江戸時代末期の街並みが残る奈良の「ならまち」で、ブラリ徒歩で観光【奈良旅行記⑫】

奈良旅行記⑫
 旅行期間:2020年9月8日~9日

昔の雰囲気が残る奈良

ならまちを進む

さて奈良の1泊2日という短い旅も、奈良旅のメインだった奈良ホテルでの宿泊を終えて、あとはブラリと奈良中心部を散歩して少し観光して帰る予定。その前にオカンが行きたかったという「ならまち」と呼ばれる、江戸時代末期からの街並みが保存されている地区を少し巡ってみる事に。

 

「ならまち」にて

「ならまち」の街並み

この元興寺という平城京遷都で移設されてきた歴史が古い寺の元々は境内だった場所に、造られた街が今では俗に「ならまち」と呼ばれるエリアになっている。厳密には漢字で書く「奈良町」とは違う存在のようであるが、それは奈良県民の思い入れが強い為に分けられているのかもしれないので、観光客はそこまで深い事を考えずに気軽に散策するのが一番である。

 

「ならまち」にある石碑

江戸時代末期の建物やこのように石碑が残されている「ならまち」。日本という土地は地震が多い為に古い建物が倒壊したり、木造だった建物が火災で延焼したりという事で、昔から多くの木造家屋が造られては消えてきた。また第二次世界大戦時には色んな都市がアメリカ軍によって爆撃されて破壊されてしまうが、奈良の街はあまり大きな建物などが無かった為に空襲されずに戦争を生き延びた建物が多いという。

 

「ならまち」の街並み1

そんな昔に造られた街並みはこのように今とは違って、家の前の道路に車や馬車が通るなんて事を想定してしなかった為に、家の前の道幅が狭いのが特徴でもある。そして札幌の街のようにしっかりと区画整理された街も少ない為に、道が曲がっていたりと迷子になりそうな街もある。

 

 

奈良町資料館にて

「ならまち」の街並み2

こちらは「奈良町資料館」で、近くにある中国から伝わった道教思想の”庚申信仰”の拠点:「庚申堂」で祀られる『身代わり申(みがわりさる)』などが門前に吊るされているのが見える。これは飛騨高山地方で「さるぼぼ」と呼ばれるものに似ているが、ここでは魔除け的な意味で門前に吊るされているという。

オカン
オカン

よくある厄除けみたいなおまじないやな!

 

「ならまち」の街並み3

こちらの建物は「奈良町資料館」となっていて、その入口2階部分にはこの周辺で営まれていたお店などの、使われなくなって古びた看板が並べられているのが見える。そしてこれらがその古い時代に造られたという事が、この木材に文字が彫られているのを見れば分かる。

 

「ならまち」の資料館の看板

そして”庚申信仰”が広がった奈良の街では、「申」という漢字が「猿」を表していた為に、猿が庚申の使いをしていたというように考えられていた。そういった考えのもとで、このような「見ざる聞かざる言わざる」という置物が生み出されたようだ。

 

「ならまち」の資料館の地蔵

そして資料館の入口手前右側には、厄除けである「身代わり申」が沢山取り付けられた観音様が置かれている。『とげぬき観音さん』と書かれていて、”お手触れ料100円”とも書かれているのが見える。なかなかこのように単に賽銭箱だけ置かれているのではなくて、像に触れる事によってお金が発生するというシステムはあまり見ない気がする。

 

「ならまち」の資料館の地蔵1

この『とげぬき観音さん』は、なんでも体に悪い箇所を持つ人や元気のない人や子供に恵まれない人などが触れると、御利益をもたらすとされているそうだ。こういう他力本願な考えは宗教に必ず見られるもので、目の前の苦しみから逃れたい人達を取り込む常套手段である。冷静に考えれば像を触れるだけで体の悪い箇所が改善される訳ないけど、先祖からこういった宗教世界の考えが叩き込まれて育っている人達は、これを信じて100円払って厄払いしていくのであろう。

 

「ならまち」の資料館

この奈良町資料館は入場無料で、かつ内部は写真撮影OK(フラッシュ撮影はNG)だったので、とりあえず建物内の見学をしてみる事にする。

 

