ロシア旅行記:2日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:ロシア7日間」
-2020年3月12~18日
夜のモスクワもキレイ!
さて夜は1人でホテルを抜けだして、地下鉄に乗って構内に76体の銅像が飾られる「プローシャチ・レヴォリューツィ駅」までやって来ました。そして長~~~いエスカレーターを登って地下鉄の出口へと向かいます。モスクワの地下鉄では出口は乗車券は不要で、人が近づくだけでゲートが開くシステムになっています。
夜のモスクワ中心部にて
地下鉄の駅を出てみると、既に真っ暗な景色になっていた。
するとこの”モスクワ版太っちょマルガリータ”の建物を見て、土砂降りの中モスクワ市内の見学を開始した時を思い出した。
昼間とは違い、建物が綺麗にライトアップされているのを見ると、やっぱり夜の景色の方が綺麗に見える。特に夜だと汚い物が暗くて見えなくなってしまっているので、余計に綺麗な印象の記憶が残り易いのであろう。
マネージュ広場にて
昼間にやって来たマネージュ広場、その時はとても強い風が吹き付けていたけど、この時間は全然風が吹いていなかった。
赤の広場へ向かう通路には、「ヴァスクレセンスキー門」(Воскресенские ворота)を通る必要があり、今では車での入場・通行は不可になっている。
この綺麗にライトアップされた、赤レンガの建物は「ロシア国立歴史博物館」。そしてその前に昼間と同じポーズで馬に乗っているのは、20世紀前半に戦争で大活躍した”ロシアの英雄”であるゲオルギー・ジューコフ元帥の像。第二次世界大戦でナチスドイツ軍に勝利した、その50周年を祝って造られた銅像である。
時代によって評価が二転三転した英雄だよね!
この「マネージュ広場(Манежная площадь)」はロマノフ王朝のアレクサンドル1世時代に、馬術学校が近くに造られた為にロシア語で「馬術学校」という意味の言葉が付けられたそうだ。
昔からモスクワで抗議やデモが行われる事が最も多かった、モスクワの中心部広場であったマネージュ広場。ちなみに日韓共同開催で行われたサッカー『2020年FIFAワールドカップ』で、グループリーグ第2戦でロシアと激突した日本は1対0と見事勝利し、日本にとってはワールドカップ史上初めての勝利を成しえた。
しかしその裏ではロシア代表が格下のジャパンに負けた事に対してロシア国民は怒り、このマネージュ広場で暴動が起きたという・・。
この時のロシア国民はまさかジャパンにサッカーで負けるとは、夢にも思っていなかったのよね!
赤の広場に隣接する赤の広場も、さすがにこのように綺麗にライトアップされているのが見える。
直ぐに赤の広場に向かうのはちょっと勿体無かったので、周辺を少し散策してみる事にした。ちなみにこの時は全然知らなかったのだが、このマネージュ広場の地下には地下4階建てのショッピングセンター(1997年完成)が造られているという。
この時は世界地図が描かれているドームは「何のオブジェかな?!」と思っていたけど、実はこの地下にある「オホートヌイ・リャード(Okhotny Ryad Shopping Center/Охотный ряд)」というショッピングセンターの吹き抜け屋根部分だったのだ。
だから昔の面影を残したマネージュ広場ではなく、現代のマネージュ広場となっているようだ。
マネージュ広場の景色 動画
モスクワの夜は寒いかと思ってニットの帽子を被って来たけど、逆に帽子を被って歩くと汗を掻いてしまうような温度だった。
こちらは赤の広場に隣接する、モスクワのクレムリンである。このクレムリンという言葉は城壁のあるお城や要塞を表すものなので、モスクワ以外にもクレムリンと呼ばれる場所が存在する。なのでクレムリンというのは固有名詞ではないのである。
クレムリン内には王宮があったので、このように城壁で囲まれていて防御用に所々に塔が造られている。ちなみに先程見たロシア国立歴史博物館の前に立っていた騎馬像のゲオルギー・ジューコフ元帥の遺体は、このクレムリンのどこかの壁に埋め込まれているという。
夜の赤の広場にて
さて赤の広場にやって来ました。昼間と違い、暗い夜だとその雰囲気が全然違います。
こちらの何とも微妙な電飾が取り付けられている建物は、昼間に訪れたグム百貨店。それなりに凝って取り付けたように見える電飾が、逆に安っぽく見えるような・・・。
赤の広場は厳重に警備されてそうなイメージがモスクワに来る前まで持っていたけど、夜でも全然問題なく立ち入れる場所だった。
夜の赤の広場の景色 動画
赤の広場の北端に位置する建物は「カザンの聖母聖堂(Kazan Cathedral/Казанский собор)」というロシア正教の建物で、1612年にミーニンとポジャルスキーが筆頭となってポーランド軍を撃退した記念に造られたもの。この建物もソビエト連邦時代に軍事パレードの邪魔になるという理由で、1930年代に取り壊されたがその後ロシア連邦になった1993年に再建されている。
ソビエト連邦時代は無宗教国政だったので、ロシア正教の建物など取り壊された物が多かった。クレムリン内の大聖堂などは取り壊されていない物もあるけど、物置として使われたりと本来の宗教目的には使用されなかったそうだ。
グム百貨店横の電飾が吊るされていた通りは、夜になるとその飾りが光っていたのでキレイに見える通りに変身している。
ライトアップされると何でも綺麗に見えてしまうのよ!
