鳥取旅行記 2022年6月下旬-5
旅行期間:2022年6月下旬(1泊2日旅)
砂だらけの足!
鳥取県に来るまではそんなに見たいとも思わなかった「鳥取砂丘」だけど、実際に目の前で見ると、なかなかに迫力があって素晴らしい景観を楽しめる場所だった。
住所:鳥取県鳥取市福部町湯山2164
『鳥取砂丘』にて
何だかんだで鳥取砂丘の砂場に滞在していたのは約40分位で、強烈な日差しが照り付けている中だと、まるで砂漠の中に居るかのような気分であった。
そして無事に蟻地獄のような砂漠から生還してきたオカンは、
言葉も出んわ・・・
という顔をしていたが。。
ボクらが帰ろうと思っていた頃に団体でゾロゾロとやって来た観光客は、初めて見た鳥取砂丘を目の前にして喜んで撮影に夢中になっている姿が見られた。ボクらも最初はこの光景を嬉しく思って感激していたが、彼らも後にあまりの暑さにやられて、這いつくばるように帰る事になる姿が想像できるのであった。。
そして暑さで全然気付かなかったけど、靴下の中にまでも砂が入り込んでいて、歩いているとちょっと気持ち悪く思える感触になっていた。
そういえば、モロッコでサハラ砂漠を訪れた時に、「砂漠の砂が細かいので靴の中まで入り込む為に、サンダル履きをオススメします!」と言われた事を思い出す。
砂漠ではなく砂丘だったので、油断してました・・・
そして階段を降りていくと、駐車場の手前にこちらの『国立公園 鳥取砂丘』という文字が彫られた石碑が置かれていた。
鳥取砂丘は『山陰海岸国立公園』の中に含まれている”国の天然記念物”でもあるので、この何気ない砂も持ち帰りは禁止となっている。
鳥取砂丘の砂は、甲子園の砂のように持ち帰っては駄目ラク!
こちらの自動販売機にはオリジナルのデザインが施されていて、その側面には『CATCH the STAR 星取県』という文字が見られた。
どうやらこの『星取県』という名前は鳥取県の別名となっているようで、”全国で最も人口の少ない鳥取県”を逆手に取って、逆に人口が少ないだけに排気ガスなどで空が汚れていない為に、綺麗な夜空を眺める事が出来るという宣伝になっていたようだ。
人口密度は全国37番目だけどラク・・・
足洗い場にて
そして鳥取砂丘には、このように「足洗いシャワー」なる物が無料で使えるようになっている。
海水浴場などではシャワーが設置されている事が多いけど、海水浴場でもない鳥取砂丘でも足に付いた砂を落としてもらうようにシャワーが親切にも設置されていたのである。
こちらはボクが履いていた靴の中部分で、このように思っていたよりも多くの砂が靴の内部に侵入していた。
なお、この靴はボクの父親がボクの弟からプレゼントで贈られた靴であったが、この靴を殆ど履かずに亡くなってしまったので、その靴を貰って履き続けていた。
その為に、履き口がボロボロになるまで履き続けていたが、オカンからは
そろそろ見た目が汚くなってきたから、早く履き替えや!
と言われ続けていたのであるが。。
「形見を大事に・・・」よりも、靴買う金をケチってただけやけ!(笑)
そして靴下を脱いでみると、このように足の指先にビッシリと砂が付いていた。
これだけ足に砂が付くのであれば、裸足にスリッパを履いた装備が良かったかもしれない。。
せっかく靴下まで黄色で統一しているのに、ただ目立たずに、砂が絡みついただけになってしまった。。
黄色い靴下なんて、誰も気付かんで!
ただ、鳥取砂丘では他の観光客たちも同様に靴の中に砂が入っていたようで、こちらのカップルは楽しそうに足を洗っている光景が見られた。やっぱり砂場遊びでは、サンダル履きに素足が正解なのかもしれない。。
コロナ禍前までは、サンダルの貸し出しサービスとかもやってたラク!
そしてボクが足を洗っている最中に、隣の椅子に腰かけたオカンは、帽子が風に吹かれて飛んでいってしまった話を、じっくり回顧録のように喋ってくれていた。。
帽子が飛んでった先に、同じような帽子が2つほど転がっててな・・・
いきなり神風みたいな突風が吹いたんや・・・
「鳥取砂丘ビジターセンター」の見学!
