犬山城&岐阜城旅-5:訪問 2022年9月下旬
旅行期間:2022年9月下旬(当日旅)
犬山のおみくじ!
個人的に現存天守で9番目に訪れた、愛知県犬山市にある「犬山城天守閣」。
今回の訪問後でまだ未踏の現存天守は、香川県の「丸亀城」、愛媛県の「宇和島城」、そして福井県の「丸岡城」と残り3つになった。
本丸内の散策!
犬山城を実際に訪れた事のない人からすれば、この本丸内には現存天守しかないだろうと思ってしまいそうだけど、その天守の目の先にはこちらの「お土産販売所」も併設されている。
江戸時代の姿をそのまま本丸も残しているのかと期待したけど、この辺りは城を維持するのもそれなりに収入が必要なんだろうという印象を受けた建物であった。
この犬山城天守閣は戦国時代にその基礎が造られたとされている。
戦国時代前半はこのような天守閣という立派な建物の概念はなく、あくまで砦の中心に一番高い「物見台」を築いていた。
そのような攻めてくる敵をいち早く見つける為の「物見台」が、”戦国時代の風雲児”である織田信長が豪華な建物に変身させた事により、全国的に「天守閣」という建物が次々と姿を現していく事になったとされている。
せっかくの拠点だから、派手な建物があった方が楽しいやん!
この天守閣は戦国時代前半にその土台が築かれた際には、2階部分までが物見台として造られたと推測されている。
その物見台だった建物をそれ以降に増築し、江戸時代前半には今のこの姿になったと考えられている。
そして天守閣とお土産屋以外に何か本丸内に無いかと周囲を散策していると、こちらの古そうな石碑が見えてくる。
この石碑は「高節凌雲霄(こうせつりょううんしょう)」と呼ばれる物。
これは犬山藩の最後の藩主となった第9代藩主:成瀬 正肥(なるせ まさみつ)の時代に、元々家老だった尾張藩を幕末~明治初期の苦しい時代に勤王の立場から助けた事を表彰した石碑だという。
天守閣の最上階の外側に設置されている回廊は「廻縁(まわりぶち)」と呼ばれており、その廻縁に取り付けられている落下防止の柵は「高欄(こうらん)」と一般的に呼ばれている。
この廻縁は全ての城に設置されていた訳ではなく、12個の現存天守の中でも廻縁の上に出て周囲を見学できるのは、この犬山城と高知城の2つだけしかない。
高知城では高欄の補修が完了した、ホヤホヤの時期に見学したな!
廻縁が設置されていても、見学できない城もあるんだな!
ただ本丸内にはこれぐらいしかないので、早々に入ってきた大手門に引き返すしか選択肢がない。
なお、この大手門の櫓部分は城管理側の事務所となっているので、一般人は立ち入りできない場所である。
犬山城の有料ゾーンとなる本丸内には、この看板にもあるように「ペット入場禁止」となっている。
最近はペットの犬を家族のように色んな場所に連れて行く人が増えていて、観光地ではちょっとした問題にもなってきているようだ。
城跡によっても有料ゾーンにまでペットの犬を連れてもいい場所があったり、このように禁止になっている所もあったりで、統一されている訳でもなく、ケースバイケースのようだ。
帰り道の坂道で見つけたこの石碑は、「鈴木玄道 顕彰碑」。
ただ、古い物なのでその石碑に彫られている文字は、現代人にはちょっと判別しにくい・・・。
横には案内板が設置されていて、犬山藩主の成瀬家のお抱え医師で、藩校で儒学の教授もして大きく貢献した為に、鈴木玄道の没後に建立された物だという。
針綱神社に寄り道!
