エルミタージュ美術館でアンリ・マティスの絵を見て、晩飯はピロシキ【ロシア旅行記㉜】

ロシア旅行記:4日目

阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:ロシア7日間」
-2020年3月12~18日

絵画の後のピロシキ

エルミタージュ新館にて

エルミタージュ新館にある「マティスの間」で絵画を鑑賞する

さてサンクトペテルブルクにある、ロシア最大の美術館であるエルミタージュ美術館の鑑賞はこの会でやっと最後になります。実際には約4時間に渡っての絵画鑑賞で、既に皆さんお疲れの色が出ているようでした。。

 

「マティスの間」にて

『会話』 (Conversation) by アンリ・マティス

『会話』 (Conversation)
by アンリ・マティス(Henri Matisse)

1910年頃の作品。20世紀を代表する芸術家とも称されるアンリ・マティスは、鮮やかな色彩を用いて華やかな絵画を残している。

今まで見てきた作品と比べると、明らかに鮮やかな色使いでボク好みである!

 

『画家の家族』 (Painter's Family) by アンリ・マティス

『画家の家族』 (Painter’s Family)
by アンリ・マティス(Henri Matisse)

1911年頃の作品。マティスの家の中はとても鮮やかに彩られているけど、実際にこれだけ鮮やかな内装だったのか、それとも実際の内装以上に鮮やかに描いているだけなのかな?!

 

左:『ダンス』 (Dance) by アンリ・マティス(Henri Matisse) 右:『音楽』 (Music) by アンリ・マティス(Henri Matisse)

左:『ダンス』 (Dance)
by アンリ・マティス(Henri Matisse)
右:『音楽』 (Music)
by アンリ・マティス(Henri Matisse)

1909年と1910年頃の作品。マティスの作品の中でも最も大きい部類に入っており、ロシア人実業家セルゲイ・シチューキンが自宅の階段に飾る為に発注した絵画だそうだ。特にこれと言った画法は使わずに、体が赤く塗られた人間など鮮やかな色で大胆に描かれた作品。

 

エルミタージュ新館にある「マティスの間」で絵画を鑑賞する-1

このマティスの絵を見ながら絵画を見ていくと、確かに絵の鮮やかな色使いの程が理解できる。ブルー色の背景に赤い色の肌の人間なんて、なかなか常人の発想では描けない絵である。

 

左:『モロッコ人のアミド』 (Moroccan Amido) by アンリ・マティス(Henri Matisse) 中央:『アラブのコーヒー店』 (Arab Coffeehouse) by アンリ・マティス(Henri Matisse) 右:『立つゾラ』 (Zorah Standing) by アンリ・マティス(Henri Matisse)

左:『モロッコ人のアミド』 (Moroccan Amido)
by アンリ・マティス(Henri Matisse)
中央:『アラブのコーヒー店』 (Arab Coffeehouse)
by アンリ・マティス(Henri Matisse)
右:『立つゾラ』 (Zorah Standing)
by アンリ・マティス(Henri Matisse)

1912~13年頃の作品。アラブ系の建物などは意外と色んな色彩が使われて鮮やかな装飾が多いので、それに惹かれてアラブ系の国に影響されていたマティスかもしれない。

 

左:『画家の妻の肖像』 (Portrait of the Artist's Wife) by アンリ・マティス(Henri Matisse) 右:『緑の中のモロッコ人』 (Moroccan in Green) by アンリ・マティス(Henri Matisse)

左:『画家の妻の肖像』 (Portrait of the Artist’s Wife)
by アンリ・マティス(Henri Matisse)
右:『緑の中のモロッコ人』 (Moroccan in Green)
by アンリ・マティス(Henri Matisse)

1912~13年頃の作品。他のマティスの絵は鮮やかさがあってイイ感じの絵画だったけど、左の奥さんの肖像画だけは骸骨を描いているように感じた・・・。

怖い奥さんだったのかな・・・?!

