鳥取旅行記 2022年6月下旬-16
旅行期間:2022年6月下旬(1泊2日旅)
頑張った分だけ!
鳥取藩の中心地だった「鳥取城」は標高263mの山頂に本丸が築かれた城だったが、平時の藩政は麓に広がる山下ノ丸で行われていた。しかし、この鳥取城までわざわざ遠路はるばるやって来た事もあって、その山頂の本丸跡を目指さない理由がないので、登山道を登っていく事にした。
山頂に向けて登っていく!
登山道といっても、標高263mの小さい山の山頂に向かうだけである。
しかし、現代人は体をあまり普段使わない生活に慣れ親しんでいる人が多いために、このような山道をちょっと歩くだけで直ぐに疲れてしまう程に体が弱くなってきている。
こちらは「七合目」で、ここでも「熊の目撃情報あり!」という警告板が見られる。
実際に野生の熊に出会った事のある人であれば、常に緊張感を持って熊の存在に注意しながら山登りするのだろうが、普段全く山登りしない都会人からすれば、野生の熊に出会った途端に体が硬直して何も行動できなくなってしまうかもしれない。。
しかし、幸いにもこの時は熊に遭遇する事はなく、無事に昇り降りできた。また熊側からしても、この暑くなってきて、更には直射日光がとてもキツい日でもあったので、涼しい場所で静かにジ~~ッとしていたのかもしれない。
七合目から「八合目」までは約3分掛かり、足場が良くない割にはスピードアップしてきたと思っていると、オカンが
はあはあ・・・息が苦しい・・休ませて・・・
と座り込んでしまった。。
再び登り出すオカン! 動画
しかし、ここまで登ってきたのであれば、ちょっと休憩してから再び登っていくという選択肢しか残っていなかった為に、ちょっと体力を回復してから再び登り出すオカン。。
もう二度と鳥取城には来ないデ・・・
そして上に登っていくと、登山道の脇にコンクリート造りの塀が見えてくる。この鳥取城山頂付近は現代人の手付かずの場所かと思っていたけど、戦時中は本丸に防空監視所なども造られていた為に、多少はこのように手が加えられているようだ。
香川県の金毘羅宮のように、ただ階段が続く場所より、このようなトリッキーな登り道の方が、「どこに足を載せて、どこに手を付いて登ればいいかな?」と考えながら進めるので楽しい。
そして道の途中には、このように短い板が架けられている排水溝のような場所を渡って、先に進む箇所があった。
そしてその脇には、このように人工的なパイプ管も見られて、そこからチョロチョロと水が流れ落ちている姿も見られた。
そしてその水が流れ落ちる先に目をやると、このように東側斜面に沿って、人工的な排水溝が下に向かって延びている光景が見られる。この久松山で雨が降り、登山道に沿って流れ落ちていってしまうと、その道が削られたり壊れたりする可能性があるから、このような排水溝を整備していたのかもしれない。
そして途中に「山伏の井戸」という案内板が立っていた。この辺りで岩をくり抜いて、その中に雨が降った後に湧き出た水を集める目的だった井戸のようだ。
そしてやっと「九合目」に到達する。山登りすると、この「九合目」という案内板を見た瞬間に、「最後の力を振り絞れば山頂に到達できる!」と思って、最後の力を出す気になる場所だ。
もう力、残ってないデ・・・
なお、オカンが必死に登っている途中に、下からパタパタと音を立てながらサンダルを履いた軽装のお兄ちゃんが、颯爽にボクらを簡単に交わして登山道を登っていった。
そのお兄ちゃんの写真は撮り忘れたものの、あまりにも油断し過ぎの軽装のように思えたけど、それは逆に何回も登った事があるからにも思える風貌だった。。
そして先の方で話し声が聞こえるなと思っていたら、オカンと同じような世代の奥様2人組が先に見えてきた。
登山といいながら、たかが260mほどの山なので、お年を召した方にとっては足腰を鍛えるのに、うってつけのような登山道なのかもしれない。
この辺りもコンクリート壁が造られていたけど、その表面に苔がビッシリと生えていたので、それなりに古い時代に設置された物に見える。単なる山であればそのまま手付かずにしたかもしれないが、鳥取城の本丸が築かれている山で、多少の観光客などが登る山だけあって、このように補強されていたのかもしれない。
そしてさっきまでの登山道を登っている途中には、周辺に生い茂っている木々に邪魔されて空が見えなかったけど、この辺りでやっとその木が少なくなって、綺麗に晴れ渡る空が見えてくる。
「山上之丸跡」に到達!
