犬山城&岐阜城旅-13:訪問 2022年9月下旬
旅行期間:2022年9月下旬(当日旅)
くれぐれも慎重に!
かつて斎藤道三が”一介の油売り”から大出世を遂げた場所で、昔は「美濃国」と呼ばれた岐阜。
そんな斎藤道三の”義理の息子”となったのが、娘:濃姫(のうひめ)を正室に迎えた織田信長であった。
住所:岐阜県岐阜市金華山天守閣18番地
営業時間:9時30分~17時30分頃(※年中無休)
※10月17日~3月15日は16時30分頃まで
電話番号:058-263-4853
入館料:大人200円/子供(4歳~16歳未満) 100円
※車での登城コースは無し
「めい想の小径」を下る!
織田信長が戦国時代に岐阜市内の金華山に築いた岐阜城から、帰路に就く事になった。
帰り道も自分の足で下る登山道を進む事にした。
麓から岐阜城へは10個ほどの登山道が用意されているが、ボクが登ってきた「馬の背登山道」は難易度が高かったけど、帰りはオカンも同行する事も考慮して、初心者向けの「めい想の小径」を選択した。
下山時の方が、足に負荷が掛かりやすいので注意じゃ!
金華山は岐阜市内でも2番目に標高が高い山なので、下山中に見晴らしの良いポイントにやって来ると、思わず足を止めてそこから見られる絶景をしばし眺めてしまう。。
岐阜県といっても飛騨高山地方はアルプス山脈の影響で標高が高い山ばかりだけど、この岐阜市内はこのようにそんなに高い山は存在しない。
岐阜市内は主に、長良川の下流に出来た平野が多く見られる土地のようだ。
この「めい想の小径」登山道は”初心者向け”だから、オカンレベルでも問題なく簡単に下山できるものと思っていた。
しかし、帰ってからネットニュースを見ていたら、この岐阜城の登山道で大怪我をする人が度々発生しているという内容が目に飛び込んできた。
しかもそんな大怪我に遭った人が辿った登山道は、難易度の高い「馬の背登山道」ではなく、この初心者向けの「めい想の小径」だったのも驚きであった。
というのも、この岐阜城が造られている金華山の地質が、”硬いチャート”が大部分を構成しており、下り時にバランスを崩してコケた人が転落して、下の硬いチャートの岩盤に体を打ち付けるという事故が度々起きているという。
ただオカンは”骨粗鬆症”の気がある為に、このように最初から無理をせずに、腰を下ろした状態で足元が滑りそうな場所を安全に下っていたのだった。
コケたら大変な事になるからな!
下山時のお手本のような降り方じゃ!
前に訪れた山城の鳥取城では、登りから仕方なしに歩いた為に山頂付近で疲れ果ててしまったが、今回の岐阜城はロープウェイで登った為に、まだそれなりに元気が残っていそうな雰囲気だったオカン。
ホンマは疲れてたけどな・・・
この「めい想の小径」登山道には、このように途中に何故か偉人の名言が書かれた看板が、数枚設置されていた。
こちらは今では常識となっている『地動説』を唱えた、ガリレオ・ガリレイの名言である。
ただガリレオ・ガリレイが生きていた中世時代は、空が回っていると思われていた時代だったので、この『地動説』を主張する事で周囲から大きな反発があったようだ。
周囲からの反発が大きい程、革新的な事をしている証拠じゃ!
それから再び、またこのチャートのゴツゴツした硬い岩場を降りていきます。
若い人であればサッサと降りて行けそうな道だけど、年配の人で、特に昔はよく登山をした経験があって体には自信があった人が、逆に体に衰えが出ているのを軽視して大怪我に繋がる事もありそうに思う。
というのも先日生駒山を登ってから遊園地へ向かって縦断し、そこから降りて帰る登山道脇で、頭から道の脇の突っ込んだまま倒れている人を発見したからだ。
その人は60代後半のような男性で、「大丈夫ですか??」と声を掛けてみたら、「・・起こして・・もらえ・・ませんか・・・?!」と返事が返ってきた。
そのあと介抱してから「なんで道の脇に頭から突っ込んでいたのか?」を聞いてみたら、どうやら途中でヨロけてしまって、道の脇に頭から突っ込んでしまって起き上がる事が出来なかったという。
そのオジサン曰く、
「今まで300回以上、この生駒山は登って来ました・・」
「だけど、最近は思うように体が動かないと思う時が増えてきていて・・・」
「登っている最中に、ちょっとフラつく事も増えてきて・・・」
と、かなり心配になりそうな事を口走っていた。
なので「一緒に下山しましょうか?」と声を掛けてみたものの、
オジサン曰く「登っている途中なので、このまま・・登ります・・・」との事だった。
まあ本人が”登りたい!”と望むのであれば強制はできないので、仕方なく見送る事となった。
そのオジサンが登っていく様子を5分ぐらい眺めていたら、途中フラフラと歩きながらもなんとかコケずに登っていっていた。
なので何とか無事な後ろ姿を見送ってから、下山したのであった。。
自分の体の衰えを実感しないと、大きな事故などが起きるよね!
