世界三大美術館と言われるエルミタージュ美術館の食堂で昼食を食べる【ロシア旅行記⑳】

ロシア旅行記:4日目

阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:ロシア7日間」
-2020年3月12~18日

いつもは人で溢れる場所

サンクトペテルブルクの街にて

サンクトペテルブルクで「冬宮殿」とも呼ばれるエルミタージュ美術館

さてお土産屋に寄り道した後は、サンクトペテルブルクの街でも有名な「冬宮殿」(Зимний дворец)にやって来ました。昔はロシア皇帝の王宮だったこの建物は、ロシア革命以降は「エルミタージュ美術館」としてロシア国立美術館となっています。

 

冬宮殿前の宮殿広場にて

サンクトペテルブルクで「冬宮殿」とも呼ばれるエルミタージュ美術館前の広場に立つ、アレクサンドル1世の柱

そのエルミタージュ美術館の前には、大きな宮殿広場(Дворцовая площадь)が広がっている。そんな広場の真ん中には1834年に、先程見た大きなイサク大聖堂(柱の左側に見える金色のドームの建物)を建てたフランス人建築家のオーギュスト・ド・モンフェランが設計した「アレクサンドルの円柱」がある。

47.5mの高さの円柱はヴィボルグ県(レニングラード州の都市)でイサク大聖堂の柱を採石していた時に、長さ35m 厚さ7mの亀裂のない花崗岩が発見された。それを見たオーギュスト・ド・モンフェランはその石をアレクサンドルの円柱に採用したのである。

 

アレクサンドルの円柱(Александровская колонна:Alexander Column) ロシアのサンクトペテルブルクの街の中心部である宮殿広場に設置される時の様子

建設途中のアレクサンドルの円柱

このアレクサンドルの円柱は1812年にフランスのナポレオン軍と戦い、それに勝った戦勝記念として前ロシア皇帝アレクサンドル1世をイメージして造られた物。モスクワでは赤の広場が有名だけど、サンクトペテルブルクの街ではこの宮殿広場が有名なのである。

 

エルミタージュ美術館の向かいにある、旧参謀本部の建物

その宮殿広場で冬宮殿の向かい側に位置する、こちらの建物は旧ロシア帝国軍参謀本部で1827年に建てられたもの。しかしその後は廃部となり、今ではエルミタージュ美術館の新館として絵画などが展示されている場所となっている。

 

宮殿広場の景色 動画

 

サンクトペテルブルク市内にあるエルミタージュ美術館

今では貯蔵作品は約300万点を超えると言われるエルミタージュ美術館。「世界三大(もしくは四大)美術館」と呼ばれるエルミタージュ美術館だが、他はフランスのルーブル美術館、アメリカのメトロポリタン美術館、スペインのプラド美術館、台湾の故宮博物館、イギリスの大英博物館などが一般的には挙げられるようだ。

 

エルミタージュ美術館の向かいにある、旧参謀本部の建物-2

サンクトペテルブルクでも観光客が必ずと言っていい程に立ち寄る宮殿広場なんだけど、この時は想像よりも全然人が居なかった。コロナウイルスの影響で中国人の団体や西欧諸国の観光客がいなかったのが、大きく影響していたようだ。

 

 

サンクトペテルブルク市内にあるエルミタージュ美術館前で記念撮影

そして快晴の天気と共に人の少ない宮殿広場で「これからエルミタージュ美術館をたっぷり見学するぞ~~!」と意気込む男。。

 

エルミタージュ美術館を眺める 動画

 

サンクトペテルブルク市内にあるエルミタージュ美術館-2

こちらの冬宮殿はロマノフ王朝の歴代皇帝達が王宮として過ごしていた場所。当時の皇帝でピョートル大帝の娘であるエリザヴェータ・ペトロヴナ(Елизавета Петровна)が、お気に入りの宮廷建築家でイタリア人のバルトロメオ・ラストレッリに依頼し、1762年に完成した建物。

 

サンクトペテルブルク市内にあるエルミタージュ美術館-3

一言にエルミタージュ美術館と言うけど、実際には5つの建物群を表している。メインの建物でもあるこの冬宮殿小エルミタージュ旧エルミタージュ新館エルミタージュエルミタージュ劇場と一応は建物が分かれているのである。しかしこの中ではそれらの建物が繋がっているので、建物が分かれているなんて気付かない位である。

