御開帳前の善光寺大勧進に建立されていた結縁柱に触れ、来世の御利益を祈願【信州松本旅行記31】

信州松本旅行記2022年3月-31

旅行期間:2022年3月上旬(2泊3日旅)

紐で繋がる!

長野市 善通寺の参道 表参道 大門町の石碑

全国的にも昔から多くの参拝客が押し寄せていた、長野県長野市内にある「善光寺」。国内に仏教が伝来した当初の国内最古の仏像が御本尊として祀られている寺である。

 

 

 

善光寺の参道にて

長野市 善通寺の参道 表参道の景色

一応善光寺境内を簡単に見学して、昔から多くの参拝客で賑わった参道周辺の様子を見てみる為に、ちょっと散策してみた。昔からの参拝地でもあるので、周辺には創業200年を越える老舗や100年以上前に造られた建物が残っていたりと、歴史を感じれる町ともなっている。

 

長野市 善通寺の参道 八十二銀行大門町支店の建物

こちらは善光寺の表参道の中で、大門町の交差点に建っていた「八十二銀行 大門町支店」の建物。建物のデザインとしてはレトロな匂いがしたものの、見た感じには古そうな建物には見えなかった。

 

調べてみると、どうやら大正13年に造られた旧店舗のデザインを再現して、平成9年に新しい建物として造られたようだ。

鹿角クン
鹿角クン

現代風デザインが表参道に似合わないから、わざわざ昔のデザインで建てたんだな!

 

長野市 善通寺の参道を戻る

なかなかに趣深かった善光寺の参道は、古いお店と新しいお店が融合した、新旧折衷の町となっていた。ただ、こういった場所でお土産物を探すのが好きなオカンは、珍しく触手が動かずに、そろそろ駐車場に戻ってホテルに帰る事にしたのである。

 

長野市 善通寺の仁王門前に戻ってくる

そして善光寺の本堂へと向かって参道を進んで行くと、さっき通ってきた仁王門が再び見えてくる。

やっぱりこのような寺の参道は、最初に来る時は正面側から進んで行った方が、よりその雰囲気を味わえる。本来は寺にやって来る者に睨みを効かす役割の仁王門だけに、最初に仁王門を通ってから本堂に行かないといけないのだが。。

 

長野市 善通寺の仁王門に鎮座する仁王像

この仁王門と仁王像は大正7年(1918年)に再建された物で、仁王像はあの日本を代表する彫刻家「高村 光雲(たかむら こううん)とその弟子による作品となっている。江戸時代に生まれた高村光雲は仏像の造形を専門とする「仏師」の元で修業し、明治時代となって西洋のように銅像を造り出した日本人の第一人者となった人物である。

 

長野市 善通寺の仁王門に鎮座する仁王像2

そして仁王門には、こちらの「三面大黒天像」も飾られている。こちらも高村光雲とその弟子:米原雲海の作品で、俵に立つ大黒天と、毘沙門天と弁財天とが合体した3面の顔を持つ神様を表している。

鹿角クン
鹿角クン

カメラのピントが金網に合ってしまっているのが残念だな・・・

 

長野市 善通寺の仁王門を抜けて山門に到着

そしてその仁王門を抜けて仲見世通りを進んで行くと、大きくて立派な「山門」が見えてくる。この山門は1750年に造られた歴史ある門で、”国の重要文化財”にも指定されている。

 

 

大勧進護摩堂の結縁柱!

長野市 善通寺の大勧進 護摩堂

そしてその山門をくぐって左側に見えたのが、天台宗別格寺院の「大勧進」という寺である。

この大勧進は善光寺山内にある25箇所の本坊の総本山となっており、残りの14箇所の本坊は大本願が総本山となっている。なお、善光寺の歴代住職はこの大勧進と大本願の住職が昔から務めるのが習わしとなっている。

 

長野市 善通寺の大勧進 護摩堂前 結縁柱

大勧進:護摩堂の前に立っていた木柱は「結縁柱(けちえんばしら)という、善光寺が7年に一度の御開帳時に合わせて建立される柱である。この結縁柱は上の方に鋼の線が結ばれており、その線が護摩堂内の不動明王と繋がっていて、柱を触れる事によって不動明王を触れるのと同じ御利益があるとされている。

 

長野市 善通寺の大勧進 護摩堂前 結縁柱を見上げる

善光寺の御開帳では、ご本尊となっている仏像が秘仏として一般公開はおろか、善光寺の住職ですら見る機会がないので、御本尊代わりの前立本尊とこのような回向柱を繋ぐ事によって、一般の参拝客が前立本尊と触れる機会を作っているという。

 

長野市 善通寺の大勧進 三鈷剣

こちらは仏教の一部宗派の寺で見かける事ができる「金剛杵(こんごうしょ)という法具で、更にその金剛杵の中でも真ん中の剣部分が突き出しているので、『三鈷剣(さんこけん)とも呼ばれているようだ。

 

長野市 善通寺の大勧進 絵馬

それと大勧進の境内で、普通は絵馬が飾られているような所に、このような小さい子供向けのおもちゃが飾られている光景が見えてくる。

 

長野市 善通寺の大勧進 おもちゃの展示

普通は絵馬が数え切れない位に飾られている光景しか見た事がないので、このおもちゃだらけとなっているのを見て、ここで子供向けのおもちゃを販売しているのかと思ってしまった。

ただ、おもちゃの値札が貼られていない事もあって、どうやらおもちゃを販売しているという訳でもなさそうだった。

 

