松代藩主:真田家の菩提寺となっていた、松代町の長国寺を訪れる【信州松本旅行記24】

信州松本旅行記2022年3月-24

旅行期間:2022年3月上旬(2泊3日旅)

六文銭の寺!

長野市松代町 松代城跡 大手門跡

江戸時代に今の長野市周辺を治めていた、松代藩の居城だった松代城。北側には千曲川が流れており、北東から南側にかけてグル~~っと山に囲まれており、防御に適した場所にも思えた。

 

 

松代町にて

長野市松代町 松代城跡近く 竹風堂の建物

松代城跡を見学してから周辺を歩いていると、こちらの「栗菓子:竹風堂」の大きな建物が見えてくる。長野県でも有名なお菓子屋さんで、”小布施栗”を使った栗羊羹などが有名な老舗である。

 

長野市松代町 松代城跡近く 竹風堂の建物 庭

その竹風堂の敷地には、こちらの松代城の堀跡の遺構一部が残されていた。この竹風堂:松代店は松代城跡のすぐ前にある素晴らしい立地であるが、この辺りも堀が埋め立てられて整地された場所のようだ。

 

長野市松代町 松代城跡近く 竹風堂の建物 庭2

江戸時代に全国に造られていた城では、今では考えられない程に広大な堀が設けられていた。しかし、明治時代以降に廃城となってからは、そのような広大な堀が埋め立てられ、経済発展の都市づくりが行われていく。

 

長野市松代町 松代城跡近く 竹風堂の建物 どら焼きののぼり

長野県に観光に来た人であれば、必ずと言っていい程に見かける「竹風堂」のお店。長野県を代表するお菓子屋であるが、オカンは意外と触手を伸ばそうとせず、興味を示さなかった。。

オカン
オカン

ちょっと”いいお値段”だからね・・・

 

長野市松代町 長野県信用組合 松代支店 周辺の景色

そして近くに停めていた車に乗り込んで、松代町の東側にある、松代藩真田家の歴代藩主が祀られているという菩提寺を次の目的地に定めて移動する。ただ、その目的の寺が狭い道を入った奥の方にあるようで、車で一応手前の駐車場まで行けるようだが、歩き好きなボクは近くの駐車場に車を停めて歩いて向かう事にした。

 

長野市松代町 祝神社の鳥居

そして昔の町並みが残る住宅街を歩いていると、こちらの「祝(ほうり)神社」の鳥居が見えてきた。

こちらの神社は約1000年程の歴史があるようで、戦国時代末頃に海津城二の丸で祀られていた『諏訪二神』が合祀されてきた事もあって、地元の人達からは”お諏訪さん”と呼ばれて親しまれているという。

 

長野市松代町 祝神社の社殿

こちらの立派な建物は「拝殿」で、その右奥に見えているのが本殿である。この拝殿と本殿は共に江戸時代後期に再建された建物のようで、祝神社本殿は”国の登録有形文化財”に指定されている。

 

長野市松代町 祝神社の社殿 屋根の六文銭マーク

そんな祝神社拝殿の屋根には、このように上の方に真田家の六文銭マークが入っているのも見える。それとその部分は”海鼠壁”のような装飾になっており、江戸時代中頃に焼失してしまっただけに、火災に強い工夫が施されたのかもしれない。

 

長野市松代町 「食いしん坊 かじや」 建物

そして周辺を散策していると、こちらの壁がオレンジ色の建物が見えてきた。

この時は11時頃を過ぎていた事もあって、オカンは真田家の菩提寺よりも、昼飯をどこで食べるかに興味があったようで、この建物を物色して

オカン
オカン

ここ、食べ物屋さんやで!

と嬉しそうに報告してくれた。

おやきマン
おやきマン

このお店は出川ちゃんの充電旅で、ご飯を食べていたお店でもあるじゃん!

