奈良旅行記⑭:完結
旅行期間:2020年9月8日~9日
短い奈良の旅
1泊2日の日程で奈良ホテルに宿泊した短い旅も、これにて終了となる。奈良から大阪への帰りはJR奈良駅を利用する予定だったので、近鉄奈良駅近くからJR奈良駅へと向かう【 暗越奈良街道(三条通り)】を歩いていると、懐かしい『ホテルフジタ奈良』の建物が見えてきた。
約4年前に勤めていた会社の後輩達と急にやって来た短期奈良旅で、当初は当日中に大阪も戻る予定だったが思った以上に盛り上がった為に、奈良での宿を探す事となった。するとこの辺りの飲み屋を出てみると目の前にこの『ホテルフジタ奈良』が見えた為に、いきなり宿泊する事となった少し思い出があるホテル。しかしこちらのニュースにもあるようにコロナ禍の影響で宿泊客が激減した為に、2020年12月をもって営業を終了してしまっている。。
奈良市内にて
そんな『ホテルフジタ奈良』に前回来た時は全然気付かなかったけども、その建物の手前にはこのような手入れされた通路が奥まで延びているのを発見する。
開化天皇:春日率川坂上陵にて
ここはホテルフジタ奈良の敷地ではなくて、こちらの看板にもあるように宮内庁の敷地。こちらは『開化天皇』という第9代天皇のお墓として前方後円墳が設置されていて、今では宮内庁がその手入れを管理している場所。
この「開化天皇陵」の大きさは約100m程で、幕末頃に整備されたものだそうだ。ただ第9代天皇というとその実在したかという事さえ定かではなくて、日本書紀や古事記にその記述が残っているだけというレベル。なお今の令和天皇である徳仁天皇は第126代天皇であり、初代天皇:神武天皇は紀元前600年以上も前の人物とされている。だからその大昔の天皇のお墓跡と言っても、あくまでも抽象的に祀っているだけなのではあるが。。
この開化天皇陵は開門していると言っても、手前の門までしか入れずに、そこからこのような景色を眺めるだけとなっている。誰も常駐する管理人が居ないように見えるこのような古墳だけど、宮内庁が管理しているだけあって手前に敷かれた砂利は綺麗に毎日掃かれているのであろう。
JA特産品のアンテナショップにて
そして奈良に来たのであれば「奈良漬」を買いたいような顔をしていたオカンの為に、この三条通りにあったこちらの「JAアンテナショップ」に立ち寄る事とした。
この「JAアンテナショップ」にはこのように店内に溢れる位の奈良県産の野菜や果物や、それ以外にも他県も名産品なども所狭しと置かれていた。経済都市ではなくて農業が盛んな地方都市に来ると、このような現地で採れた野菜や果物がとても美味しそうに見えてしまうのである。
さっきコーヒーを飲んだばかりであるものの、ここで見つけた奈良産の「しそジュース」を飲む事に。その葉は昔から消毒作用があったりしたので薬草代わりに用いられていたもので、体にとてもいいイメージがある。しかしワーファリンという血をサラサラにする薬を飲んでいるボクにすると、更に血がサラサラになってしまう葉っぱ類は医者曰くは摂取しない方がいいという。
だけど薬程の効果がある訳でもないので、1杯位は問題ないと思って飲みますよ!
そして程なくしてJR奈良駅前に到着する。この中央右側に見えている和洋折衷のような煉瓦の建物は、JR奈良駅第2代目駅舎として1934~2003年まで使われていた建物である。なお最初に国鉄(JR)の奈良駅として造られたのは、明治23年(1890年)である。今見られる2代目駅舎はその役割を終えて次に新しい高架駅となる為に、取り壊される運命にあった。しかし歴史的な文化財として残そうという保存運動が起こり、その影響で建物は少し移動したものの保管される事となった。
今のJR奈良駅は高架となっているので2階に登る必要があるけど、「階段やエスカレーターかどちらを選ぶ??」と言われれば、勿論階段を選択する。奈良駅の階段では階段を登る人が楽しんで階段を登れるようにと、このような塗装がされていた。この階段に塗装されていたのは早くて2037年頃に名古屋~関西間が開通するというリニア中央新幹線計画で、奈良市がその停車駅として立候補しているという内容だった。
このリニア中央新幹線計画は従来の東海道新幹線よりも約1時間半ほども早く東京~大阪間を行き来できるとされているが、ただ移動時間が早いだけではなくて東海道新幹線の老朽化もあって、震災などで被災した時用に代替えるルートを用意しておきたいという考えも含まれている。リニア中央新幹線は東京(品川)~神奈川~山梨~長野~岐阜~愛知~三重~奈良~大阪(新大阪)という開通区間となっているが、奈良では詳しい駅の場所がまだ確定していない。それに対して莫大な経済効果を期待する奈良県の自治体同士(奈良市・生駒市・大和郡山市)が、未だにリニア駅誘致を争っているようだ。
リニアが出来る頃にはたぶん生きてないから、全然気にならんわ!(笑)
今から約15~20年後程にどういった世界となっているかさえ想像できないので、そこにリニアの話をイメージしても全然想像できない話である。ただ奈良市もリニア駅が増えて観光客が増えるかというと、そう単純ではないのであろう。そんなことはさておき、とりあえず目的の奈良ホテルに宿泊できたし、帰りの電車に座れたという事で安堵の顔を見せるオカンであった。。
何だかんだで疲れたで!
