ロシア旅行記:5日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:ロシア7日間」
-2020年3月12~18日
やっぱり寒い国・・・
朝起きてみるとサンクトペテルブルクの街には、ご覧のように薄っすらと雪が積もっていました。しかし今日の天気は曇りで、これ以上雪が強く降るようでも無さそうなお天気だそうだ。
サンクトペテルブルクにて
さて今日も朝一番に朝食会場へと乗り込みます。この日の朝食会場の受付のお姉さんは融通が利かなくて、開店時間ちょうどにしか入れてくれなかった・・・。
さて今日もこのオジサンにスクランブルエッグを作ってもらいます。そしてトマトやたっぷりのチーズを加えて調理してもらいます。
そして昨日から考えていた通り、普通にスクランブルエッグを食べるのでは面白くないので、こちらのフレンチトーストに挟んでサンドイッチにしてみる。
いつもはあれこれ野菜なども取るのだけど、この量があれば充分にお腹が膨れるのでパン以外は控えめにしてみた。
フレンチトーストで挟んだ、チーズたっぷりスクランブルエッグは思った以上に美味しかったけど、スクランブルエッグ単体を食べた他のツアー参加者さんからはあまり好評では無かったけど・・・。
こちらはホテルの上層階からの周辺の街並み。ロシアに来て5日目でやっと待望の雪を見る事が出来て、テンションが上がる光景である。
しかしそんな本降りで雪が降った訳ではなく、寒いサンクトペテルブルクの街では序の口レベルの積雪なんだろう。
大阪に住んでいるとここ数年は雪など全然見れないけど、やっぱり雪を見れると老若男女問わずに童心に返った感じでウキウキとしてしまうようだ。
エカテリーナ宮殿へ向かう
ホテルのすぐ近くに見えていたこちらの門は「モスクワ凱旋門」(Московские Триумфальные ворота)で、19世紀前半にロシアとオスマントルコ帝国との間で行われた戦争で、見事に相手を打ち負かした戦争記念碑である。
ホテルからエカテリーナ宮殿までは車で約30分の距離にある場所。
大国であるロシアはそれだけ過去に多くの戦争を行ってきた国。そしてその戦争には多くのロシア国民が駆り出されたのである。それと第二次世界大戦で最も戦死者が出た国はロシアであり、その数は2,300~2,800万人にものぼると言われています。ちなみにこちらに設置されているのは、レーニンの像である。
ロシアが軍事大国として大きく動き出したのは、ピョートル大帝時代に徴兵制度を始めてから。そしてピョートル大帝は西欧の船造技術を学び、海岸沿いでは戦艦隊を作り、それから無敵艦隊などとしても有名になる。
そして見えてきたのはその第二次世界大戦で激戦となった、このサンクトペテルブルクの街を慰労する”大祖国戦争”(Великая Отечественная война)の戦勝記念碑である。ロシアでは第二次世界大戦という識別はなく、ナチスドイツ軍と戦った1941年6月22日~1945年5月9日の期間を「大祖国戦争」と呼んでいる。
ちなみに1812年にナポレオン率いるフランス軍と戦った戦争は、ロシアでは「祖国戦争(1812年)」と呼ばれている。特にロシア人はこの2つの戦いで勝利した事を誇りに感じていて(そう教え込まれているのかもしれないが・・)、何かと自民族の誇りとしているようだ。
その”大祖国戦争”時には今のサンクトペテルブルクという街の名前ではなく、偉大な指導者レーニンに因んだレニングラードと呼ばれていた。そしてそんな街を狙ったナチスドイツ軍が、この街周囲を包囲して約900日に及ぶ「レニングラード包囲戦」(1941年9月8日~1944月1月27日)を行った。
周囲を包囲されたレニングラードは食糧が不足し、餓死する人も多く出たそうだ。なので街中にいた猫も全て捕らえられて食糧にされたらしい。その為にレニングラードの街中には天敵がいなくなったネズミが大量発生し、穀物類などを襲われる事になった。その対策としてナチスドイツ軍の包囲網を打ち破った後に、ネズミ退治の為にトラック2台分の猫ちゃんが連れて来られたという。
大勢のロシア国民が亡くなった戦争なので、絶対に忘れてはいけない歴史なのよ!