 

長野市松代町 長国寺に向かう道

ブラ~~っと歩いていると大きな寺らしき建物が見えてこなかったけど、このように「長国寺⇒」という案内板を見つけた。さすがに江戸時代に治めていた藩の菩提寺となっていた寺だけあって、地元では有名な寺なのだろう。

 

長野市松代町 長国寺に向かう道を進む

そしてその案内板の通りに曲がって進んで行くと、奥の方に立派な鯱が屋根の上に乗った寺が見えてくる。なお、このお寺にはこの入口を左手に曲がった所に、約20台ほど車を停めれる駐車場が用意されているが、ちょっと道が狭くなっているので、初めての人にはちょっと不向きな場所かもしれない。

 

 

真田家の菩提寺:長国寺を訪問!

長野市松代町 長国寺の入口

そして真田家の菩提寺である「長国寺」に到着する。

この長国寺は元々は戦国時代に、松代藩祖の真田信之や、大阪の陣などで有名な真田信繫(幸村)の祖父である「真田 幸隆(さなだ ゆきたか)が建立した”真田山長谷寺”を起源としている。

 

【長国寺】

住所:長野県長野市松代町松代1015-1
営業時間:9時~15時頃(※定休日:水曜日)
電話番号:026-278-1270
拝観料:※境内のみの見学は無料
①御霊屋&墓所拝観料 ※要予約
大人500円/小中学生300円
※御霊屋内部の拝観は別途料金発生
②御霊屋特別拝観料 1人500円

 

 

長野市松代町 長国寺の入口 山門前 記念碑

その真田山長谷寺は1622年に上田藩からこの松代に移封されてきた真田家と共に移転し、「長國寺(ちょうこくじ)となって真田家の菩提寺として今に至っている。

 

長野市松代町 長国寺の入口 山門前2

この長國寺では、松代藩の歴代藩主の墓と共に、初代藩主:真田信之から4代藩主:真田信弘までの霊廟も設置されていた寺でもある。仙台の伊達家でも同じように3代目まで立派な霊廟が造られていたけど、その時代位までが財政的にそこまで厳しくなかったのかもしれない。

 

長野市松代町 長国寺の入口 山門前 くぐる

この長國寺は「曹洞宗」の寺となっている。なお、江戸時代初期に建てられた長國寺も、度々火災で焼失しているが、真田家藩主の霊廟は燃えずに現存しているという。

 

ちなみに入口にあったこの「総門」は、2015年頃に改修工事が行われている。上記サイトによると、改修工事の前はもう少しで倒壊しそうな程にボロボロになっていたようだ。なお、倒壊寸前だった原因は、門の基礎を石ではなく、コンクリートで固めてしまったからだという。

鹿角クン
鹿角クン

昔の建物が長く持っているのは、基礎に立派な石を使ってたからだな!

 

長野市松代町 長国寺 本殿

こちらの海津城から移設されたという鯱頬が、屋根の上に載っている建物が「本堂」である。

ただ、明治5年(1872年)に起きた大火によって、霊廟以外の建物が燃えてしまった為に、今見られる本堂は明治19年(1886年)に再建された建物となっている。

 

長野市松代町 長国寺 本殿屋根の六文銭マーク

真田家の最後の10代藩主:真田幸民によって再建された事もあって、本堂の屋根部分にはこのように”六文銭”のマークがここでも見られる。家紋というと全国で同じような家紋を使っている家も多いけど、このように有名な家紋マークは一目見れば分かる。

 

長野市松代町 長国寺 本殿 扁額

この本堂の正面には『真田山』という、古そうな扁額が飾られている。

ちなみに真田山というと、大阪市天王寺区に「真田山町」という地名がある。真田山町はかつて大坂の陣で、真田幸村が陣を築いたとされている場所だった為に、そういう名前になったという。

「真田山のプールにはゲイが集まる」っていう噂を聞いた事があるな・・・

 

長野市松代町 長国寺 放光殿 建物

こちらは境内に造られている「放光殿」という、中国風な建物が建っている。

なお、この長国寺は明治時代初期までは、境内の広さが約1万坪もある大きな敷地だったそうだ。しかし、火災によって多くの建物などが焼失してしまい、現在の敷地になっていったという。

 

