鳥取旅行記 2022年6月下旬-12
旅行期間:2022年6月下旬(1泊2日旅)
まだ二の丸!
久松公園側から道を進んで鳥取城内に進んで行くと、まずは左手に近代的な建物の「鳥取県立博物館」がまず待ち受けている。この博物館の建物は1972年に造られたもので、それなりに時間が経過していたようだ。
ただ、まずは鳥取城内の見学を先にしたかった事もあり、この博物館は後で見学する事に。
鳥取城跡の見学!
その博物館の向かいには、こちらの「仁風閣(じんぷうかく)」という明治40年(1907年)に造られた洋風建築物も見られる。
こちらは旧鳥取藩主だった池田家の別荘として造られた建物だが、当時大正天皇が皇太子時代に鳥取にやって来た時に宿泊した建物ともなった。その後は鳥取市が管理する事になり、迎賓館や博物館としても使用されて、今では”国の重要文化財”にも指定されている。
この仁風閣は1907年に木造2階建の建物として建造されて、1943年の”鳥取地震”で損傷したものの、修復されて今に至っている。なお、今では有料の資料館ともなっており、鳥取城跡の見学と共に、この仁風閣内も見学していく人が多いようだ。
なお、この仁風閣が造られた当時に鳥取池田家:第16代当主だったのが、「池田 仲博(いけだ なかひろ)」という、江戸幕府で最後の征夷大将軍となった「徳川 慶喜」の五男として生まれた人物であった。
というのも、最後の鳥取藩主となった第12代藩主「池田 慶徳(いけだ よしのり)」が、御三家の1つである水戸藩の藩主:徳川斉昭の五男として、鳥取藩の池田家に養子として迎えられて当主となっていた事が影響している。
池田慶徳は徳川慶喜の異母弟だったラク!
この鳥取城は戦国時代に築かれたと考えられており、今見られる大きな城郭は江戸時代初期に移封されてきた池田家によって、大きく改修されたとされている。
姫路藩から幼年の為に鳥取に移封されてきた「池田 光政(いけだ みつまさ)」は、姫路藩では42万石だったが、鳥取に移封される際に約32万石に減封された。しかし、32万石という石高は全国的に外様大名の中で10番目に入る『大大名』クラスだった事もあり、大きな城へと造り替えられたようだ。
「中仕切門」から二ノ丸に向かう!
明治時代に造られた歴史ある西洋建築物「仁風閣」の脇には、こちらの木造の「中仕切門」がある。
この中仕切門は、別名『西坂下門』とも呼ばれており、幕末の1867年頃に建造され、1970年代まで現存していた門だそうだ。ただ、1975年に強風の為に倒壊してしまったが、後にほぼ同じ状態に復元されたという。
この鳥取城跡では、幕末時代に存在していた建造物は殆ど残っていない。
建物では扇御殿の一部だった「宝扇庵」という建物しか残っていなくて、門では倒壊してしまったものの、この中仕切門が一応現存している門として認識されているようだ。
そして中仕切門をくぐって中に入っていき、西側の坂道を登っていく。すると、このように先程見えていた仁風閣の建物がよく見えるが、城跡の敷地内に西洋建築物が建っている景色にちょっと違和感を感じてしまう。。
実はこの鳥取城跡の見学はそこまで期待していなかった。しかし、実際に鳥取城跡を見学してみると、流石に外様大名でも10番目クラスの大大名だけあっただけに、立派な城郭をしている事に驚かされてしまった。
意外と鳥取城が大きな城って、知らない人が多いラク!
ただ鳥取城は”日本国内でも大規模な山城”としても知られているので、年配の人にはちょっとシンドクなるような階段が待ち受けているのだ。
こんな階段、まだ序の口ラク!