「ならまち」の資料館の地蔵2

科学の発展した現代人からすると、過去の何も頼る事の出来なかった時代に現れた救世主である宗教という存在に、多くの人々が酔狂していったのであろう。このように世界中に古くから信仰されてきた色んな宗教の遺物などを見ていると、そんな宗教が多くの文化を生み出した事にも繋がっていたのが分かる。

 

 

「ならまち」の庚申堂で売られているさるポポ

こちらはこのならまちの名物にもなっているという、厄除けとして軒先に吊るす「身代わり申(みがわりさる)」である。10cmの物で3,300円(税込)とそれなりにいいお値段がしている。なお大きいものでは3万円以上もの値札を掲げているものもあった。

オカン
オカン

厄年も気にしないアンタには、無用の長物やな!

 

「ならまち」の資料館に展示されていた、昔の薬屋のさるポポ

「身代わり申(みがわりさる)」も1個ずつの販売ではなくて、このように小さいものから大きいものまで5つ連なって、販売されているものまで見受けられる。簡単に言うと身代わり申の、お買い得なセット品というものだろう。

オカン
オカン

ワタシは魔除けよりも、虫除けの方が欲しいけどな!

 

「ならまち」の資料館に展示されていた、昔の薬屋の看板

そして奈良での文化を築いてきた宗教などのグッズよりも、ボクの目を引いたのがこのような昔の医薬品販売時に使われていた、薬の看板である。こちらは明治時代に造られたというお腹用の薬の看板らしいけど、昔の看板は一個ずつ手作りで木を彫られて塗装していたのが分かる。

 

「ならまち」の資料館に展示されていた、昔の薬屋の看板1

こちらの兜型の看板のようなものは、江戸時代初期に造られたものだとか。徳川家康が本当の天下統一を成し遂げて、天下泰平になった平和な時代では、兜は実用的なものではなくて、あくまでも儀式的な装飾などに用いられる機会が増えたという。また戦乱が無くなった江戸時代では武士が鎧や兜を売ろうとしても、需要と供給の法則によって、戦乱が収まり必要とされなくなった鎧や兜は安く買い叩かれたという。

 

「ならまち」の資料館に展示されていた、昔の薬屋の看板2

こちらは明治時代に造られた、鎮静剤の木造看板だという。打ち出の小槌の形に造られており、痛みに対しての特効薬というイメージを、打ち出の小槌に置き換えて訴求していたようだ。昔から商売上手な商人たちは、このように上手い事広告を利用して売り上げを稼いでいたのであろう。

 

「ならまち」の資料館に展示されていた、昔の薬屋の看板3

こちらの「あめ」は江戸時代に造られた木造の看板。このようなレトロな木製の看板が残っているのも、第二次世界大戦時に空襲などに見舞われる事が無く保存されてきた「ならまち」ならではの遺品かもしれない。

 

 

「ならまち」の庚申堂

今の奈良に住む人達が庚申信仰を信じているのかは分からないけど、1000年以上の文化財となっている宗教的な考えなので、大事な文化財として今後も継承されるべきものとなっている。

オカン
オカン

今の子達は宗教離れしてるから、これから先はこういったものも消えるんちゃう?!

 

「ならまち」の庚申堂の菩薩像

こちらに置かれている御本尊の『青面金剛』は、中国から伝来した道教思想から日本で独自に発展した御本尊である。日本に伝わって来た宗教も源流はインド地方のヒンズー教や仏教から来ているのが大半であるが、その源流地を離れた宗教は独自の発展をしていく。このように宗教の形が土地によって違うという事は、元々の形が大事な訳ではなくて、その根付いた土地に合う形が一番そこにとって大事だったという事だろう。

 

「ならまち」の庚申堂

ここには元々元興寺の本堂が建てられていた場所だったようで、1451年に炎上してしまった為に消えてしまったようだ。そしてその本堂などがあった場所に人々が住みだして、今に「ならまち」と呼ばれるエリアが形成されていったそうだ。

 