そして帰りの坂道を下っていると、その脇にこちらの桜の花びらの形をした、おみくじのような物が見えてきた。
どうやらこの敷地は、犬山城に来る時に下に見えていた石の鳥居があった「針綱神社」の境内だった。
犬山市で未だに行われる『犬山祭』発祥の地で、歴代犬山藩主が祈願する場所としていた、犬山藩でも大事な神社だったようだ。
城の真下にある神社なので、江戸時代には大きな影響を与えていた神社だった事だろう。
そして境内には、このような白い神馬らしき像も安置されていた。
日本人は昔から神馬というと、このように真っ白い体をしている馬を好んでいたようだ。
ただ馬的には、産まれた時から真っ白い「白毛」の体をした馬はとても珍しく、大体は芦毛という、やや黒毛が混ざった体毛が年齢を重ねると共に、白くなって「白毛」に近くなっていくケースの方が多い。
真っ白い体をしている神馬が日本人に好まれてきた為に、JRA(日本中央競馬会)でレース前に競馬場を歩く誘導馬には、引退して気性の優しい白い体の馬が多く採用されている。
「白色」は”日の丸”にもある、潔さを表す日本人らしい色でもあるぞよ!
そして境内を散策していると、こちらの”花開く”「桜みくじ」が300円で販売されていた。
個人的には神頼みをしないのでこのような御神籤は全く買いたいと思わないけど、神道が重んじられてきた日本人は神社に来ると、このようなおみくじが買いたくなってしまう習性が未だにあるようだ。
そして普通のおみくじから一捻りを加えて、「桜みくじ」はこのように桜の花が咲いたような姿に結べるので、それにあやかって祈願が叶うと謳われているようだ。
そんな「桜みくじ」とも共に、その横で販売されていた変わり種の御神籤が、こちらの「鮎みくじ」だった。
ただし、この「鮎みくじ」は通年販売している訳ではなく、近くの木曽川で鵜飼による鮎採りが実施されている6月1日~10月15日までの限定販売となっていた。
『限定販売』という言葉に、人間は弱いんじゃ・・・
そしてこの針綱神社が知恵を絞って、「鮎みくじ」を普通に販売するのではなく、袋に入れてその先端に輪っかを取り付け、横に置かれている竿で釣り上げて御神籤を取るシステムになっていた。
最近は神社などの運営も人々の信仰心が少なくなっている事もあって苦しい所が多い中、このような面白いアイデアを出して御神籤などを販売している様子は素晴らしいと思う。
御神籤も昔ながらのただ紙に運勢が書かれているだけの物ではなく、それを入手する際の”楽しさ”を付加する事で、より価値を与える物になる。
神社や寺も昔みたいに有力者に庇護されている時代ではないだけに、このような新しいアイデアを生み出せた神社などが、これから生き残れる時代となってきているのかもしれない。
そんなアイデア満載の御神籤を見学してから、針綱神社の階段を降りていく事にする。
さっき犬山城に到着した際に、真正面にあった針綱神社の鳥居をくぐれば、この階段に到達していたようだ。
犬山城の天守閣へはこの針綱神社の境内を通っても行く事ができるのであるが、心理的に城目的の為に神社や寺の境内を通り抜けする事に、少し気後れしてしまったのは、少なからずも自分の中に信仰心の欠片があったからかもしれない。
所詮は、アンタも人の子や!
そしてその階段を降りて先に進むと、このように柵がしてあって渡れない石橋が見えてくる。
昔はこの石橋を渡っていたのかもしれないが、今ではそのすぐ脇道を歩けるようになっている。
これだけの勾配がある石橋は、雨の日などが特に滑りやすく危険な為に、通行禁止となっていたのかもしれない。
なお、鎌倉の鶴岡八幡宮入口付近にも同じような勾配30度の石橋があったけど、それも滑りやすい為に通行禁止になっていたっけ。。
そして針綱神社の鳥居をくぐって城前の道路に戻ってくると、こちらの「あゆ釜めし」という、大きな文字が目に飛び込んでくる。
もしこれが昼頃だったら、犬山城見学を終えた観光客はこの「あゆ釜めし」という文字を見て、思わずこのお店に雪崩れ込んでしまい易くなってしまう事だろう。。
城見物もじっくり見れば1時間以上はかかると思っていたけど、そこまで大きくない城単体だと、約30分ぐらいもあれば見終わってしまう。
ただ、まだ午前10時30分頃と「あゆ釜めし」を食べる昼食タイムには早いので、もう少しこの辺りをブラブラとする事に。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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