鳥取旅行記 2022年6月下旬-27
旅行期間:2022年6月下旬(1泊2日旅)
恒例行事!
意外と知ってそうで知らない、鳥取県の歴史。鳥取県民以外からすれば、鳥取県と島根県の区別がつかない人も多いという、全国的に地味な県ではあるが、それはただ単に”鳥取県の素晴らしさ”を知らないだけかもしれない。
住所:鳥取市東町2-124
営業時間:9時~17時頃
(※定休日:月曜&祝日の翌日)
電話番号:0857-26-8042
入館料:※常設展示 大人180円/学生以下無料/70歳以上も無料
「鳥取県立博物館」の見学!
江戸時代にこの鳥取の地を治めていた鳥取藩は、石高32万石で全国的にも大きな外様大名であった。また、池田家はこの鳥取藩だけではなく、岡山藩なども親類が治めていた為に、同族では一番規模の大きかった外様大名でもあった。
江戸時代には年貢が米で支払われていた為に、その米の量を図る際にこのような「一升枡」が使われた。
しかし、全国的に統一された「一升枡」ではなく、ズル賢い役人たちはこの枡の大きさを細工して、自分達の懐を増やしたりして汚職が蔓延していたという。
それで終いに農民達が起こって、一揆が起きるラク!
こちらには鳥取藩で流通していた「藩札」が展示されている。各藩では金策の為に独自の藩札を発行する事が許されていたが、その藩の財政次第で価値がある藩札もあれば、見下されて紙切れ寸前の藩札などもあったという。
しかし、江戸時代に約300近くの数があった藩も、その多くが借金だらけとなっていた為に、そのような赤字財政の藩が発行する藩札など、誰も欲しがらなかった。なので、藩としては無理やり商人に頼みこんで発行してもらい、自分達の負債を強引に庶民や農民などに押し付ける事が多かったようだ。
紙幣の歴史も調べてみると、結構に面白い。紙幣の価値にとって最も大事なのは、その紙幣を発行/管理する側の信用であり、財力である。基本的には昔の紙幣は「兌換紙幣」となっていて、一定数の金などと交換できる仕組みになっていた。
しかし、金本位制度が崩れてしまった現代は、「不換紙幣」という発行元の信用しかない、紙となっている。
その為に高インフレが起きると、大変な事になるラク!
年貢で藩に治められた米は、大坂の米屋敷に運ばれて、商人に買い取られて現金化していった。
しかし、江戸時代は武士よりも大坂の商人達の方が当然の如く商売が上手かった為に、商人が足元を見て買い叩いて安く買い取り、藩には大きな利益となる事が少なかったという。
こちらには真田幸村の兜みたいに、鹿の角を取り付けた兜も見えている。
結構、このような鹿の角が付いた兜は多いな!
鳥取の地では鉄がよく採れた為に「たたら製鉄」が、とても盛んな地域でもあった。
近くの備中松山藩では、そのたたら製鉄を活かして、備中鍬などのオリジナル商品を開発して成功した事例があった事も思い出す。
こちらは「稲扱千刃」という、稲作で収穫した稲穂から、米の部分を効率的に剥ぎ取る道具である。
今では全部大きな機械でする時代ラク!
日本と韓国の間で領土問題となっている「竹島」は、江戸時代初期に鳥取藩が幕府の許可を得てその周辺で漁を行っていた。なお、竹島は明治時代後半に島根県に編入されたが、日本と韓国の両国が自国と主張している為に、そう簡単に解決する問題でもないだろうが。
鳥取県にある標高1729mの「大山(だいせん)」は、鳥取砂丘と共に”鳥取県のシンボル的存在”ともなっている。
そんな大山の中腹には天台宗の「大山寺」があり、江戸時代には3000石の領土が安泰となり、大きな勢力を誇っていた。
そして江戸時代を代表するのが「参勤交代」による大名行列である。この制度は武家諸法度で2年に1度、藩主は国へ帰る事が義務付けられていた為に、全国の藩で行われていた行事でもある。
ただこの参勤交代は普通に国元と江戸を行き来するだけではなく、その道中で自藩の威光を見せつける必要があった。
特に全国的に石高が高い藩程に、見合った大きな軍団で大名行列をしないと、他の藩などに馬鹿にされる可能性があったという。それもあって、”見栄”を張る為に藩は大きな出費を重ねざるを得なかったという。
何で人間って、そんなに”見栄”にこだわるラク??
