神戸旅行記2020年-⑰完結編
旅行期間:2020年10月15日~16日
かつて銅像があった台座
今回が神戸旅編のラストとなります。神戸で最後に大倉財閥から神戸市に寄付された大倉山を目指して、普通に最短ルートを進めば約20分の道のりを、勘で進んでいたら倍ぐらいの時間を掛けて到達する事になるのであるが。。
なお、JR神戸線の花隅駅近くにあった立派なこちらの建物は「浄土真宗本願寺派 本願寺神戸別院」。
大倉山を目指して歩く!
そんな本願寺のゴッツイ建物を目の前にして、唖然と眺めていたら後ろの方から「バタバタっ!」と音が聞こえたので振り返ってみる。するとこのようにガラスの向こうで、こちらの存在に対して興味津々で近づこうとしてくるワンちゃんが見えた。
窓の向こうにいたワンちゃん 動画
そんなワンちゃんをしばし見物した後は再び歩みを進めて大倉山を目指していると、住宅街の一角から猫ちゃんの鳴き声が聞こえてきたので、その声のする方へちょっと寄り道してみる。
すると、とある家の一角にこちらの黒猫ちゃんが居て、昼間から大きな声を出して、もう一匹の黒猫ちゃんと喧嘩している場面に出くわしたのである。
神戸で見かけた黒猫ちゃん① 動画
こちらの黒猫ちゃんは見た感じキズなどもあったり、こっちが近づくとすぐに逃げ出したので恐らく野良猫だろう。野良ネコちゃんは時にビックリする位に、大きな声で夜中に鳴いたりするし・・。
そしてそんな住宅街で見かけた「デュランタ(Duranta)」という、熱帯アメリカ地方が原産とされている常緑樹。個人的にはまだそこまで植物や花には興味が無いけど、今の時代はこの花などの写真をグーグルの写真アプリで撮影すれば勝手に検索して、その正体をネット調べてくれるのだ。
便利な時代になったもんやな!
そんな街角の景色なども楽しみながら、ヤマ勘で大倉山を目指して進んでいた。てっきりこの道の奥に見えている山が大倉山だと思い込んで進んでいたけど、実はこれは大倉山ではなくて六甲山の一部だった。。
神戸の大倉山にて
という事で最短ルートではなくて、かなりの大回りルートで歩いた末にやっと辿り着いた大倉山。
近い、近いって言っておきながら、今回もまた沢山歩かされました・・・
大倉山って聞くと北海道の札幌市内にあるスキージャンプなどの大会がよく開催されている大倉山を思い浮かべるけど、ここ神戸にある大倉山も同じ大倉財閥に関係している山なので、同じ名前が付けられている。
この大倉山は明治43年(1910年)に大倉財閥を1代で築いた大倉喜八郎氏が、買い取って別荘として使っていた安養寺山を神戸市に寄付し、後に大倉山と名前を変えて公園などが造られて今に至る。
元々は標高約57mの山だったが、その上の方を削ってグラウンドや公園などに利用した為に、今では約40mほどの標高になっている大倉山。この大倉喜八郎は江戸の鰹節屋で丁稚奉公をしていたが、浦賀に黒船が現れてこれから戦が本格化する匂いをかぎ取ったのか、急遽鉄砲屋に入りその後は明治政府や皇室御用達商人となり、戦争などの軍需物資を提供して財を成すのである。
そんな大倉喜八郎氏が寄贈した山には、生前懇意にしていた伊藤博文の銅像跡があるらしいのだが、こちらにあった立派な屋根のある場所は単なるベンチが置かれている休憩場所であった。てっきり立派な屋根の下に銅像があったのかと思っていたけど、オジサンが寝そべっているベンチしか見えなかった。。
こちらの大倉山は今では山というよりは、運動公園としての認知度が高いようで、このように南国でよく見られるヤシの木が植えられているのに違和感を感じてしまうが。。
伊藤博文の銅像があった台座にて
そしてそんなに広くはない公園だったので、端っこにこのような柵に周囲を覆われた建造物を程なく発見する。伊藤博文1人だけの銅像が乗っかっていた台座なので、もっと小さい台座を想像していたけど、想像以上に大きな台座だった。
伊藤博文は日本で最初の総理大臣に任命された人物としても有名であるが、その前に明治時代となって廃藩置県が実施された後に兵庫県知事を務めたのも伊藤博文が最初なのである。そんな兵庫県にゆかりのある伊藤博文の銅像は生前に造られて、1904年に近くの湊川神社本殿脇に設置されたが、同神社内に祀られていた楠木正成の像よりも大きく、かつまだ生きている人物の銅像という事で評判が悪かったという。
