急角度の階段を何段も登って、高知城天守閣の輝く高欄から景色を眺める【高知県旅行記22】

高知県旅行記2021年3月-22

旅行期間:2021年3月某日(2泊3日旅)

輝く高欄!

高知城 天守閣 模型

江戸時代からの本丸の姿が現存する、全国的にも珍しい「高知城」。戦火も潜り抜けて現代にその姿を残す城は、見ているだけではなく、その天守内に入る事によって、更に色んな事を学べるようになっています。

 

 

 

高知城天守の見学!

高知城 天守閣 階段 登る

高知城は「4重6階」(※文化財としては4重5階)となっており、階を昇り降りする際にはこのように昔ながらの急角度の階段を使うしかない。ただ、階段にはちゃんと手摺が設置されているので、足元が不安な人はしっかり手摺を握りながら登る必要がある。

坂本の猟犬
坂本の猟犬

手摺を触った後は、ちゃんと手を消毒するぜよ!

 

高知城 天守閣 模型 説明パネル

城には付き物の「天守閣」という建物も、戦国時代前まではその概念はなかったようだ。戦国時代までは”物見櫓”という城の周囲を監視する建物が本丸に造られていたが、織田信長の治世時代にその権威を表す建物として、天守閣なる荘厳な造りで建造されだしていったと考えられている。

 

高知城 天守閣 3 階 破風の間

ここは天守の3階部分で、下の階に比べると一回り狭くなっている。天守は万が一敵に攻め込まれてきた時に籠城する為の建物で、平時には人が暮らす場所ではなかったので、生活する際の快適さなどは考慮されていない。

 

高知城 天守閣 3 階 破風の間 小部屋

こちらの3階部分には「破風(はふ)の間」という、外側に三角屋根となって見えている部分の内側になっている。一般の家屋であれば、特に何もなかったり屋根裏スペースのようにもなっている場所だが、ここは城なのでこの部分は窓から下に来た敵を攻撃できるスペースが設けられていた。

 

高知城 天守閣 3 階 破風の間 説明

このように天守は至る場所からも、敵を攻撃できる事を考えて設計されている。ただ高知城は築城してから敵襲には遭っていないので、このようなスペースが戦いの際に活用されたという記録はないが。。

 

高知城 天守閣 3階の階段

そしてこの階は特に展示品も無かったので、次の4階に向かう階段を登っていく。この階段はいつ設置された物かは分からないけど、このように多くの人が通った際に擦れて磨かれたような模様が、何とも歴史と風情を感じさせてくれる。

 

高知城 天守閣 4階 内観

そして4階部分に到着すると、そこそこに狭い事もあって、このフロアは壁に日本全国の城の写真が沢山飾られているスペースとなっていた。江戸時代から現存する天守があるのは国内でも12箇所だけだが、それ以外に再建された天守もあったり、元々から天守が無かった所に観光用の新しい模擬天守が造られている場所もある。

 

高知城 天守閣 4階 窓

この天守は江戸時代から現存する建物なので、窓はこのような木の板となっている。江戸時代にはガラスは後半になってからガラス瓶などが流通したが、このような窓に窓ガラスとして使われ出すのは海外からの文化が大きく入ってきた明治時代以降である。

 

高知城 天守閣 4階 鯱 現物

そして窓からは、このように城にこれまた付き物の「鯱」の姿も見える。このお馴染みの鯱は古代中国文明から伝わってきた、想像上の生き物を再現した物。このような昔の建物は特に木造で燃えやすかった為に、海で生きる生き物を掲げる事で火事から逃れれるという信仰を基に設置されていた。

坂本の猟犬
坂本の猟犬

鯱があろうとなかろうと、燃える時は燃えるぜよ!

 

高知城 天守閣 4階 鯱の説明

ただこの鯱も瓦のように取り付けられている物なので、過去には暴風雨の襲来によって、転落した事もあるという。そして外側に設置されている事もあって、雨風などによって風化したりもするので、城の大幅な改修工事の際に新しい鯱と取り換えられる事も多い。

 

高知城 天守閣 4階 城の説明

江戸時代から現存する天守の中でも、この高知城は”本丸内の建物がほぼ完全な形で残る全国唯一の城”でもある。このように現代に城見学すると、何も知らない人にとっては昔ながらの景色と思えてしまうけど、その殆どは昔の景観が残されていないのである。

 

高知城 天守閣 4階 部屋の内観

この4階はこのように天井も低くなっていて、上に登ってきたという実感が湧いてくる内装となっている。また部屋の面積も一回り下の階と比べると小さくなっている事もあって、下の階までのような柱は見えない。

 

高知城 天守閣 5階へと向かう階段

そして更に上に繋がる階段へと、足を進めていきます。足腰が弱ってきている年配の人からすれば、このような急角度の階段を何回も昇り降りしないといけないので、城見学する前に足腰を鍛えておく必要がある。

オカン
オカン

もっと楽な階段を希望します♪

 

高知城 天守閣 4階 城の構造説明パネル

そしてこの4階から上の最上階に向かう間に、1フロア「中4階」ともいう感じの狭い部屋があった。その部分がどうも5階らしく、窓もない為に「小屋の段」とも呼ばれていて、古い時代の天守閣に見られる構造を残しているという。

 

 

最上階に到着!

