ロシア旅行記:5日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:ロシア7日間」
-2020年3月12~18日
一番乗りに限る
ロシア旅行5日目は最初にサンクトペテルブルク近郊にある、ピョートル大帝の奥様であったエカテリーナに贈られたというエカテリーナ宮殿に来ています。
エカテリーナ宮殿にて
入口を進んで奥の階段を登って2階へと進んで行きます。
こちらはそんな正面階段の上に、ポツンと描かれていた絵画。キリスト教の国で若い女性と小さな子供が描かれている構図は、殆どが聖母マリアと幼子イエスである。こちらの絵も詳細は分からないけど、そのように見える。
こちらは大階段中腹に設置されている、大きな時計かと思っていたけど、実はこれ気圧計だという。だから時計のように数字が12まで並んでいる訳でも無かったみたい。
女帝が自分の好きなように宮殿を改造した名残か、階段にはバラなどの花が添えられていた。こういう気遣いというか、配置は何とも女性らしさが出ているように思う。
そして正面階段横には「目覚めるキューピッド」という像が置かれていた。1860年頃に造られた物らしい。
嫌々起こされているように見える。キューピッドも人の形をしているので、それなりに睡眠が必要なんだろうね。
扉の脇にもこんな裸婦人の彫刻が設置されていたりと、ちょっと怪しい場所かとも思ってしまいそうである。。
このようにエルミタージュ美術館(冬宮殿)の正面階段の金キラの装飾とは異なり、こちらは基本白の大理石などを使ってのシックな内装になっている。
確かに金キラの装飾に目が奪われるけど、それだとそこにいる人の存在感が金キラに負けてしまいそうな感じがするので個人的にはこのようなシックな感じの方が好きである。
昔のヨーロッパの偉い人は赤いベルベットの絨毯の上を歩くのが、その推敲成る身分を表していたのかもしれない。
さてこれからエカテリーナ宮殿の見学が始まります。まずはこちらの入口の扉を進んで行きます。
まず入った小さな部屋にはエカテリーナ宮殿の模型が展示されています。外観はさっき外から簡単に見たので、早く豪華な内装を見たい気持ちが止まりません!
「大広間」にて
ここはエカテリーナ宮殿にやって来る客人達をもてなすのに使われた「大広間」である。最も華やかな歓迎会や食事会や仮面舞踏会などが行われたという。
大広間の景色 動画
観光客の少なかった時期に一番乗りでやって来たので、監視員以外はまだ誰も観光客が入っていないので、まるで貸切状態にも見える大広間。普段なら朝イチで来てもすぐに人が溢れる場所らしいけど、この時は後から人がすぐにやって来なかったのでボクらだけの大広間であった。
ガラガラな時に一番乗りだったので、豪華な部屋を独占よね!
ここは先程の正面階段の内装とはうって変わり、金キラの豪華な内装となっていた。
こちらの窓は一部はガラスになっていたけど、大半は鏡が入れられていたのでその反射した景色の分まで大広間が広く錯覚して見えてしまいそうだった。
1756年7月に40人程の規模で正餐祝賀会が初めてここで行われたという。ロシア帝国の威光を放つには、これだけの金で装飾された内装が必要だったのだろう。
この辺りの窓は鏡になっていたのは、あえて広間内を広く見せる為に設置されていたのだろう。
でも初めての祝賀会が行われた18世紀半ばは、まだ電球などのライトが発明されていない時期。なのでここの灯は数百本に渡るロウソクが灯されていたのだろう。今ではスイッチ一つで簡単にライトが点くけど、数百本のライトを点けようと思うとそれはそれで大変な手間だったのだろう。
宮殿内の観光コースでは特に順路の案内板とかは無かったけど、大広間の真ん中部分は立ち入り禁止だった。特に床が割れているとかは無かったので、ここで停滞されたら困るという意図だったのかもしれない。
今回ロシアを訪れたのは3月で寒いのは寒かったけど、やっと今日薄っすらと雪が積もっただけで豪雪地域のような感じに思えなかったロシア。一口にロシアと言っても領土が広いので、その場所毎に気候も様々みたい。
しかしこんな豪勢な部屋もナチスドイツ軍が侵略してきて、ボロボロに破壊されてしまったとは想像すらし難いが、それだけの費用と時間を掛けて再建築したのだろう。ただ第二次世界大戦も約70年も前の話であるが。
宮殿内のライトも一応キャンドルの雰囲気を出す為に、ロシア正教のネギ玉型天井のような形のライトが取り付けられていた。この部分だけでも28本前後のキャンドルが灯されていたのだ。
海外旅行も気候が温暖で過ごしやすい反面、観光客がどこの施設も多い時期を好んで行く人と、気候が寒い時期だけど旅行費用が安く行けるシーズンをあえて狙って行く人がいたりと様々。