戦勝記念碑を眺める 動画
こちらは古代エジプトの建物を真似て、造られたような門が見える。
エカテリーナ宮殿付近に到着
そうしてエカテリーナ宮殿近くに到着します。ここも薄っすらと雪が積もっているけど、思ったよりも雪が積もっていなかった。
今回のツアー参加者さん達はボクも含めて7名で、バスはいつもの大型バスだったので、車内の席はガラ空きであった。
3月のシーズンはまだ冬場のロシアでかつ朝一番に訪れたので、周辺のお土産屋さんはまだ営業していなかった。
中にはそろそろ準備をしだすお店があった。ただこのようなゴツい毛皮をしているのを見ていると、寒いロシアに来たという実感を受ける。
正面に見えてきたのは、ロシア正教の教会ではなく、エカテリーナ宮殿である。ツァールスコエ・セローという地方にあるので、「ツァールスコエ・セロー」(Царское Село)とも呼ばれる。隣接する公園まで含むと300ヘクタールという広大な敷地である。
当時の大国スウェーデンとの覇権を争った大北方戦争(1700~1721年)で、ロシアが奪還したこの地方に当時のピョートル大帝の皇后であるエカテリーナ(1世)に与えた宮殿が始まりである。
そんな宮殿もその後のエカテリーナ1世の娘であるエリザヴェータ治世時代には、抜本的な再建が行われて豪華絢爛な内装の建物へと変貌するのである。
エカテリーナ宮殿の敷地へと進むにはこちらのゲートを通る必要があったけど、冬場だからか特にチケットのチェックとかは無かった。
敷地内に入るとエカテリーナ宮殿の正面が見えてきました。豪華絢爛な建物だけど、この建物も第二次世界大戦でナチスドイツ軍に攻撃され占領されて、建物内の豪華な品物などは持ち去られて破壊されてしまった。なので今見られる建物は戦後に再建されたものである。
雪じゃなくて小雨が降っていた。現地ガイドのナターシャさんはロシア人だけど、あまり雨が降っていないにも関わらずに傘を差していた・・。
広いエカテリーナ宮殿のある敷地。サンクトペテルブルクにはもう1つ、電力を全く使わずに噴き出る噴水が多くあるペテルゴフ宮殿もあるけど、冬場は水が氷る為に噴水は止められているので観光はしないようだ。
エカテリーナ宮殿の景色 動画
今見られるエカテリーナ宮殿のデザインは、ロシア皇帝でピョートル大帝とエカテリーナ(1世)の娘でもあるエリザヴェータ・ペトロヴナ(Елизавета Петровна)がお気に入りの宮廷建築家であるバルトロメオ・ラストレッリ(Bartolomeo Rastrelli)に依頼したものである。
イタリア人建築家ラストレッリの建造物といえば昨日訪れた冬宮殿であるが、寵愛を受けていたエリザヴェータ皇帝が亡くなってその跡を継いだエカテリーナ2世には拒否され、外装のみで内装は別の建築家が設計したのである。
戦争は多くの人々と共に歴史的な建造物なども破壊してしまう。しかし色んな物を潰す事も出来る人類は、色んな物を再生する能力もある。今ではすっかり綺麗に再建されているエカテリーナ宮殿は、そんな再建されたものだという感じが全然しない。
こんな歴史的な建造物もナチスドイツ軍によって、無慈悲に破壊されてしまったのよ・・・
ロシアでは女帝が4人、歴史上に名を連ねているのでその影響で色んな文化が発生している。このような豪華な建物も贅沢をする人間が居るから、造られたものなのである。
このエカテリーナ宮殿も普段なら多くの観光客で混み合う場所だという。冬場というのもあるけど、コロナウイルス騒動によって海外渡航客が少なくなっている影響が大きいようだ。
エカテリーナ宮殿がオープンするのは午前10時から。まずはこの先にあるトイレ(無料)に行って、用を済ませます。
雪も地面には少し積もってはいるけど、そこまで雪景色には見えない。
思った以上に綺麗な外装だったので、まだ最近外装の補修が行われたのかもしれない。
エカテリーナ宮殿の左側の入口が入場扉となっている。しかし時間通りにしか開かないようで、意外と時間には正確なロシアでした。
戦争というのは基本的に戦う相手を蹂躙していくので、勿論相手の文化や建造物などは基本的に破壊されてしまう。ナチスドイツ軍はそれを徹底して行っただけで、戦争有事にはそれが当然の行為でもあったのである。
エカテリーナ宮殿の入口で、一番乗りにと並ぶツアー参加者さん達。観光客が多いシーズンだとここにズラ~~っと大勢の人が並んでいるとは、この写真を見ている限りでは想像にも付かないのである。
こんなにオープン時間前に並んでいる人が少ないのは、初めて見たわよ!
エカテリーナ宮殿内へと進む
時間ちょうどの午前10時に入口の扉が開いて、中に入ります。
まずはここでもクロークに上着を預けます。受付のオバサンはゴッツい防塵用マスクを付けていた。この当時はまだロシア国内では累計感染者は100人にも達していなかったけど、観光客が多く訪れる場所で働く人達はマスクを付けている人が目立った。
上着を預けるとこちらの預かり証を貰えます。ある奥様は上着にスマホを入れたままクロークに預けてしまったので、エカテリーナ宮殿内の写真が撮れずじまいで残念がってました。
さて宮殿内へと一番乗りで進んで行きます。一番乗りが大好きなのは、アジア系の人間が多いようだ。
エカテリーナ宮殿で入口を入って進んで行くと、3軒ほどの売店が並んでいる。帰る際に少しだけ店内を見れる時間をくれるらしいので、帰りのお楽しみという事で先を急ぎます。
そしてここでチケットをかざしてゲートを通ります。今ではどこでもこのように機械での入場ゲートが多くなっています。有人ですると間違いや不正なども多いらしいので、正確な機械ゲートが普及していっているようだ。
そしてこれより先に進む為には地面を汚さないようにと、こちらの籠に入った靴カバーの着用が必要となります。
こういった不織布の靴カバーは水色のイメージが強いけど、ここではこの茶色だった。汚れが目立ちにくい茶色の靴カバーで、再利用しているのだろうか?!
そしてこちらの階段を登って2階へと進んで行きます。昔は王族などにしか入れなかった場所ですが、今では入場料金さえ払えば誰にでも入る事が出来ます。そういう意味では現代に生まれている自分が、とても幸せな事を実感する瞬間でもあります。
エカテリーナ宮殿の階段を登る 動画
エカテリーナ宮殿内の2階部分は白い彫刻などで出来ており、そこに赤いカーテンが取り付けられているので、メリハリがある内装となっています。さてこれからエカテリーナ宮殿内の見学へと進んで行きます。
こんな旅はまた次回に続きます!
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