平城京跡で復原中の【第1次大極殿:南門】建築現場(2022年完成予定)【奈良旅行記③】

奈良旅行記③
 旅行期間:2020年9月8日~9日

復原中の平城京跡

平城京跡の景色

奈良にある平城京跡という場所は今から約1300年に都が置かれていた所であるが、その後に都が移転された後は荒廃してつい最近までは史跡として認定されていたものの、建物など見当たらない原っぱであった。しかし2000年頃より平城京跡にあったとされる建物を復原する計画が出てきて、今ではこのように原っぱのど真ん中に大きな建物が建造中の様子が見られる場所となっていた。

 

平城京跡歴史公園にて

平城京跡の景色1

こちらにはそれなりの昔に建てられたと見られる、平城京跡の説明が書かれている石碑があった。ここは朱雀門から入って来て、北にあった第1次大極殿へと延びる「朱雀大路」があったとされている。国家的な大事な儀式などが第1次大極殿で執り行われる際には、この道を北上していたのであろう。

 

平城京跡に復原中の「第1次大極殿:南門」

この先にある「第1次大極殿」という、その大事な儀式が行われていた建物は2010年に”平城遷都1300年祭”を記念して建物が復原されているが、今はその手前にあったという『第1次大極殿の南門』が2017年より復原工事中となっていた。ただこのように普通の工事現場で使われるような無地の囲いではなく、完成を目指している建物の絵が囲いに描かれていて、建設中ではありながらもその景観を少しは楽しめる工夫がなされていた。

 

 

復原元工事中の『第1次大極殿の南門』

平城京跡に復原中の「第1次大極殿:南門」1

『第1次大極殿の南門』に近づいてみると、その正面側に一部足場が組まれているのが見えてくる。『第1次大極殿の南門』の大きさは高さ約20mで、2017年11月~2022年3月までの工事期間を予定している。先程見た朱雀門やこの第1次大極殿南門なども、勿論復原するには多額の費用が発生している。

 

 

平城京跡に復原中の「第1次大極殿:南門」2

こちらの工事の外壁には『第1次大極殿:南門復原』の下に「国土交通省・近畿地方整備局」との文字がある。という事はこの平城京跡の土地は国が管理していて、この南門復原には国の税金が使われているという事。そしてこの南門復原費用はなんと約51億円も費やされるという。

オカン
オカン

めっちゃ金使ってんやな~~勿体ないな~~!

 

平城京跡に復原中の「第1次大極殿:南門」3

さっき見た1998年に復原された朱雀門の事業費は、約34億円も掛かっている。そしてこの奥にある第1次大極殿は約180億円という巨額のお金が費やされている。では何故これだけの多額の金額が復原事業に費やされているかというと、この復原する建物が近代的な建築物ではなくて、昔ながらの日本らしい建物を造り方も再現している為である。だから工事費用の安い造りではなくて、費用度外視で奈良時代に造られたような伝統的な建物を目指しているようだ。

 

平城京跡に復原中の「第1次大極殿:南門」のパネル

なので先程の朱雀門や奥にある第1次大極殿などでは、200年以上の樹齢を誇る国産ヒノキを柱として数十本も使用している。その国産ヒノキも奈良では有名な吉野産が6割程を占めており、その柱1本だけで約2,000万円を超えるという。今では近代建築の普及によりそういった国産ヒノキが使われる機会が激減している為に、奈良でこのような過去にあったとされる建物を復原する事業は公共事業として、奈良県にお金が多く落ちるようにもなっているようだ。

過去の遺構をただ復活させるというよりは、その裏で多くの利権が渦巻いている訳で・・・

 

第1次大極殿南門:見学デッキにて

平城京跡に復原中の「第1次大極殿:南門」の見学現場

という公共事業の裏側にあるお金の話は置いといて、この第1次大極殿南門復原工事の「見学デッキ」が公開されているので、そちらに向かう事にする。見学と言っても遠くから見えていた通り、外側に足場が造られていて、そこから見学するだけであるが。

 

平城京跡に復原中の「第1次大極殿:南門」の見学現場1

そしてここでも一方通行の道を進んで、建物内の復原中の様子が見られる窓部分に辿り着く。ただここまで見える景観だけでは、ここで木造建築物が建てられているという雰囲気を全然感じられない。。

 

 

平城京跡に復原中の「第1次大極殿:南門」の見学現場2

こちらはその見学デッキから見えた、復原工事中の第1次大極殿:南門である。このようにこの見学デッキから見られる南門の木造部分は僅かしか見えずに、代わりに鉄骨ばかりが視野に入ってきた。これではほぼ鉄筋の建物を造っているかのように見えてしまうけど、この鉄筋はあくまでも木造建築物を建てる際に補助として支えるもの。なおここでは「アルバトロス」という、次世代の先行手すり工法の足場が使われているようだが、このブログが公開される頃にはこの足場は撤去されている可能性が高いみたい。

 

 

