南海天王寺支線跡(2023年6月)-6:完結編
訪問:2023年6月
壁の奥には?!
明治時代の1900年から平成を迎えた1993年まで、約90年間に渡って天王寺駅を発着していた南海電気鉄道の「天王寺支線」。
その路線が廃線となってから早30年が経過した今では、このJR天王寺駅を利用する乗客の殆どは、ここに南海電車が乗り入れしていた事実すら知らない事だろう。
というオマエも知らんかったクセに!(笑)
JR天王寺駅のホーム内で痕跡を探す!
そんな南海天王寺支線の線路跡の痕跡を天下茶屋駅から辿って、遂に終点のJR天王寺駅に到着する。
このJR天王寺駅は何回も利用している駅だが、今まで「南海電車」の雰囲気すら感じた事が無かった。
なので、「本当にこのJR天王寺駅に南海電車の痕跡があるのか?」とまだこの時は半信半疑だった。
住所:大阪府大阪市天王寺区悲田院町10-45
そしてJR天王寺駅構内でも、最も南側のホームへ向かう。
重宝する「Wikipedia」情報によると、この天王寺駅に乗り入れていた「南海天王寺支線」は、今の天王寺ミオが建てられている南の端にあったという。
その為に南側の17/18番ホームの階段に向かうと、このようにその奥には途中で造ったような張りぼて風の壁が見えてきた。
この壁を見た途端に、この壁の奥に南海電車のホームが存在していたという雰囲気が一気に湧き出てくる。
アンタ、1人で盛り上がれてエエな!
そして地下のホームに降りると、南側にはこのように壁が既に造られていて、南海電車のホーム跡はもう直接見られなくなっている。
こちらの写真はまだ天下茶屋駅~天王寺駅区間が走っていた時代に撮影された、天王寺駅ホームの南端に入線している南海電車の写真。
この頃はまだ「天王寺ミオ」の建物は無く、天王寺ステーションビルだけしか駅ビルが無かった時代である。
今のJR天王寺駅は17/18番ホームまでしかないけど、南海電車が乗り入れている時代には「19番/20番」が存在していたという。
そして天下茶屋駅までが廃止となった際に、南海天王寺支線は単線となり、西側の阿部野橋の下側ホーム19番線が旅客電車の乗り場となっていたようだ。
この奥に、ホーム跡が隠されてそうな匂いを感じるデ!
しかし、今ではそんな南海電車のホーム跡には近づく事すら出来ずに、そのホーム跡を埋めるように壁が続いている。
というのも天王寺駅南端に存在した南海電車のホーム跡は、廃線となった後に再開発事業で1995年に完成した「天王寺ミオ」が造られているのだ。
天王寺駅にはこのようにもう南海電車のホーム跡は、殆ど残されていない。
JR職員であれば、ホーム跡の痕跡などをもっと探せるのかもしれないけど、一般乗客としてはさすがに線路内には潜入できないので、ここで捜索活動は終了のようだ・・・。
天王寺ミオの建物の下だけあって、このように足元の壁はしっかりと補強されている。
この南海電車のホーム跡は天王寺駅前の一等地でもあるので、そんな大事な土地はすぐに転用されて、このような再開発事業が行われたのだろう。
そして奥が見える部分もあったけど、どうやらアスファルト舗装された道が東西に延びているようで、天王寺ミオの建物に荷物を運ぶ搬入口となっている雰囲気だった。
そして天王寺駅の南東側にも、天王寺ミオと同時期に建てられた「天王寺MIO:駐車場」も見られる。
この駐車場は乗用車380台ほどのスペースがあり、天王寺駅前でも大きな立体駐車場となっている。
南海電車の南海天王寺支線が廃線となった数年後に、JR西日本が中心となって出資した合弁会社によって、運営されている「天王寺MIO」。
当初は南海電鉄も出資していたが、後にJR西日本グループに株式が売却されて、今では南海電鉄はノータッチになっているようだ。
こちらは「天王寺MIO:駐車場」の地下部分で、このように大きな建物を軒下で支える鉄骨柱が、隆々と並んでいる。
このホームには南海電鉄跡を匂わす雰囲気は殆ど残っていないけど、実は天王寺駅前周辺には”南海電鉄跡”を匂わす雰囲気がちょっと残っている。
天王寺駅をよく利用する人は、天王寺ミオ プラザ館の中2階にある「サンマルクカフェ:南海天王寺店」や、
交差点に架る歩道橋脇の「南海そば 天王寺店」にも立ち寄った経験があるだろう。
そんな両店舗ともに『南海』という、文字が店名に含まれている。
ホンマや、南海電車があった名残りかな?!
