鳥取旅行記 2022年6月下旬-10
旅行期間:2022年6月下旬(1泊2日旅)
静かな町!
さて「スーパーホテル鳥取駅北口」に宿泊して迎えた、鳥取県2日目の朝。
まずはホテル内の無料朝食を味わいますが、ビジネスホテルだけあって、簡単な朝食のみとなっていた。そしてこのようなビジネスホテルの朝食で鉄板な”カレー”を味わい、出発する支度を整える。
智頭街道を歩いて、鳥取城跡へ向かう!
「スーパーホテル鳥取駅北口」の部屋の窓からは、ホテルのすぐ脇に延びる「智頭街道」が見える。
そしてその智頭街道を上に見ていくと、その先に小高い山が見える。
この山が標高263mの「久松山(きゅうしょうざん)」で、この山に鳥取城が築かれている。
久松山の山頂に、鳥取城本丸跡があるラク!
という事でスーパーホテルをチェックアウトし、荷物はフロントで預かってもらって、身軽にした所で智頭街道を歩いて鳥取城跡まで向かう事に。
「スーパーホテル鳥取駅北口」から鳥取城麓までは、徒歩で約30分となかなかにいい距離となっている。
鳥取市内では、100円で乗れる循環バス『くる梨(くるり)』が運行しているので、駅前からバスに乗って鳥取城まで簡単に移動する手段もある。
しかし、旅はやっぱり徒歩で歩くのが自分の記憶に一番残り易いし、またその町の景色や匂いなどを五感で感じる事が出来る最適な移動方法である。
私はバスに乗りたかったんやけど・・・
そしてただ単に徒歩で鳥取城跡まで向かうだけではなく、江戸時代に参勤交代などの大名行列で通っていた「智頭街道」沿いを歩く事で、江戸時代からの城下町跡の雰囲気をも感じれるのである。
なお、こちらの立派な外観の建物は「仏壇専門館 はなふさ」という、今時の時代にはちょっと商売的にシンドイように思える仏壇専門店だった。
今の若い世代は家に仏壇を置きたがらないラク!
途中にあったローソンの看板は、このように手が届く低さになっていた。このような看板は高い所に見えるように設置されている物だと思っていたけど、最近は時代が変わってきた事もあって、段々とこのように低い位置に設置される看板が増えてきているとか。
その理由としては「街の景観保全」の一環で、智頭街道から鳥取城へ向かう道の脇でローソンの無機質な看板が丸見えだといやらしいからかもしれない。また、車を運転するドライバーが、目視ではなく、カーナビやスマホ地図アプリなどの誘導に従って運転する為に、高い目立つ所に看板を設置する必要性が無くなってきた事も挙げられている。
低い方が看板設置のコストも安そうラク!
そしてこの智頭街道を歩いて行くと、昨日も見た”円形交差点”の「瓦町ロータリー」が見えてくる。
この円形交差点の中央部分には大きな木が植えられていて、智頭街道は直進する事が出来ずに、このロータリーを少し回って迂回して進まないといけないようになっている。今回はレンタカーを借りなかったので、この瓦町ロータリーを走れなかったけど、レンタカーを借りていればこの瓦町ロータリーを回ってみたかった場所である。
そんな瓦町ロータリーと交差する道の1つに「吉岡街道」という、吉岡温泉まで向かう道がある。
鳥取市内中心部から吉岡温泉までは、西に約10kmほど走れば辿り着ける。今回は鳥取県1泊だけだったので立ち寄る時間もなかったけど、時間的に余裕があればのんびりと温泉入浴を楽しみたい所である。
鳥取藩は参勤交代で江戸までを行き交う際に、約700kmを徒歩のみのルートで約20日前後を掛けて移動していた。その移動回数は約180回に及び、鳥取城から「志戸坂峠(しとさかとうげ)」までの間が約40kmの智頭街道となっていた。
智頭街道沿いの商店街ストリートには、雨よけの屋根が設置されている。
ただ、この6月末の日差しが強い日には、この屋根が直射日光を防いでくれるので、その存在を有難く感じた。
こんな暑い時に歩いて鳥取城、行く奴なんておらんで!
