犬山城&岐阜城旅-10:訪問 2022年9月下旬
旅行期間:2022年9月下旬(当日旅)
「老人・幼児には無理です。」
かつて織田信長が尾張地方を統一し、更に美濃も制圧した際に居城を築いた「岐阜城跡」。
豪華な御殿なども築かれた城だったが、信長亡き後は転落するように関ヶ原の戦い後に廃城となってしまった。
住所:岐阜県岐阜市金華山天守閣18番地
営業時間:9時30分~17時30分頃(※年中無休)
※10月17日~3月15日は16時30分頃まで
電話番号:058-263-4853
入館料:大人200円/子供(4歳~16歳未満)100円
※車での登城コースは無し
岐阜城の登山道を進む!
江戸時代初期に廃城となってしまって、それ以降城が築かれなかった金華山。
それから約300年が経過した明治43年(1910年)に、木造の模擬天守が金華山の上に新たに造られる事となった。
その金華山は標高329mの山なので、山頂付近に造られた模擬天守を見学する為には、金華山を登っていく必要がある。
登山好きな人からすれば特に苦労も無く登れる標高の低い金華山であるが、普段殆ど登山などしない人からすれば、標高300mの山城に自分の足で登るだけでも大変な労力が必要となる。
ただ標高300mほどの山であれば、足腰に問題なければ30~40分程で登れる登山道が多い。
だから普段あまり登山しない人でも、登れない高さではない。
また金華山の山頂付近にある岐阜城天守までの登山ルートは、全部で10個ほどあるらしく、それぞれに難易度が異なっている。
こちらに案内のあった『めい想の小径』は、比較的難易度も低く、初心者向けの登山道となっているようだ。
ただし”初心者向けの登山道”となっている『めい想の小径』では、毎年転落したり大怪我したりする人が発生している。
これら金華山登山道で大怪我をした人のニュースでは、主に下りの際に多いようだ。
それと”初心者向けの登山道”とはなっているものの、普段登山しない初心者だからこそ、油断して怪我をしてしまうリスクも高くなるのかもしれない。
最初は警戒しながら登っても、帰りの下りは登山した満足感で油断する事が多いんじゃ!
岐阜県内の登山でもこの金華山での負傷者発生の割合が大きい理由に、金華山の地質も大きく影響している。
というのもこの金華山は「チャート(角岩)」と呼ばれる非常に硬い岩がメインで構成されている為に、他の山に比べてコケた際や転落した際に、硬い岩に体や頭をぶつけて重傷を負う可能性が高いという。
このように金華山へ登る道の途中には、硬いチャートが剥き出しになっている箇所がとても多い。
今年2023年から自転車に乗る際には”ヘルメットの着用が努力義務”となったけど、この金華山登山もコケた際のリスクを考えれば、ヘルメット着用した方がいいのかもしれない。
「馬の背登山道」を進む!
そして道を進んで行くと、程なく分岐点が見えてくる。
こちらは金華山の登山コースの中でも難易度が高いとされる「馬の背登山道」。
脇の看板には
と警告する文字が見られる。。
ただ、個人的には難易度がある登山道の方が登りたくなってしまう事もあって、「馬の背登山道」を選択する事にした。
幸い、足手纏いになるオカンは一足先にロープウェイで山頂へ向かったので、1人で気軽に登れるのでちょうどよかった。
ロープウェイは快適やったデ!
「馬の背登山道」を登った感想
結果的には、この分岐点から山頂付近までは約20分で登頂。
チャートの断崖に手を付いて進む箇所も多いので、両手は空けておいた方がいい。
登る人は少なく、また降りてくる人も殆どいなくて不安になり易いけど、登頂した時の満足度は高め。
下り道の方が危険。滑ったりコケたりに注意!
※下りは違うコースで下山
このように上空からの視点では、【馬の背登山道】が足元の岐阜公園から最短ルートとなっている。
「急がば回れ!」という言葉もあるぞ!
【馬の背登山道】も最初は緩やかな傾斜の登山道となっていたが、進むほどにこのような断崖のチャート剥き出し地層になってくる。
ただ、大きな岩場を渡るとかはなく、小刻みに隆起しているチャートは足を載せれる足場ともなり易いので、登る際にはそれほど大変だとは思わなかった。
「馬の背登山道」を進んで行く! 動画
そして途中にはこのように木々の根っこが露出して、異様な雰囲気にも思える場所も見えてくる。
このような景色は元々は土の下に根が生えていたのだが、多くの人が登山をして行き来する事によって、その上にあった土が柔らかくなって大雨などの際に流されてしまって出来た光景のようだ。
山登りをしていると、多々見かける光景だな!
