神戸旅行記2020年-⑪
旅行期間:2020年10月15日~16日
いきなりのお出迎え!
神戸市内でも観光客がまず訪れる、神戸港があった神戸ハーバーランドと近くにあるメリケンパーク。大阪人は意外と近い為にあまり神戸には来る機会が無いので、異人館街以外にドコを見ておけばいいか分からない。とりあえず神戸ハーバーランドとメリケンパーク周辺は散策して観覧車にも乗ったので、とりあえずブラブラと気楽に歩くとする。
そんな波止場の一角には、このような見た事もない可愛らしいデザインの郵便ポストが見えてきた。こちらは『愛の郵便ポスト』と呼ばれるもので、NPO法人地域活性化支援センターが全国に認定している『恋人の聖地』の1つ。2007年にこの神戸ハーバーランドがプロポーズするのに最適な場所として上記NPO団体に認定され、その年の10月に神戸ハーバーランドの街びらき15周年を記念して製作されて設置されたものだという。
愛の郵便ポストと名付けられているけど、恋が叶う訳ではないアル!
こちらは出番を失った大きなクルーズ船が、岸壁にへばりついているようにも見える。特に日本では最初に感染拡大したのがクルーズ船内だっただけに、クルーズ船旅の再開はかなり先になるかもしれない。
オレの大好きなピースボートも、ここまで長引くと倒産するかも・・・
そしてこのハーバーランド周辺には、このような阪神淡路大震災への激励メッセージが書かれている壁を発見した。そしてその壁に書かれていたものを近くで見てみると、このようにオリックスブルーウェーブの選手の物が中心となって張られているのが見える。そしてその真ん中にはオリックスグループの代表である宮内義彦氏のサインもあったけど、よ~~く見ると落書きらしき別人のサインが入れられているのが見える。
しかもご丁寧に名前と日付まで入れられているし・・・
このように後のメジャーリーガーとなった田口壮のサインも見えるし、佐藤義則や小林宏などのサインもあって、当時は野球ファンだった世代からすると懐かしい名前を見れた。
神戸に来てからハーバードなどを散策したけど、この前まで滞在していた奄美大島の溢れる素晴らしい自然の数々が記憶に鮮明にこびりついてしまっていた為に、この神戸の景色も後から思うと単なる人工物の塊にしか思えない。そう思うとやっぱり人工的な景色も、後になってしまうと記憶の中で色褪せてしまう感じがする。
これは神戸の海岸寄りに配置されている阪神高速道路で、このようにホテルオークラ神戸の建物は北側の道を挟んだ反対側からは高速道路が邪魔されていて、ここにホテルオークラと共に豪勢な正面玄関があるように見えない。1回ホテルを訪れれば分かるけど、初めての人はこの高速道路に遮られて気付かないかもしれない。。
さてオカン曰くは
別に行きたい所はないです・・・
という事だったので、その都市の事を学ぼうと思えば地元の博物館に行けばいいという事で、歩いて行ける範囲にある神戸市立博物館へと向かう事にする。
そして神戸の街を歩いていると、『近代化産業遺産』として認定もされている「海岸ビル」という建物の前を通りかかる。こちらの看板は古そうな感じがするけど、建物自体はそこまで古そうな感じではなくて、この上層階は新しそうな建造物となっているし。
この海岸ビルは4階部分までは大正時代のレトロな建物の外観となっているけど、このように上層階は近代的な建物の融合となっている。元々はこの海岸ビルは大正時代の1918年に地下1階/地上4階建てとして造られた建物で、第二次世界大戦時の空襲で4階部分は焼失したけどそれ以外の被害はなかった。しかし1995年の阪神淡路大震災で被災し全壊認定を受けてしまった為に、取壊しとなり今見られる建物は新しく1998年に再建されたもの。なお最上階は地上15階建となっている。
下の昔からあった4階部分の歴史的な外壁は取壊しの際に慎重に外されて、今のこの新しいビルの外壁に再利用されているけど、建物の中はこのように新しい建造物という内観になっている。
そして神戸の街並みには、道端にこのような「神戸旧居留地」と文字が入ってお洒落なレリーフのデザインとなっている花植えが設置されていて、上品な街並みとなっている。
こういったのは、さすが神戸の街やな!
神戸市立博物館の見学!
そしてこの辺りは特に区画整理がしっかりとされているので、通りを歩いていても綺麗である。昔からの城下町だと下手にクネクネと曲がっていたり、急にカーブがあったりする道もあるけど、そんなのが関係ない場所だった神戸らしさがこういう所にも表れているのかもしれない。
この2020年はそれなりに国内旅行をしたけど、全然知識のない県を初めて訪れる際にはこのような博物館の訪問がとても勉強になった。今までは国内旅行に行こうとはあまり思わなかったので余計に博物館などに行くとは、昔の自分からしても考えられなかった事。
昔はこんな子じゃなかったのに、最近急に変になってきたんです・・・
この博物館の建物は1935年に横浜正金銀行(後の日本銀行でその後は三菱UFJ銀行)の建物として使われていた新古典様式の建物で、正面側に立ち並ぶドリス式の柱が特徴的で今では登録文化財に指定されている。そしてその玄関には、ここでも銅像が出迎えているように見える。
この博物館の玄関外に設置されていた像は、昨日神戸市役所のロビーでも見る事が出来たロダンの作品となっている。昨日のロダン作品『青銅時代』は建物内に展示されていたけど、こちらは雨風が当たる屋外だったが。。
世界的な彫刻家:オーギュスト・ロダンの代表作でもある『カレーの市民』の、その6人で1セットの作品の中から「ジャン・ド・フィエンヌ(Jean de Fiennes)」だけのVerである。この『カレーの市民』とは14世紀にイングランドがフランスへと攻め込んできた百年戦争の際に、包囲されたフランスの港町カレーで市民6人が投降すれば街を破壊せずに助けるというイングランド側の提案により、投降したフランス人6人の様子を表現した作品である。
この『カレーの市民』という作品は戦勝記念碑としてではなく、生贄として投降する事によって死を覚悟している6人の悲痛な様子をロダンがこだわって表現したもの。その6体揃った作品はフランスのカレーに設置されているけど、同じ金型から合計12体が作られていて、日本では国立西洋美術館にも設置されているという。
※国立西洋美術館は2022年春まで、館内施設整備の為に全館休館となっています。
建物は昭和初期に造られた登録文化財となっていて、更には玄関脇にロダンの作品が展示されているという、入る前から圧倒されてしまいそうな雰囲気が溢れる神戸市立博物館。
だからそんな歴史的な建造物も、直ぐに中に入るだけではなくて、その外側を一周舐めるように見て回るだけでも充分に楽しめる。そしてロダンの作品も単なる銅像として見るのではなくて、『カレーの市民』の歴史を知っておくだけで像を見る目が変わる。
知識があるだけで見え方が全然変わるアルね!