これは南海電車のホーム跡があった事と、南海電鉄グループの会社がフランチャイズ契約して出店しているお店だからである。
「サンマルクカフェ:南海天王寺店」に問い合わせしてみると、
「当店は、2004年4月12日よりオープン致しました。
元々、南海電車の天王寺駅があった事と南海FDサービス株式会社がフランチャイズで運営させていただいていることにより、サンマルクカフェ南海天王寺店との名称になりました。」(原文)
という回答が返ってきた。
それと「南海商事グループ」のホームページには、上記2店舗以外に南海そばの向かいにある「551蓬莱天王寺駅店」も、同じく南海系会社がフランチャイズ経営しているお店という表記だった。
この「551蓬莱天王寺駅店」は、JR天王寺駅1階改札外の天王寺交差点の歩道橋脇にあるので、天王寺駅を利用する人が多く押し寄せ、いつも行列が出来ている人気店である。
やっぱ、大阪は「551の豚まん」だよね~~!
天王寺ではこの店舗だけ、現金だけで不便なんです。。
ただ、南海電鉄の名残が残るのはこの3店舗だけで、天王寺ミオを運営する会社の株を2008年に南海グループが全て手放した為に、それ以降には新しい”南海系”のお店は出店していないようだ。
このように今では殆ど面影が無くなっている南海電車だけど、天王寺駅構内にはその面影が少しだけ残っていた。
こちらはJR天王寺駅内で、最も南の端に位置する「大和路線」の18番線。
このホームを東側の端まで歩いてみたけど、特に南海電車跡らしき痕跡が見られなかったので、このホームから次に出発する電車に乗って、その車窓から阿部野橋下にあったホーム跡を見てみる作戦を練る。
ただ、この18番線は、こちらの「特急はるか」が停まるホームでもある。
この「特急はるか」に乗り込んでしまうと、一気に大阪駅まで連れていかれるし、特急料金も必要になるので、見送る事にする。
そしてそのすぐ後に18番線に入ってきた大和路線の快速電車に乗り込み、速攻に窓際の席を確保する。
新今宮駅に向けて動き出した電車内から、阿部野橋下を眺めていると、その出口辺りでこのようにフェンスで仕切られている場所がチラリと見えた。
これが天王寺駅に入っていた南海電車の線路跡で、天下茶屋駅までが廃止となってからは、こちらのみすぼらしいホームで単線として営業していた「南海天王寺支線」。。
【前面展望】 南海電鉄天王寺支線(3) 今池町ー天王寺
大和路線の電車から見えた、南海天王寺支線の線路跡!
窓際に座った大和路線の電車内から、食い入るように「南海天王寺支線」の線路跡を眺める。
今まで数えきれない位に電車で通ってきた場所だけど、今では消えてしまった線路跡がある事に気付いた2023年であった。。
新今宮駅にて
そして次の新今宮駅で大和路線の電車から降りて、再び天王寺駅に引き返す為に反対側のホームに移動する。
この新今宮駅はボクが通っていた高校の最寄り駅である。
ただ、その高校に通学していた20年近く前には考えられなかった、こちらの大きなホテルが今ではそびえている。
このホテルは星野リゾートが手掛けた「OMO7大阪 by 星野リゾート」で、2022年4月に開業した”リゾートホテル”である。
大阪人にはとてもじゃないけど、”リゾートホテル”が建つ立地ではない、新今宮駅周辺。
ボクが行っていたこの近くの高校では、構内に浮浪者が入って来て、手洗い場で体を洗っている姿も見かける事があった。。
しかし、商売面から見れば、難波や天王寺まで徒歩圏内で、南海電車とJR環状線があり、更には地下鉄も近くに数駅あり、交通の便は最高な立地である。
しかも、そんな便利な土地は大阪人からは”低評価”になっている為に、安く土地を取得できるのも星野リゾートから見れば「宝物が落ちている!!」という状況だった事だろう。
大阪人にはこんな所にリゾートホテルを建てるという発想はできへんワ!
そして通天閣も見えて、この新今宮駅は冷静に考えると、とても立地がいいのである。
この新今宮駅は前まで周辺に浮浪者が多く生活していた場所だったが、近年では浮浪者の姿は消えている。
また新今宮駅の入口は最近綺麗にリフォームされていて、”昔の新今宮駅らしさ”がこれからは一掃され消えていくのかもしれない。
オレは昔の新今宮駅らしさが好きやけ!
駅前の安宿だけは、残しといてよ!
という事で、今回の「南海天王寺支線」の廃線跡を巡る探索記は、これにて終了となる。
皮肉にも「南海天王寺支線」の存在理由が減ってしまった原因の1つでもある、JR環状線に直接乗り換えが出来てしまう新設された「新今宮駅」で終わるのも、何かの因縁だったのかもしれない・・・。
廃線跡はロマンたっぷりやな!
なお、次回からは波に乗って「南海平野線跡」も散策していきたいと思います!
※電車好きでもない人間が調べた内容なので、間違っている情報や追加情報などがあれば、コメント欄にてご指摘頂ければ幸いです。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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