 

エルミタージュ美術館前にある、アレクサンドル1世の柱

大きな広場の真ん中にこのような大きな円柱の建造物が建てられているのは、西欧諸国らしい感じがする。

 

エルミタージュ美術館前にある、アレクサンドル1世の柱-2

ロシアの国中にはナポレオンとの戦争と、ナチスドイツとの戦争とを勝利した戦勝記念碑が多く造られており、それでロシア人の栄光を未来に繋げていこうと考えているのかもしれない。ただこの現地を訪れたのは3月だったけど、現地ガイドさんに聞いたら「ナポレオンにもヒトラーにも打ち勝ったロシアは、コロナウイルスにも負けない!」というロシア人の考えだったけど、残念ながらウイルスの前にはそんなロシア人達も一気に敗北してしまうのだが。。

マトちゃん
マトちゃん

今回の新型コロナウイルスの前には、さすがのロシア人も撃沈だったのよ・・・

 

エルミタージュ美術館の向かいにある、旧参謀本部の建物-3

サンクトペテルブルクの街はモスクワとは違い、西欧かぶれだったピョートル大帝の影響もあり西欧的な建造物が目立つ。というのもフランス人やイタリア人などの建築家を、当時の皇帝達は気に入っていたから。

しかし冬宮殿は女帝エリザヴェータのお気に入り宮廷建築家のラストレッリに依頼したが、エリザヴェータが亡くなった後にロシア皇帝の座に就いたエカチェリーナ2世によってラストレッリは解任されてしまう。

マトちゃん
マトちゃん

宮廷建築家と言えどもボスが変わったら、クビを切られるのよね!

 

エルミタージュ美術館前にある、アレクサンドル1世の柱-3

このアレクサンドルの円柱の一番上には、約4.2mの高さの十字架を抱えた天使の像が設置されている。この像はフランスのパリにあるヴァンドーム広場にナポレオンが造った、戦勝記念円柱の高さ(44.3m)よりも高く造るようにも設計されていた。だから単なる円柱ではなく、上に天使の像が付けられているのである。

 

エルミタージュ美術館の向かいにある、旧参謀本部の建物-4

こちらの1827年に建てられた旧ロシア帝国軍参謀本部の建物、このアーチから左側は新エルミタージュ美術館として近代絵画などが展示されている。それ以外に旧財務省や旧海軍省などの部屋も再現されているので、こちらも全部見学しようと思うとかなりの時間が必要のようだ。

 

サンクトペテルブルクの冬宮殿前にある宮殿広場で、1917年に起こった十月革命の様子

1917年にサンクトペテルブルクで起こった十月革命

なお、この辺りで1917年10月25日に起こった十月革命(Октябрьская революция)」で武装蜂起した労働者階級や反乱兵士などがボリシェヴィキ派に同調し、臨時政府の置かれていた冬宮殿を攻略している最中の様子である。

 

エルミタージュ美術館周辺の様子

なおこの戦いは近くに停まっていた巡洋艦を占拠したボリシェヴィキ派が、冬宮殿目掛けて大砲を一発発射した事にビビった臨時政府側が殆ど無抵抗で敗北した為に、あっさりとカタが付いてしまうのである。

 

エルミタージュ美術館周辺の様子-2

これらの建物が造られた帝政時代にはまさか市民の反乱が起きて、皇帝政権が転覆するとは夢にも思わなかっただろう。しかし世界ではこの時期に多くの場所で、国王の支配や植民地からの脱却を狙って起こった蜂起が行われていた。常に国民に負担を強いていたロシア帝政も崩壊するのは、時間の問題だったのかもしれない。

 

 

エルミタージュ美術館前の広場の様子

このエルミタージュ美術館には300万点を超える美術品が貯蔵されているが、それはエカチェリーナ2世が豪華な暮らしをして芸術に大量の資金を注いでいた結果である。当時の市民達からすると国の為にお金が使われずに、皇帝が満足する為だけにお金が使われた訳だが、今となってはその贅沢振りがこうやってサンクトペテルブルクの観光収入源になっているのである。

何とも皮肉な話のように感じる・・・

 

ロシアが世界に誇る、エルミタージュ美術館

ドイツのノイシュバンシュタイン城も贅沢三昧で自分のわがままを叶える為に豪勢な城を造らせた王様が居たから出来た訳で、その贅沢振りも度を超えれば人類の遺産として後の時代へと引き継がれていくのかもしれない。

 

エルミタージュ美術館の壁と窓

この冬宮殿は建設当時は薄い黄色だったが、今ではこのようにグリーン色となっている。なので「昔の薄い黄色に塗り替えるべき」という声も出ているそうだが、なかなかそれは実現されないそうだ。

マトちゃん
マトちゃん

何でも昔の状態に戻せばいいもんでもないよね!