そしてその足洗い場が設けられていた建物は「鳥取砂丘ビジターセンター」という、無料で鳥取砂丘の歴史や情報を教えてくれる施設だったので、とりあえずクーラーが効いて快適な室温になっているという事で、中に入ってみる事にした。
さすがにビジターセンターだけあって、外は炎天下に近い気温と強烈な直射日光が照り付ける真夏の気候だったにも関わらず、館内は冷房がとても効いていて、まさに休憩所のような場所となっていた。
そんな冷房がとても効いているだけでも有難い施設なのに、更に何と館内の資料が”無料”で閲覧できるという、ダブルの有難さが待ち受けていたのである。
毎日来れば、家の電気代を抑えれるかもラク!
こちらの説明は、先程海の上で見かけた『サンドリサイクル事業』の内容となっている。人間からすれば、今見られる地形がそのままず~~っと続くものだと思っているけど、実際にはその土台になっている地球が常に変化を続けているだけに、砂丘や砂浜などは常に変化していくものなのである。
住めなくなったら、住める場所を探して移動するだけラク!
こちらは約50年前に流通していた「ファンタグレープ缶」が、2021年に鳥取砂丘で見つかった物が展示されていた。今でも日本全国で1000年以上も前の品物などが出土する事がたまにあるけど、このファンタグレープ缶もこれから1000年後の時代に発見されたら、博物館に飾られる貴重な品という認識になっているのかもしれない。。
住んでいる生物からすれば、人間の存在は迷惑でしかないラク!
そしてこの鳥取砂丘は昔から観光地だった場所では無く、明治時代には陸軍の射撃練習場などとして使われていた時代もあったようだ。今の子供達が海に向かって石を投げ込むように、当時の兵隊たちは銃の発砲練習を海に向かってしていた事だろう。
場所によっては掘れば何かしらの遺跡などが出てくる地域もあるようだけど、現代人は昔の人達に比べると、土に簡単に還らないゴミばかり捨てているので、逆に未来に生きる人々にとっては迷惑な世界を今形成しているのかもしれない。。
そんな銃弾と共に江戸時代末期に、外国船の撃退を目的とした台場がこの鳥取砂丘付近にも設置され、そこで発射されたという砲弾跡も見つかっているようだ。
こちらは下から、1961年、1968年、1988年と3段階に撮影された、鳥取砂丘上空からの航空写真が飾られていた。
一番下の1961年の航空写真を見ていると、千代川のすぐ脇から砂場が始まっていて、東側にある「岩戸海岸」まで砂場が続いていたのが見える。このように約60年前までは砂場が多く拡がっていた鳥取砂丘も、戦後の食糧難の時代に大きく開拓され畑などに転用された為に、その砂場は大きく減ってしまっているのである。
「国立公園」って言うけど、人間にとって都合のいいように改造しているラク!
こちらは上から、1982年、1995年、2015年に撮影した航空写真となっているが、段々と砂場が日本海に侵食されて、その面積が減っていっている事が確認できる。これには色んな要素が絡み合っている事だろうが、千代川などの護岸工事によって流れ出る土砂の量が減った為に、海に流れ出る砂が少なくなってしまった事が一番大きな要因なのかもしれない。
すっかり鳥取砂漠を走って疲れ果てていたハズのオカンも、この館内がとても冷房が効いていた事もあって、すっかり元気を取り戻していたようだ。
これ、タッチしたら動くで・・・
実はこの鳥取砂丘で使われている「砂丘」という呼び名は、昔から決められていた呼び名ではなく、その時代に応じて色んな呼び名が使われていたようだ。
江戸時代には「高浜」や「砂山」と呼ばれていたり、明治時代には「沙漠」という文字も使われていたようだ。
【月の沙漠/芹洋子】
「月の沙漠は~~♪」って、あったな!
鳥取砂丘が大きく人間によって開発されたのが戦後で、防砂林の植林に成功した事と、食糧難による畑を増やす国策もあって、使えない砂場が開拓されていった。
今みたいに観光インバウンド事業を念頭に置いている時代では全くなく、当時はベビーブームもあって、とりあえず増えていく国民に食糧を行き渡らせる使命感もあったのか、環境はさておき畑などの開発が最優先だった事だろう。
このような日本海の海岸近くに住んでいない人からすれば、飛んでくる砂に対しての苦労はあまり理解できないかもしれない。現代でも見られる「松原」などの海岸近くに植えられている松の木の林は、そんな砂に乗って飛んでくるのを防ぐ為に先人達が防砂林として植えた物の名残である。
そして地域住民には嫌がられていた砂が、今では観光客を大きく引き寄せる材料になっているから、歴史というものは皮肉である。昔は砂が嫌われていたのが、今ではわざわざ他の地域から砂を運んできて、近くに埋める時代となっているのだ。
本当に人間のする事は、分からんラク!
こんな旅はまた次回に続きます!
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