帝国と親密な関係にあった為にギリシャ正教を選択するのは目に見えていたのかもしれない。
こちら正面祭壇前には「イコノスタシス(聖障:iconostasis)」と呼ばれる、祭壇を区切ったイコンの壁が設置されている。これはギリシャ正教系の教会でよく見られる造りで、一般信者や観光客などはこれ以上先へは進めないようになっている。
こちらは木製で5段の造りとなっていて、それぞれのイコンには聖人などが描かれている。そしてその前には大きなシャンデリアが飾られている。
ギリシャ正教の教会では2段が一番多いそうだが、ロシア正教ではその段が3~5段の物が多いそうだ。同じ宗教でも地域によってその発展の仕方が違って行っているのが、これら細かい所の違いに現れるのである。
1917年に起こったレーニンが主導したロシア革命でロマノフ王朝は退位し、その後に政権を握ったソビエト連邦は1920年にこのトロイツェ・セルギエフ大修道院群を閉鎖する。そして教会の鐘は全部武器を造る為の材料として持ち去られ、歴史的な文化財などは外貨稼ぎや横領により、その多くが持ち去られたそうだ。
ロマノフ王朝の転覆は、ロシア正教にとっても大きな被害をもたらしたのよ!
そしてこちらの壁には大きなフレスコ画が描かれているのが見える。何やら人々が並ばされている様子から、最後の審判の様子を描いたものかもしれない。
絵の真ん中には天秤で魂の重さを図られている光景が描かれている。この「最後の審判」はキリスト教だけではなく、アブラハムを起源とする宗教:キリスト教・イスラム教・ユダヤ教などに共通した考えの儀式である。
なおキリスト教・イスラム教・ユダヤ教それぞれにより最後の審判の解釈は少し異なるけど、簡単に言うと死んだ後に人々が全員復活し、大天使ミカエルによって罪の重さを図られる。そして善意の方が多ければ天国へ、悪意の方が多ければ地獄へ行かされるというお話。
昔のキリスト教やイスラム教の人達はこんな話を信じていたので、今生きている時代ではなく、一回死んだ後に復活した時に地獄に行かされないようにと、必死で生きている時に善意のある行動をしようとしていたのである。「現世が苦しくても、死んだ後に幸せになれるように我慢して生きなさい!」と彼らは考えていたのだが、そういった考えを当時の支配者は利用して、自分の好き勝手に庶民を支配していたのである。
カトリックではあまり聞き慣れないけど、ギリシャ正教ではよく耳にする「イコン(ICON)」という言葉。今回もツアー参加者さんの方が添乗員さんに「イコンって何ですか??」と質問していたけど、ギリシャ正教ではフレスコ画やモザイクやこのような彫刻を総称してイコンと呼んでいるのである。だから「この彫刻はね・・」とか「このフレスコ画はね・・」とかでなく、「このイコンは・・・」という感じで説明すべきなのである。
隣の礼拝堂にて
そしてウスペンスキー大聖堂の見学を終えた後は、隣にあるこちらの礼拝堂に入ります。
こちらはあまり広くないけど、高い天井とその壁毎にそれぞれにフレスコ画(イコン)が描かれています。
そしてその礼拝堂の中に十字架の形をした物から、噴き出る水は聖水とされていて、これでうがいしたり顔や体を洗ったり、飲み水として使ったりするそうだ。実際にこちらのオジサンは大きなペットボトルを持参して、たっぷりと聖水を持って帰っていた。。
ロシア正教徒からすると聖水とされている水だけど、お腹が敏感に出来ている日本人観光客はあまり積極的に口にすべき物ではないようだ。
一応カトリックでもイコンと呼ぶ事はある事はあるらしいけど、まず聞かない。ちなみにこのイコンはパソコンで使われる”アイコン”(物事を絵柄で表現した物)の語源となっているらしい。
こちらの墓石にもあるように、単なる十字架ではなく、上と下にそれぞれ短い板が追加されている十字架がロシア正教の十字架マークである。これは「ロシアン・クロス」とか「八端十字架」(端が8つあるので)と呼ばれるもので、上の短い棒は罪状が書かれた棒で、下は足を掛ける為の板である。
そして下の板が斜めになっているのは、キリストが処刑された時に両脇にいた2人の死刑囚がそれぞれ天国と地獄に行き、上を向いている側の処刑された囚人が天国に行った事を表しているそうだ。
あまりキリスト教が普及していない日本人からすると、カトリックもギリシャ正教もロシア正教も同じ宗教にしか思えないような感じだけど、実際にこうやって目の前でその建物などを見比べると、徐々にその違いが分かってくるのだ。
1920年に閉鎖されたこのトロイツェ・セルギエフ大修道院であったが、当時勃発していた第一次~二次世界大戦の影響で動揺する国民をまとめる為に、1945年にロシア正教へと返されるのである。
宗教はこのように時の権力者のさじ加減によって、運命が左右されるのよ!
ソビエト連邦は無宗教を国内に勧めたが、やっぱり国をまとめるには宗教が大切だというのを思い知ったのかもしれない。
そして小雨で天気は曇っていて、あまり写真映えしなかったトロイツェ・セルギエフ大修道院の見学はこれにて終了。
敷地を出る前に中にある記念品などが置かれているお土産屋さんに、少しだけど立ち寄るみたい。ここセルギエフ・ポサードの名産品にはマトリョーシカがあるみたいで、街にある美術教育玩具博物館ではマトリョーシカ1号品が展示されているそうな。
マトリョーシカはロシア名物で世界的にも有名な民芸品。ただ家にはオカンが数年前にロシアに行った時に買ってきたマトリョーシカがあるので、今回は買うつもりはなかった。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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