昨日は鳥取砂丘で帽子を飛ばされて無くしてしまったオカンも、イオンで購入した新しい帽子を被って、鳥取城の階段を頑張って登っている姿が見られる。
ホンマは暑くて、死にそうでした・・・
今では”全国で最も人口の少ない鳥取県”となっているけど、江戸時代には全国で10番目に石高が多かった外様大名でもあった。ただ、北前船が廃れてしまった事もあってか、日本海側の中国地方:山陰地方は現代となってはかなり寂れてきている。。
遠くから鳥取城跡のある久松山を見ている分には、緑の木々に囲まれているイメージだったけど、実際に麓にやって来たら、このように二ノ丸などが築かれていた跡地には石垣や、それなりに広場が見られた。
ただ、昨日の鳥取砂丘は6月末ながらかなり暑かったけど、今日もそれに負けない暑さが待ち受けていた。そして単なる暑さだけならいいけど、日本海側は直射日光がかなりキツイ事もあって、肌が焼かれているような錯覚を受けたのである。。
日焼けしたら、シミになるで・・・
こちらは二ノ丸の石垣で、このようにそれなりの高さで造られていたのが分かる。また今居る場所は、二ノ丸の手前に造られていた「右膳ノ丸跡」という場所で、江戸時代には城代の屋敷が建てられていたという。
また、戦後には鳥取にやって来た進駐軍の宿舎が、設置されていた場所でもあるようだ。
そんな二ノ丸の立派な石垣の手前に、こちらの小さなお墓が見えてくる。どうやらこの墓はこの城に関係のあった家臣とかではなく、鳥取城が築城される以前からこの地に住んでいた「澤市場屋」という、町人家系のお墓だという。
こちらの説明板では、1185年頃にこの地にやって来た「小溝 小左衛門」が、久松山の麓にあった”澤市場村”に住みついて、『大変古くから続いている家』として知られる程だったという。その為に、鳥取藩主もその事を知って、特別に町人のお墓を許したと考えられているようだ。
二ノ丸の角石は周囲に生い茂っている木々に隠れてちょっと全貌が見えにくいけど、江戸時代初期頃に改修された事もあって、立派な角石が形成されている。
そしてそんな立派な角石が見られるという事は、その中にある二ノ丸に入るには、このようなそれなりに段差のある階段を登っていかないといけない訳でもある。。
もう、既に汗だく💦です・・・
ただ、昨日訪れた鳥取砂丘とは違って、このように城跡には木々が生い茂っている事もあって、その背の高い木々が直射日光を防いでくれている箇所もあった。
人類が近年の夏場の直射日光がキツいと感じているけど、このように生えている植物たちも同じように感じているのかもしれない。鳥取砂丘では昔に植えられた防砂林が、最近の暑さで枯れつつあるという事だったので、人間だけではなく、植物や昆虫たちも同様に地球が暑くなってきている事を感じているのかもしれない。
そして異常な暑さの地球上で、生き残るのはラクダだけラク!
そして階段を登っていくと、その途中にこのような上に向かって延びる、坂道っぽいような階段っぽいような道が見られた。何も案内が無いと、この道が登城ルートにも思えてしまいそうな道に見えたけど、途中に雑草が生い茂っていたので、普段は人が通らない道だろうと感じた。
どうやらこの石垣は昇り降りする為の道ではなく、「登り石垣」という豊臣秀吉天下時代に朝鮮出兵した際に、現地で習得した石垣の様式だった。
日本国内に築かれた石垣は、基本平面になるように造られたが、この登り石垣は斜面に沿って、”万里の長城”のような塀の役目として造られたようだ。その為に戦国時代には殆ど見られなかった「登り石垣」だが、朝鮮出兵に参加した武将達が一部、自国の城などで登り石垣を築いた箇所が見受けられるという。
「二ノ丸」にて
それにしても、昨日に続き、今日もこのような晴天に恵まれた。観光地では毎日このような晴天に恵まれる事ほどの幸せはないのであるが、夏場になると逆に強烈な直射日光が照り付けてくるだけに、諸手を挙げて喜べないのであるが。。
人間の皮膚は日差しに弱すぎるラク!
こちらは鳥取城二ノ丸から、鳥取駅のある市内中心部方面を眺めた景色である。全国で最も人口が少ない県だけあって、高層ビルが見られないのが、逆に鳥取県の良さかもしれない。
この二ノ丸には江戸時代初期に「二ノ丸御殿」が造られ、鳥取藩主はその御殿に住みながら、藩政を行っていた場所だった。なお、本丸はこの標高263mある久松山山頂にあるのだが、そんな山頂で暮らすのは大変で、また家臣達も毎日山頂まで昇り降りする事も大変だったのもあって、この二ノ丸が藩政の中心地となっていた。
鳥取城から鳥取駅のある方角に向かって、江戸時代に城下町が築かれていた。その為に城下町の様子は、この二ノ丸から見下ろす事で、ある程度把握できていたのかもしれない。
そんな二ノ丸には「御三階櫓」という、鳥取城を代表する建造物が造られていた石垣跡も見えている。
鳥取城には本丸に天守が造られていたが、その天守は1692年の落雷で焼失してから再建されなかった事もあり、ここに造られていた御三階櫓が鳥取城を印象付ける建造物になっていたという。
そしてチラホラと鳥取城を歩いている人を見かけたけど、こちらでは15人前後のガイドツアーのような団体の姿も見られた。ただ、参加者はそれぞれに距離を取ってあまり話をしておらず、お互いに知らない人ばかりが参加している団体にも見えた。
なお、鳥取城では【とっとり観光ガイド友の会】が、事前予約制で有料のガイドツアーをしてくれるようだ。
そしてそのガイドツアーが見ていた壁の部分は、この鳥取城に使われた石垣の石が採られた「石切り場」だったという。
このような城跡もその歴史や遺構跡などを説明してくれる人が居るか、居ないかで、全然理解度が変わってくる。その為に興味ある城を訪れる場合にボランティアガイドさんが居れば、積極的に活用したい所である。
鳥取城では櫓などの建物はほぼ見られないが、このようにその土台として築かれた石垣が残されている。
その為に石垣は実際に見学できるので、その石垣を見ながら、その上に築かれていた櫓などの建造物を想像する必要がある場所ともなっている。
こんな旅はまた次回に続きます!
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