<まとめ>
今回は1泊2日という旅としては短いものだった。ただ奈良は大阪市からだと約1時間圏内で電車に乗って来れる場所だけに、今まで「奈良に泊まる」という感覚は持っていなかった。だけどそんな奈良でも1番歴史があって有名なホテルの『奈良ホテル』に格安で宿泊できるというプランを発見した為に訪れた奈良であった。
ここ数年の間でオカンと一緒に奈良にはウォーキングと観光を兼ねて、数回訪れている。前回は約2年半程前に奈良の若草山から春日大社と春日原始林などを散策した事もある。その時の思い出はというと夕方になる時間帯になって、ひと気のあまり無い春日原始林へと向かうボクに対して、「嫌や、暗くなるし怖いからやめとこうよ~!」というオカンを無視して強引に春日原始林を歩いたのを思い出す。
あの時も3万歩コースだったな・・・
大阪からは意外と近い奈良だけど、来てみると毎回色んな発見がある。この「せんとくん」も単なる奈良のマスコットキャラクターかと思っていたけども、”平城遷都1300年祭”に合わせて生まれたキャラクターだったという事を今回初めて知った。またその陰ではそのキャラクター選考でモメて、別のキャラクターも対抗馬として生み出されていたが、今では殆ど知名度が無くて消えかかっている「まんとくん」というキャラクターの存在も始めて知る事となった。
そして平城京跡の敷地内を縦断している、こちらの近鉄奈良線の線路。奈良市側からするとインバウンド需要をより増やそうとして平城京跡を復原しているので、そんな平城京跡にまたがる近鉄奈良線が邪魔になり、近いうちに移設される可能性があるそうだ。なのでもしかしたら次に奈良に来た時は、この平城京跡に線路がある光景も見れなくなっているのかもしれない。
こちらは2022年に完成予定の「第1次大極殿:南門」の復原現場。大阪や奈良と比べても歴史が古い古都である奈良では、このような大昔の歴史遺産を復原してインバウンド需要を掘り起こそうと躍起になっているようだ。しかし2020年に世界を一変させたコロナ禍の影響でその予定に大きくズレが出たが、いずれは新型コロナウイルスも忘れ去られる時代が来る。その時には日本国内でも奈良時代の歴史を体感できる場所がここにしかないというアピールで、観光客を増やせているのか10年後ぐらいの未来が楽しみな平城京跡である。
こちらは2010年に約180億円もの費用をかけて復原された『第1次大極殿』の建物。この建物1つで180億円という巨額の費用が掛けられていて最初はビックリしてしまったけど、復原資料館などでどれだけこの建物に昔ながらの伝統技術が用いられているかなどの資料を見ていると、これだけの費用が掛かった訳を理解できた。
ただ、そんな巨額の費用の元が取れるかは別やからな!
