神戸旅行記2020年-⑭
旅行期間:2020年10月15日~16日
日本人から見た南蛮人
ここは神戸市内にある神戸市立博物館の2階にある、有料ゾーン(大人300円)のコレクション展のブース。国宝に指定されている弥生時代の銅鐸や、フランシスコ・ザビエルの誰もが知る有名な肖像画が保管されていたりと見所満載のコレクション展となっている。
美術コレクションのゾーンにて
このコレクション展の作品はこの神戸出身の南蛮作品コレクターであった池長 孟(いけなが はじめ)という人物が、個人的に収集した作品約7,000点が寄付されて今に至る。こういった博物館や美術館に訪れて作品を眺めていると、目の前の作品についてはアレコレと考える時があるけど、その背景でどういった動機があってこれらの作品が収集されたかの歴史などについてはあまり想像する事がない。
作品を鑑賞すると共に、収集した池長 孟の熱意も感じるアル!
神戸といった江戸時代末に諸外国に港が解放された土地柄でこのような南蛮文化の芸術品が多いのかと思っていたけど、実際には南蛮品の収集に情熱を燃やした人物がその背景に存在して、その結果が今こうして目の前に見えているという訳である。
上記の絵は『武将図(出陣図)』というタイトルで、江戸時代初期に描かれた作品と推測される。こちらの説明によると島原の乱が起きた原城に保管されていた当作品を、持ち主だった西村家の先祖が落城の際に持ち出したという逸話が残っているそうだ。
次の作品は『老師父図』というタイトルのもので、神父さんのスタイルにしては記念写真を撮っているポーズを思わせるかのようにちょっと変わったポーズをしている。というのも江戸時代になってから外国の宗教が禁じられて、西洋文化についての絵画も減っていった。そんな中、周りに隠れるように司祭を描いた絵がもし見つかった時に、カトリック教ではなくて仏教のポーズをしておけば当局の目を誤魔化せれると考えていた可能性がある。
こちらは『蜆子和尚図』という江戸時代中期の作品で、司馬 江漢筆(しば こうかん)という画家の作品。こちらも西洋風の絵には思えないように額に入れる作品ではなく掛け軸作品となっており、描かれている人物は西洋人のように見えるけど、上記の『老師父図』と同じように手の部分は仏教を連想させるポーズとなっている。
海老を握ってるんやな・・・
こちらの作品は『西洋婦人図』という油絵だが、作者はなんとあの平賀源内とされているもの。平賀源内というと江戸中期の蘭学者であり、エレキテル(静電気の発生装置)を開発した事でも有名な人物。絵の左下に「源内」と読めるサインが入っているという。
ただし平賀源内の油絵作品として現存している作品はこれを除いて見つかっていないので、この絵が本当に平賀源内の作品だったかというのは真偽で意見が分かれているようだ。
次は『美女と黄金図』という作品で、そのタイトルのように美女を狙う怪しい眼つきをした男が脇にいる構図となっている。こちらは江戸時代の中期頃の作品とされている。
こちらの絵のモデルについては、左の男性像は西洋から入ってきた原画を参考にした事が分かっているそうだ。そんな左側の男性の手元には財布があるらしく、見た通りに怪しい事を考えてそうな雰囲気を感じれるという。。
男は東洋人も西洋人もスケベやけ!
こちらは『ヒポクラテス像』という、紀元前4世紀頃に実在したと考えられている古代ギリシャの医者であったヒポクラテス(Hippocrates)を描いた作品で、石川大浪という画家の水墨画作品。
江戸時代中期頃から徳川吉宗によって、蘭学などの一部の西洋文化が解禁となった影響により、一気に蘭学ブームが当時の日本国内に訪れた。その中でも発達した西洋医学の象徴として、このヒポクラテスの絵画が当時の蘭学者の間で重宝されたようだ。
江戸時代は鎖国していたと言っても、特に厳しかったのは江戸時代初期頃。徳川吉宗が江戸幕府将軍に就任してからは、進んだ西洋の文明を取り入れようとして、カトリック教に敵対していたオランダの文化が制限付きで導入された。なので吉宗も全面的に開国した訳ではなく、徳川家康の意向を尊重してカトリック教の弾圧は続ける事となる。
こちらは『西洋王候図』という江戸後期の作品で、エッチング技法とも呼ばれる銅版画。モデルはフランスのルイ14世と一見すると思えてしまうような作品であるが、近年になってルイ14世ではなくて、イングランドの王妃だというのが特定されたそうだ。
こちらの作品は日本人画家の作品であるが、このように見た事の無い西洋人の異質な外見を見て、最初はとても驚いた事であろう。この頃には僅かではあるが西洋人が出島を経由して日本国内に入ってきていたが、このようなクルクルとした巻髪をしている人物はいなかっただろうから。
この辺りまで来るとだいぶ作風が変わって来ていて、港が開港されて外国人が日本に入ってきた後頃の景色を描いている作品のように見える。当時は勿論今みたいにネットなんてなかったので、西洋人の恰好などは噂話にしか聞いていなかっただろうけど、実際にこのような恰好をした西洋人を見たら、当時の日本人達はとても驚いた事であろう。。