そしてそんな伊藤博文の銅像は、翌1905年に日露戦争との講和協議の内容に不満を持った市民たちが暴徒化して、以前から不評であった伊藤博文の銅像に怒りの矛先が向けられて、なぎ倒されてしまい傷だらけになって頭部には小便まで掛けられる始末だったらしい。しかし伊藤博文が満州国のハルビンで暗殺された後に哀れに思った大倉喜八郎が、この大倉山の上に大きな台座を造り、伊藤博文の銅像をその台座の上に設置し、それから山ごと神戸市に寄贈したのである。
この立派な台座の上に約3mの高さの伊藤博文像がかつて立っていたのだが、第二次大戦中の金属供出により撤収されてしまい、それ以来この台座には何も乗っかっていない状態となっている。なおこの台座は”関西建築家界の父”とも称される、京都帝国大学建築学科の初代教授だった武田五一氏設計の作品である。
ちなみに今の国会議事堂を実質的に設計した吉武東里氏はこの武田五一の弟子で、国会議事堂の建物上部の段々形状はこの師匠が設計した台座の形状をオマージュしたものとされているという。
そう言われてみると、立派な台座に見えてくるな!
このようにかつての面影は消え去ってしまっている大倉山だけど、そういった歴史を少しでも頭に入れて見学すると、とても趣が深い場所だった。
何事も勉強してみると、知識が増えて見え方も豊かになります!
今では運動公園と共に下には図書館などもあって、昔は財閥を築いた大物の別荘跡地だった事や、伊藤博文の銅像があった場所などという雰囲気を感じさせない大倉山公園。しかし何事にも歴史があり、建築マニアからすれば訪れるべき場所でもあったのである。
という事でこれで神戸のとりあえず行きたいと思っていた場所を行けたので、そろそろオカンもお疲れの御様子だったので帰る方向へ歩みを進めていく。途中に見えたお寺の建物上に陣取っていた僧侶の像も、今までだったら空海のような僧侶に見えたけど、神戸に来ると平清盛にも見えてしまうようになってしまった・・・。
そして大倉山に行く途中に住宅街で見かけた喧嘩していた黒猫ちゃんが居た場所を通ると、まださっきの続きと見られる喧嘩を続けていた黒猫ちゃん達。
神戸で見かけた黒猫ちゃん② 動画
手前の黒猫ちゃんはあまり相手しないような雰囲気だったけど、奥の黒猫ちゃんは何かに対してとても怒っているような感じで、怖い眼つきをしていたのだった。。
そしてこちらも先程前を通った本願寺の別院の建物。そんな建物には見えない程に立派な建物だったけど、ここまで戻ってきたのは別に理由があった。
というのも先程この場所を通った時に、この「自家焙煎コーヒー :すいらて」という店からコーヒーのいい香りが漂っていたからだ。オカンからしてもそろそろ休憩したい感じだったので、このコーヒー屋さんに立ち寄ろうと思っていたのであった。
そしてそんなコーヒー屋さんの前の道で発見したのが、こちらの逆さまに取り付けられていた電柱の表示板。
ま~逆さまでも問題ない内容なんやろけど・・・
そしてコーヒー屋さんの2階で、焙煎仕立てのブレンドコーヒーを頂きます。1泊2日という短い日程の旅だったけど、実質は丸1日強の滞在だった神戸。
コーヒーを飲んで休憩した後は、このままカットだけの散髪屋さんに行きたいボクと、帰りに百貨店で地域共通クーポンの残り2,000円分を使いたいオカンとで元町付近で別れる事に。そして駅近くにあった全国チェーンの散髪屋さんで髪を切り、スッキリとした状態で1人大阪に戻るのであった。。
<まとめ>
「灯台下暗し」という言葉の通り、大阪に在住している人間からすると、関西圏に当たる兵庫や奈良などには意外とあまり観光で足を運ぶ機会が少ない。それは移動距離が短い為に”旅行している気分”になりにくい心理的な物が影響しているのかもしれない。。
そんな旅行している気分にはあまり成りにくい奈良県は先月に訪れたので、今回は西側にある兵庫県の神戸を訪れた。そして旅の相棒は、両手に細い「ひのきのぼう」(ドラゴンクエストの初期装備の一番弱い武器)を装備したオカンである。
猪が出てきたら、私がやっつけたる~~!!
