鳥取旅行記 2022年6月下旬-21
旅行期間:2022年6月下旬(1泊2日旅)
豪華な おまる!
鳥取市内に明治時代に造られた西洋建築の「仁風閣(じんぷうかく)」。
当時皇太子だった、のちの大正天皇の山陰地方行幸が決まった為に、突貫工事でその際の宿舎として造られた建物でもある。
住所:鳥取県鳥取市東町2-121
営業時間:9時~17時頃(※定休日:月曜/祝日の翌日)
電話番号:0857-26-3595
入館料:大人150円/高校生以下無料/65歳以上無料
※2023年12月末~2028年まで改修工事で全体休館予定
仁風閣の見学!
そして先程見た、2階に続く螺旋階段は”使用禁止”だったけど、他の場所にある階段で2階に登る事が出来る。
階段の足場に敷物が敷かれているのが、いかにも明治時代の建物という雰囲気を感じさせてくれる。
そして昔の西洋風建築物では、このような階段の踊り場で写真を撮りたくなるような内装となっている所も多い。
この階段の踊り場の壁には窓があって、その下にはこちらのお洒落な電灯が取り付けられている。
なお、この仁風閣は”鳥取県内で最初に電灯が取り付けられた建物”となっており、皇太子が来るという事で、それまではなかなか鳥取県内に入って来なかった最新設備が導入されるキッカケとなったようだ。
仁風閣の2階も見学!
そんなレトロな階段と、踊り場の電灯などを眺めながら、2階へと登っていく。
すると正面の壁の上に「仁風閣」と文字が書かれた額が見えてくる。こちらの額は明治時代に皇太子と共にこの鳥取の地にやって来た、海軍大将だった東郷平八郎が揮毫した物となっている。
この仁風閣の名は、皇太子と共にやって来た東郷平八郎が命名したとされており、また各部屋の名前も東郷平八郎が付けたとされる。当時ロシアのバルチック艦隊を撃破したとして世界的にも名声を得た東郷平八郎は、皇太子よりも注目される存在だったのかもしれない。
こちらは「御寝室」という風に”御”が付けられており、皇太子が泊まる部屋だった事が伺える名前ともなっている。
今ではこのような電灯が少なくなってきているけど、レトロな雰囲気を醸し出す照明器具として、アンティーク好きな人にとっては、欠かせないアイテムとなっている事だろう。
こちらはその寝室の隣にあった、狭い部屋の「御厠」。
つまり、皇太子専用のトイレという事である。
この明治時代のトイレは勿論水洗トイレではなく、ポットン便所でもなくて、まさに”おまる”となっている。
表面には黄褐色のビロードが張られている箱型のおまるが、当時は国内でも最高級のトイレだった事だろう。。
そんな”おまる”手前には引き出しが付いていて、皇太子が排便などをした際に、侍従がこちらから引き出して処理していた事だろう。
江戸時代まではみんな正座ばかりしていた日本人も、文明開化を迎えた明治時代には西洋の真似をして、急にこのような椅子に座り始めた。
その生活様式は現代にも引き継がれており、逆に今の日本人は長時間正座ができなくなってきている。
その為に寺での法要などの際も、最初に坊さんから「正座できない方は足を崩して構わないですよ!」と言われたり、最初から用意されている椅子に座ったりする程になってしまっている。
今の日本人は、昔の日本人からだいぶ劣化しているラク?!
今日は天気が良かったので、このように窓から差し込む光によって、とても綺麗な内観に思える部屋となっている。
こちらは「謁見室」となっていて、このように他の部屋に比べると、多くのテーブルと椅子が見られる。
今の日本ではこのようなテーブルとイスというセットが普通になってしまっているが、わずか150年程前までは正座が基本だったとは思えない国になっている。その為に、昔の日本人に比べて、現代の日本人は足腰が弱い人が多くなっているようだ。
そして部屋の外側には、このようなベランダも造られている。ただし、吹き抜けではなく、窓などが設置されていて、ベランダ風の部屋という感じになっている。
このようなベランダを囲う様式はヨーロッパではあまり見られず、高温多湿のアジア地方で主に独自に発展していった内装だという。特に雨が多い地域だと、ゆったりベランダで過ごす事が出来ないので、ベランダに屋根と窓を取り付けたのかもしれない。
そして部屋からは、その奥に造られている「宝隆院庭園」が綺麗に一望できる景色も見られた。
こちらが、ナントカ庭園でございます~♪
綺麗に整備されている宝隆院庭園だけど、このように日差しが強い夏場はちょっとでも手入れを怠ると、一気に雑草などが生えてくる。その為に綺麗に芝を刈って手入れしている人達の、大変さが理解できる景色ともなっていた。
個人的には西洋という国への憧れはあまりないけど、”欧米から遅れた文明”という事を痛感していた日本人達は、欧米文明を憧れて、このような洋館を多く造ったのかもしれない。
明治時代に入ってからの急な西洋化による近代化政策で、日本はアジア地方をリードする大国になった。そして東郷平八郎率いる海軍は、当時世界最強とも言われていたバルチック艦隊を撃破して、世界的な大国の仲間入りをするのであった。
こちらは寝椅子と呼ばれた家具で、今のリクライニング・ソファーに近い寝具となっている。前に青森県の太宰治の生家でも同じような寝椅子を見た事があるけど、ここで皇太子時代の大正天皇が横になっていたのだろう。
こちらはレゴで制作した仁風閣の模型となっている。昔はかなり遊ばせてもらったレゴだけど、大人になると全く触らなくなって、このように観光地などに置かれている模型を見るだけとなってしまっている。。
この部屋には、1989年に公開された日独合作の東宝映画『舞姫 Die Tanzerin』で、この仁風閣が映画のロケ地として使われていた時の写真が展示されていた。
舞姫 Die Tanzerin #1
この『舞姫』は森鷗外の代表作で、鴎外自身がドイツ留学していた頃の思い出を基にフィクションで仕上げた作品。
そしてこの映画は主人公役を「郷ひろみ」が演じていて、ドイツを舞台にしていた事もあって、作品時間の90%近くはドイツ語での会話となっている。その為に郷ひろみは毎日2時間ドイツ語を練習し、3ヶ月間ほどでマスターしたとか。
日本人がドイツ語を喋ると、カッコ良く見えるな!
そりゃ、郷ひろみだからよ!(笑)
それ以外にも、2012年公開の『るろうに剣心』でも、武田観柳の屋敷での撮影シーンでロケ地として使われていたようだ。
このように現代では寂れてしまって近代化から取り残されたような地方都市も、逆に昔の光景が残っている事によって、このような映画のロケ地として使われる機会が増えてきている。そしてそのロケ地として使われた映画がヒットする事で、その映画ファンがロケ地を”聖地”として、聖地巡礼にやって来る事が多くなってきている。
そして最近では日本の映画も世界中で見られていて、海外の人達もそんな日本映画の聖地にわざわざやって来る時代となっている。その為に地方都市の観光業を盛り上げる為にも、こういったレトロな雰囲気が残る映画ロケ地を全面にアピールして、映画やドラマなどのロケ地として招致活動に力を入れているようだ。
こんな旅はまた次回に続きます!
よければ下記ブログ村のボタンをポチッとお願いします!
↓↓↓↓鳥取旅行記:初回↓↓