鳥取旅行記 2022年6月下旬-15
旅行期間:2022年6月下旬(1泊2日旅)
山城の醍醐味!
ここは江戸時代に32万石を誇った、外様大名でも全国的に大きな規模だった池田氏が治めていた鳥取城跡。
江戸時代の建造物がほぼ残っていない事もあって、あまり観光地的には有名な城とはなっていないものの、逆に城好きにとっては見所が多くて、とても楽しめる城となっている。
「天球丸」にて
このように久松山の麓に造られている「山下ノ丸」とも呼ばれていたエリアからでも、鳥取市内の景色が一望できる場所となっている。しかし、人間という生き物は煙と一緒で、更に高い場所からの眺めを期待して、高い場所に登りたくなってしまう性質を持っている。
こちらは天球丸の三階櫓跡に植えられていた、大きな2本の松の木。
他には何も見られない広場とも化していた天球丸だったけど、この大きな松の木があるだけで、強烈な直射日光を避ける事が出来たので、夏場にはとても有難い存在となっている。
そんな天球丸から、久松山の頂きを眺めてみるも、このように上の方に木々が生い茂っている為に、山頂付近の様子が全く見えなくなっている。城によっては天守のある一帯を、周囲にこのように木々を植えて隠していたとされる場所もあるので、この鳥取城でも同じように本丸を守る為に植えられた可能性も考えられそうだ。
鳥取市内からは久松山の山頂にあった本丸跡の石垣が見えていたけど、このように麓からでは逆に手前にある木々が邪魔して、山頂が全く見えなくなっている。確かに城跡ではありながらも、これだけ森のような雰囲気となっているので、熊が出没しても不思議には思えない鳥取城であった。。
残念ながら、ラクダは出没しないラク!
そして”山上ノ丸”とも呼ばれていた、山頂に造られた本丸へと向かう道を登っていく事にする。
1970年代には約7年間ほど、山頂までを繋ぐロープウェイが運行していたというけど、今ではそんな名残りが全く感じられない鳥取城ともなっていた。
ただ、昔に運行していた『久松山ロープウェイ』は、この山下ノ丸から山頂に向かう場所には無く、山頂から北西にある「湯所町」とを結ぶルートだったようだ。
このように鳥取城の大手門側には乗り場がなく、観光客が行きにくい北側奥に乗り場があったので、あまり使われずに廃止となったのかもしれない。もし、岐阜城のロープウェイのように大手門近くの乗り易い場所に乗り場があれば、状況も変わっていたのかもしれないが。。
ただ、大手門近くからロープウェイを張っていたら、このような山下ノ丸の上空を通過する事になり、それはそれで城跡の景観を破壊する事になる。
岐阜城の場合は山の下には鳥取城程の大規模な石垣跡などがない為に、ロープウェイを設置できたのかもしれない。
ただ、その岐阜城も後日登山道を登ってみたけど、やっぱり山城は自分の足で登城する事に意義を感じる。
そして自分で山城を登る事によって、その城を攻める事の大変さや、その城を築いた職人達の苦労も知る事が出来る。
そんな大変な道より、楽な道を希望します!
こちらの石垣跡は、鳥取城内に祀られていた「八幡宮」があった場所となっている。城内ではこのように各地の神様を祀っている所が多く、今でもその名残りで会社内に神様を祀っている所も見受けられる。
「登山道」を進む!
