南海天王寺支線跡(2023年6月)-1
訪問:2023年6月
なぜ上がって降りるのか??
今までは色んな場所を旅してきた順番に、その旅行記をアップしてきた。
ただ、今回はその旅行記を一時中断して、その代わりに最近発見した『南海電車:天王寺支線跡』を巡った内容をお届けします。
と言うと、「この南海電車:天王寺支線跡を何故選んだのか??」と思われるかもしれない。
実はボクもこの『南海電車:天王寺支線』という路線がかつて大阪市内を走っていたという事実を、つい最近になって知ったばかりである。
そしてその「天王寺支線跡」はボクが何度も通った事のある場所に線路が通っており、その痕跡を辿ってみると、確かにそれらしき跡地を発見出来たのである。
すると今までその廃線跡地と知らずに、
「何でここ空き地になっているの??」
とか、
「何でここの場所は柵に囲まれているの??」
と疑問に思っていた事の答えが見つかった瞬間でもあったのだ。。
その衝撃にいたく感激し、今回は従来の旅行記に割り込む形で、この「南海天王寺支線跡:散策紀」を制作する事になったという訳である。
事の発端となった「今船駅」
その「南海電車:天王寺支線跡」を調べる事になる発端は、つい最近久しぶりに乗った阪堺電車の阪堺線で、この今船駅から恵美須町駅までの区間を乗車した際だった。
阪堺線でここ「今船駅」から北にある「今池駅」までは、写真ではちょっと分かりにくいけど、登りの勾配坂となっている。
こちらは次の「今池駅」であるが、このように周辺の道路などと比べると、一段上に造られているのがよく分かる。
ただこの「今池駅」で乗り降りは勿論、駅のホーム自体利用した事が無かったので、この今池駅が一段高くなっている事に全く気付かなかったのである。
そしてこちらは今船駅の1つ北側に設置されている「今池駅」のホームから、北側の阪堺線北端の「恵美須町方面」の景色である。
通天閣も見えとるデ!!
この今池駅は一段高い場所に造られているのであるが、この今池駅から先は緩やかな下り坂となっていた。
せっかく上がったのに、また直ぐに降りていく線路。
この今池駅もここから見ている限りは、特に変わった物も見当たらない駅・・・。
その為に
『何でわざわざ、今池駅がこんな高い場所になっているのか???』
と疑問を感じた事が今回の廃線跡を調べるキッカケとなったのである。
そしてこの疑問から調査した所、「南海天王寺支線跡」という線路があったという事実を知る。
更には別にこの付近から平野区までを走っていた「南海平野線跡」まで、知る事に繋がる。
「南海平野線跡」の一部はよく歩く場所にあり、今までは「この空き地、何であるのかな?!」と思っていたのが、これまた”線路跡だった”という事に気付いて衝撃を受けたのであった。
なお、今回の「南海天王寺支線跡」と「南海平野線跡」については、Youtubeにアップロードされている下記の動画が大変参考になった。
各動画をアップロードされている方々に、非常に感謝である。
めっちゃ懐かしいやんケ!
南海天王寺支線 天王寺←→天下茶屋 往復1984年撮影
【前面展望】 南海電鉄天王寺支線(1) 天王寺ー飛田本通
【前面展望】 南海電鉄天王寺支線(2) 飛田本通ー今池町
【前面展望】 南海電鉄天王寺支線(3) 今池町ー天王寺
『南海平野線その1 前面展望 平野→阿倍野→恵美須町 1980年撮影』
そんな廃線跡を探る旅を始める前に、再び事の発端となった「今船(いまふね)駅」をじっくり観察してみる事にする。
今船駅は明治44年(1911年)12月1日に「阪堺電気軌道(初代)」が開業した『阪堺線』に属する無人駅。
ただし、開業当初にはこの今船駅は存在せず、実は昭和55年(1980年)11月に新設された駅だった。
その1980年11月に今船駅が新設された理由が、同じ年に廃線となった「南海平野線」が大きく影響しているようだ。
1980年に廃線となった南海平野線にあった「飛田駅」が廃止された為に、”飛田新地”に向かうお客の為に新設されたそうだ。
ただ隣の「今池駅」も飛田新地には近いのでわざわざ新駅を造る程にも思えないけど、色んな事情があったのだろうと推測する事にしておく。。
そんな1980年に新設された、ボクと同年代の「今船駅」にはこちらの黒猫ちゃんがテリトリーとしていた。
今船駅近くの黒猫ブラザー?!