智頭橋にて
そんな智頭街道を歩いて行くと、袋川が流れている場所に大きな橋が見られた。この橋は「智頭橋(ちずばし)」という、1952年に再建された鉄筋コンクリート造りの橋である。
ここは江戸時代から参勤交代で大名行列が通る橋だったので、特に立派な橋となっていたようだ。
そんな智頭橋も木造だった江戸時代の橋から、1952年4月に発生した『鳥取大火災』の後、1956年頃に再建された橋となっている。その鳥取大火災の際には、鳥取駅近くから出火した日が強風に煽られて、この袋川を越えて更に北側の町に飛び火していったという。
そんな智頭橋には、このような水の流れる勢いだけで回転し続ける玉が置かれていた。このような自動的に動き続けるオブジェは、あまり野外で見かける機会がないだけに、じっくりと見てしまう。。
この智頭橋は近年に改修されたような雰囲気になっており、欄干部分も新しくなっていた。寂れつつある鳥取市内の橋で、意外とこのように真新しい雰囲気の橋が見られるとは思いもよらなかった。
そんな橋の中央付近には、こちらの長~~~い釣竿を手に持った少年と、ウサギを抱えた少女の銅像が設置されていた。
「長~~~い釣竿」を手に持つ銅像はJR福山駅前でも見た記憶があるけど、いたずらされやすいパーツでもある。そして細いので折れたりしやすいのだろうが、釣りをしている雰囲気を出すには、どうしてもこのような細くて長い釣竿を再現する必要があるのだろう。
この「袋川(ふくろがわ)」は鳥取市内を縦断する千代川の支流となっていて、江戸時代には鳥取城の外堀としても使われていた川である。その為にこの袋川を渡った北側が、鳥取城下という認識になっていたという
こちらにも水が流れ出るオブジェが設置されていて、激アツな日差しが朝早くから照り付ける鳥取市内だったけど、この流れ落ちる水飛沫のおかげで、ほんの少しだけ涼しく感じたような。。
そしてこの袋川沿いには遊歩道があって、桜の木が植えられている光景が見られた。
この辺りは『桜の土手』と呼ばれる、明治時代から多くの桜が植えられた”桜並木”として人気の場所だったが、1952年の鳥取大火災でその桜並木も焼失してしまったという。そしてその後に10年近くの歳月を掛けて、800本近くの桜の木が植えられて、再び桜並木が蘇ったという。
そんな橋の袂には、こちらの鳥取城下町の案内図が置かれていた。今でこそ”全国で最も人口の少ない鳥取県”となっているが、江戸時代には32万石というそれなりに大きい規模の大名が治めていた場所だった。
そして目的地の鳥取城はこれから歩いた先にあるけど、本丸跡が久松山の山頂に造られているので、約250mほど登っていかないといけない。戦後に一時ロープウェイが運行されている時代があったようだが、利用客があまり居ない事もあって、早々と廃止になってしまっている。。
再び智頭街道を進む!
まだ午前9時30分頃だったけど、かなり強烈な日差しが降り注いでいた。ちなみに昨日鳥取砂丘に滞在している短時間の間に、首回りが日焼けしてしまい、早速にヒリヒリとした痛みが発生してしまっていた。。
日本海側は日差しがキツいから、油断しているとあっという間に日焼けするラク!
昔から栄えていた智頭街道も、現代となっては廃れた商店街となっている。しかし、逆に数十年前の景色のまま残されているレトロな商店も多く、こちらには「山田金庫店」という、今ではあまり見られない金庫店もあった。
この山田金庫店では金庫の販売だけではなく、事務用品の販売なども行っている為に、お店のショーウインドウにはこのようなレトロな「レジスター」も置かれていた。今ではこのような古いレジスターはなかなか見られなくなっているだけに、これからは骨董品としての価値が上がってくる事だろう。
時代遅れも、そのウチに”レトロさ”でプレミアが付いてくるラク!
道端にはこちらの「竹細工」の花入れなども、このようにガラスに入って展示されているのが見られる。
ただこのような展示品も、この道を歩く観光客が少ないだけに、あまり目に付かない物となっているだろうが。。
そして鳥取城の城下町として発展してきたエリアなので、古そうな建物がありそうなイメージがあったけど、実際には1952年の大火事によって、この周辺の建物の殆どが焼失してしまった為に、それ以降に建てられた建物ばかりとなっていた。
その為に、想像していた程、レトロな雰囲気が溢れる町という訳でもなかった。
しかし、1952年の大火を生き残った建物も僅かながら、現代にも見る事ができる。
こちらの建物は「五臓圓ビル」という、1931年に建造された鳥取市内で現存する最古の鉄筋コンクリート造りの建物でもある。また、”国登録有形文化財”にも指定されており、大地震や大火を乗り越えて存続する、鳥取市を象徴する建物でもある。
そして道を進んで行くと、交差点の奥にこちらの年季が入った外観をしている建物が見えてくる。
こちらの建物は「なかむら食堂」という食べ物屋さんで、それなりに古くから営業している建物のようだった。。
こちらは「鳥取童謡・おもちゃ館&わらべ館」の建物で、「鳥取県立童謡館」と「鳥取市立鳥取世界おもちゃ館」の複合施設となっている。
この建物の外観は一見古そうに見えるけど、1995年に新しく建てられた建物となっている。ただ、この建物は1952年の大火を生き延びた「旧鳥取県立鳥取図書館」の外観を再現しているが、旧鳥取県立鳥取図書館自体は老朽化もあって残念ながら取り壊されてしまっている。
なお、こちらの施設は入場料:大人500円と有料施設になっている。今日はこれから鳥取城跡を見学して、ついでのその周辺もウロウロとする予定なので、時間がもし余ればこの施設を見学しに来ようと考えた事もあって、内部の見学は見送った。
奥の壁には、古代ギリシャっぽいモザイク画のようなデザインの時計が設置されていた。
ただ、2日目の今日は鳥取城跡の見学がメインだったので、それ以外の見学は時間が余った時に考えるとする。
そして暑い日差しを受けながら歩いて行くと、やっと鳥取城跡が近づいてきた。このように山の上の方まで木々に囲まれている本丸跡は、近くで見上げると相当な高さに感じた。
ホンマにあそこまで登るんか??
そしてスーパーホテルを出発してから約30分が経過した頃に、このように鳥取城跡となっている久松山の真ん前までやって来る。
日本国内の「山城」の中でも、最も石高が多かった城だけあって、想像以上に立派な城郭になっている鳥取城跡の見学をこれから行っていきます!
こんな旅はまた次回に続きます!
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