 

エルミタージュ美術館の中へと進む

エルミタージュ美術館の中に入る

そしてこちらの入口から、エルミタージュ美術館の中へと進んで行きます。

 

エルミタージュ美術館の中に入る-2

ここでもまずはクロークに上着を預けます。ロシアのこういった見学場所では室内は暖かいので、上着を預ける場所が必須なんでしょう。

 

エルミタージュ美術館の中に入る-3

こちらは一応エルミタージュ美術館の中だけど、まだ見学が始まる場所ではなく、入口通路付近といった場所。

 

エルミタージュ美術館に入った入口に展示されていた、古代エジプトの像

エルミタージュ美術館には後年に東洋など、西洋以外の芸術品なども収集されたのでエジプトのこういった像なども多数展示されていた。

 

エルミタージュ美術館に入った入口に展示されていたもの

さて世界3大とも4大とも言われる美術館だけに、どんな光景が待ち受けているのやら楽しみです。

 

エルミタージュ美術館に入った入口に展示されていたもの-1

ここはまだ階段を登っていった2階ではなく、入口付近なのでそこまで重要じゃない物だとは思うけど、実際には結構古い時代のものだと思う。

 

エルミタージュ美術館に入った入口に展示されていたもの-3

古代ギリシャ時代に彫られた像みたいなのが、何気なしに壁に展示されている。

 

エルミタージュ美術館1階の通路

奥へと進む回廊もこれ位はまだ序の口レベルで、まだまだ驚いてはいけないのである。

 

エルミタージュ美術館1階の通路にあるお土産屋さん

そして通路を進むと左右にはガラス張りになったお土産店が見える。

 

エルミタージュ美術館1階の通路にあるお土産屋さん-1

こちらではこのエルミタージュ美術館に置かれている作品の本があったり、芸術に関係する本などが沢山販売されていた。でも殆どが外国語で日本語の本はごく僅かであった。

 

エルミタージュ美術館1階の通路にあるお土産屋さん-2

こちらにはエルミタージュ美術館に置かれている、芸術作品のポスターなどが販売されているお店。ここではやっぱり世界的にも有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画が、2枚保存されている事でも有名である。ただ2枚あるものの、1つは他に貸し出されている事が多くて、この訪問時も残念ながら1つは貸し出し中だった。。

 

 

美術館内のカフェで昼食

エルミタージュ美術館1階にあるカフェ

今日の昼食はツアーには含まれておらず、「時間的に今日の昼食はこの美術館内のカフェで食べてください」との事。

 

エルミタージュ美術館1階にあるカフェに入る

残念ながらレストランでは無かったので、本当に軽食のようなメニューばかりだった。

 

エルミタージュ美術館1階にあるカフェに置かれていたケーキ

昼食には似つかわしいベリーがたっぷりと上に盛られたタルトなどもあって、女性陣の目はソッチに釘付けになっていたような。。

 

エルミタージュ美術館1階にあるカフェに置かれていたケーキ-1

無駄な移動を省くのと、いつもは混雑するエルミタージュ美術館なので食べたらすぐ見学できるようにという配慮のようだけど、やっぱりちゃんとしたレストランで昼食を食べたかった。。

 

エルミタージュ美術館1階にあるカフェに置かれていたケーキ-2

という事でとりあえず味は想像できそうな、無難なサンドイッチを選択してみた。

 

エルミタージュ美術館1階にあるカフェで食べたサンドイッチ

こちらが今回の昼食となったサンドイッチである。ミネラルウォーターと合わせて410ルーブルで約620円なり。

 

エルミタージュ美術館1階にあるカフェで食べたサンドイッチ-2

冷蔵庫に入れられていたので、ちょっと冷えていたサンドイッチ。

味はエルミタージュ級では無かった・・・

 