そんな黒猫ちゃんはこの辺は自分達の縄張りらしく、このように阪堺電車の線路内にも普通に立ち入っていた。
ただ、この猫ちゃん達も電車には慣れっこのように、後で電車がホームに近づいてきた際には一足先に逃げていったのである。
そんな猫ちゃんを見ていると、阪堺線の上り電車が今船駅に到着する。
現在の阪堺電車の路面電車は、この「阪堺線」と「上町線」に別れていて、乗客数は圧倒的に「上町線」が多くて、運行本数も多い。
それに比べて利用客の少ない「阪堺線」は、平時は1時間に2本ほどのペースで運行している。
阪堺線も廃線計画があったけど、堺市に泣き疲れて存続してるんや!
今船駅を出発していくチンチン電車! 動画
そしてこの今船駅を出発して恵美須町方面に向かう場所から、傾斜のある坂道が始まるのだ。
この場所に丘があってそれに沿って線路を敷いたのであれば理解できるが、その線路の脇は低くなっているので、丘があった訳でもなさそうだ。
こちらは近くにあった地図で、次の今池駅の手前に何かの印が記載されているのが見える。
それと共にその印部分を左右に貫くように、線路のラインみたいな線が続いているのも見える。
どうやらこの今池町手前の”鍵括弧”のような印は「橋梁」で、この今池駅は”この下に通る線”の上を通る必要があった為に、盛り土して造営された高台になっていたのである。
今船駅から北側にある「今池駅」の方に向って、段々と高くなっていく阪堺線の線路沿いを進んで行く。
なお、線路沿いに設置されている柵の支柱に線路の一部が使われているのが、いかにも昔の電車路線らしい雰囲気を感じさせてくれる。
ただ、この阪堺線の線路沿いには建物が建ち並んでいるので、これからは線路沿いを歩く事が出来なかった。
しかし、ここまで来れば、さっきは平地ほどの高さだった線路が3mほどの高さまで、登ってきているのが視覚的にもよく理解できる。
天下茶屋東:ロータリー跡
そして今回の阪堺電車とは直接的に関係無さそうな、こちらの「天下茶屋東1:ロータリー跡」。
奥に見えているコンビニの裏に、さっき見た「今船駅」がある。
前から、「何かしらあった場所なのだろう・・・」程度にしか、気を留めていなかった。
こちらは『国土地理院』が提供しているWebサービス「地理院地図」で、昔の航空写真でこのロータリー跡を調べてみたもの。
「ロータリー跡」という名前の通り、ヨーロッパではよく見られる”円形交差点”がかつて存在していたようだ。
1930年代に都市計画の一部で造られた可能性があり、1990年代以降に円形ロータリーは解除されて、今見られる交差点になったと推測する。
そのロータリー跡の前には、こちらの大阪市内で数店舗を展開する人気焼き肉屋「板前焼肉一斗:天下茶屋本店」と、その和牛卸店の「肉の一斗」がある。
なお、今年2023年4月25日には、この「板前焼肉一斗:天下茶屋本店」の裏側近くにある集合住宅から出火して、周辺に消防車が大集結する程の騒ぎになった。
火事で1人亡くなったものの、幸いにも大きく燃え移らなかった為にこのお店も難を逃れたのであった。。
焼肉焼いても、家焼くな~!
こんな旅はまた次回に続きます!
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