 

『魚屋』 (La poissonnerie) by  ベルナール・ビュフェ

『魚屋』 (La poissonnerie)
by  ベルナール・ビュフェ(Bernard Buffet)

1951年頃の作品。ベルナール・ビュフェはフランス人画家で、第二次世界大戦後でも有名な画家。彼の作風は大きな戦争での傷跡による、無気力感などが表現されていて、何とも暗い感じの作品に見える。

 

 

『エルミタージュ美術館』 (Санкт-Петербург, Эрмитаж) by  ベルナール・ビュフェ(Bernard Buffet)

『エルミタージュ美術館』 (Санкт-Петербург, Эрмитаж)
by  ベルナール・ビュフェ(Bernard Buffet)

1991年とまだ比較的新しい作品で、このエルミタージュ美術館を描いたもの。この作品も暗い感じの風景画となっている。

 

なお日本の静岡県にはベルナール・ビュフェ作品ばかりが集められた美術館が造られているという。

 

 

『コンポジション6』 (Composition VI) by  ワシリー・カンディンスキー

『コンポジション6』 (Composition VI)
by  ワシリー・カンディンスキー(Vasily Kandinsky)

1913年の作品で、ワシリー・カンディンスキーが「コンポジション」と名付けた、計10枚に渡る大作の1枚である。

 

 

左:『コンポジション5のスケッチ』 (Sketch for Composition V) by   ワシリー・カンディンスキー(Vasily Kandinsky) 右:『景色』 (Landscape) by   ワシリー・カンディンスキー(Vasily Kandinsky)

左:『コンポジション5のスケッチ』 (Sketch for Composition V)
by   ワシリー・カンディンスキー(Vasily Kandinsky)
右:『景色』 (Landscape)
by   ワシリー・カンディンスキー(Vasily Kandinsky)

左:1911年、右:1913年頃の作品。やっとこれでエルミタージュ美術館の鑑賞は終わりである。それにしても絵画の鑑賞がこれほどに疲れた事は初めてだけど、今思えば事前に収容されている名作絵画や画家の作品などをチェックしておけば写真の撮り残しが無くて済んだのだろう。。

 

『黒の正方形』 (Black Square) by カジミール・マレーヴィチ

『黒の正方形』 (Black Square)
by カジミール・マレーヴィチ(Kazimir Malevich)

1915年頃の作品。最後に見る作品としては、何とも異質というか、「これが絵か??」と思ってしまう作品。しかしここに展示されているという事はそれなりの価値があり、ロシア国内だけでもこの「黒い正方形」の絵が4枚もあるという。。

マトちゃん
マトちゃん

凡人にはこんな構図の絵を描こうという発想は、思いつかないわ・・・

 

 

『黒の正方形』 (Black Square) by カジミール・マレーヴィチの説明パネル

何とも大胆な絵である。しかし印刷する時の黒い色は単なる黒色だけではなく、「リッチブラック」(CMYK各100%ベタ)という印刷の仕方もあるように、黒以外に他の色を加える毎に深みを増していく色なのである。だから一概に黒色というのも意外と難しく、印刷業に関わる人間からすると「黒色」という色の指定に苦しむ時がある。

人によっては「単純な四角形の黒色の絵」と判断されてしまうけど、見る人間によっては単純な絵ではなく、それなりに深みのある絵へと変貌する、見る目を選ぶ絵なのかもしれない。

 

エルミタージュ新館の内観

そして約4時間に渡るエルミタージュ美術館の鑑賞を、やっと終了します。そろそろ外の新鮮な空気を吸いたくなっていたので、「早く、早く・・・」と思う瞬間でしたね。

 

エルミタージュ新館の扉から外に出る

そうしてやっと旧参謀本部だった建物を出る事に。外は寒いけど、天気はいいし空気も綺麗なハズ。

 

エルミタージュ美術館前に広がる広場

色んな歴史的な芸術家が描いてきた絵画の数々は素晴らしいけど、やっぱり地球が生み出した自然の素晴らしさには敵わないと思う。絵画は五感の内でも視覚しか使わないけど、自然環境が造る景観は五感をフルに使うからである。

 

エルミタージュ美術館の建物

午後になり暖かくなって人が増え始めた宮殿広場。海外の観光地では過去の偉人の恰好をした、ボッタクリに近いモデルがウヨウヨしていた。ロシアでは特にエカテリーナ2世のような、厚化粧とドレスを着た女性が多かった。エカテリーナ2世だと太っていてもOKみたいなので、特に多いのだろう。

 

エルミタージュ美術館周辺の建物

さて時間はまだ16時半ぐらいだったけど、今日の観光の日程は終了したのでちょっと早いけど、これから夕食のレストランに向かう予定。個人的にはちょっと寄り道してくれても良かったけど、日程に無い場所はあまり案内しないのだろう。

 

 

夕食のお時間です!