しかしその当時は驚きの恰好や習慣を持っていた西洋人だったが、気が付けば日本人はあっという間にそんな西洋人の文化を取り入れていき、今では当時の日本らしさが影を潜める位に西洋文化に浸ってしまっている。。
ビイドロなどの芸術作品
そして絵画作品を見終わった後にやって来たのは、こちらの「びいどろ・ぎやまん・ガラス」というブース。
江戸時代には国内になかったガラス製品がヨーロッパから輸入されてきて、当時のポルトガル語でダイアモンドのようなキラキラしたものを『ディアマンテ(diamanté)』と言っていた事が語源となり、それが日本に伝わって「ぎやまん」と呼ばれるようになったという。
そしてこの博物館には江戸時代~昭和初期までの作品がコレクションとして保管されているが、その大半はガラス研究の第一人者である棚橋淳二が収集した作品が寄贈されて今に至る。『吹きガラス仙盞瓶』という江戸時代にオランダで作られた作品らしく、水差しの形をしているように見える。
ガラス作品といえばヴェネツィアン・ガラスが有名であるが、その高級ガラスの流れを汲んだ「ファソン・ド・ヴニーズ」(ヴェネチア様式の高級ガラス器)では国内でも最古の作品の1つだという。そして底の部分は破損した為に、後に修復されているという。
こちらは『ダイヤモンド線刻獅子文ガラスビーカー』という、これも17世紀後半にオランダで製造された作品。この写真では分かりにくいけど、ガラスの表面にはオランダの紋章が刻まれており、ライオンなどが彫られている。この彫り方は『ダイヤモンドポイント彫り』という、ダイヤモンドの先端・もしくは尖った金属によってガラスの表面を削った作品となっている。
こちらは『緑色角形ガラス瓶』で、17世紀後半のドイツ製のガラス作品とされている。当時のヨーロッパではこのような容器は日常品として使われていたけど、日本国内ではまだ珍しい物だったので薬品などを保管する容器として重宝されていたようだ。
こちらは『脚付ガラス』で江戸時代中期頃にヨーロッパで作られた作品と見られている。ガラスの下側には膨らんだ部分があるが、こちらは「ティアドロップ(天使の涙)」という気泡を敢えて閉じ込めた装飾となっている。それと地面に接地する台座部分は使っているうちに破損したらしく、後年に金属によって補修されているのが見て分かる。
こちらは『カットガラス平鉢』という、江戸時代後期にイギリスで作られた作品とされている。全体に「ストロベリー・ダイヤモンド」と呼ばれる斜めに入った格子状のパターンが見られて、これが当時のイギリスで流行っていた柄のようだ。日本ではこのパターンが「魚子文(ななこもん)」と呼ばれていた。
そしてイギリスで流行って人気だった「魚子文(ななこもん)」の柄が、後の薩摩切子などに取り入られるようになるのである。そしてそんな和風の柄が後に海外に輸出されて、高評価を得る事に繋がる。
こちらは『金彩葡萄文脚付ガラス杯』という、箱に天保3年(1832年)という入手したと考えられる日が書かれている。恐らくイギリスからもたらされた作品と推測されている。
このようにガラス製品も時代を経る毎にその装飾がどんどんと進化していき、繊細な葡萄の柄が入れられており、持ち手部分にはクリスタルのように見える形状となっている。
こちらは『金赤色カット脚付ガラス杯』で、単なる赤色ではなくて金によって発色させたルビー色が特徴的なガラス作品。これは1850年頃にフランスで作られた作品と考えられている。
昔は単なる透明のガラス製品ばかりだったのに、開発されてから100年程が経過すると、人間たちはそれを芸術作品に変えて色んな装飾を開発して綺麗に見えるようにしてきた。
こちらは『金彩カット藍色ガラス鉢』という、さっきのルビー色とは対照的に濃厚な藍色がとても印象的な作品で、イギリス西部のブリストルで作られたと考えられている。
そんな藍色が目立つ器には縁周辺に金彩で施されたラインが刻まれており、濃い藍色に金彩のラインが浮かび上がるように見えるデザインとなっている。このような濃厚な色合いも後に開発される薩摩切子などに、大きな影響を与えたのであろう。
こちらは『グラヴュール紋章文 蓋付ガラス大杯』という、1760年頃にイギリスもしくはオランダで製造されたと考えられている酒飲みグラス。通常ガラス装飾時に用いるグラインダーよりも、更に細かい装飾を施す場合に使われる”グラヴュール技法”が用いられている作品。
一言でいうと単なるガラスの作品だけど、このように続けて見ていくとそれぞれに装飾や色合いなどの技術が時代を経る毎に格段に進化していき、単なるガラス製品が芸術作品へと生まれ変わっていく過程が見えてくるのである。
こんな旅はまた次回に続きます!
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