この宮殿の内装を指示したエリザヴェータは、フランス文化に傾向していたのでそれっぽい特徴が出ているようだ。いかにもロシアっぽい雰囲気は全然見られない、宮殿内の内装である。
ロシアと言うと多民族国家でもっと雪深い地域で暮らしていた人々の、荒々しくも見える民族衣装などが多かったハズだけど、貴族や王族はやはり日本と一緒で西欧文化に憧れを持っていたのだろう。西欧の人々からしたら、この部屋など所詮自分達を真似ただけの人間の居場所のように思えたかもしれない。
今回のガラガラは特に中国人観光客が少なかった事が、大きく影響していたのかもしれない。何だかんだ言いながらも中国パワーは未だに世界中を席巻しており、当分世界一の国で君臨するハズである。
こちらはこの大広間の天井に描かれていた天井画である。「ロシアの勝利」というタイトルが付いた天井画は、1753年にG・ヴァレニアーニという画家によって描かれたものである。
いかにもキリスト教が国教の国であると感じさせる天井画。それにしてもいつも思うけど、天井画って壁画と比べると1.5倍は難易度があがりそうに思う。。
本当に貸し切り観光にも思える位に、この広い大広間を我々のツアーだけで独占していた。毎回これぐらいの人の少なさであれば有難いのであるが。ちなみに”元衣装屋さんで趣味で絵を描くオジサン” はこの先月(2020年2月)にフランスのルーブル美術館を訪れたが、その時も中国人団体観光客が殆ど居なくて、快適に観光ができたという。
「第一控えの間」にて
そして隣の部屋へと進んで行きます。
こちらは「第一控えの間」という部屋で、先程の大広間へ行く前にある部屋。
今みたいにエアコンが完備されている時代ではなかったので、各部屋には寒いロシアの建物を温める為に使われた本物の暖炉が数多く設置されている。ここでは中央左側に見えるのが暖炉である。
こちらのテーブルには隠し引き戸がありそうな、テーブルにも見える。鏡が付いていたので、ここでお化粧の最終チェックを行っていたのだろうか。
男性アンケートの統計では女性は化粧をしなくても綺麗という意見が多いけど、女性からすると男性の前に出る時は化粧をしてないと出れないと思っているらしい。でもたまに化粧の趣味が行き過ぎてて、ジグザクになった稲妻のような眉毛を描いてる人を見かけると、たまに笑ってしまう。。
ゆっくりと見学しているけど、まだ後ろには次の組がやって来ていません。現地ガイドのナターシャさんもこれだけ空いているエカテリーナ宮殿は初めてだそうだ。
奥へと続く扉毎に「黄金のアンフィラーダ」という、装飾が施されているのが見える。
大広間の空いている光景 動画
普段はあまり寒くない場所に住んでいる人間からすると、家の中に暖炉の必要性がないのでこれらの内装に暖炉があるのに気付きにくい。
よ~~く見ると暖炉の扉までも黄金色になっているのが分かる。
サンクトペテルブルクの街ではエルミタージュ美術館がまず観光客に一番人気で、その次を争うのがエカテリーナ宮殿などである。ただ今では復元された琥珀の間があるけど、そこまで感動的なものとは出会えなかったような・・・。
こちらのは王族や来賓たちが宮殿内で、食事をした時に使った食器などが展示されています。
ヨーロッパの王族たちには銀食器のスプーンやナイフが好まれて使われていた。その裏には有力者は毒を盛られて暗殺される事が多かった為に、ヒ素に反応して黒ずむ銀を使った食器が好まれたという。今の時代でこそ有力者の暗殺は少なくなったけど、昔は日常茶飯事の事であった。なので有力者たちは毎日の食事すら、怪しんで食べざるを得なかったのだろう。
そう思うと華やかに見える銀食器も、それを使わざるを得なかったという時代背景の哀しさが見えてくるような感じがする。
ただ対照的にこちらの金を加工して造ったスプーンは、単に豪勢な感じをアピールするだけのものだったのだろう。裏側には丁寧に彫刻まで入っている。
先程の大広間は1980年に修復が完了し、部屋では約7kgもの金が使われたそうだ。でもこの部屋もそこそこな金キラの装飾なので、それなりの金が使われているのだろう。
そんなエカテリーナ宮殿内には来訪者が記帳する本が置かれていた。上着にスマホを入れたまま、クロークに預けてしまった為にここで全然写真を撮れなかった”元DNPで営業をしていた奥様”は、代わりに記帳していた。。
こんな感じで豪華絢爛なエカテリーナ宮殿。華やかさを求めたロシアの女帝達の威光が残る城跡は、まだまだこれからが本番です。
こんな旅はまた次回に続きます!
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