今回の「めい想の小径」を降りている際は、1組ぐらいしかスレ違わなかった。
人の通りがそれなりにある登山道だと、もし途中にシンドくなっても無理せずに、助けを請うという方法もあるので、初心者はそれを頭に入れといた方がいいかもしれない。
ただこの金華山はこのように足元にチャートの岩盤が露出している所が多いので、もし転倒して体をブツけると、大きな怪我を負いやすいのがよく分かる景色でもある。
ただ「めい想の小径」を昇り降りする観光客でも、実際に大怪我する人の確率自体はとても少ない。
だから”初心者向け”の登山道ではあるものの、他の山と比べるとより注意が必要となる山であろう。
登山道はコンクリート舗装されていない道で、途中ちょっと迷いそうになるポイントもあると言えばある。
ただ、そこまで道を間違えてしまいそうな程ではなく、普通に進めば大きな問題はないと思う。
途中に見つけた小川を眺める! 動画
そして登山道も半分が過ぎた付近で、オカンの要請で小休止する。
この岐阜城を訪れたのは9月下旬だったが、まだまだ体を動かすと汗を一杯掻く時期だったので、このようなこまめな水分補給は大事である。
そしてある程度下の方までなだらかな坂道に差し掛かると、再びまた「名言看板」が見えるようになってきた。
こちらは浄土真宗の宗祖とされる「親鸞聖人」の言葉らしいけど、登山道ではもう少し苦しさを感じながら登るポイントに設置した方がより効果的に内容が伝わるように思えたが・・・。
こちらは人物の名言ではなく、「ユネスコ憲章」の言葉となっている。
ここに書かれているように、常に心の中は穏やかに、そして平和な気持ちで居る事が日常生活を幸せに生きる、大事な要素かもしれない。
足元のチャート岩石は尖ってはいないので、コケても体に刺さる事はない。
しかし、下り時に足を踏み外してしまい、下に転落してしまった時にはその落下するスピードが加わって、大きな怪我をしやすいという。
麓の岐阜公園に無事到着!
そして「めい想の小径」を下る事約40分で、やっと麓の登山道入り口付近まで降りてくる事が出来た。
疲れた・・・強引にロープウェイに乗って帰れば良かった・・・
【「めい想の小径」下山時の注意点!】
・下りの時間は40~60分程
・足元は硬いチャート(堆積岩)が露出している所が多い
・傾斜のキツイ坂はそこまで無い
・道は舗装されてない
・基本的には判り易い一本道
・岩場でコケると、転落して硬い岩に体をブツけて大怪我する事故が起きてる
・下り時はできる限り慎重に降りる
・初心者向けコースだと、甘くみない
・もし雨が降って来ても、急いで降りずに、手を付いてゆっくり降りるべき
こちらは麓の岐阜公園にある、「金華山ロープウェイ乗り場&お土産屋」。
ロープウェイに乗る際には、ここでチケットを購入して乗り込むのだとか。
そして岐阜公園内を歩いていると、こちらの「山内一豊と千代:婚礼の地」という記念碑らしき物が見えてくる。
山内一豊というと戦国時代の武将で、江戸時代には今の高知県である土佐藩の初代藩主となった人物である。
山内一豊は尾張国で生まれ、父親が岩倉織田氏の家臣であった。
しかし、岩倉織田氏は同族の織田信長と対立して敗北し、山内家は離散して流民となる。
その後に、織田家に仕えて羽柴秀吉の家臣として台頭を表すのであった。
山内一豊って言われても、誰か思い出せんな・・・
その後ろにはこのような日本庭園らしき池も造られていて、金華山を降りてきた疲れを癒してくれそうな雰囲気だった。
こんな池見ても、疲れは取れへんデ!(怒)
正門近くの「織田信長像」を眺める!
そして岐阜公園の北西側に「織田信長の銅像」が設置されているという情報を得ていたので、その銅像を見にこちらの正門付近にやってきた。
その正門を出た道路沿いに、こちらの『若き日の織田信長像』というタイトルの銅像が鎮座してあった。
この銅像は昭和63年(1988年)に“岐阜市制100周年”を記念して制作された物となっている。
それとこの銅像の作者は、長崎県出身で日本を代表する彫刻家「北村 西望(きたむら せいぼう)」である。
一般人はこの「北村 西望」という彫刻家の名前を聞いてもピンとこないが、あの長崎市平和公園に設置されている『長崎平和祈念像』を作った人と言えばピンとくる事だろう。
言われてみれば、似たような顔になってるね!
そして金華山を登る前から水分を採っていなかった事もあって、ここで北村西望氏が制作した織田信長像と、山の上の小さく見えている岐阜城を見ながら水分補給する事にした。
アルコールも水分じゃな!
岐阜駅へ向かう!
そんな水分補給をしていると、急に雨が降ってきた。
岐阜城から降りてきたタイミングでもあったので、ラッキーではあった。
もしこれが下山中に雨が降ってきていれば、余計に足元が滑りやすくなって危険度が上がっていたかもしれない。。
ボクは基本的に旅行時には折り畳み傘を持って行かないので、急に雨が降ってきても、微動だせずにその雨を受け止める。
しかし、オカンはこのように”典型的な日本人”なので、「雨に濡れると溶けてしまうナメクジ」かの如く、ちょっとの雨でも折り畳み傘を差すのである。
酸性雨に濡れたら、頭ハゲるで!
雨が降ってきたものの、岐阜市内を走るコミュニティバスに乗り込み、JR岐阜駅に戻って飯を食べてから帰路に就く事にするのであった。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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