サンクトペテルブルク市内を歩く

バスに乗って約10分程で目的地付近に到着したので、バスを降ります。

まだ16時35分頃とだいぶ早かったので、個人的には近くにあるカザン大聖堂位でも案内して欲しかった。。

 

サンクトペテルブルク市内に置かれていたバイク

こちらには水玉模様のようなバイクが道に置かれていた。前後のタイヤとも空気が入っていなかったので、乗る為の物ではなく、あくまでもお店のオブジェとして置いていたのだろう。

 

サンクトペテルブルク市内にあるレストランへと入ります

そして目的地のレストランは、こちらの階段を下がった場所にあるようです。夏場の暖かい時期だと上のテラス席もあるようですが、この3月はまだ寒いので勿論テラス席はなし。

 

レストラン【マシャ・イ・メドヴェジ】
(Маша и Медведь)

 

住所:Malaya Sadovaya St, 1, St Petersburg,191023

 

 

 

サンクトペテルブルク市内にあるレストラン【マシャ・イ・メドヴェジ】の中

建物の地下にあるお店だったので、あまり天井は高くなかったけど、そこそこに広かった店内。

 

サンクトペテルブルク市内にあるレストラン【マシャ・イ・メドヴェジ】に置かれていた人形

意外とロシア料理は美味しいというのが分かった、今回のロシア旅行。添乗員さんに聞くと海外旅行後のアンケートでは、必ずと言っていい位に食事の欄だけはとても評価が低いそうだ。

 

サンクトペテルブルク市内のレストラン【マシャ・イ・メドヴェジ】に置かれていた、ピロシキを抱える熊の人形

レストランの入口には、ピロシキが山盛りに入った籠を抱えた熊さんが出迎えてくれている。

 

レストラン【マシャ・イ・メドヴェジ】の席に座る

まだ夕食には時間が早かったので、店内には他のお客さんの姿は見えなく、ボクらの独占状態であった。

 

レストラン【マシャ・イ・メドヴェジ】で出てきたぱん

最初はやっぱりパンが付いている。ちなみにパンのお代わりも出来るので、沢山食べたい人には嬉しいだろうとは思うけどボクはあまり食べないので、別にパンが要らない位でもある。

 

レストラン【マシャ・イ・メドヴェジ】で出てきたビール

寒いサンクトペテルブルクの街だったけど、それでもビール一筋のボク。ロシアではウォッカというイメージが強いけど、食事中に飲むイメージはないしね。ちなみにこちらのビールは400ルーブル(約600円)。

 

レストラン【マシャ・イ・メドヴェジ】で出てきたスープを注ぐ

そして寒いロシア地方で体が暖まるスープは、ロシアの名物ともなっている。ただこのお店では店員さんがスープを注いでくれる訳では無く、ド~~ンと容器を置かれたので福岡からお越しの奥様がスープを代わりに注いでくれました。

 

 

レストラン【マシャ・イ・メドヴェジ】で出てきたスープ-1

ロシアでは単なるスープではなく、色んな野菜などの具が入っていて、野菜好きのボクからすると結構気に入ったスープである。

 

レストラン【マシャ・イ・メドヴェジ】で出てきたポーク肉

そして今回の夕食のメインは、こちらのポーク肉である。ロシアに来る前はロシア人女性は30代以降になると、急激にマトリョーシカの一番外側みたいに丸っこい体型になるイメージがあり、その分レストランで出てくる料理も多いと思っていたけど、意外と量に関しては多くなく丁度いい感じであった。

 

レストラン【マシャ・イ・メドヴェジ】で出てきたポーク肉-1

今までの旅行先で料理が美味しかったのはポーランドだけど、ロシアは一時期ポーランドに占領されたり、逆に占領していた時期もあるので、意外と食文化については近いのかもしれない。

 

レストラン【マシャ・イ・メドヴェジ】で出てきたフルーツ

食後のデザートはカットフルーツ。甘いケーキに比べると、よっぽどフルーツの方が体にいいのでパクパクと食べてしまった。

 

レストラン【マシャ・イ・メドヴェジ】で熊さんの人形に挨拶する

さて美味しかった夕食を食べさせてもらったお礼を、入口近くに立っていた熊君にご挨拶する。

美味しい料理、スパスィーバ(ありがとう)である!

