ロシア旅行記:6~7日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:ロシア7日間」
-2020年3月12~18日
ロシアともお別れ
さていよいよ日本へと帰らないといけない日がやって来ました。いつもの海外旅行では現地で1人夜の出歩きをするのですが、今回はコロナウイルスの影響もあったのでサンクトペテルブルグでの夜歩きは自粛した為に、ちょっと消化不良のような感じを残してしまいました。。
サンクトペテルブルグのプルコヴォ空港にて
まずはここプルコヴォ空港からモスクワまで、S7航空の国内線飛行機で向かいます。モスクワまでは1時間40分程のフライトです。
まだ搭乗時間まで余裕があったので、空港内を少し散策してビールを飲む事にします。
そしてツアー参加者さんのオジサマと一緒に、お店に入ってビールを注文します。こちらのビールは結局チップ込みで500ルーブル(約750円)と、空港ならではのいいお値段でした。
ここでゆったりくつろぎビールを飲みながら、一緒にいたオジサマと今回のロシア旅を振り返ります。個人的にはもう少しサンクトペテルブルグの街散策をしたかったのが心残りでしたが、ロシアの国自体は勝手なイメージが頭にあったけど、このように実際に来てみると全然違う素晴らしい国だという事に気付けたので充分に幸せでした。
この空港が最後にルーブルの現金を使うチャンスだと思って入ったけど、結局ここもカードと現金での両方の会計は出来ずに、仕方なしにカードで支払う事に。そして一緒にビールを飲んだオジサマの余ったルーブルの細かい小銭を貰って、結果的にはルーブルの小銭が増えてしまう事になる。。
空港での待ち時間も誰かと楽しくお話をしていると、あっという間に過ぎてしまう感じがする。そしていつの間にか搭乗開始時刻となったのでゲートへと向かいます。
国内線でモスクワへ向かう
モスクワへ向かう国内線の乗客は少ないかなと予測していたけど、そこそこに乗り込んでくる人がいました。こちらは座席に用意されているパンフレットの中の、スマホの広告ページ。
モスクワまでの国内線の搭乗率はそこそこだった。
お隣ではマスクを着用して壁にもたれかかって爆睡をしていた、ロシア人と見られる女性。なお、こちらのお姉さんは結局成田へ行くJAL便にも乗って、一緒に日本へ行く事となりました。
モスクワのドモジェドボ国際空港にて
フライト時間は約1時間40分であっという間に、モスクワの南側にあるドモジェドボ国際空港に到着します。短いフライト時間だったけど、簡単なサンドイッチの軽食が機内サービスとして出てきましたが、ボクはパスしました。
実に3日ぶりにモスクワへと帰ってきました。しかしまた直ぐにモスクワから旅立ってしまうのですが・・・。
この時ロシアでは中国人や西欧のコロナが広がったフランス・イタリア・スペインなどやイランなどの国からの入国は既に制限されていたので、全般的に観光客は少なめでした。
そして残ったロシアのお金であるロシア・ルーブルを使い果たそうと思っていたら、福岡からお越しの”元DNPで営業をしていた奥様”から「私もルーブル残っているから、奢るから一緒にビールを飲もうよ!」とお誘いを受けて、先程サンクトペテルブルグの空港でも一緒に飲んだオジサマと3人でビールを味わう事に。
今回のツアー参加者さんはボクを入れて合計7名と少なかったけど、それなりに楽しい人ばかりで今回も充分に楽しめた。
いつもは日本の空港に到着してから”日本に帰ってきたという実感”が湧いてくるのだけど、日本の航空会社であるJAL便だと日本人乗務員ばかりなので、飛行機に乗り込んだ瞬間に日本に帰ってきたかのような錯覚を受けてしまうのである。
さてまだ搭乗開始時刻まで時間があったので、少しの間だけでもプライオリティパスの使えるラウンジに行って、更にビールを飲む事にする。そのラウンジは空港の2階部分にあったけど、さっきの1階に比べるとご覧のように全然人が居ないのであった。。
勿論ラウンジ内も全然人が居ません。なので利用客からすると、とても快適な状態でラウンジで過ごせるのである。
お腹は減ってないけど、空きっ腹にビールを飲むのはあまり良くないので、サンドイッチをつまむ事にする。
太陽の光が当たってポカポカしていた窓側の席に座る。ただアルコールを飲んでいるのもあるし、ポカポカ陽気で気持ちいいので寝てしまわないようにだけ注意が必要である。
これでロシアの景色を見るのもお別れである。
是非またロシアに来てくださいね!