平城京跡に復原中の「第1次大極殿:南門」の見学現場から眺める朱雀門

なおこちらの景色は第1次大極殿:南門復原見学デッキから、南側を眺めたもの。画面中央には約34億円を費やした朱雀門が小さく見えている。近代的な建物ではなくて昔の木造建築物を当時の伝統技術を模倣して造る為に、どうしても建造費用が多額になる。しかし見方を変えればこのような日本古来の伝統技術を未来へ存続していく為に、このような公共事業を通じて費用を払って活用している訳である。もしこのような公共事業が少なくなれば、そういった日本古来の伝統技術を培った職人が減って、そのような伝統技術が衰退して消滅してしまう事になる。

オカン
オカン

お金を払って未来に引き継いでいく必要性のあるものだったら、エエんやけどね・・・

 

 

見学デッキからの景色 動画

 

 

平城京跡に復原中の「第1次大極殿:南門」の見学現場の脇

この南門復原工事が終了するのは2022年3月で、その頃にはコロナ禍もワクチンが普及してひと段落している可能性がある。なので奈良県としてもこのような大金を掛けた事業に対して、観光客がまた沢山やって来る事を祈っているのであろう。なおこの平城京跡ではこの南門復原だけでは終わらずに、この左手奥にある第1次大極殿を取り囲む回廊を造り上げる予定もあるんだとか。

オカン
オカン

回廊まで造るとなるとめっちゃ金が掛かるけど、それも全部税金なんやろ?!

 

「復原事業情報館」にて

平城京跡の復原事業情報館

南門復原工事現場の西側には、このような「復原事業情報館」という簡単な資料などが展示されている建物がある。そしてその館内は無料で入れるようになっている。

という事で無料の資料館に吸い込まれていくのであった・・・(笑)

 

平城京跡の復原事業情報館にある模型

こちらは第1次大極殿(奥の建物)と、それを取り囲む回廊の1/200スケールの模型が展示されている。手前の真ん中中央部分に見えている建築物がさっき復原中だった「第1次大極殿の南門」。平城京跡では将来的にこのような回廊までも復原を計画しており、第1次大極殿と南門だけでも合わせて約230億円が掛けられているが、この回廊復原工事もそれだけで数百億円は必要になりそうな大プロジェクトである。

 

平城京跡の復原事業情報館にある説明

これはここを訪れた2020年9月上旬現在の、第1次大極殿付近の見学ルート図。その敷地内中央部には「加工原寸場」という、建築材料を製造する加工場が設置されている。この「加工原寸場」も簡単な工事プレハブ小屋ではなくて、もう少しシッカリとした造りになっていたので、ひょっとしたらこの周辺を取り囲む回廊を造り上げる事までを想定して、しっかりとした建物が造られていたのかもしれない。

 

 

平城京跡の復原事業情報館にある説明1

昔はあったハズの文明社会が跡形もなく消えてしまった場所に、後年にそれらの遺跡が復原されるという事も実は色んな問題があって反対運動なども起きている。というのもこういった大体的な復元作業には多額の事業費用が必要であり、国規模での支援が欠かせない。国が絡むとその資金は税金が投入される。また奈良時代は約1300年も前の事なので、その当時の事を詳細に記した資料も殆ど残っていない為に、大部分が創造で造られている。だから下手に復原して建物などを造ってしまうと、本来の遺跡のイメージを壊す事にも繋がりかねないのである。

 

平城京跡の復原事業情報館にある説明2

ただ奈良県からすると観光客を増やす為には、原っぱだけが広がる『平城京跡』だけでは観光客が満足しないので、こういったその時代の雰囲気を感じさせる建造物が必要になる。そして国の後押しを得て多額の工事費を奈良県の工事業者などに支払えば、奈良県内にお金が落ちて活性化にも繋がる。だから純粋に過去の景観を復活させたいという気持ちだけではなくて、それ以外にも経済面を重視した復原となる事が多いようだ。

オカン
オカン

まあ何もない原っぱを見るよりも、何か建物があった方がいいと思うけどな・・・

 

平城京跡の復原事業情報館の内観

第1次大極殿の復原費用:約180億、南門の復原費用:約51億という巨額の費用になっているのは、このような古代木造建築で使われてきた伝統技術が使用されているからでもある。新たに再建されるお城などでは外から眺める分にはいいけど、中に入ってみると鉄筋コンクリート造りでガッカリする事があったりする。だからこのような歴史的建造物を再建するにも、一番肝心なのはそれに掛ける想いと費用かもしれない。そういう意味ではこの平城京跡では、かなりのお金が掛けられている訳で、相当強い後押しがあるのだろう。

 

平城京跡の復原事業情報館の内観1

昔はこういったような木造建築物しか造れなかったが、その中でも色んな技術が生み出されてきて、このような偉いさんの公式行事に使われる建物にはそんな高度な技術が惜しみなく費やされていたのだろう。しかし今では木造建築というものは殆ど造られなくなって、木造建築に関わる技術も一般家屋では少なくなっており、このような公共事業での歴史的建造物を改築・補修したりといった少ない場面でしか使われないようになっている。

 

