ロシア旅行記:4日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:ロシア7日間」
-2020年3月12~18日
大きな美術館へと足を踏み入れる
さて昼食後の集合時間が来て、ツアー参加者さん達が集合し現地ガイドさんとエルミタージュ美術館内の見学に進みます。
エルミタージュ美術館にて
2階の会場へと向かう階段の踊り場では、女神像をバックに写真撮影する可愛らしい女の子が居ました。その上の方にはロマノフ家の紋章でもある鷲の彫刻が施されているのが見えます。
「大使の階段」にて
まずは”ヨーロッパの豪勢な宮殿”のイメージに思える「大使の階段」と呼ばれる、エルミタージュ美術館の入口的な階段を登って行きます。
今でこそお金を払って入れる場所ですが、当時のこの階段は選ばれた身分の者しか入れない場所でした。そういった場所なのでまずは入口階段のレッドカーペットの上で、嬉しそうに写真を撮る女性の姿が見えます。男性はあまりこの場所で自分の写真を撮ろうとはあまり思わないようですが、女性からすればこういった場所では撮りたくなる様子でした。
![マトちゃん](https://be-bygones2.com/wp-content/uploads/2020/10/マトちゃん.png)
やっぱりレッドカーペットの上を歩くのは、女性にとっては憧れよね!
階段の途中にある窓からは、サンクトペテルブルクの街を流れるネヴァ川の景色が見られる。冬場には凍結して、川の上を歩く人々の光景が見られるらしいけど、今年の冬は一度も凍結しなかったそうだ。
「大使の階段」の景色 動画
シンデレラ・ストーリーなどに憧れを持つ女性からすると、このような豪華な階段や宮殿内の造りは憧れの的なのだろう。
今回ツアー参加者さんで最年長75歳の”元衣装屋さんで趣味で絵を描くオジサン”が居たけど、このオジサンがよく描くのは自分の求めるエロスなのか? 今までに描いた作品は女性の裸体が良く出てくるそうだ。ただ裸体といっても人間の体の造形自体は芸術的な作品でもある。
![](https://be-bygones.com/wp-content/uploads/2020/01/18.5.21-笑顔-吹き出し用.jpg)
こちらの2階にある柱は花崗岩が使われており、壁には金箔の装飾が施されている。ちなみに天井画は古代ギリシャの神々が描かれる「オリンピア」という作品だそうだ。
まず2階に上がった所にある、正面扉のこちらは常設展示室であまりエルミタージュ美術館とは関係ない作品が展示されていて、この中だけは写真撮影が禁止だという。
このエルミタージュ美術館(冬宮殿)を造らせた、時の女帝エリザヴェータは自分の死期を悟ったのか、建設を急がせたが結局彼女の生前中には完成しなかったので、この美しい階段などを見る事はなかったようだ。
![マトちゃん](https://be-bygones2.com/wp-content/uploads/2020/10/マトちゃん.png)
こんな美しい宮殿の完成を見れずに亡くなったエリザヴェータは、とても可哀想よね・・・
さっき昼食を食べた美術館内にあるカフェの内装も、これ位豪華な内装をしてくれたら、誰も文句を言わないと思うんだけどね。。
今でこそこんなシャンデリアもライトに切り替わっているけど、昔は全部ロウソクだったので取り替えの手間は大変だっただろうし、ロウソクが燃えた時に出るススで館内は汚れていたのだろう。
さてこれからいよいよエルミタージュ美術館の中へと足を踏み入れます。その先頭を切るのは絵画に興味のある”趣味で絵を描くオジサン”でした。やっぱり絵画を観るのが第一目的で来ている人も居るロシア旅行なので、それぞれの人毎に海外に対する興味度合いが、こういった光景を見ているだけでも図れるようです。
その入口を入るとまずは「元帥の間」と呼ばれる、偉大なロシアの司令官の自画像が並べられている部屋である。
1837年12月17日にこの冬宮殿で起こった大規模な火事は、丸三日に渡って燃え続けてこの建物の2階~3階部分はほぼ焼失したという。なので今見られる冬宮殿の大部分は、その後約2年に渡って再建されたものである。ちなみにその時の火事は約50km以上離れた場所からでも見えたとされていて、出火原因はこの部屋なんだとか。
![マトちゃん](https://be-bygones2.com/wp-content/uploads/2020/10/マトちゃん.png)
木造の建物が多かった昔は、火の手があがったらこのように燃え移って大損害になったのよね!
