犬山城&岐阜城旅-7:訪問 2022年9月下旬
旅行期間:2022年9月下旬(当日旅)
青空と水のコンビネーション!
愛知県犬山市にある国宝の現存天守「犬山城」。
その犬山城の天守閣内を見学してからは、北側を流れる一級河川の木曽川を渡って、岐阜県各務原市の対岸にやって来た。
住所:岐阜県各務原市鵜沼南町
木曽川河畔遊歩道から犬山城を眺める!
木曽川を挟んで対岸から犬山城を眺めてみると、このようにまるで”日本のモンサン・ミッシェル”かのようにも思えてしまう景観となっていた。
急斜面と木曽川に阻まれた、攻めにくい城じゃ!
犬山城のある愛知県犬山市側の木曽川沿いは、桜が植えられている並木道となって、人気の遊歩道となっている。
ただ、その対岸にある岐阜県各務原市側の木曽川沿いも、それに対抗して遊歩道を整備したものの、観光客からすれば木曽川を渡って移動しないといけない場所なので、意外と人気や知名度も低いようだ。
前に訪れた長野県松本市にある「松本城」が特に美しく見えたのは、天守閣の周りに大きな堀が造られていて、その堀の水に城が反射して視覚的に”より素晴らしい光景”になっていたからでもあった。
この遊歩道で木曽川越しに見える犬山城の素晴らしい景色を見ながら歩いていると、前を歩くオカンから
足元に水が溜まってるデ~~!
との声が聞こえてくる。
そう言われて足元に注意しながら歩いて行くが、水溜まりといっても泥水ではなく、このように綺麗な水が溜まっていた。
犬山城は立地的に一級河川の木曽川を天然の堀として活用し、背後からの敵が攻め込むスペースを排除した。
そんな立地が現代になると、手前に大きな川がある事によって、より犬山城が印象的に見える景色を生み出す事になっていた。
対岸から犬山城を眺める! 動画
そして木曽川河畔遊歩道を歩いて行くと、遠くから轟音を響かせながら、大きな飛行機が頭の上を飛んでいった。。
頭上を飛ぶ「C-1輸送機」 動画
この近くには「航空自衛隊:岐阜基地」がある為に、そこへ向けて離着陸する自衛隊機が多く行き来する場所だった。
この辺に住んでたら、ウルサイやろ~な~!
そして奥にはダムのような堰と、その上を行き来する車などが走る橋が見られる。
こちらは1968年に完成した「犬山頭首工ライン大橋」で、木曽川から農業用水を引く為の”取水用可動堰”である。
農業用水はよく争いの元になったからな!
この辺りから犬山城を眺めてみると、ちょうどこんもりとした山の中央に天守閣が見えて、まさに”日本のモンサン・ミッシェル”を連想させるような素晴らしい景色となっている。
犬山城を眺める! 動画
「犬山頭首工ライン大橋」は建造当初は車しか橋の上を通れなかったが、2007年に完成した管理用の橋を歩行者用に開放して、今では徒歩でも渡れる場所となっている。
稲作大国の日本では、農作業に水が不可欠だった為に、大きな川から安定して水を引く事はとても大事だった。
この木曽川からは多くの農業用水が引かれているが、石で積み上げた堰は洪水の際に決壊を繰り返した為に、建造技術の発展と共にこのようなダム的な堰が造られる運びとなった。
お米以上に日本人には不可欠な物質が「水」であり、米を作る前にその水を手に入れないといけない。
水は地球上の生き物にはどれも不可欠な物質であるが、稲作をしてきた日本人にとっては、飲み水以上に量が必要だった。
ただ逆説的に考えれば、日本には水が豊富だった為に、これだけの稲作大国に成長したのかもしれない。
他の地域は水を手に入れるのに苦労する国が多い中、日本には湧き水が豊富で、水資源には大いに恵まれた国でもある。
無い物より、ある物をどう活用するかだ大事じゃ!
晴れた日にはこの景色がとても美しい。
空の青さ、手前をゆっくり流れる水、犬山城を支える緑の木々。
それと木曽川では6月~10月にかけて鵜飼の鮎採りが行われるが、基本的には夜に行われる為に暗闇にライトアップされた犬山城も、一段と素晴らしい景色を見せてくれるだろう。
そんな犬山城の景色にばかり見惚れている訳にもいかず、こちらの犬山頭首工ライン大橋の堰を流れていく木曽川の水の流れにも注目しながら歩いて行く。
この犬山頭首工ライン大橋に歩道が開通した事で、犬山城を訪れた観光客も木曽川を渡って対岸の岐阜県各務原市に移動し易くなっている。
ただ、この橋も犬山城天守閣からよく見えるが、天守閣に登った観光客の多くは実際にその橋を渡りたいと思う人は少数なのかもしれない。。
犬山頭首工ライン大橋から眺める木曽川! 動画
写真撮影する場合には、こういう川だと水の流れがあるので、その水に景色が綺麗に反射した写真を撮るのは難しい。
だがこれが湖だったら綺麗に湖面に周囲の景色が反射するので、風景写真がより美しく撮影出来る。
この橋の歩道部分は”自転車は押して歩いてください”と看板があったが、そのルールを守って自転車を降りて押している人は、半数ほどだった。
今年から自転車に乗る際はヘルメット被らなアカンで!
橋の下にある堰から、豪快に流れ落ちていく木曽川の水。
木曽川というと江戸時代中期に、薩摩藩が行った”大名普請”による治水工事の歴史を思い出す。
ただでさえ薩摩藩の借金が増え続けていた中、合計30万両を超えたとされる莫大な工事費を負担して、木曽三川(木曽川/長良川/揖斐川)の治水工事を行った。
その工事の最中に幕府の役人から嫌がらせを受けた事に抗議して、薩摩藩の50人近くが抗議の意味で切腹したり、赤痢が流行して数十人が命を落としたりと、相当な難工事となったようだ。
そしてこの木曽三川の治水工事で更に莫大な借金へと膨れ上がった薩摩藩の財政を改革する為に、琉球王国に対して厳しい取り立てを行うようになるのであるが。。
『砂糖地獄』とか呼ばれたヤツだな・・・
まだ午前中だったので、ライン大橋の上で犬山城をバックに笑顔で記念撮影に応じるオカン。
この日に被っていた帽子は、鳥取砂丘で飛んでいった帽子の代わりに現地で購入した物だった。
今日は帽子が飛ばされないように、注意しながら歩きました♪
伊木山付近を飛ぶ自衛隊の飛行機! 動画
「鵜沼宿駅」を目指して歩く!
そしてライン大橋周辺からの景色も堪能したので、次の目的地である「岐阜城」を目指すとする。
ライン大橋から駅に向かう際には、先程降りた「新鵜沼駅」ではなく、1駅だけ岐阜寄りにある「鵜沼宿駅」まで歩いて行く事にした。
こちらの田んぼは、鵜沼宿駅まで歩いて行く住宅街にあったもので、綺麗な色の稲穂が見られた。
そしてこの田んぼの水の中には、このように大きなタニシが見られた。
普段都会に住んでいると、このような稲作をしている田んぼを眺める機会が殆どないだけに、久々に見たタニシでもあった。
最近は家の屋根にソーラーパネルを設置している家も増えてきており、過疎化してきている町中に放置されている空き地をそのままにしているよりは、こういったソーラーパネルを設置するのもいいように感じる。
そしてライン大橋から約20分ほど歩いた所で、やっと名鉄:各務原線「鵜沼宿駅」に到着する。
ここから岐阜市内へと移動し、次は岐阜城の見学に向かうのであった。
こんな旅はまた次回に続きます!
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