この有料ラウンジも全然お客さんが入って来なかったので、とても暇そうにしていた。
さて、搭乗開始時刻も近づいてきたので、そろそろJALさんのお世話になりますか。という事で搭乗ゲートへと向かいます。
モスクワからJAL直行便で成田へ
帰りの飛行機も事前にウェブ・チェックインを済ませていたので、ある程度機内の乗客数は把握していた。2~3割程の搭乗率で何とも寂しい感じだけど、逆に今の時期は隣がいないに越した事はないし、横になって寝れるので有難い。
飛行機が飛び立つと、まずはおつまみと共にドリンクを運んで来てくれます。既に飛行機に乗った時にCAさんにチョコレートをプレゼントしていたので、ドリンクを持って来てくれたCAさんから「わざわざお土産、ありがとうございます!」と声を掛けてくれました。
そしてそのドリンクサービスの30分後には、まず1回目の機内食が出てきます。「ドリンクのお代わりはどうされます?」と聞かれたので「じゃあ、もう一本ビールをお願いします!」と伝える。するとそのCAさんはおもむろにアサヒビールを取り出して、プシューと開けた後に「あっすいません、サントリーがお好きと仰ってましたよね。すいません、直ぐに取り替えますね!」と開封したビールを交換しに行って、わざわざサントリーのビールに替えてくれました。
個人的にはわざわざビールの栓を開けたんだから「それを飲むよ」と伝えたけど、「いいえ、ダメです!」と交換してくれたCAさんは、まさしく日本的な真面目なサービスの象徴であった。ちなみに日本に帰ってからオカンにこの話を伝えると、「その開けたビール、カーテンの裏でCAさんが飲んでたんとちゃうか?!」との事。。
こちらの機内食はポークカツだった。カツっぽい色はしていなかったけど、確かにカツだった(でもベチャベチャだったけど・・・)。
そして機内が消灯されてお休みモードに入っていた時に、静かな機内アナウンスが流れた。「ただいま、窓からオーロラが見える場所を飛行しております!」との事で、今までの人生で直接オーロラを見た事が無かったので、窓に食い入るようにしがみついてオーロラを眺めてみた。
それよりも下の地面の方を見下ろした、この景色の方がまだ明るくてキレイに感じた。
そして2回目の機内食は、こちらの軽食で流石にビールは飲まずにコーヒーをチョイスする。
機内はガラガラだったのにわざわざボクの席の前列に移動して来る奴が、邪魔で仕方なかった。その前の席も空いていたので、1列位開けて座って寝ればいいのに・・・と少しムカムカもしながら快適に機内を過ごしたのである。
そして無事飛行機は成田空港に到着します。こちらはJALのCAさん達からのお返しで、彼女らが持ち込んだお菓子を詰めてくれたという。
さらに袋が入っていて、本当にCAさん達が機内でつまむお菓子が何点か入れられていた。お返しはともかく、ボクのあげたプレゼントで、ほんの僅かでもJALのCAさん達が一瞬でも幸せになってくれていれば本望である。
日本に無事到着
本来の日本到着時刻よりも約1時間早く成田空港に到着したようだ。本来なら約9時間35分のフライト予定だったけど、乗客数が少なかった為に飛行機の総重量が軽かったのが影響して、早く到着したのかもしれない。
この2020年3月18日現在ではロシア国内での、コロナウイルス感染者の累計者数はたった147人。対する日本国内では合計873人と遥かに多かった時期。なのでコロナウイルスについてはロシア国内よりも、この日本国内の方が警戒する必要がある。
そして成田空港のラウンジでとりあえず無事帰って来れた事を祝って、ビールで1人乾杯をするのであった。ちなみに今回は成田空港でスーツケースを預けて家まで発送したので、帰りはとても楽ちんであった。
家に帰って体温を一応測ったが、特に発熱の症状もなく、その後も特に問題はなかった。
しかし家に帰ってみたら、残念な内容のこちらの通知書が届いていた。2020年4月21日から出発予定だったウズベキスタン旅行が、キャンセルになったのであった。まあ当然のキャンセルではあったけど、もしこのツアーが出発催行するのであれば、万全の備えをしてまで行こうと思っていただけに残念ではあった。
ちなみにクラブツーリズムからわざわざこの件で電話が掛かってきた。そしてその時に「8月にも同じツアーを用意しているので、そちらに振り替えられますか??」と言われたけど、コロナウイルスの先が見えていなかったので丁重にお断りさせてもらった。なお結果的にはこの8~9月の振替日でも、ツアーの催行は無理な状態であったのである。。
<まとめ>
今回の目的地はユーラシア大陸の大国ロシア。コロナウイルスの世界的な流行で、この旅行自体が危ぶまれたけど何とか訪問出来て良かったと思う。もしロシアに行っていなければ今まで通り、勝手なロシアのイメージを頭に抱えたまま、人生を過ごす事になっていただろう。
ロシアに来た事のない人は、実際にロシアを訪れて自分の目で見てみて!そうすると絶対にロシアの事が気に入るから!