グム百貨店横の通り 動画
ヨーロッパの街は大都市になればなる程に、このように夜のライトアップが豪華に、かつ綺麗にされているので夜歩きは楽しい。
何せ昼と夜では、同じ所でも全然違った景色となる。まあ海外なので治安を気にする人もいるようだけど、ボクはそれより夜景などの景色を眺める方を優先してしまう。。
ロシアの色んな激動の事件が起こってきた、この赤の広場。今ではソビエト連邦が崩壊して、こんなに平和になり、海外から多くの観光客が集まる場所になっている。
この赤の広場は車の立ち入りが禁止らしいけど、パトカーの進入はOKのようだ。
そして赤の広場の南側で目立つのは、やはりこのツートップの建物。
このスパスカヤ塔(Spasskaya Tower:Спасская башня)は、モスクワのクレムリンの建物の中でも最も高い塔の1つで、塔内には大きな鐘が設置されていて、今でも定期的に鳴らされている。
聖ワシリー寺院はナポレオンがロシア遠征してきた時に、その美しさからフランスへ持って帰ろうとした。しかしこの寺院が移動できない事を知ると大砲で爆破しようとしたが、モスクワ市民が雨が降れと願ったのが叶ったのか、雨が降りだし火薬が湿って爆破できなかったとかいう怪しい伝説もあるんだとか。
夜の赤の広場でこうやって眺めると、やっぱりグム百貨店の電装がダサいというか、ちょっと他の建物に対して不釣り合いに見える・・・。
スパスカヤ塔は夜の時間は、流石に扉は固く閉められていた。こちらの門からナポレオンがクレムリンに入城したという。
ライトアップされて、夜も綺麗な聖ワシリー寺院。足元の低い聖堂はただ今補修中のようだ。
遠くから聖ワシリー寺院を眺めていると、そのスライム型した派手に装飾された屋根にしか目が行かないけど、近くから見ると足元に回廊のような物が造られているのが見える。
夜の聖ワシリー寺院 動画
このロシア正教の建物も丸玉型とか、玉ねぎ型とか、スライム型とか言うけど、ソフトクリーム型にも見える。。
赤の広場南東のこの写真で右手辺りにある公園付近は「ザリャジエ(Зарядье)」と呼ばれていて、中世の頃は外国人商人の為の家などがあった場所。そしてソビエト連邦時代に老朽化したそのエリアの建物を撤去し1960年代には「ロシア・ホテル(Россия)」という、当時は世界一大きなホテルがあった場所。
さてとりあえず目的の①銅像のある地下鉄駅②赤の広場を見学したので、次はどこに行こうかと考える。とりあえずモスクワ川に架かる橋の上まで行って、モスクワ市内を眺めて考えてみる事にする。
モスクワ川に架かるボリショイ・モスクヴォレツキー橋(Большой Москворецкий мост)から、赤の広場を眺める。この橋は1930年代に架けられたが、冷戦最中の1987年5月に19歳の西ドイツ人の青年がセスナ機を運転してヘルシンキから、モスクワのこのボリショイ・モスクヴォレツキー橋に着陸したという。
それとこの橋で2015年2月27日の夜、プーチン政権を批判していた政治家ボリス・ネムツォフ(Борис Немцов)が銃によって暗殺された場所だという。
モスクワ川周辺にて
そんな約5年前に政治家が暗殺された場所とは露知らず、呑気に橋の上で自由気ままに写真を撮っていたのである。だけどこのモスクワ川沿いには綺麗にライトアップされている建物が多く、そしてその光がモスクワ川に反射していて、とても綺麗に見える。
このモスクワ川はクルーズ船のような船も走っているし、奥には一段と綺麗にライトアップされている”スターリン・クラシック様式(Сталинская архитектура)”の建物が見える。
このモスクワ川岸左側の公園部分が1960年代から2006年まで営業していた、1993年までは世界最大だった 「ロシア・ホテル(Россия)」があった場所。そして今では約500億円の工事費をかけて造ったザリャジエ公園が2017年に完成している。地下駐車場・レストラン・メディアセンター・川に突き出した展望台・コンサートホールなどが併設されているのである。
1993年にアメリカ・ネバダ州ラスベガスで開業したMGMグランド・カジノホテル(MGM Grand Las Vegas)が出来るまでは、世界最大だったロシア・ホテル。元々はスターリン・クラシック様式のデカイ行政庁舎ビルを造る予定だったが、頓挫し10年以上空き地のまま放置されていたという。
モスクワの街には1900年代に建てられた建物が多く、外見上は今も輝いているように見える。ただこれからはもっと新しい建物がこの街に増えてくるのだろう。
ボリショイ・モスクヴォレツキー橋からの眺め 動画
正面に見える”スターリン・クラシック様式”の建物は「芸術家アパート(Высотка на Котельнической набережной)」と呼ばれている。1952年に完成し、入居者には芸術家や科学者が優先的に割り当てられた為に、このような名前が付けられている。ちなみに中央の建物は32階建てで、部屋数は540部屋程。
ボリショイ・モスクヴォレツキー橋から周囲を眺めていたら、ザリャジエ公園の横手にモスクワ川に突き出た橋が見えたので、その場所へとやって来た。ここが展望台として、公園の一部を利用して造られたもののようだ。
この橋はパリャシー橋(Парящий мост)で、ザリャジエ公園と同じ2017年9月にオープンしたもの。モスクワ川に△に突き出した橋で、全長約240mの高さは15mだそうだ。
さてこのパリャシー橋へどう行ったらいいのかを探して、少し周辺を彷徨う。約500億円をかけて造った公園だけに、近未来的な感じを受ける公園であった。。
こんな旅はまた次回に続きます!
よければ下記ブログ村のボタンをポチッとお願いします!
↓↓↓↓ロシア旅行記:初回↓↓