そして登山道を登り出してから約30分で、山頂付近に到着する。
山城を登ると、まるで宮崎駿監督作品映画『天空の城ラピュタ』で出てくる城みたいな、幻想的な雰囲気を感じた。
そしてこんな標高260m近くの山上之丸跡に、ひと際目立つ、こちらの一輪の「アジサイ」の花が見られた。
だいたい城には桜が付き物の所が多いけど、このように「城とアジサイ」というコンビネーションも、良さそうに思う。
ラクダとアジサイも良いラク!
そしてここまで登ってきたのであればゴールの天守跡は、もう少しで到達できる。
そう思うと目の前に見えている階段を駆け上りたくなってしまうけど、オカンを追い越してはいけないので、しばし自分を自制しながらオカンの後ろ姿を見守る事にした。
このように山頂に咲くアジサイの花を見ながら、更にその奥に見えている鳥取市内の景色を一望する。
鳥取市内は鳥取駅周辺に大きな建物が密集しているので、簡単に鳥取駅の有る場所が把握できる景観ともなっていた。
鳥取城でもこの久松山の上にあった「山上之丸跡」は、基本的に戦国時代に築かれた城郭があった場所と考えられている。
そしてこの登山道を登ってくる途中にあった場所は、その戦国時代の鳥取城の「二ノ丸跡」となっていて、鳥取城を攻め落とすにはこんな高台を重たい装備を身に付けて、兵士達は登ってくる必要があったのだ。
そして残り僅かな階段となってきたものの、ここで
もう、アカン・・・
とオカンは座り込んでしまった。。
その座り込んだオカンの視線の先には、山上之丸跡にあった本丸が築かれていた石垣が見える。
ただ、この本丸跡の石垣も戦国時代に築かれた物なので、かなり隙間が空いてきており、その石が崩れないようにネットが掛けられているのが見られる。
江戸時代のお城で、「なんでこんなに高台の山城を利用していたのか?」と思っていたけど、実際に鳥取城を訪れてみると、最初は戦国時代に築かれた山之上の本丸から治世がスタートして、その後に下の麓付近が開発されて、そこが拠点となっていったようだ。
戦乱の時代だった戦国時代だと、このように敵が攻め込みにくい山城に拠点を置くのは納得だけど、平穏な江戸時代には商業の中心地となる城を山城に置く事は、デメリットしか無かった。その為に次第に拠点が下に移動していき、最終的には物見台的な役割の場所として使われるだけになっていったのだろう。
そして山之上丸跡には、このような休憩小屋も設置されている。なお、この小屋のもっと奥の方に、1970年代に運行されていた「久松山ロープウェイ」の乗り場跡が、今でも休憩所として残されているという。
そして本丸へと向かう階段を登っていく。ここまで来ると、疲れ果てたオカンの後ろを付いていく事も忘れて、思わず駆け上がってしまった。
鳥取城の本丸跡に到着!
そして階段を駆け上って本丸跡に向かうと、このように見晴らしがとても素晴らしい景観が待ち受けていた。
特に今日は天気も良かっただけに、遠くまで見晴らせる景観となっていた。
本丸からの景観! 動画
この本丸跡まで約30分登山道を登ってきて、普段から運動を殆どしない人間にとっては、ちょっと辛い道になっていた。
しかし、それでも頑張って体を動かして本丸跡に辿り着くと、ご褒美のような素晴らしい景観が見られるのだ。
山頂には自販機がないので、水分は下で買っておくラク!
たった標高が263mの久松山だったけど、それでもこのように山頂まで登ってくると、鳥取市内を一望できる絶景が待ち受けていた。
個人的には多少シンドイ思いをしても、このような素晴らしい景観が見られるのであれば、どんどんとシンドイ思いをしていきたいと思った瞬間でもあった。。
あ~~シンド・・・
こんな旅はまた次回に続きます!
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