こちらはモスクワ市内にある、新興金融都市のモスクワシティーにあるフェデレーション・タワーの展望台から、眺めたモスクワの夜景である。ロシアもソビエト連邦が崩壊後に、一気に民主主義・資本主義の流れが流入してきた為に、一昔前のモスクワとは景色や生活文化なども変わりつつあるようだった。
映画などでしか見た事のなかった「赤の広場」。実際に来るまでは警備が厳重で物々しいイメージがあったけど、行ってみると全然兵隊は見えないし、とてもオープンな観光スポットとなっていた。
映画『ミッション・インポッシブル:ゴースト・プロトコル』では実際に主演のトム・クルーズがこの辺りを歩いていたと思っていたけど、実はあれはCG合成されたシーンで彼はここには立っていなかった事実を知って愕然とした。。
そして何とも興味深かったのは、モスクワの地下鉄。今まで全然ロシアの地下鉄になんて興味が無かったけど、旅行に行く前に見た旅番組の中でモスクワの地下鉄のシーンがあった。その番組内ではこのように駅構内に設置された銅像に触る人が写っていたけど、実際に駅に行ってみると本当に通りがかりの人達が像をスリスリと触っていたのである。
そして核シェルター代わりにと地中深くに造られた地下鉄なので、このように長~~~いエスカレーターが設置されていた。
そして一番驚いたのが約2分間隔でモスクワの地下鉄全線が、運航している事だ。今まで知らなかったけど結構ロシア人は時間に正確なようだ。
勿論夜のモスクワも色んな場所がライトアップされていて、とても華やかで綺麗だった。
中でも奥に見えている、1950年代に造られた”スターリン・クラシック様式”と呼ばれるアメリカに対抗した建物群が威厳を放っていた。
それと何気なしに渡っていた橋では、数年前にプーチン政権を非難していた人が暗殺された場所でもあった。
表向きではとても安全な国で、自由な国のようにも感じたロシアだけど、絶対的な権力を持っているプーチン大統領の影響を思い知るのである。
それとロシアでは20世紀に入り、ロシア革命が起こりソビエト連邦が成立し、その後長くアメリカと冷戦状態になり、20世紀終わりにソ連は崩壊し、ロシア連邦とへ変わるロシア激動の20世紀であった。その陰ではこちらの救世主キリスト大聖堂のように、一旦壊された後に再び再建される建物もあったりで振り回されるけど、我慢強いロシアの国民たち。
ソ連は核爆弾ばっかり造っているイメージがあったけど、昔から世界で一番の物を色々と造っていたのである。今となってはすっかり観光名物と化している「鐘の皇帝」だけど、当時は国の威信を掛けて製造したのだろう。
こちらの「大砲の皇帝」も一度も戦争では使われた事がないという。あくまでもロシア帝国の威信をアピールする為に造られたようだ。でもこれだけの物を造れる余裕があったという所に、大国ロシアの力を垣間見れる気がする。
そしてモスクワの次に訪れたサンクトペテルブルグの街は、このピョートル大帝が建都してからまだ約300年しか過ぎていないとは思えない位に発展していた街であった。
そしてサンクトペテルブルクの観光ルートでは、必ず入るエルミタージュ美術館。冬宮殿とも呼ばれる、後ろのロシア皇帝達の王宮跡はいつも大勢の観光客でゴッタ返すのだが、今回の旅行ではコロナウイルスの影響でとても空いていた。
そんなエルミタージュ美術館は女帝エカテリーナ2世が、世界中からかき集めた美術品の数々が展示されていた。このように絵画だけではなく、イタリアのラファエロの回廊までそっくり複製して造らせたのである。
そんなエルミタージュ美術館では、「硫酸事件」で一躍有名になってしまったレンブラント作『ダナエ』などの絵をゆっくりと鑑賞できた。
こちらのレンブラント作『放蕩息子の帰還』では、レンブラントの心境や息子を迎い入れる父親の心境にも考えさせられた。今までのブログでは絵画関係は簡単に済ませていたけど、エルミタージュ美術館の絵画では公式HPやネットで調べて殆どの作品のタイトルと作者名を記載してみた。
するとその時のブログたった1話を仕上げるのに丸1日掛かったりで、とても苦戦したけど逆にそれだけ時間を掛けて作成したからこそ、レンブラントの人生や他に描いた絵画や新旧聖書の話なども勉強する事が出来て、とても自己満足度が高い記事となった。