エルミタージュ美術館1階にあるカフェの様子

エルミタージュ美術館の中にあったカフェだけど、美術館らしくもっと手の込んだ内装とかになっているかと思いきや、普通の白い壁でテーブルも椅子も味気ないデザインで少しがっかり・・・。

 

エルミタージュ美術館1階にあるカフェの様子-2

こんな小さな子供を連れての見学はシンドイだろうけど、今日は日曜日でロシア人は無料で美術館を見学できる日だという。

 

 

エルミタージュ美術館1階にあるトイレ

そして昼食後にトイレに向かう。ここはなかなか綺麗なトイレでありました。

 

エルミタージュ美術館1階の階段前の様子

さて集合時間まで少し時間があったので、とりあえず入口付近を散策してみる事にする。

 

エルミタージュ美術館1階の階段前の様子-1

こちらの先がエルミタージュ美術館の入口的な『大使の階段(ヨルダンの階段)』とも呼ばれる、美しい彫刻や飾りなどで装飾されている階段の間である。大使の階段とはここに来た特使が階段を登っていく場所だったから名付けられ、ヨルダンの階段とは近くの凍結したネヴァ川に穴を空け、その水を使い洗礼をする時にこの階段を降りた為に洗礼の川であるヨルダン川の名前が付けられたという。

 

エルミタージュ美術館1階の階段前の様子-3

この先は出口なので、行ってはいけないとの事。

さすがにエルミタージュ美術館に入って、昼食だけ食べて外に出る訳にはいかない・・・

 

エルミタージュ美術館1階の階段前に置かれていた、『ラオコーン像』のレプリカ

このエリアには世界的な彫刻を模様した作品が置かれていて、まず目に飛び込んできたのはイタリアのウフィツィ美術館で複製の像を見た事があった『ラオコーン像』(Gruppo del Laocoonte)である。今はバチカンの美術館に収められているラオコーン像は、ギリシャ神話に出てくるラオコーンという神官とその息子達である。

この海蛇が絡みついた様子は、トロイア軍のラオコーンが”トロイの木馬”の正体に気付き、木馬に向かって槍を投げようとしたら女神アテネによって放たれた蛇によって絞殺されるシーンである。

 

『ラオコーン像』(Gruppo del Laocoonte)のオリジナル作品

オリジナルのバチカンに保管されているラオコーン像

このオリジナルは約2000年前に造られた物と推測されており、1506年にローマ市内から発掘された。その出土した時点から一部の腕が欠損しており、当時この像を見たミケランジェロは「ラオコーンの手は頭の後ろに回されていたハズ」と推測したそうだ。しかし当時の教皇が主催したコンテストで「右手は上に向かって伸ばされていたハズ」という事に決められ、伸ばした腕へと修復された。

しかし20世紀中頃にローマ市内で、大理石で造られた曲がった右腕部分の彫刻が発見される。これを受けてバチカンの美術館はやっぱりミケランジェロの考えた通り、ラオコーンの腕は曲がっていたと断定し、この像を再修復したそうだ。そういう経緯がある像なので、エルミタージュ美術館で展示されていたのはバチカンの美術館にある状態とは少し違っているのであった。

 

エルミタージュ美術館1階の階段前に置かれていた像

それ以外にもマッチョな肉体をした、古代ギリシャ~ローマ時代風な男性の裸体像が置かれている。

脇には鉄棒があり、日本人からすれば鬼にしか見えない・・・

 

エルミタージュ美術館1階の階段前に置かれていた、ハドリアヌス帝の像

こちらは古代ローマ帝国の第14代皇帝ハドリアヌスの胸像のように見える。ちなみに皇帝ハドリアヌスはローマ皇帝で初めて髭を生やした人物だそうだ。なのでこの髭があるのを覚えておけば、像を判別し易いかもしれない。

 

エルミタージュ美術館1階の階段「大使の階段」

エルミタージュ美術館を見学する際は、誰もが必ずしも登る「大使の階段」。豪華な建物に相応しい、豪華な階段である。

 

エルミタージュ美術館1階の階段「大使の階段」の天井に描かれている絵画

勿論この階段の天井にも、絵画が描かれている。さてこれからエルミタージュ美術館の奥へと進んで行きます。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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