簡単なガイドさんによる見学が終わった後に1時間のフリータイムが設定されていて、その時に入口へと戻って来れるようにこの部屋「193」を覚えておくといいですよとの事。
![マトちゃん](https://be-bygones2.com/wp-content/uploads/2020/10/マトちゃん.png)
本当にこのエルミタージュ美術館は、ちゃんと地図を見ておかないと迷子になる位に広いわよ!
こんな贅沢な宮殿の大部分が約200年前に大火事で焼けてしまっているとは、全然感じられない部屋である。しかしその火事だけでも多くの貯蔵されていた重要な芸術作品が、燃えてしまったのだろう。
この絵だけを見ていると、ちょっと小太りでカッコつけている胴長短足のオジサンにも見えてしまうけど、立派な司令官だったんだろうな。。
こちらはアレクサンドル・ヴァシリエヴィチ・スヴォーロフ(Алекса́ндр Васи́льевич Суво́ров: 1729年生~1800年没)のロシア帝国の軍人であり、ロシア帝国最後の4人目の元帥。ポーランドやオスマントルコ帝国、フランス軍などとの戦いで”常勝不敗の指揮官”とも呼ばれた優れた司令官で、ハンニバル以来と言われる”アルプス越え”を敢行した人物で機動性の重要さを信念としていたという。
「戦争において金銭は尊い。人命はより尊い。それよりもなお時間は尊い」
by アレクサンドル・スヴォーロフ元帥
という名言も残している。
ロシア帝国が諸外国に抵抗する武力を築いていったのは、ピョートル大帝時代からである。西欧諸国の近代技術を取り入れて急速な近代化を図り、徴兵制も取り入れてロシア帝国の兵士数を大幅に増やしたのである。のちのエカテリーナ2世にロシア帝国は広大な領土を獲得するが、その前にピョートル大帝時代の大幅な改革が実を結んだ結果かもしれない。
黄金に装飾された、真ん中に絵画の入った壺が置かれている。ここに置かれているという事は、金メッキではなく、実際に金箔が貼られているものだろう。
こういうヨーロッパの宮殿に入ると、どうしてもこのようなシャンデリアに目が行ってしまう。日本でこんなシャンデリアを家に付けると、地震毎にシャンデリアが落ちないかと心配になるだろう。。
さてまともにエルミタージュ美術館内を見学すると、数日は必要と言われる場所だけにテンポのいい見学をしないといけない。
![](https://be-bygones.com/wp-content/uploads/2020/01/18.5.21-笑顔-吹き出し用.jpg)
「ピョートル大帝の間」にて
お次は194号室の「ピョートル大帝の間」である。こちらは1834年に造られた部屋だけど、1837年の大火事でこちらの部屋も全焼したので、今日見られるこの部屋は燃える前の状態を全く同じように再現したもの。
部屋の正面奥には1731年に女帝アンナが、イギリス人の職人に発注した玉座が置かれている。ただその時代にはピョートル大帝は既に亡くなっていたので、彼が実際に座った玉座ではなく、あくまでもそれっぽく置かれている玉座なのである。
![マトちゃん](https://be-bygones2.com/wp-content/uploads/2020/10/マトちゃん.png)
本当にこれらが燃えてしまったのが残念よね・・・
その玉座の裏には王妃ではなく、ギリシャ(ローマ)神話の女神ミネルヴァと一緒に描かれているピョートル大帝の絵が飾られている。勿論この冬宮殿はピョートル大帝が亡くなった約100年後に造られたものなので、この部屋は勿論、この建物自体にも彼は入った事は無いのである。
だからここはあくまでピョートル大帝が存在した事を記念して造られた部屋であるので、彼が執務室として使っていた訳ではないので注意である。天井部分にはピョートル大帝時代に起こったポルタヴァの戦いやレスナヤの戦いの絵が飾られており、”ロシアの偉大さと栄光”を表している部屋でもある。
サンクトペテルブルクの街を首都として建造し、ロシア帝政にしたピョートル大帝の功績がこの部屋に表れているのかもしれない。
壁にはリヨン製のベルベットが飾られており、そこにはピョートル大帝に関わる模様が銀糸で刺繍されている。
「紋章の間」にて
続いて進んできたのは「紋章の間」と呼ばれる部屋で、冬宮殿内でも最も広い部屋。ここは火災前とは同じに再現されずに、コリント式の柱には金箔が貼られて、豪華な内装となっている。
柱や手すりなどが金箔で張り巡らされているので、光が差し込むとそれらが光り輝き、荘厳さを感じる部屋の造りであった。
こちらの「紋章の間」に展示されている美術品は、常設展示されている物ではなく、あまり有名な物もなかったので特にスルーであった。。
部屋の四隅に設置されているこの戦士像が手にしている槍の先に、ロシアの県の紋章が入れられているそうだ。