 

長野市松代町 長国寺 僧堂 建物

その脇には「僧堂」という、お坊さんが修行をしていたような建物も見られる。昔は広い敷地を要する大きな寺だった事もあって、それなりに多くのお坊さんを抱えていて、毎日修行に励んでいた事だろう。

 

長野市松代町 長国寺 恩田民親の墓2

それとこの長国寺には、松代藩にゆかりのある人物の墓地もある。

こちらは松代藩の財政改革を行った家老「恩田 民親(おんだ たみちか)の墓となっている。

 

長野市松代町 長国寺 恩田民親の墓

松代城近くの真田邸脇に、この恩田民親の銅像が設置されていたのを見たけど、それだけ松代藩を代表する家臣だったようだ。江戸時代には全国の藩が財政難に苦しんでいたが、それぞれに財政改革を行った主導者は、とても苦労して、また自分を厳しく律して改革を推し進めていった。

 

長野市松代町 長国寺 恩田民親の墓 石碑アップ

ただ財政改革者は、その厳しい宿命を成し遂げても、その後で多額の報奨金が貰える訳でもなく、ただ藩と家名の名誉の為に尽力した人が多い。

日本という国は昔から”無償の報酬”が当然となっていたが、逆に現代になって優秀な人材が集まりにくく、育たないという土壌を形成する悪要因にも繋がっているのだが。。

鹿角クン
鹿角クン

世界の秀才は、大きな成功報酬が貰える場所に集まるよな!

 

長野市松代町 長国寺 開山堂 建物

こちらの古そうな建物は「開山堂」という、江戸時代中頃に松代藩:第3代藩主「真田 幸道(さなだ ゆきみち)の霊廟として建てられた建物である。度々火事が発生していた長国寺では、真田家の霊廟はちょっと離れた場所に造られていた事もあって、幸いにも火事での焼失は免れたという。

 

長野市松代町 長国寺 開山堂の説明板

そんな真田幸道の霊廟だった建物は、明治19年に本堂などが再建された際にこの場所に移設され、「開山堂」に姿を変えた。そしてその際に元々祀られていた真田幸道の霊廟は、松代町の西側にある「林正寺」に移築されているそうだ。

 

長野市松代町 長国寺 庫院の建物

こちらの建物は「庫院」という、僧侶が寝泊まりしたり、厨房があった建物。明治時代の大火で本堂と共に焼失してしまい、松代藩の藩校「文武学校」の槍術所の建物を移設して使われていた。

そして1990年代に藩校跡の復元作業が始まり、その際に明治時代から使っていた建物が移築された事を受けて、新しく昔の姿を参考にして建てられた建物となっている。

また霊廟の拝観の案内は、こちらの建物内に受付が設置されている。

 

長野市松代町 長国寺 改修工事中の景色

そんな風に境内を散策していると、寺の掃除をしていたオジサンが「霊廟の見学でもされますか??」と声を掛けてくれたので、霊廟へ案内してもらう事になった。

なお、この訪問時は”国の重要文化財”となっている、松代藩:初代藩主 真田信之の「霊屋」が2020年から始められた改修工事の真っ最中であった。ちなみにその補修工事は約1億円かかるらしく、国と長野県と長野市と長国寺がそれぞれに分担して、資金を捻出しているとか。

 

真田信之公御霊屋:ふき替え工事 【松代テレビ局】

 

長野市松代町 長国寺 真田信弘霊屋及び表門 正面

こちらは第4代藩主:真田信弘の霊屋及び表門で、初代藩主:真田信之の霊廟改修工事が終わった後に、こちらも改修工事が行われる予定になっているとか。

 

長野市松代町 長国寺 真田信弘霊屋及び表門前

なお、この霊廟のある敷地内の見学は”有料”となっていて、寺のホームページでは”要予約”と書かれていた。

ただ、ボクらが訪れた時には参拝客も殆どいなかった事もあって、寺側から声を掛けてくれて、見学する事となったのである。

鹿角クン
鹿角クン

寺も改修費用を稼がないとな!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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