この神戸を訪れた2020年10月はオカンの誕生月という事もあって、その誰も祝ってくれない誕生日を可愛い息子が祝ってあげようとホテルオークラ神戸の部屋に1泊だけ宿泊するという旅だった。
だから何回も言うけど、支払うのは私やで!(怒)
それにしても相変わらず神戸の街にやって来ると、異国情緒が漂い大阪の雰囲気を全く感じさせない神戸の雰囲気に戸惑ってしまう。そして神戸ルミナリエが開催されだした頃に何度か連れていってもらっていた神戸だったけど、今では阪神淡路大震災を体験していない若者達も増えてきたし、街中にもその爪痕がすっかり消えてしまっているだけに、そんな悲劇が起こった街という想像すら出来ない景色となっている。
さて今回宿泊したのは、日本のホテルチェーンの中でも老舗の名門でもあるホテルオークラの神戸。宿はとりあえずベッドとシャワーさえあれば満足なボクとは違って、オカンのような世代は普段の生活を一瞬でも忘れられるようないいホテルに泊まるのが楽しいようだ。それもあって今回は21階の「オーセンティックフロア」という難しいカタカナの名前が付いている上層階の部屋を予約したのである。
勿論もっと上層階もありますけど、予算の問題で・・・
ホテルオークラ神戸では、普段泊まるホテルではなかなか体験できないポーター・サービスが行われていた。それぞれにリュック分だけの少ない荷物しかなかったけど、自分の仕事を作るようにポーターのお兄さんは部屋まで導いてくれて、そして部屋内に入ってから「荷物をお預かりします!」と言って、オカンのリュックをわざわざ椅子の上に置いてくれるという笑えるサービスまで提供してくれたのが印象的だった。
ポーターさんも「何かしないと!」という気持ちが強かったんやろ!
年配の方々からすると早めにホテルにチェックインして、部屋でくつろいでから晩飯に出掛けて、そして晩飯を食べてから寝るまでの間も部屋でくつろいで、次の日の朝も部屋でゆっくりとくつろいで・・・という考えの人が多いようだ。しかしボクからしたら、それだけ部屋でゆっくりとしている時間があれば、自分の行きたい場所を探して訪れた方がいいと思っているのだが。。
そしてこれまた久々にやってきた南京町も、お店が早めに閉まっていた影響もあって営業しているお店が少なくて、イマイチ中華街らしい華やかなイメージはなくて、暗い感じの中華街となってしまっていた。
そして日本の中でも大きな都市である神戸市はこのように人工物が至る所で光を放っているので、夜景が好きな人には楽しめる街となっている。
ただ個人的には夜景と言っても人間が造り出したライトの景色なので、イマイチ感動ができないと思っていたら、その神戸市役所のロビーの片隅にはなんとロダンの銅像が置かれているのを発見して、オカンを差し置き1人テンションが上がって近くで眺めてしまった。
ほんとにこの子と行動すると、大変なんです・・・
そして次の日はチェックアウトまでの時間をたっぷりとオカンの為に、ホテルオークラ神戸の部屋でくつろいでから後にする。綺麗な晴天の空に映えて見える、ホテルオークラ神戸のビルだった。
いい部屋で満足しました!♪
そして観覧車を見かけると乗りたくなってしまうボク。そして2020年の緊急事態宣言に合わせて運行が中止されていて、その後に改装工事もあってこの旅の前頃になってようやく稼働しだした観覧車。