今までは全然ヨーロッパの絵画には興味が無かったけど、これを機に興味がこれから湧いて来るかもしれない。そんなレベルのボクから見ても、このゴッホの絵は別格のように感じる程に凄さを感じた。
そしてこちらも考えられない位にガラガラだった、エカテリーナ宮殿。文字通り「独占」状態であった。
そのエカテリーナ宮殿の中でも一番豪華な「琥珀の間」も、ボク独りだけで独占して写真を撮りまくった。
そんなエカテリーナ宮殿やサンクトペテルブルグの街も第二次世界大戦(ロシアでは大祖国戦争と呼ぶ)で、ナチスドイツ軍に壊滅的に壊されたが、戦後はしっかり復興して今ではその影も見られない位になっていた。
現地ガイドさんから、ロシア人は「ナポレオンにもヒトラーにも打ち勝ったロシアは、コロナウイルスにも負けない!」と考えていると聞いたけど、結果的にはコロナウイルスの前には完敗したロシアであった・・・。
そしてロシアで驚いた極めつけは、ファベルジェ工房がロシア皇帝の為に製作したインペリアル・イースターエッグであった。金銀財宝などが惜しげもなく散りばめられて作られているだけではなく、実際に車輪やドア部分が動く程の精密さも兼ね備えていたのである。
こんな国宝級のロシアの至宝も、ソ連時代に外貨稼ぎで海外に売却されてしまった物である。ただその時に売却された結果、今こうしてファベルジェ博物館で写真を撮れる訳で、もし売却されずにクレムリンの武器庫に保管されていれば、このように写真を撮る事が出来なかったのである。
そして今回の旅では諦めかけていた、ロシアの至宝級美人さんの写真。世界的なモデルみたいなスタイリッシュなロシア系お姉さんではなく、腕全体にタトゥーが入っていた可愛い系お姉さんだったけど、とても愛嬌がある笑顔に満足した瞬間であった。
そして今回のツアー参加者さんの中でも面白かったのが、こちらの75歳最年長の”元衣装屋さんで趣味で絵を描くオジサン”。奥さんや娘からロシア旅行を大反対されたにも関わらず「この時期にどんな変人が来るのか?と楽しみにしていた」という一番変態のオジサンでした(笑)。
話を聞いていると衣装屋として都内で駆けずり回って仕事をしてきた人生らしく、「遊んでいる暇なんて今までの人生で全然無かった・・・」とか言いながら、話をよ~~く聞いてみるとこの旅行の先月にはフランスに行ったり、それ以外にも他に色々と海外旅行した話などを披露してくれて、”実はこう見えても、ちゃっかり遊んでいるタイプ”のオジサンでもありました(笑)。
そしてそんな変態オジサンが、趣味で絵を描いた作品を送ってくれました。絵画教室で毎回先生に「アンタは絵の才能がない!」と言われ続けてきたそうですが、ボクから見たらオジサンの素直な願望が絵に現れていると思うので、素晴らしい作品だと思います。
ロシアの美術館で見たように絵画の価値なんて、画家が死んだ後にビックリする位に高騰するものもあるし、ゴッホなんて生前に1枚位しか絵が売れなかったとも言われているし。だから自分の描いた絵で周りの人達がどう言うかは問題じゃなくて、自分が描きたい絵を自分の心通り素直に表現する事の方が大事だと思う。
今回のロシア旅行記を通して、ロシア旅行中には勉強しきれなかった位に色んな知識などを得て、とても勉強になった。ロシアと一口に言っても色んな歴史が詰まった大国であり、そこには散っていった多くの人達の命と共に今のロシアが築かれているのである。
今回のロシア旅行で一番実感した事は、「やっぱり現地の事は自分の足で実際に訪れて、自分の目で見ないと現状は理解できない!」という事だ。この次に旅行の予定をしていたウズベキスタンや、去年キャンセルしたクロアチア旅行も計画していたけど、コロナウイルスの世界的な蔓延の為に残念ながら全て中止となってしまった・・・。
しかしいつかはコロナウイルスも収まる。
PS. 今回もJALの乗務員さん達にはコロナウイルスの影響で業務的にも大変な時期だったにも関わらず、いつもながらの丁寧な接客をして頂いて、厚く御礼申し上げます。そして世界的な渡航自粛の影響で企業の存続にも関わる重大な年となった2020年でしたが、明るい明日へ向かって前向きな気持ちを持って、今は苦しい業務を頑張って頂けます様、心から応援しております。
2020.7.22
<完>
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