そんな参勤交代の大名行列は、庶民達の楽しみな行事と化していった。街道沿いに住む庶民達は、定期的にやって来る大名行列を見物して、それぞれに大名について個人的な評価を下す事を楽しみにしていたという。
上の書は1723年頃に発行された「参勤交代のガイドブック」で、どの時期にどの大名が参勤交代を行うかが、一目でわかる物となっていたようだ。
そして家紋マークを見ただけで、どの大名かを判別できるように、大名一覧も見やすく載せられていた。
このように江戸時代中頃になると、すっかり恒例行事となった大名行列が、ちょっとしたイベントになっていた様子が見て取れる。
そしてその大名行列を見て楽しむ庶民達に、このような参勤交代をする大名を判断できるガイドブックを作成して販売した人間の、商売センスにも驚くのである。
なお、鳥取城から江戸城までは、徒歩メインでおよそ20日間も掛かっていたようだ。現代人からすれば、鳥取県から東京まで歩きだけで20日間も移動するなんて考えられない事である。しかし、江戸時代にはこのように大規模な大名行列が、徒歩だけで長距離を移動していたのである。
人間は歩くのが好きな生き物でもあるラク!
こちらは池田家の家紋マークでもあった『揚羽蝶』デザインが入れられている、大名行列などでも使われた馬標である。
こちらは携帯用に便利な折り畳みできる提灯の「小田原提灯」である。江戸時代には徒歩での移動がメインだった為に、なるべく邪魔にならないよう、このように使わない時に折り畳める携帯提灯が重宝したようだ。
ちなみに「小田原提灯」を使う際には、このように引き上げると、提灯として簡単に使えるアイデア商品となっている。
こちらも江戸時代の携帯道具として人気があった「矢立(やたて)」である。
「矢立」とはそれまでの時代には、弓矢の矢を入れる道具の事を指していたが、平穏な時代となった江戸時代には、墨壺が付いている筆入れの事を指すようになっていった。
今で言う携帯用のボールペンみたいな筆記用具だった矢立。ただ、人によってはこの中に小刀や小さな矢を隠し入れて、護身用に持ち歩く事もあったという。
ちなみに内閣で行われる『持ち回り閣議』では、その場で署名をする必要があった為に、この矢立が使われているという。
なお、鳥取藩は徳川家との結び付きが強かった為に、明治新政府と旧幕府軍の抗争では当初旧幕府軍に加担していたが、戊辰戦争では新政府軍側に回った。なお、親戚筋となる岡山藩は旧幕府軍に付いたが、このようにとても難しい判断が突きつけられた事だろう。
こちらは”鳥取県指定無形民俗文化財”にも指定されている、民俗芸能の『麒麟獅子舞』で使われる衣装なども展示されている。
『麒麟獅子舞』は江戸時代初期に、藩主の池田光仲が鳥取に建立した鳥取東照宮を巡礼する際に始めさせた舞いとされている。
そしてその舞いは鳥取内に伝授され、更には隣の兵庫県などにも伝播していった。
ただ、この舞いで使われる「麒麟獅子」も、怖い顔で鬼を退治するような麒麟獅子ではなく、このように寝ぼけたような眼を閉じた顔になっていた。。
ラクダの舞いは、いつ開発されるラク??
こちらには鳥取県で行われている「年中行事一覧」が載っているパネルがあった。日本人は昔から願掛けや神頼みなどを熱心に行っていた種族なので、全国的にこのようなお祭りが多く行われてきた。
こちらは江戸時代末頃~明治時代に盛んになった「倉吉絣(くらよしがすり)」や「弓浜絣(ゆみはまがすり)」についての、説明も記されていた。
前もって染め分けた絣糸を使って織った織物は、そのデザインなどが人気となり、明治時代には家内職として女性達が多く従事するようになった。
ただ、イギリスで起こった産業革命による機械化の波が、大正時代に大きく国内に入ってきて、この倉吉絣なども機械化されてしまった為に、産業としては衰退するようになってしまったようだ。
産業革命までは機械化が殆どされずに手作業ばかりであった産業が、後に機械化によってほぼ淘汰されてしまう。
そして今年2023年初めに『ChatGPT』という、マイクロソフト傘下の人工知能開発会社が生み出した、人工知能が会話する機能がリリースされた事で、新たな時代のゲームチェンジャーとして、将来的に人間の仕事が更に淘汰されていく危機感を逆に感じる程である。。
『ChatGPT』を使いこなす仕事が代わりに増えるな!
ラクダの仕事は、多分減らないラク!
このような糸を紡ぐ道具も、ガンジーが行ったインドの独立革命で、実際にガンジーが回して糸を紡いでいた古い映像が頭の中をよぎる。そして、『ChatGPT』などによる人工知能が大規模に社会に使われていく事によって、30年後ぐらいの未来には人類の生活が激変している事だろう。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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