長野市 善通寺の大勧進 水子観音像

そのおもちゃが飾られていた理由は、その脇に鎮座していた像に答えがあった。

この小さい子供を抱えた像は「水子観音」で、生を受けた子供が不運にも生まれてくる前に死んでしまった”水子”の精霊を供養する像であったのだ。

 

 

長野市 善通寺の大勧進 水子観音像と夕陽

中絶したり、流産や死産などでこの世に生を持って生まれてこなかった赤ん坊を供養する「水子観音」

世の中は元気に生まれてくる子供ばかりではなく、色んな事情で母親の体内から出てくる前に死亡してしまうケースも多々ある。そんな悲しみは実際にそれを経験した人でしか理解できないのだろうが、その供養としておもちゃを脇に飾っていたようだ。

 

長野市 善通寺の大勧進 護摩堂の建物

この「大勧進:護摩堂」では、”護摩祈願”として色んな供物を護摩釜に入れて燃やし、その炎で煩悩などを打ち消すという修行が行われる場所である。

 

なお、大勧進:護摩堂では、毎日5回の”護摩祈願”が行われており、祈願料が必要だが誰でもその修行を行えるようになっている。

鹿角クン
鹿角クン

プロ野球選手の清原や金本がよくやってた修行だな!

 

長野市 善通寺の大勧進 護摩堂前 結縁柱を眺める

善光寺で7年に1度行われる”御開帳”の時に、何でこのような木の柱を立てて、それを人々が触って崇めるのかが当初理解できなかった。

 

この善光寺で御開帳が行われるようになったのは、江戸時代の1780年代に起きた『天明の大飢饉』からだとされている。この時期は老中:田沼意次が江戸幕府を牛耳る時代だったが、浅間山が噴火した事を受けて、全国的に冷害が起きて大不作になった。

その際に善光寺は寺内の蔵に所蔵していた米を庶民に配給し、合わせて1785年に荒廃した庶民の心を癒す為に善光寺の前立本尊を触るのと同等の御利益を得れる、回向柱を庶民が触れる『御回向』を始めたのが最初とも言われている。

 

長野市 善通寺の山門付近 仏足跡の石碑

こちらには「仏足跡」という文字が彫られた石碑が建っていた。仏足というと仏教の教祖である仏陀の足裏を石に彫って再現した彫刻であるが、それが国内に伝来して日本最古となっている仏足石は、奈良の薬師寺に保管されているという。

 

長野市 善通寺の山門付近 仏足跡の碑

仏陀は偶像崇拝を禁止していたハズなのであるが、その弟子たちが教祖の意図を無視して、仏像やこの仏足などを造って偶像崇拝してしまった。

なお、仏陀の足裏は極端な偏平足だったとされており、この仏足ではそれに従って土踏まず部分が見られないのである。

 

長野市 善通寺の山門 2階を見学する人

そしてこの山門をくぐり抜けてから振り向くと、その建物の2階部分の欄干に歩く人の姿を見かけた。

 

実はこの山門の中も有料だが拝観する事が出来て、大人500円(本堂拝観などとのセット券あり)で上の部分に登れたようだ。

 

長野市 善通寺の日本忠霊殿の建物

そして駐車場に向かう途中に見えた、こちらの三重塔のような建物は「日本忠霊殿(にほんちゅうれいでん)という、1970年に新しく建て替えられた建物。この日本忠霊殿では、明治時代に起きた戊辰戦争から、第二次世界大戦までの戦死者の霊を祀る霊廟で、戦死者の霊を祀る仏教の霊廟としては国内唯一となっているそうだ。

 

長野市 善通寺の本堂を眺める

このように松本旅を決めた当初は訪れる予定になかった善光寺だったけど、長野県に来たならば必ず訪れるべき場所ともなっている善光寺だけに、滞在時間は短かったものの、とても勉強になった。逆に長野県に来て善光寺に来なければ、長野県らしさを味わえていないとも言えたかもしれない。。

 

長野市内の”お父さん”宅を訪問!

長野市内某所 知り合いのお父さん宅

そして長野市内には、2019年にトルコを訪れた時のツアーに参加していた”お父さん”という愛称で呼んでいたオジサマが住んでいるのを思い出して、善光寺からの帰り道にその自宅をいきなり訪れてみた。

なお、善光寺に行く前にも立ち寄って呼び鈴を鳴らしたのであるが、その際は応答がなく、帰りにダメ元でもう一度訪れてみた。

 

長野市内某所に住む知り合いのお父さん宅

すると今度は家の中から「今出るから、ちょっとお待ちください・・・」と声が聞こえてきた。

そしてドキドキしながらしばらく待つと、トルコ旅で仲良くなった”お父さん”が姿を現したのである。

なお、最初はボクの事を覚えてなかったようだが、話をしていくと段々思い出してきたようで、「送った栗羊羹、美味しかった?」など、しっかりボクの事を思い出してくれた。

 

長野市内某所 知り合いのお父さん宅 見送り

このトルコ旅で仲良くなった”お父さん”は、ちょうどボクの父親と同い年だった事もあり、とても仲良くなった。

 

”お父さん”は元々技術系の仕事をしていた事もあって、知らない他人にズカズカと話しかける事を苦手としていた。そこにボクのように知らない他人に遠慮なく喋れる人間の存在が有難かったようで、「君の方から話しかけてくれて、助かったよ!」とも言ってくれた。

ただ、この時に話を聞いていたら、この”お父さん”はパーキンソン病の症状が最近出てきたと告白され、手が少し震えていた。そして今は娘が巣立って1人暮らしをしているとも言っていたので、少し心配になりつつも、とにかく元気な顔を見れたのが幸いだった。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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