そんな登山道を慎重に登っていると、上から軽快に降りてくるオジサンに遭遇した。
結果的にはこの馬の背登山道ですれ違った人はこのオジサン1人だけだった。
また登る際に追い越したり、追い越されたりする事もなかった。
普通の山であれば多少コケても、下の土がクッションとなってその衝撃を和らげてくれる事だろう。
しかし、このように金華山はこのような硬くてギザギザになったチャートで構成されている地質が多い為に、当たり所が悪ければ怪我をしやすい山となっている。
そして登山道を進んで行くと、最初は「想像していたよりは楽そうだ!」と思っていたけど、チャートの断崖の段が高くなっていく毎にそれなりに疲労が出てきた。
普段は全く山登りしないだけに、ちょっとでも段差が高い場所を続けて進んで行くだけで、体は驚いていた事だろう。
そんな登山道を登っていって汗が噴き出してきた頃合いに、視界が開けてきた場所があったので小休止する事にした。
そこには木の杭があって、裏側にはこのように滋賀県の「伊吹山」を示す文字が書かれているのが見える。
この辺りには電柱が山頂に向けて続いて建てられている場所であり、また近くにはロープウェイの線も見える。
雰囲気的にもう少しで山頂のような感じを受けるのだが、まだそれらしき建造物は見られないので、もう少し先に進む必要がありそうだ。
この金華山は江戸時代初期に岐阜城が廃城とされた後は、幕府の直轄地となった。
それから後に尾張藩が管理する事になり、一般人が立ち入れない山となる。
そして明治時代以降は宮内庁の管轄になる時代もあったりして、1947年からは「国有林」となっている。
この馬の背登山道では、先程チラっと見えた「瞑想の小径」に比べると、意外にも登山時の怪我人が少ないようだ。
ただその理由は馬の背登山道が想像より簡単な登山道だという訳ではなく、最初に「危険!」などとアナウンスしている為に、初心者や足腰の弱い年配者が通らない事も要因にありそうだ。
だからそれなりに警戒している人や登山の経験が多い人ばかりが通るので、そこまで怪我も起きないのかもしれない。
それに比べて「瞑想の小径」は初心者が多く通る為に、特に下りでは足を滑らせて硬いチャートの岩盤にブツかって大怪我をする人が多いのかもしれない。
最近は東大阪市と奈良県を跨る「生駒山」を気に入って何度も登山にチャレンジしたのだが、体力的にシンドイ登り道を上がる際に、すれ違ったりする人が居ない程に、心理的に”心細く”なる。
生駒山の登山コースも沢山あるが、土日だとハイキング客も多いが、平日は結構少ない。
また登山コースも色々ある為に、一時間ほど全く人に出会わないという事も多々ある。
何度か登った事のあるコースであれば地理的に知っているという安堵感があるけど、初めてのコースだとどうしてもちょっとした不安感が付きまとう。
しかし、この金華山や生駒山などは昔から多くの人達が昇り降りしてきた山でもあるので、その人達が何度も行き来したルートはそれなりに道らしき雰囲気となっている。
なので初めてのコースも、そこまで不安感がなく、進んで行けるのである。
この道をゆけばどうなるものか?
危ぶむなかれ。
危ぶめば、道はなし。
踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。
迷わず行けよ!
行けばわかるさ!
ありがと~~!
BY アントニオ猪木
もし登山道などで体力的にしんどくなってきて、更には道中誰にも出会わずに不安感が襲ってきた際には、このアントニオ猪木の名言を頭の中で叫んでみる。
すると、気分が軽くなって、また登り始める事ができるようになる。
しかし、そんな名言を残した伝説的なプロレスラー:アントニオ猪木さんも、去年2022年10月に死去してしまった。
個人的には「アントニオ猪木派(新日本プロレス)」よりも「ジャイアント馬場派(全日本プロレス)」なのであるが、日本のプロレス界の発展に大きく貢献してくれた人物だけに、その業績には感謝しきれない位の人物でもある。
そしてチャートの岩盤や木のクネクネした根っこが剥き出しの「馬の背登山道」を独り登っていくと、そろそろ山頂に近づいてきたからか、人間の声などが聞こえてきた。
まだ近くに人の姿も見えないし、人工的な建造物も見えてこないけど、そろそろ山頂が近くなってきた感触を自分の五感で知らぬ間に察知していたようだ。
そして更に登っていくと、このように人工的に石が積み上げられたように見える箇所も見えてくる。
これは戦国時代に築かれていた岐阜城の石垣跡らしく、馬の背登山道を登った人にだけ見られる「特権」のような場所でもあった。
建物は消えても、石垣は残り続ける・・か。
そして急な登山道を登り続けて約20分ほどで、やっと人工的な階段に到着する。
この岐阜城を訪れたのは9月下旬であったが、それでも既にここに到着する時点で、全身汗だくであった。。
そして山頂に登ってから後ろを振り向くと、このようにとても見晴らしの良い景色が目に飛び込んでくる。
このような景色もロープウェイに乗って苦労せずに山頂に来た人より、自分の足で苦労して登ってきた人の方が、より印象的な景色として脳に記録される事だろう。
そして山頂付近には、1956年に再建された「2代目の岐阜城(模擬天守)」が見えてくる。
なお、明治時代に造られた初代の模擬天守は戦前に焼失してしまい、今見られる天守は”2代目天守”となっている。
こんな旅はまた次回に続きます!
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