大観覧車モザイクのゴンドラ内から見える神戸の街は、このように震災の爪痕を全く感じさせない新しい都市へと回復している。その影響もあってか、震災から約25年が経過した大震災の記憶が年々風化していっているのが問題だと騒ぐ人もいるけど、時間が経てば経つほどに風化してしまうのは自然な事。昔の大惨事の記憶を引きずるのもいいけど、それで得た経験や対策をこれからの未来に活かして生きる方が、自然でいいのかもしれない。
そして旅では欠かせない、地元の博物館見学。今回選んだのは色んな博物館がある中でも、最も神戸の歴史が勉強できそうだった神戸市立博物館。旅の満足度を上げたいなら、地元の歴史博物館で勉強するのが一番得策かと思う。
そしてこの博物館の入口にも、このようにロダンの作品が展示されていた。コッチの像はロビーの中ではなくて、建物の外側で雨露がかかる場所に展示されていた。
同じロダンの銅像でも、これだけ待遇が違うと文句が出るかもしれない?!
昔は日本を代表する大会社へと成長した鈴木商店という会社があったけど、急成長し過ぎた影響もあってか、あっという間に姿を消してしまった。しかし明治時代から昭和を迎えるに当たって、世界中で領地の奪い合いの戦争が勃発した為に、色んな場所でバブル景気となって儲かったが、そのバブルはことごとく破裂しそれに頼っていた人達は路頭に迷う事になる。
神戸の街は江戸末期に諸外国に開放された港だったので、色んな西洋文化などがいち早く導入されて、それに合わせて大きく変化を遂げた。
それと神戸にはあまり関りがないと思っていたフランシスコ・ザビエルの代表的な肖像画が保管されているのが、この神戸にある博物館だったのには驚いた。この絵は江戸時代初期頃に描かれた作品で、キリスト教弾圧の世の中で約300年に渡って、隠れキリシタンの元で秘密裏に守られてきた作品。しかもそれが神戸のこの博物館に保管される事になったのは、神戸出身の南蛮美術品コレクター(池長孟)の存在があったから。
やっぱりサビエルはこの顔と頭が、一番しっくりとくるな!(笑)
江戸時代に描かれた西洋人をモデルにした和風作品も、このようにとても威厳を感じさせる出来となっている。今から思うと鎖国をしていたという事が不思議に思える日本。だけど閉鎖的な環境下で破壊的創造イノベーションが生まれなかった為に、諸外国の凄まじかった技術発展の前に屈服する事になる。
そしてそんな博物館に2体も飾られていた平清盛像も最初はここにある意味が分からなかったけど、調べてみるとこの神戸港の礎を築いた人物だった。そして平家物語でも有名な”盛者必衰”ではなくて、平家が滅びなかったらこの兵庫に幕府が置かれていたかもしれない。それだけにこの神戸にゆかりのある人物だった。
そして最後に単なる興味本位で訪れた、神戸市にもある大倉山。大倉財閥を1代で築いた大倉喜八郎氏が寄付した公園には、このように一見には何だか意味不明な建造物が設置されている。しかしこの建造物も調べてみると、とても有名な人物の像が飾られていた台座であり、日本の建築界に大きな影響を残した人物の設計した台座でもあった。
このように意外と行かない場所でも久々に行ってみると、以前とは自分自身の感覚が変化していて、色んな事を思った以上に吸収する事が出来た旅であった。
以前とは違って簡単に移動しての観光がしにくくなった2020年だが、逆にこのコロナ禍の環境下での方が学ぶ事が多く感じた今日この頃であった。
お疲れ様でした・・・orz
<終>
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