奈良オリジナルのナンバープレート

こちらは奈良県のご当地ナンバープレートである。このように奈良のシンボルは鹿と言っても過言ではない位の存在となっている。ただ奈良公園に住んでいる1000頭を超えるという鹿は、年間に数十件もの交通事故などで死んでいる。だからもう少し奈良として鹿の保護に務めてもいいのではなかろうか?と思ってしまう。 しかし一方で奈良市民からしても野生動物の鹿と共生できない人々が多いらしく、駆除してくれという訴えもあるんだとか。

 

「ならまち」の景観

このように「ならまち」の雰囲気が出ていてレトロな街並みが楽しめる場所だったけど、ただ残念だったのがエアコンの室外機やCS放送のアンテナなどが、道を歩いていると建物の外側に見えた事。ここで住んだり営業している人達からしたら、それらは現代に生きる人間として必要なアイテムなんだろうけど、なるべく外から見えない場所に取り付けて欲しかった・・・。

 

「ならまち」の景観1

今までであればこれらの場所に多くの観光客がやって来ていたのであろうが、この2020年はコロナ禍の影響でこのような観光地も閑古鳥すら鳴いてない位に静まり返っていた頃。こういった光景などはニュースなどの媒介情報で知るよりも、実際に自分で訪れて、自分の目で現地の様子を知り得る事はとても重要だと感じた。ニュースなどはその全てを伝えるのではなくて、視聴者にとってインパクトある部分だけを抽出して伝えるので、思い違いをさせやすい。そういう意味では2020年のコロナ禍によって、ワードショーやニュースなどが何回も繰り返し無駄な情報ばかりを垂れ流し放送するのを見て、大嫌いになった2020年でもあった。。

 

 

ならまち資料保存館にて

「ならまち」の資料保存館

そして特に買い物もする事なくブラブラとならまちを歩いていると、こちらの「奈良市史料保存館」という建物を発見する。ここも入場無料だというので、入ってみる事にした。

 

「ならまち」の資料保存館の展示物

奈良の街は飛鳥時代などから発展していたので、中国地方から伝わって来た道教や儒教などの文化が昔から根強く残っている場所だけに、このような巻物などが多く残されているようだ。

 

「ならまち」の資料保存館の展示物1

昔は鬼みたいな顔した存在程に悪霊を退散できるとして、人気があったのだろうか。今でもそうだけにニコニコ顔して差し支えない事しか言わない政治家よりも、怖い顔してるけど言う時はしっかりと本音を言って自分の信念を曲げない政治家の方が何だかんだで人気がある。

そういう意味では菅さんは、後年になっても記憶に残る人では無さそうな・・・?!

 

「ならまち」の資料保存館の展示物2

このような御威光を放つ存在としての源流は、やっぱりインド地方で生まれたブッダから派生したものなのかと思ってしまう。今の世も昔の世も悩む人は、何にでもすがりたくなるようだ。そこに信じれば全て解決されるという甘い言葉で誘惑してくる宗教などが表れれば、全てを放り出してもそっちに行きたくなるのであろう。

 

「ならまち」の資料保存館の展示物4

この奈良市史料保存館は簡単な資料館となっているので、入場無料の分、案内をしてくれるような人もいなかった。資料もあまりなかったので滞在時間は10~15分程の場所だろう。ただ空調はちゃんと効いていたので、夏場などにはちょっと休憩するには絶好のポイントなのであろう。

 

「ならまち」の資料保存館の館内

奈良は古い都市で奈良時代以降に大きく発展しなかった事もあって、逆にその当時の歴史が今にも引き継がれているのである。もしここに江戸時代に新しい都が造られていたら、このような1000年以上も前の文化などほぼ消え去ってしまっていたのかもしれない。そう思うと全ての都市が発展しないといけない訳ではなくて、発展しないからこそ特色が出てくる都市があるというのを理解できる奈良であった。

 

「ならまち」の資料保存館の航空写真

こちらは昭和54年に奈良市内の上空写真を撮影した物。大昔に都が移された時に碁盤の目状に都市が整備された影響もあって、一応は碁盤の目のように街が造られているのが分かる。しかしだいぶ後になって造られた鉄道などが湾曲された造りになっている為に、あまり碁盤の目のような街に思えなくなってしまっているのかもしれない。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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