そしてシャンデリアにも同じようにロシアの県の紋章が刻まれていて、それ故にこの部屋が「紋章の間」と呼ばれる所以なんだとか。
モスクワでの現地ガイドさんの説明はあまり上手くなくて、モスクワ郊外の建物だけは詳しく説明してくれたけど、このサンクトペテルブルクでの現地ガイドさんはとても丁寧にエルミタージュ美術館もエカテリーナ宮殿も解説してくれて分かり易かった。
このシャンデリアの中央部分に見える、盾の部分にも県の紋章が刻まれているんだとか。
![](https://be-bygones.com/wp-content/uploads/2020/01/18.5.21-笑顔-吹き出し用.jpg)
「1812年祖国戦争ギャラリー」にて
そして次の部屋は「1812年祖国戦争ギャラリー」と呼ばれる、その名の通りにナポレオン軍との戦争で功績を挙げた軍人達の自画像が飾られている。
このギャラリーには300枚を超える数の将軍達の自画像が飾られているという。ここの肖像画は殆どが1819~1828年に渡ってイギリス人画家ジョージ・ダウ(George Dawe)とロシア人の助手によって描かれたものである。
![マトちゃん](https://be-bygones2.com/wp-content/uploads/2020/10/マトちゃん.png)
この当時は写真という技術が無かったので、このような肖像画ばっかりだったんだよね!
ここで唯一そのイギリス人画家ジョージ・ダウの作品でないのが、こちらの皇帝アレクサンドル1世の騎馬である。こちらだけはフランス人の画家フランツ・クリューガー(Franz Krüger)で、ロシアの宮廷にも出入りしていた関係で描いたようだ。なおこのシーンは1814年に愛馬エクリプスに跨り、パリの街へと入城した時のアレクサンドル1世を描いたものである。
ここに描かれて肖像画の多くは将軍達の生前に描かれたものだが、既にこの世を亡くなっていた将軍は生前に描かれた肖像画を見て描かれた物だという。
左側の大きな肖像画は、盟友であるオーストリア皇帝「フランシス2世」(Francis Ⅱ)である。対フランス連合を組んでいたプロイセンやイギリスなどの君主の肖像画なども飾られているのである。
この将軍たちの肖像画は冬宮殿での大規模な火災前に造られたものだけど、その火災時には宮殿の近衛兵達が全ての肖像画を持ち出した為に全て無事に火の手を逃れたという。さすが近衛兵だけあって美術品の中でも歴戦の偉大な軍人達の肖像画を一番大事な物として、優先的に運び出したのだろうか。
こうやって肖像画を眺めていくとカッコイイ感じの人もいるし、変なクシャクシャな髪形のおっちゃんも居るわでなかなか面白い。
![](https://be-bygones.com/wp-content/uploads/2020/01/18.5.21-笑顔-吹き出し用.jpg)
現代のロシアが出来るまでにはこういった勇士達の活躍があって、今の時代があるのである。そう思うと過去の歴史を勉強する事は、自分の未来にとってとても大事な事である。
こちらはナポレオンに黒星を付けた数少ない人物の1人でもあるミハイル・クトゥーゾフ侯爵(Михаил Кутузов)で、ナポレオンがモスクワに侵攻してきた時は「モスクワを失ってもロシアを失う訳ではない。しかし軍隊が全滅すれば、モスクワとロシアが滅びる」と進言し、モスクワの市民などを疎開させ、人の居ないモスクワにナポレオン軍が入城した後にモスクワの街に火をつけて孤立させたのである。
「ゲオルギウスの間(大玉座の間)」にて
そしてお次の「ゲオルギウスの間(大玉座の間)」では、重要な公式の行事の時に使われる部屋。この部屋は火災後の再建する際に時の皇帝ニコライ1世から「ゲオルギウスの間は全て白大理石から造るように!」と指示されて、壁や円柱に使われている大理石はミケランジェロの傑作「ダビデ像」にも使われたイタリアのカラーラ産大理石である。
そしてここにある玉座は1917年に起こったロシア革命の際に紛失し、2000年に再現して造られた玉座である。エルミタージュ美術館に保管されていた美術品の数々も、残念ながらロシア革命時のドサクサに紛れて紛失したものもあるのである。
天井にはロマノフ王朝のシンボルでもある双竜の鷲の彫刻が飾られている。
この間の名前の由来はこのホールがお披露目されたオープニングパーティーが、聖ゲオルギウスの日だったからだそうだ。
こんな旅はまた次回に続きます!
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![](https://be-bygones2.com/wp-content/uploads/2020/12/40-160x107.jpg)