この建物は入るだけでは入場料は発生しない。建物2階にある「コレクション展示室」は入場料300円が必要だけど、1階部分は無料で入れる。そして入口の脇にはこのような昔の西洋文明などが入り混じる神戸港の景色が描かれたレリーフなども見る事が出来る。
この1階部分にある「神戸の歴史展示室」は無料で見学できるようになっているので、「博物館に寄るのはいいけど、お金を払ってまでは見たくはないな・・・」と思う人でも充分に楽しめるスペースとなっている。
1階の神戸の歴史展示室にて
この国内旅行ばかりした2020年に日本を旅して痛感したのが、その現地の歴史などが知識としてあるか、ないかで大きく旅の充実度が変わるという事。街や物を見るのでも、その背景や歴史を知っているだけで、感慨深く観察できるようになる。
なんや、今まで旅した場所の歴史を予習してこなかったんケ?!
ハイ、いつも行き当たりばったりの旅で・・・(汗)
歴史と言ってもどれだけ昔からのものかによって物覚えが悪い脳みその反応が変わるけど、ここではまずは縄文~飛鳥時代の東アジア諸国との繋がりからスタートする。
大阪の羽曳野や堺などには大昔の古墳群があり、近年世界遺産に認定された事もあって知名度は高いけど、実は日本全国に人間が住み着いていた事もあって意外と色んな場所に古墳が残されている。この神戸のある兵庫県でも、明石海峡の近くに「五色塚古墳」が発見されているという。
そんな「五色塚古墳」の古墳が再現されたミニチュアが見えてくる。こういった大きな古墳は古代エジプトのピラミッドがすぐ頭に浮かぶけど、日本でもこのような大型のお墓が王様の為に造られていたようだ。
これだけ大きなお墓が古代に造られていたという事は、それだけその時代に王様が大きな支配力を持っていた事の裏返しでもある。これだけ大きなお墓は勿論エジプトのピラミッドのように強大な労力の元に人力で造られているので、日本でも奴隷まではいかないけど貧しい階層の人達の肉体労働が無ければ完成しなかったものだろう。
このような土器や銅鐸は昔過ぎるものだし、日本全国でも出土しているものでどこの博物館でも展示されている物なので、個別にあまり興味をそそられない・・・。
昔の街はこのように海や川沿いが交易の盛んな場所となっていて、その近くに倉などの倉庫が建てられていて、その奥に問屋や商店などが多く存在していたようだ。江戸時代にはこのような荷物の運搬に便利だった川や海沿いが発展したけど、明治時代になって鉄道が敷設されたり車での運搬がメインになってくると、このような街並みが姿を消す事になる。
江戸時代の日本では支配した徳川幕府によって、大型船の製造は禁止されていた。なので日本国内の貿易に使われていたのは昔からの小さな和船で、大規模な戦争などに使われるような船の開発自体が禁じられていた。しかし結局はその影響で小型化した船しか造れなかった江戸幕府は、蒸気機関を取り入れて巨大化した西洋の軍艦に攻め込まれる原因を作る要因となってしまうのである。
良かれと思ってした事が、時間を経ると滅亡する原因になるとは皮肉なアル!
この神戸の歴史展示室は無料の割に、このような関西を支配していた三好長慶の書状や、戦国時代に織田信長に従うと見せかけて謀反を起こした荒木村重の事が描かれている『太平記英勇伝』なども置かれている。信長に対して謀反を起こした荒木村重は、自分の一族やそれらの身内を匿った高野山の僧侶などが皆殺しにされるも本人は生き延びて、信長の死後は堺で茶人として暮らしたという。
こちらは大阪から瀬戸内海を渡って松江まで向かう航路図が展示されている。このように瀬戸内海は昔から、海路の重要な輸送ルートとなっていた事が分かる。
こちらは『幕末風俗図巻』でペリー率いる黒船軍団が、浦賀に来航してきた時にその様子を見守っていた庶民の様子を描いている作品である。この江戸時代は徳川幕府によって鎖国されていた影響もあって、例外的に外国に開放されていた長崎以外の街ではほぼ外国と接触する機会が無かっただけに、この黒船来航は江戸の庶民たちにとっても度肝を抜かれる出来事だった事だろう。
こちらは1867年8月のイギリスで発行された新聞「イラストレイテッド・ロンドンニュース」の記事。開港を迫る諸外国勢に対して江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜などのイラストが描かれている新聞だけど、この当時の新聞がこれだけ綺麗に構図されて発行されていて、更には残されているという事に驚く・・・。
これを見るだけで当時のイギリスが、どれだけ発展していたかが分かるアル!
こんな旅はまた次回に続きます!
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