こちらは平城京跡の朱雀門広場に置かれていた銅像である。平城京に都があった時代なんて約1300年も前の事だけに、その時代で活躍した人物なんて全く想像にも浮かばない。しかしここに銅像として建てられていた人物は『棚田嘉十郎』という、明治時代に生きた植木職人のもの。荒廃して雑草が生えっぱなしになっていた平城京跡地を、後世に残す為に働きかけて尽力した人物。今では当たり前にこのような平城京跡の景色が見られるが、この棚田嘉十郎という人物が居なければここも住宅などが立ち並んでいて、史跡として残っていなかったかもしれない。そういう意味ではたった1人の人間の働きが、大きな波紋を広げて大きな成果を挙げれるという事を知る事が出来た場所でもある。
そしてコロナ禍だった2020年は家に籠らざるを得なかった人達の情報収集は、テレビのニュースやネット記事がメインだった。そんなネット記事で「奈良の鹿が観光客からせんべえを貰えなくて、飢えている・・」という記事に一躍注目が集まった。しかし実際に奈良公園を訪れてみると、そんな飢えなどまるで感じられない程にケロッとした鹿の姿が見られた。
本来は草とかを食べる動物なんで、人間がよく食べる変な食べ物はなるべく与えないでナラ~~!
そして”GO TO キャンペーン”の恩恵も受けて、飲み放題100分付の夕食と朝食込みで1泊が1人9,000円以下という格安プランで宿泊できた「奈良ホテル」。一般的には格式が高い歴史ある名門ホテルだけど、人的なサービスの良さはあまり感じられなかったが、和洋折衷の建物は見所充分であった。
平成や令和を生きる若い人達からするとそうでもないけど、昭和を生きた人達からするとこの奈良ホテルは天皇家も宿泊するという事もあって憧れのホテルのようだった。だから宿泊客も若い人達よりも、年配層を多く見かけた。
一応昭和生まれだけど平成の方が長く生きているボクは、そんな奈良ホテルに宿泊する事よりも、夕食に付いていたアルコール飲み放題の方が楽しみであった。世間的には仕事をしている事が普通に思われているけど、仕事をしていない人間だからこそ、このように平日でも自分の思うがままに動く事が出来る。仕事をするという事は仕事に時間を費やして、その対価にお金を得ている行為である。だから言い方を変えればお金の為に、自分の時間を売っているという事でもある。なので仕事をしていないという事は、時間をお金で売らずに自分の思うがままに生きれてるという事にもなる。
ワタシからすると、ちょっとは時間売ってお金を稼いで欲しいと思うけどな・・・
ボクも40歳を過ぎてしまってオヤジを約1年前に失ってしまったけど、残るオカンも生きているうちでしか親孝行はできない。自分ひとりではあまりドコかに行こうとしないオカンだけど、何かにつけて引っ張り出すと嬉しそうな顔をしてくれる。そんなオカンを喜ばす為に、今回の奈良ホテル宿泊という旅になったのである。
だからお金を出しているのは、ワタシやで!!
奈良ホテルは日本でも老舗名門ホテルだけに、和食の朝食がとても美味しかった。洋食もそれなりに美味しいのだろうけども、やっぱり日本人には和食が一番DNA的にも合うのであろう。
奈良ホテルを設計したのは、赤レンガの東京駅などを設計した辰野金吾が含まれているが、明治時代は堰が壊れたかのように西洋文化が日本国内に一気に流れ入ってきた時代であったが、このように日本和風の良さを上手い事西洋様式と融合した和洋折衷の建物だった奈良ホテル。
そして「ならまち」という場所には初めてやって来た。今では世界遺産の一部ともなっている「元興寺」の本堂があった場所跡地に、江戸時代末期に出来た街並みだ。ヨーロッパの街などでよく聞かれる”旧市街地”と言われる、昔からの面影を継承している場所である。そんな建物の門前に吊るされているのは「身代わり申」という、厄除けのお守りである。
コロナ禍でインバウンド需要が大幅に減って大打撃を受けていた、観光都市である奈良。しかしそんな奈良でもこのように敢えて外国人観光客が殆どいなくなった時期にも関わらず新規出店して、成功を収めているガチャガチャ店なども見れた。「ピンチはチャンス!」と昔から言われているけど、今回のコロナ禍をチャンスと見れる人間がこれからの21世紀で大きく実績を伸ばしていく事だろう。
何だかんだで今覚えば短かった奈良の旅。しかしブログの旅行記としては奈良の事をアップするのはこれが最初で、今までの奈良旅行はブログに掲載する事はなかった。だけどやっぱりこのように旅行記として後で復習すると、色んな事を勉強できるという事を改めて知る事にもなった。そして奈良という場所は大阪人からするとちょっと小馬鹿にしている場所であるが、その奈良の歴史は馬鹿にするのではなくてもっと首を突っ込んで調べていくと、より大きな事を勉強できる場所だったという事を知った旅であった。。
今まで奈良人を馬鹿にしてたけど、ごめんなさい・・・orz
<完>