そしてこの辺りから、山頂へ向かう登山道となってくる。この登山道は登りやすいような階段が設置されている訳ではなく、文字通り「登山道」と一般人にはちょっと登りにくい坂道となっているので、注意が必要な道ともなっている。
そしてこれから先は「登山道」となっている為に、このような登山者に向けての注意分が書かれた案内板も設置されている。登山に慣れた人であればそこまで問題ないかもしれないが、普段登山を全くしない人には、注意を要しながら登らないといけない道になっている。
ただ、山頂までは約30分ほどの登山なので、そこまで大掛かりな登山でもない。しかし、普段全く山などを登らない都会人からすれば、大変な労力を有する登山となるのである。
暑さとダブルで、登山はシンドかったで・・・
普段都会に住んで生活していると、このような自然の道を歩く機会が殆ど無い。その為に、このような自然の地形をスムーズに歩く能力が失われている為に、よく躓いたり、足をクジいてしまったりするのである。。
ただ、そんな登山道ではありながらも、観光客がそれなりに登っていく道という事もあって、一応は整備された道になっている。なので本格的な登山者向けの道ではなく、難易度が低い登山道という認識だろう。
そして午前11時前頃に、鳥取城の本丸を目指して登山を開始する。個人的にはこのような山道を進んで行く際にはワクワクとしてしまうけど、お年を召された方々にとっては”苦行の道”と思うようだが。。
ホンマは登りたくなかったんやけど・・・
そしてまずは「一合目」に到達。まだ登山道を歩き出してから、2分ほどしか経過していない為に、ここまでは余裕で来ているけど、これから高台に向けて階段がキツくなっていく。
このように晴れた日などに本丸に向けて登る行為はそこまで大きな問題はないだろうが、たまたま雨が降っている時にやって来てしまうと、どうするか迷ってしまいそうな道だった。雨が降っているとまず足元がグチャグチャに汚れるだろうし、下手な所で滑ってコケてしまって、更にグチャグチャになりそうな姿が想像できる。。
そして一合目から約1分半で、こちらの「二合目」に到着する。まだ歩き出した所なので、この二合目でも全然疲れは感じなかったけど、暑い6月下旬だった事もあって、汗がそろそろ滲み出してきていた。
私は登る前から、汗掻いてたで・・・
レディーファーストではなく、万が一滑り落ちてきた際に受け止める事が出来るようにと、オカンを先に進ませる。
ただ、普段からこのような山道を全く歩かないオカンだけに、その怪しい足取りがとても不安にしか見えなかったが。。
何かあったら、アンタが責任取りや!
登山道を登るオカン! 動画
そして、次に見えてきたのは「三合目」の看板。ここも二合目から約2分で到達し、このペースで行けば、一合毎に2分掛かると計算すると、約20分ほどで山頂に辿り着けるハズである。
途中に休憩の時間を入れなさい!(怒)
そして進んで行くと、アスレチック会場のような、トリッキーな道へと足場が変化していく。
子供とかだったら器用に足場を探してどんどん進んで行くのだろうが、普段このような山歩きをしないオカンからは、
ドコ、登ったらエエねん!(怒)
という声が聞こえてきた。。
そして次の「四合目」は、三合目から約1分半での到達となり、ここまでは思ったよりも順調なペースで登って来ていた。
そして小さな鈴を装備していた事もあって、”クマが出てこない”とタカを括っていたオカンは、我先にと登っていく。
このペースだと思っていたよりも早く山頂に到達できそうで、そうなれば大阪に戻る高速バス出発時間前に、ちょっとカフェで休憩する時間が作れそうだった。
このような山道には岩を置いて登りやすいように整備してくれていたけど、最近はゲリラ豪雨など大雨が多くなってきているので、このような設置されている岩も滑り落ちてしまう事が多々起こっている。
その対策の為に、足元にはこのように石の下に杭が打ち込んであり、落石を防ぐ対策が採られているのが見られた。
そんな石段の下に打ち込まれている杭を見ていると、その先でさすがに10分間も頑張って登ってきたオカンに、そろそろ疲れが見えてきていた。
さすがに一合を2分ペースで登り続けるには、それなりに体力がないと難しいという現実にブチ当たる。
そしてちょっと息を入れた後に再び上に登っていくと、ちょっと広場のようになっている場所が見えてくる。
ここには祠のような建物がポツンと置かれていて、麓にあった「中坂稲荷神社」の”奥之院”のような雰囲気だった。
そしてこの祠付近でちょっと休憩し、振り向いてみると、ここからでも鳥取市内の景色が一望できた。
四合目付近でこの景色なら、山頂に登れば、もっと素晴らしい景色が待ち受けていると思うと、駆け上りたくなる気持ちになってくるのである。。
そして「五合目」に到着するものの、ここには「この先、クマ目撃情報 多発!」と書かれた張り紙が目に入る。
四合目から五合目までは、途中で初休憩を入れた事もあって、約7分も経過していた。
どうやら鳥取城の登山道も四合目付近までは比較的楽な山道となっているが、この五合目前後から険しい山道となってくるようだ。
そしてこれから先は熊も多数目撃されているようなので、足元と周囲をしっかり確認して、登っていく必要がある。
こんな旅はまた次回に続きます!
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