平城京跡の復原事業情報館にある木組み

そういう意味で木造建築での古代伝統技術を残す為には、このような公共事業にそれなりの予算を組んで残していく必要があるのだろう。かといっていつの時代かに再び木造建築物が、日の目を見る時代が来るかと言えばそれは少ない。ただ歴史遺産として古代の建物などが残っている物を修復したりするには、そのような伝統技術を持った職人が居ないと修理できない。だから歴史的な建造物を今後も保管していく事を想定して、このように伝統技術を継承する職人も維持していかないといけないのであろう。

 

平城京跡の復原事業情報館にある木組みの説明

ここでは只今行われている「第1次大極殿:南門復原工事」での、資料などが展示されている。南門復原工事ではこのような日本古来の伝統技法が用いられた木造建築物となっているので、普通に鉄筋コンクリート造りの建物を新たに造るのとは比べ物にならないような費用や手間が掛かっているのがここで見学できるという訳だ。

 

平城京跡の復原事業情報館にある、カンナ仕上げの説明

日本では古来より木材に鉋(かんな)がけを行っているが、こちらは「ヤリガンナ仕上げ」というヤリ状の鉋を使った技術を採用しているという。「鉋(かんな)」って言葉を聞いて連想するのは、今では俗に「台カンナ」と呼ばれるもの。しかしカンナという物は元々奈良時代頃にこのヤリガンナとして生まれた道具である。

 

平城京跡の復原事業情報館にある、カンナ仕上げの説明1

このヤリガンナは現代使われる台カンナと違って、人的な技術力に大きく左右される。そしてその後の室町時代になってもっと安定して削る台カンナが発明されると、ヤリガンナは廃れていって今では殆ど見られないものとなってしまった。しかし今では宮大工などがこの伝統的な技術を採用しており、逆に今の器具では出せない個性的な柱を造れることもあって、その技術は一般的には見られる事が無いけども、今の時代でも細々と生き残っているようだ。

 

 

平城京跡の復原事業情報館にある、カンナ仕上げの説明2

お次は「地垂木(じだるき)」という、社寺建築を象徴する装飾の1つである建築物専門用語が出てくる。建築物でも社寺建築などにしか使われない部分なので全然一般的な言葉ではないので、建築物にとても興味がある人間以外は素通りしてしまいそうなゾーンでもある。。

オカン
オカン

「へえ~~」だけで終わるゾーンやな!

 

 

平城京跡の復原事業情報館にある、柱の説明

お次は柱の輪切りサンプルのようなものが展示されている。ただよ~~くこの木材サンプルを見ると、左側は角っぽい形をしていて、右側に進む毎にだんだんと丸い形状になっていっているのが分かる。実は一般的に建造物に用いられている丸い柱というものは、元々の木の形を利用したものではなくて、丸い木をまず一番左にある通り八角形に加工する。

 

平城京跡の復原事業情報館にある、柱の説明1

こちらには「柱の墨出し用型板」という、その八角形に加工された寸法を確認する為の木材検査用型板。加工されて八角形になった柱のサイズが問題なければ、その後に十六角形→三十二角形へと加工されて丸い柱へと姿を変えていく。だから柱一本とっても簡単に造られている訳ではなくて、このようにかなりの手間が掛かって仕上げられている訳である。

 

平城京跡の復原事業情報館にある、柱の説明2

国宝や重要文化財などの歴史的な建造物の修理などを行う宮大工では、昔ながらの伝統技術を継承して作業を行っている。そこには一般的な建物を造る際には、考えられない程の労力が掛けられている事が分かる。ただ単に工事費用だけを見ると、この平城京跡での第1次大極殿やその南門には多額の費用が掛かっていると思ってしまうが、その裏ではこれだけの労力や時間や素材選びにもいいものが使われているので、そのような工事費用になっているという事が理解できる。

 

平城京跡の復原事業情報館にある、鐘の説明

こちらは「風鐸(ふうたく)」という、第1次大極殿の軒先に吊るされている風鈴のようなものの試作サンプル品。この試作サンプル品は樹脂製だが、実際に第1次大極殿の軒先に吊るされている風鐸は金メッキが施された青銅製だそうだ。

 

平城京跡の復原事業情報館にある、鐘の説明1

このような装飾品の数々は平城京跡地で発掘された出土品などを参考にして、復原されたもの。そして表面の仕上げ方もその当時のやり方を採用しているという、結構なこだわりぶり。

オカン
オカン

ただその分、どんどんと費用が掛かるんだろうけどね・・・

 

平城京跡の復原事業情報館の中

今は廃れて一般的には見られなくなった古代建築技術などの粋が集まって復原されている、平城京跡地の建物。外側から見学するだけだと、そんなこだわった技法の数々まで確認できないけど、こういった資料館などでそのような技法を勉強できるので、是非とも訪れるべきな「復原事業情報館」であった。

しかも無料だしね!

 

平城京跡の復原事業情報館の中にある瓦

こちらは朱雀門が造られる時にサンプルとして試作された「鬼瓦」の試作品が展示されている。主に魔除けとして使われている鬼瓦のルーツは、西洋で魔除けとして使われていたガーゴイルやメドゥーサなどが中国に伝わり、それが儒教文化で鬼へと変わって日本へ伝来したものと考えられているそうだ。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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