 

レストラン【マシャ・イ・メドヴェジ】周辺を歩く

早い夕食を食べ終わりドリンク代の清算を済ませて、レストラン内で待つのも面白くなかったので、先に1人でレストランの外へ出て周辺を散策してみる事にした。

 

レストラン【マシャ・イ・メドヴェジ】周辺を歩く-1

本当はサンクトペテルブルクの夜も散策したかったけど、コロナウイルスの世界的な感染拡大を考慮して自粛した。このロシアを訪れている3月中旬の時期は、まだロシア国内ではコロナウイルス感染者累計が100人にも満たない時期であったけど。

 

レストラン【マシャ・イ・メドヴェジ】周辺のネフスキー大通り

目の前にはサンクトペテルブルクの街を代表するネフスキー大通り(Не́вский проспе́кт)があり、その先にある公園にはエカテリーナ2世の銅像と、更にその先にはアレクサンドリンスキー劇場というバレエなどが行われる建物も見えている。

 

 

サンクトペテルブルク市内のネフスキー大通り

こちらのネフスキー大通りを進んで行けば、ノヴゴロドとモスクワまで繋がる道となっている。ちなみに「ネフスキー」という言葉は、「ネヴァ川の~」という意味となっている。

 

ネフスキー大通りの景色 動画

 

サンクトペテルブルク市内のネフスキー大通りにあるスターバックス

そんなサンクトペテルブルクの街の中心部にも、よ~~く見たら控えめな外装のスターバックスがあった。もしスターバックスの看板が無いと、外から見ると分からない位の外装だった。

 

サンクトペテルブルク市内のネフスキー大通りにある建物

サンクトペテルブルクはピョートル大帝が西欧諸国に憧れを持って造った街なので、その匂いがプンプンする街でもある。こちらの建物は1903年に建てられた「エリセーエフスキー」(Eliseevs Food Hall)という高級食料品が入っているそうだ。

 

サンクトペテルブルク市内のネフスキー大通り沿いにある劇場

公園の奥にあるアレクサンドリンスキー劇場は1756年に建てられた建物で、当時の女帝エリザヴェータの命によりロシア帝国で最初の劇団が配置された。建物上部にはモスクワにあるボリショイ劇場のアポロン像のような、似た馬がいななく像が見える。

 

サンクトペテルブルク市内のネフスキー大通り沿いにあるエカテリーナ二世の像

こちらは1873年に造られたエカテリーナ2世(大帝)を記念して造られた、鐘型をした像が見える。女帝エカテリーナ2世の治世時代は、ロシア帝国は最も広い領土を支配する全盛期でもあった。そして像の中腹には、彼女の治世自体に活躍した将軍などの重要な人物たちが鎮座している。

 

レストラン周辺に置いてある像

サンクトペテルブルクの街は、中心部に色んな歴史的な建造物が集まっているので、徒歩でも充分に観察できそうだった。

 

レストラン周辺にいたマスコット

忍者っぽいような怪しい着ぐるみをした客引きが、レストランの近くをウロウロしていた。。

 

レストラン周辺の建物

意外とツアー参加者さん達がレストランから出てこなかったので、バスが停まっている辺りで待っていた。なおこの食事にはツアー参加者さんの1人の奥様が、体調が悪くなったという事で夕食を食べずにバスに籠っていた。

 

サンクトペテルブルク市内を走るバスから見えた景色

サンクトペテルブルクは、このネヴァ川があったから造られた街かもしれない。しかしこんな大きな川が冬場には凍るなんて、この時は想像にも出来なかった。

 

サンクトペテルブルク市内を走るバスから見えたアニチコフ橋

左側に見えるのは橋の上に馬使いの銅像があるアニチコフ橋(Аничков мост)である。元々は1716年頃にピョートル大帝の命により造られたが、今見られる橋は1842年頃に造られ、その後1908年頃に再建された物。特にバスなどに乗っていても馬使いの像が見えるので、橋が多いサンクトペテルブルクの街でも特徴的な橋である。

 

バスから見える景色 動画

 

サンクトペテルブルクのお土産店で購入した現地のガイドブック

こちらは午前中にサンクトペテルブルクのお土産店で購入した、現地のガイドブック。550ルーブルで約850円程。

 

エルミタージュ美術館内で、購入したガイドブック

こちらはエルミタージュ美術館内で、現地ガイドのナターシャさんの顔見知りのスタッフから購入したガイドブック。ナターシャさんがオススメする位だったけど、エルミタージュ美術館の事ならこれ1冊で充分な位に、結構な情報が記載されていた。なおこれは600ルーブルで約900円で、特別に日本円1000円札でも購入可能だった。

 

エルミタージュ美術館内で、購入したガイドブック-1

そしてブログ作成時用にと更にもう1冊を、エルミタージュ美術館内の本屋さんで購入する。1冊1200ルーブル(約1800円)というそこそこなお値段だったけど、さっき購入したガイドブックよりは詳しい情報が載っていた。
しかしこの厚みがある本って意外と重たくて、調子に乗って本を買い過ぎると帰りの際の荷造り時に、重たい本を購入した事を後悔するのであった・・・。

本の代わりに泣く泣くウォッカを捨ててきました・・・・

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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