高知城 天守閣 6階 最上階内観

そして更に階段を登っていくと、明るく開放的になっている最上階に到着する。この高知城の天守閣最上階は、引き扉が外側に設置されているので、それで余計に開放感がある場所となっていた。

 

高知城 天守閣 6階 最上階の注意書き

こちらには観光客向けに、天守滞在時の禁止行為が書かれた看板も見える。上から3つ目までは他でも見かける事が多い内容となっているが、4つ目の「昼寝を禁ず」というのはあまり見かける事が無くて、珍しく思えた。

坂本の猟犬
坂本の猟犬

最近は変な奴が増えてるから、禁止事項を列挙しないといけないぜよ!

 

高知城 天守閣 6階 最上階内観2

このように上に行く程に部屋が狭くなっていく天守なので、こじんまりとした部屋となっている。またこの時はテレビの撮影か何かで、端の方でカメラを撮影しているスタッフも見かけた。

 

高知城 天守閣 6階 最上階内観 格天井

そして最上階の天井は、このように豪華な部屋にふさわしい「格子天井」となっていた。来客を迎える場所でもないけど、やっぱり最上階というのは、昔から建物にとっては重要な場所だったのだろう。

 

高知城 天守閣 最上階 漆塗りの高欄

そしてこの高知城を訪れる数日前に、塗り直し工事が終了した「高欄」が綺麗に光っているのが見える。

 

どうやら2020年8月から高欄は解体されて、広島県の業者によって黒く漆で塗り直されていたようだ。総工費は3600万円となっていたが、2021年3月19日から一般公開再開となっていただけに、ちょうどいい時期に訪れる事が出来た。

オカン
オカン

ラッキー、ラッキー♪

 

高知城 天守閣 最上階 漆塗りの高欄 説明

この高欄には”擬宝珠”という、よく橋の欄干に取り付けられているタマネギ型の飾りが取り付けられている。この擬宝珠が取り付けられている橋などは、位の高い人が利用する物だけにしか取り付けが許されておらず、この高知城も山内一豊が徳川家康に願い出て許可を得て設置したという。

 

高知城 天守閣 最上階 漆塗りの高欄 記念撮影

そんな綺麗に塗り立ての「高欄」擬宝珠の前で、嬉しそうな顔をしているオカン。この擬宝珠に塗られている漆は、何と32工程も掛けて塗られた物で、とても手の込んだ品となっている。というのも漆は紫外線に弱いために、常に日差しが照り付ける場所に設置されるので、特に念入りに漆が塗られているようだ。

 

高知城 天守閣 最上階 漆塗りの高欄から眺める景色1

そして天守最上階から、この天守までやって来る時に登ってきた道を見下ろす。左側に見える門のような建物は来る時に通った「詰門」で、もし敵が攻め込んできた際には足組を外して、解体できるようになっていたそうだ。

 

高知城 天守閣 最上階 漆塗りの高欄から眺める景色12

こちらは日本国内でも唯一、江戸時代からの建造物が現存する高知城の本丸が見える。明治時代の廃城令や戦争時の空襲によって、江戸時代からの建造物の多くが姿を消してしまっただけに、ここ高知城本丸の景色はとても貴重である。

 

高知城 天守閣 最上階 漆塗りの高欄から眺める景色13

こちらには先程下の階から見えていた、鯱の姿も見える。そして高知城本丸は高さ40m以上の山の上に造られているだけに、本丸脇からはかなりの段差下に地面があるのが見える。大砲の無かった戦国時代であれば、このような高台にある城を攻める事はとても大変だった事が伺える光景でもある。

 

高知城 天守閣 最上階 漆塗りの高欄 外

このようにあまり広くはない高欄だけど、これも昔からの建物らしさを残している風景でもある。昭和時代に再建された鉄筋コンクリート造りの城だと、利便性を考えてエレベーターが設置されていたり、普通の階段が設置されているけど、やっぱり江戸時代からの急角度の階段の風情には敵わない。

 

 

最上階からの眺め! 動画

 

 

 

東多門櫓にて

高知城 東多門櫓 内観

そして天守閣内の見学を終えると、そのまま出口ではなく、一旦本丸内に設置されている「東多門櫓」の方にも立ち寄る。「本丸には天守閣の建物だけあれば充分!」と思う観光客も多いだろうけど、本丸の守りを固める為にその周囲に櫓がグルッと配置されていたのである。

 

高知城 東多門櫓 内観1

この「東多門櫓」も天守などと同様に、江戸時代から現存する建物となっていて、国の重要文化財に指定されている。木造の建物は、何とも懐かしい雰囲気が漂っていて、鉄筋コンクリート造りで再建された城の建物では、こういった雰囲気は味わえない。

 

高知城 東多門櫓 内観 兵士の像

この多門櫓ではちょっとした展示があり、「一領具足(いちりょうぐそく)という半農半兵をイメージした像が作られていた。この「一領具足」とは、土佐国の長宗我部氏が普段は農民として働いている領民を、戦の時に兵士として招集していた軍団の事を表す。

 

後の戦国時代後半には、”兵農分離”という専門制度を設けた軍団が領土を拡げていく事に繋がったが、ここ土佐国の長宗我部氏はその反対をして四国を制覇した。しかし、秀吉配下の”兵農分離”された戦闘専門集団が攻め込んでくると、そのような掛け持ち兵士は比べ物にならなかったようだ。

 

高知城 東多門櫓 内観 進む

このようにその土地の歴史を調べていくと、四国を制覇した長宗我部氏が秀吉に敗れた経緯なども見えてくる。どの世界にも上には上がいるもので、常に時代を先取りした戦術や技術を生み出さないと陳腐化して、負け犬側に成り下がるのである。

坂本の猟犬
坂本の猟犬

修行あるのみぜよ!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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